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2016年1月13日水曜日

「GA Japan 138」寄稿

現在発売中の「GA Japan 138」の特集:[今日のデザイン輸出事情 ~Bye Bye Nippon !] のなかで、現在の日本と世界の建築業界についてインタビュー形式で寄稿しております。

GA Japan 138

[今日のデザイン輸出事情 ~Bye Bye Nippon !]
01 早野洋介/MADアーキテクツ
[アジアから文化的境界を変換、そして実現する]

ページ数も十分にいただいて、現在行っているプロジェクトや、外から見る日本の建築業界についての思いなど述べております。もし書店に足を運ばれることがありましたら、ぜひご一読いただければ大変嬉しく思います。

2015年12月29日火曜日

「ヒカルの碁」 ほったゆみ(原作) 小畑健(漫画) 1999 ★★★★

年老いた父親の現在の楽しみの一つが「碁」。昔からやっていたようであるが、定年退職後、かつての恩師のもとに同級生と通い、学生時代を思い出しながら月に数度「囲碁」を教えてもらってきている。

熱心に学ぶのはそこにとどまらず、地域の囲碁教室にも通うようになり、新しい友人も作りながら、非常に熱心に棋譜を眺める姿はなんとも微笑ましい。

「将棋も麻雀もやってきたが、やはり奥深さは囲碁が一番だ」となんとも楽しげに話す様子を見ていると、これだけ長い歴史の中で、特に高齢者が熱をあげるほど熱中できるのは、やはり何か深い理由があるのだろうと想像を膨らませる。

そして、何よりもこれほど熱中している父親に対して、いつか真剣に碁盤上で対決して、教えてもらえることが一番親孝行になるのではと思いつくが、さてどうやって学び始めようかと思い悩んでいる時に、「そういえば、囲碁を題材にした漫画がはやっていたな・・・」と思い浮かんだのがこの漫画。

早速手に入れて読んでみるが、なるほどなかなか興味深い。なにより、中国、韓国の若い棋士の台頭や、各国での棋院の普及の仕方など、これは実際北京の囲碁の大会なんかも覗きに入ってみても面白いかと思えるほど。

こうして漫画というわかりやすい形で、今まで馴染みのなかった分野に興味を持つということが起こるのは、すばらしき日本の文化の一つであろうと納得する。目標はなんとか今年のうちに、ハンデをもらいながらも勝負ができるようにとポケット版囲碁セットを購入するのを楽しみにすることにする。

2015年11月21日土曜日

ダンス 「St. Petersburg Eifman Ballet Anna Karenina」 NCPA 2015 ★★

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A ballet by Boris Eifman
Based on the novel by Leo Tolstoy 
Music: Pyotr Tchaikovsky 
Sets: Zinovy Margolin 
Costumes: Vyacheslav Okunev 
Light: Gleb Filshtinsky 
Premiere: March 31, 2005 
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ボリス・エイフマン(Boris Eifman)率いるロシアのバレエ団・St. Petersburg Eifman Ballet。演じるのはロシアの文豪トルストイの有名な同名小説を、ロシア・バレエ界の鬼才と呼ばれるボリス・エイフマンがバレエ化した「アンナ・カレーニナ」。

二週続けてロシアのダンスというのもなんだか冬の到来を感じるのに丁度いいかと足を運んだ一作。オーケストラじゃないから大丈夫かと思いきややはり一幕では耐えがたき睡魔に襲われあっさり撃沈。

気を取り直して第二幕から集中して観劇に励むが、「アンナ・カレーニナをちゃんと読んだっけな?」と思いながら、あやふやな記憶を辿りながらなんとか物語についていく。それでも終盤には独特な演出が見られ、「これがエイフマンらしい振り付けなんだろうな」と勝手に理解して今年最後のダンス鑑賞を終えることにする。

Eifman Ballet

2015年11月15日日曜日

安陽(安阳,ān yáng,あんよう) 河南省 ★★


進めてきた古都巡りも半分を過ぎ、何とか今年中に制覇したいと思って選んだ先は河南省の最北部に位置する安陽(安阳,ān yáng,あんよう)と、その北の河北省の最南部に位置する邯鄲(邯郸,Hándān,かんたん)。

中国の八大古都にも数えられるこの安陽は殷王朝の王都が置かれていたとされる。「殷(yīn,いん)」というと、

殷、周、新、漢、三国、晋、南北朝、隋、唐、五代、宋、元、明、清、中華民国、中華人民共和国

いん・しゅう・しん・かん・さんごく・しん・なんぼくちょう・ずい・とう・ごだい・そう・げん・みん・しん・ちゅうかみんこく・ちゅうかじんみんきょうわこく

と、学校で一度は耳にした中国の歴代王朝を覚える歌の最初に出てくる例の「殷」である。

中国ではその殷の前の「夏(か)王朝」が最初の王朝として認知されているが、考古学的にその存在がまだ証明されておらず、逆に考古学的に明らかにその存在が認められる最初の王朝としてこの「殷」が世界的に認知されているという訳である。

またこの「殷」は別名を「商(shāng、しょう)」とも呼ばれ、中国人と話す時には大体「商王」としてこの時代を称するようである。なんといってもその存在した時代は紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年とされており、存在期間だけで優に500年以上。今の様な安定した国家という形でなかったに違いないが、それでも気の遠くなる年月である。

「亀の甲羅」で知られる様に、占いに非常に優れた文明を持った「殷」。そこから甲骨文字を発展させ、現在の漢字文化の源流と読んでいいこの王朝。占いということから、天文学にも優れ、現在も使われる閏年もまたこの時代から既に使われ始めていたというから驚くばかり。

そんな古の王朝「殷」。その気配を少しでも感じるために霧が立ち込めほとんど視界ゼロで雰囲気たっぷりの天候の下、安陽の駅へと降り立つことにする。









2015年11月14日土曜日

ダンス 「Mariinsky Theatre Ballet Mixed Programme」 NCPA 2015 ★★

5 Tangos
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Part 1 – Scotch Symphony
Kristina Shapran – Konstantin Zverev 

Part 2 - '5 Tangos'
NadezhdaBatoeva – Vladimir Shklyarov 

Part 3 – In the Night 
1st couple – Anastasia Matvienko – Filipp Stepin 
2nd couple – Viktoria Brileva – Evgeny Ivanchenko 
3rd couple – Uliana Lopatkina – Andrey Yermakov 
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世界5大バレエ団と呼ばれるのは

パリ・オペラ座バレエ(フランス)
英国ロイヤル・バレエ団(イギリス)
ボリショイ・バレエ(ロシア)
アメリカン・バレエ・シアター(アメリカ)
マリンスキー・バレエ(ロシア)

その中でも最高峰と称されるのがロシアはサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場を拠点とするマリインスキー・バレエ(Mariinsky Theatre Ballet、キーロフ・バレエ) 。旧称をロシア帝室バレエ団と言い、ロシアのバレエ文化を体現するバレエ団である訳である。

そんな世界最高峰のダンスを見るチャンスだということで相当高額なチケットであったが、「一生モノの経験だ」と自分を説得して足を運んだ作品。

3幕それぞれ趣の違いながらも、とてもエレガントなその舞に心を洗われ、「いつかは本場サンクトペテルブルクで観てみたい」と心に決めて劇場を後にする。
Scotch Symphony
In the Night
Mariinsky Theatre

Mariinsky Theatre

2015年10月6日火曜日

水戸芸術館 磯崎新 1990 ★★


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所在地  茨城県水戸市五軒町
設計   磯崎新
竣工   1990
機能   美術館、コンサートホール、劇場
規模   地上4階、地下2階
構造   SRC造・RC造(塔本体のみS造)
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東日本大震災後、引き続く余震の度にテレビの地震速報でグラグラと揺れている映像を見て、「大丈夫か、あのタワー?」と知名度を上げた感のあるこの水戸芸術館。水戸市100周年事業として市長の鶴の一声で「予算100億、タワーの高さも100m」と音楽、美術、舞台と言った文化を使って市の活性化をしようという壮大なプロジェクトである。

1990年と言えば、1991年に弾けたとされるバブル景気の真っ最中に計画が立ち上がり進行していたということになり、当時日本全国の自治体による様々な町おこしブームの一環として起こったものの中で、明確に「文化」を軸にし、現代にもしっかりと都市に根付いているのを見ると、その先見の明があったことを物語る。

そしてもう一つ先見の明があったと言わざるを得ないのは、当時どこでも「多目的ホール」という音楽の演奏も聴くことができ、演劇も見れ、更に大きな会議にも使えるという多用途に対応できるフレキシブルなホールがあちこちに生まれた。しかしこの芸術館では、計画当初から美術・音楽・演劇の各部門に「芸術監督」なる外部のスペシャリストを招聘し、建築家と協議しながら設計に反映したというプロセスを経て、多機能に重ね合わせるものではなく、あくまでも三つの機能を独立させ、それぞれの機能に特化した空間を作り出すという方法を取ったこと。

その為に、コンサートホールでは音楽を楽しむための音響に特化した設計に、美術館では自然光を取り入れ、様々なタイプの展示に対応できる長さのある展示空間に、演劇では舞台を取り囲むように360度に配置された客席によって観客と演者の距離を近づけ、「見る/見られる」の関係から一体に演劇を楽しむ空間に設計を押し上げることになる。

それらの三つの文化機能が複合され、全体として芸術館という一見分かりにくい名前が冠されているわけである。

そして敷地脇にはシンボルとなる高さ100mのアートタワーが設置され、これはエレベーターにて上部の展望台にアクセスできる設計となっている。東日本大震災でもぐらぐらと揺れながらも、決して倒壊することなくその構造設計の正しさを証明することとなる。

建築の設計を担当したのは磯崎新。再度そのキャリアを見ていくと、そのキャリアの中期の作品に当たり、同県のつくばセンタービルから7年を経て、また茨城の地にて重要な建築を手がけることになったということである。

1960年 大分医師会館 (29歳)現存せず
1966年 大分県立大分図書館(現アートプラザ) (35歳)
1966年 福岡相互銀行大分支店 現存せず
1970年 日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置 (39歳)
1972年 福岡相互銀行本店(現西日本シティ銀行本店) (41歳)
1974年 群馬県立近代美術館
1974年 北九州市立美術館
1974年 北九州市立中央図書館
1983年 つくばセンタービル  (52歳)
1985年 ザ・パラディアム
1986年 新都庁舎コンペ案
1986年 ロサンゼルス現代美術館(アメリカ)
1987年 お茶の水スクエアA館(カザルスホール)
1987年 北九州市立美術館アネックス
1988年 東京グローブ座
1990年 水戸芸術館 (59歳)
1995年 京都コンサートホール
1998年 秋吉台国際芸術村
1998年 なら100年会館
2007年 イソザキ・アテア(ビルバオ、スペイン)
2008年 深圳文化中心
2008年 中央美術学院美術館
2011年 ヒマラヤ芸術センター (80歳)
2014年 上海交響楽団コンサートホール(中国)


最近設計を進めているコンサートホールのプロジェクトのため、日常的に様々なコンサートホールを訪れたり、図面を見たりしては、その肝である音響設計を理解しようと、すっかりコンサートホール漬けの日々を送っている。

そしてこの水戸芸術館でも、日本が世界に誇る音響設計のスペシャリストである、永田音響によって音響設計が行われ、2014年に同じく磯崎新設計によって完成した上海交響楽団コンサートホールまで、建築家と音響設計者とのコラボレーションは長く続くことになる重要な一作。

コンサートホールを見ると680席という中規模のホールで、この水戸という都市には適したサイズのホールとなっている。舞台を6角形にし、舞台の後ろにも客席を置き、前方は3方向へと座席が広がるタイプであり、舞台と客席の一体感を作り出す配置となっている。

本来コンサートホールにあるべきパイプオルガンが、この建物ではエントランスホールの上空に設置され、背の高いホールの空間を時に音楽イベントでも利用するという意図で設計されたという。

タワー、パイプオルガン、劇場、コンサートホール、美術館。そして併設されるレストランなどのサービス機能を考えると、一体どれだけの機能を合わせ制御しなければいけなかったのかと、その設計過程を想像すると少々頭が痛くなる。

それを100億という予算で行ったと言うのであれば、恐らく行政としては十分にもとの取れる投資であったのではと勝手な想像を膨らませる。

市街地活性化の為に行われたプロジェクトではあるが、まさか竣工後すぐにバブル景気が吹き飛ぶとは誰も想像しなかったであろうが、それでも完成からすでに25年。四半世紀を経てもしっかりとこの都市で重要な場所となっている姿を感じ取り、次の目的地へと向かうことにする。






















2015年3月9日月曜日

異なる価値観を認めること

空港のラウンジで、子供連れの中国人が大声で泣き出した子供に対して「シーーッ」と注意をしている姿を見かける。中国国内ではほとんど見かけることのない光景である。

中国国内では、ほとんどの親がたとえ公共の場所で子供が大声で叫んでいたり、泣いていたりしても、「それが周囲に迷惑となっているかも」という気の使い方はほとんどせず、何も気にせずむしろ自分もipadなどで大音量を流しながら映像を見ていたりする姿を良く見かける。

そんな光景に「民度」という言葉がよく心の中に浮かんできたのだが、空港での光景を見ると、そんな「民度」は国という括りよりもやはり「人」によるのだと思わずにいられない。

社会的振る舞いというのは、「自分の価値観とは違う人が世の中にはいる」ということをまずは認識し、次にそれを認め、自分の常識が他の人にとってそうではないかもしれない可能性について想いを馳せ、相手に不快な思いをさせないように気を遣って行動をする。それは相手への敬意でもあり、同時に自分も同じ様に社会的に扱われ同様に気を遣われることを期待することでもある。

つまり世の中には自分とは違った価値観をもち、社会的行動規範を持つ人々が多く存在し、自分も社会の中で生きていく上ではそれを尊重しなければいけない。

そういうことを成長する過程において誰かから教えられるか、もしくは自らの経験としてそれを学んでくるかしかない訳である。

ラウンジで見かけた人は恐らく後者に分類されるのだろうと思う。違う文化圏に足を踏み入れ、ツアー旅行でどこまでも準備された世界を見学してくるのではなく、しっかりと一人の個人として文化や人に触れてくること。その中で自分とは違う文化への敬意を感じて、その社会で求められる振る舞いやマナーが存在することを学ぶ。

そういうことを繰り返すうちに、ある種の共通認識へと到達する。

21世紀の価値観が多様性だと叫ばれるなか、世界中のどこ国においてもこの「自分とは違う価値観を持った人が存在し、それに敬意を払う振る舞いをする」ということが国際舞台での最低限のマナーとなるだろうし、同時に多くの摩擦を軽減する手助けにもなるだろうと思わずにいられない。

2015年2月22日日曜日

用途別の厚み

海外で時間を過ごしたまに日本に帰ることの楽しみに、日本でのトイレがある。「そりゃ中国人が日本で爆買するのも分かるな」と思うほど、なんとも心地よい一時である。

しかしそのようにお尻を甘やかして過ごしてしまうと、再度海外に戻った後にお尻が再度厳しい環境に慣れるまでしばらくかかることになる。そんなあるあるを思いながらも、完全にウォシュレットがデフォルトとなった現行の日本の生活においては、トイレットペーパーの役割もまたその機能を変えてくる。

今まで「拭(ふ)く」ものであったトイレットペーパーで水分をたっぷり身に着けたお尻を拭くことはその浸透性も手伝って、逆側の手の方まで染みが訪れるのに時間はかからない。つまりはお尻と間接的に触れることになる。これは困った。

「拭(ふ)く」ものであったものから、完全に「水分を拭(ぬぐ)う」ものに変わった現在。それでも市販される多くのトイレットペーパーはまだどちらに重心を置くべきか迷いつつ、「拭(ふ)く」よりからなかなか抜けださない。

しかし、相手が水分となった現在、その機能に伴い厚みを持ったものに変わるべきだと思いながら調べてみると、なるほどいろいろとウォシュレット用のペーパーが多く売られているのだと理解する。

それが店頭に当たり前に並びだした時に、生活様式の一つの文化が完全に変わった時だと記憶するのだろうと思いながら、まだ薄いトイレットペーパーに手をかけることにする。

2015年2月14日土曜日

臥仏寺(がふつじ 、wò fó sì) ★


中国の古都と、国内にある仏教、道教、儒教の重要寺院を巡ることを思い立ち、まずは足元の北京にある重要な寺院はどこかと調べるとまずでてくるのがこの臥仏寺(がふつじ 、wò fó sì)。

北京の北西に位置する香山と呼ばれる紅葉が有名な山の麓に位置し、現在は北京植物園の敷地内に取り込まれている寺院であり、市街地からはおよそ30キロの距離に位置する。

そんな訳で先日妻と一緒に車で出かけたが、事前調査を詳しくしておかず、植物園内部にあるとういことを現地に着いて知り、その駐車場入口で怪しいおじさんに、「駐車場は混んでいるから、そこに停めてもらって、私の車で寺の入口まで送って行けるよ」という呼び込みに乗って狭い路上に駐車することに。その折に、普段と違っておじさんの誘導に乗ってバックしていくと、「ガリガリ」と何だか嫌な音が・・・慌てて降りて後ろに回ると、横に停めてある車のナンバープレートにぶつかって、車の後ろのカバーが折れてしまって地面に落ちている・・・

それを横目にシラッと逃げていくおじさんを横目に、ナンバープレートが曲がってしまった停車中の車の持ち主となんとか話をつけて、すっかりおしりの落ちた形になった車をどうしたものかと眺め、あちこちに電話しながら、構造を理解してはめてみるとそれとなく形になり、少々の振動では落ちそうになくみえる。これならいけるかもと、販売元に車を持っていくためにせっかくここまで来たのにと寺院を見ることに戻ったのが数週間前。

そのリベンジを何とか中華新年前に果たしてしまおうと、今度は地下鉄とバスを乗り継ぎ、1時間半ほどかけて到着し、あの時のおじさんを見つけこっそり写真におさめ、心の中でのリベンジ達成とチケットを購入して中に。

植物園の入口から目的の臥仏寺の入口まではおよそ2キロ。内部は子供連れの家族など植物を楽しみに来ている人がかなりいるようであるが、彼らを追い越しながら早歩きにて臥仏寺へ。

この寺院。本名は十方善覚寺といい創建は唐の貞観年間(627-649)と言われており、有名なのは元時代に寺院内に造られた横になっている釈迦仏像。その臥佛殿が有名になり、そこから臥佛寺と俗称で呼ばれるようになったという。

寺院はまっすぐ伸びる軸線上にそれぞれの建物が配置され、さらにその奥の山の上には寿山亭が視線を受けるように鎮座している。境内の梅が少しだけ芽吹きだしており、ここにも春の訪れかと季節の変わり目を感じながらまた長い道を戻っていくことにする。