2021年8月25日水曜日

トゥーゲントハット邸 Vila Tugendhat_ミース・ファン・デル・ローエ Mies van der Rohe_1930 ★★★★★

 





アアルト、ロース、イームズ、ライトと来たら次はコルビュジェかミースかということで、ミュラー邸を訪れた2019年のプラハでのシンポジウムに合わせて、できることなら足を運んでみたいと願っていたのがミースによるトゥーゲントハット邸。チェコ第二の都市であるブルノに作られた近代建築の傑作と言われるこの住宅は、ミースがバルセロナ・パヴィリオンを設計していたとほぼ同時期に、ブルノの裕福な実業家の為に設計が行われていた。
 
この住宅を訪れる為にはツアーに申し込まなければいけないということで、プラハに発つ前に何度も管理をする組織にメールを送ったり、HPからツアーの申し込みを行おうとするのだが、ツアーは数か月以降まで空きが無い状態。これは難しいか・・・と思いながらも、シンポジウムの主催者側にどうにかならないかとメールを送るがやはり難しいと。
 
プラハについても、ホテルのコンシェルジェに相談して問い合わせをしてもらったりと、あの手この手を尽くすのだがどうにも突破口は見えず。どうしたものかと思いつつ、シンポジウムで知り合ったプラハの建築家にその話をしていると、知り合いが以前チューゲンハット邸を管理する組織で代表をしていたといい、話をしてみてくれるという。その結果プラハを離れる日の午前中に、チェコ語でのツアーであれば、空きがあるのでそれに名前を入れておいてくれるという。
 
こんなこともあるものかと思いながら、手配をしてくれた建築家に感謝を伝え、ついでにホテルのコンシェルジェにも事のいきさつを伝えたら、 「あなたのガッツは嫌いじゃないわ」と笑顔で送り出してくれる。

そんな訳で早朝5時にホテルをチェックアウトし、まだ薄闇のプラハ駅へ。約2時間半かけてブルノに向かうのだが、どうやらホテルで取ってもらっていたチケットは予定していた列車とは違うもので、鈍行でかつブルノにある二つの駅の別の方に到着するらしい。ツアーの開始時間は決まっているので、そわそわしながらブルノ駅到着。タクシーに乗り込み、目的地を伝え現地に到着すると、なんとかツアー開始の時間には間に合った様子。



ツアー開始まで少し時間がある様子なので、少し周辺を見て回ると、伝統的な豪邸が立ち並ぶブルノでも一等地の住宅地の様子。その中で異彩を放つこのシンプルな作りのトゥーゲントハット邸の構えは当時ではさぞや話題になったのだろうと想像する。
 
そんなこんなしている内に係の人が出てきてフェンスを開けてくれ、参加者はそれぞれ事前予約していたチケットを受け取りにオフィスへと進んでいく。最後にオフィスに入って事情を説明すると、「話を聞いている。チェコ語のツアーになるけれどわからないところがあれば、ガイドに英語で質問してね」と随分正確な日本語での説明冊子を渡される。ツアーが開始するまでは参加者が気ままに入り口レベルのテラスからブルノ中心地への眺望を楽しんだりと時間を過ごす。









ツアーは道路部分に面する3階に当たる入り口から開始。円を描く乳白ガラスに隠れた床から天井までの片開の玄関ドアを抜け、玄関ホールへと入る。目の前に立ちはだかるブラジルシタンと呼ばれるやや暗めの木化粧板で仕上げられた壁も、床から天井までで、左からは先ほど外から見ていた乳白ガラスの壁を通してやわらかく光が入ってくる。中に入ると意外に外の視線や風景は気にならないほどの透過度だなと思いつつ、ガイドの案内に従って脇の両親のバスルームを見学する。
 
ハイサイドライトから取り込まれた日光が入り込み、とても開放感のあるバスルームになっており、紐をひっぱると簡単に開閉ができ、しっかりと換気も行えるようになっているという。









続いて脇の夫であるフリッツの部屋へ。眺望に向けて配置されたベッドと窓の脇に備えられたデスクは、毎日朝日で目覚め、ブルノ中心の教会の姿を眺めながら夜を迎える一日がとても気持ちよく過ごせるだろうと想像させる。





となりは妻のグレタの部屋でこちらはデスクの代わりに窓の脇にソファが置かれ、ポカポカとした日を受けながら、このソファでお茶でも飲んでいたのだろうと想像させる。

テラスに面しては二人の子供たちの部屋が並び、家族の寝室からはすべてブルノ市街への眺望が取られている。廊下の突き当りの部屋は家庭教師のための部屋で、この部屋だけは眺望がない部屋となっているという。


ホールに戻り下のメインのフロアへと階段を下りながらも、ところどころに散りばめられたディテールを観察しながら、設計の密度と質の高さに感心する。





階段を降りると随分と広いスペースに到着しながら、身体は徐々に右側の眺望に向けて流されていく。「流動的」と呼ばれる平面の特徴をよく表す空間であるが、十字形をした柱で構造を持たせ、構造から自由になった壁が空間を緩やかに仕切っている。





空間を支配するのはバルセロナ・パヴィリオンでも使われているトラバーチンの石の直線壁。そして黒茶色をした木材で化粧されたカーブする壁。その二つの壁が広い空間になんとなくエリアを作り、そこに今度はカーペットと家具のセットが空間を作り出している。

ピアノからダイニングテーブル、ソファなど様々なしつらえがされているが、そのどれもがぴったしとそこにあるべきだと主張せんばかりに、建築から家具までが一緒になって見事に空間を作り上げている。そして各部の椅子の高さが異なっているために、場所によって異なる眺望が得られるようになっている。
 

庭に向けた一面の開口部には、この住宅の大きな特徴ともいえる、当時としても珍しい機械設備による暖房・冷房設備や機械制御の庇などが設置されており、一年の太陽の動きによって快適な日差しを取り込んだり遮ったりしていたようである。
 

ガイドの説明を受けながら、三段階に直径を変えて使えることのできるダイニングテーブルなど、それぞれの場所の使われ方を聞きながら、温室テラスやキッチンを見学し、この住宅の核心ともいえる一階部分の機械設備の空間へと降りていく。当時の一般住宅の30倍の工費がかかったというだけに、かなり大掛かりな設備の脇を通り、隣の展示スペースに到着すると、ちょうどその年にプリツカー賞を受賞した磯崎新の展示を行っていた。


最後はショップとなっており、関連グッズなどをうっている。そこから外の庭へ出て、自由に散策して脇の階段を登って一階へと戻ってツアー終了となる。最後のオフィスに顔を出してお礼を伝え、近くのバス停でバスに乗りこみまた3時間かけてプラハに戻る電車に乗る為にブルノ駅へと戻ることにする。