「村上隆の五百羅漢図展」
アーティストでありながら、芸大で博士号まで取得し、自らの作品制作だけでなく、若手へのチャンスを提供するために、「GEISA」なるイベントを企画し、「スーパーフラット」という造語を創りだし新しい世界文化のあり方を再定義し、サブカルチャーやフィギュアなどを世界的なアートの文脈に押し上げ、日本よりも先に世界で評価を得たアーティスト。それが村上隆。
いわゆる日本人のイメージする、コツコツ作品を自らの手で作り続けるという像からはまったくかけ離れ、その制作に対する態度も本展覧会の一部「制作プロセスとモチーフ」で展示されるように、自らのスケッチや指示書をもとに、多くのスタッフをプロジェクトごとに抱えて何日も徹夜を続けて作品を作り上げるそのシステム。行き着くところは自らがその場にいなくても作品が生み出されるシステムを目指しているようであるが、その体制があるからこその、会場を埋め尽くす大量の作品。そしてそれぞれの作品が日本人アーティストとは思えないほどの巨大さ。
それは非常に分かるし伝わるのだけど、個々の作品が、そしてその全体にたいして、何か興味深い印象を受けたかとか、何か感じるものがあったかといえば、明らかに「No」であり、それは横の妻も同じ様な印象だったようである。一体美術館が何を期待してこの展覧会を今ここで企画したのか非常に疑問が残りながらエレベーターで高層ビルを下りていく。
アーティストでありながら、芸大で博士号まで取得し、自らの作品制作だけでなく、若手へのチャンスを提供するために、「GEISA」なるイベントを企画し、「スーパーフラット」という造語を創りだし新しい世界文化のあり方を再定義し、サブカルチャーやフィギュアなどを世界的なアートの文脈に押し上げ、日本よりも先に世界で評価を得たアーティスト。それが村上隆。
いわゆる日本人のイメージする、コツコツ作品を自らの手で作り続けるという像からはまったくかけ離れ、その制作に対する態度も本展覧会の一部「制作プロセスとモチーフ」で展示されるように、自らのスケッチや指示書をもとに、多くのスタッフをプロジェクトごとに抱えて何日も徹夜を続けて作品を作り上げるそのシステム。行き着くところは自らがその場にいなくても作品が生み出されるシステムを目指しているようであるが、その体制があるからこその、会場を埋め尽くす大量の作品。そしてそれぞれの作品が日本人アーティストとは思えないほどの巨大さ。
それは非常に分かるし伝わるのだけど、個々の作品が、そしてその全体にたいして、何か興味深い印象を受けたかとか、何か感じるものがあったかといえば、明らかに「No」であり、それは横の妻も同じ様な印象だったようである。一体美術館が何を期待してこの展覧会を今ここで企画したのか非常に疑問が残りながらエレベーターで高層ビルを下りていく。
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