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2015年5月6日水曜日

「ルーズヴェルト・ゲーム」 池井戸潤 2014 ★

さすがに売れっ子作家といえども、毎作毎作フレッシュなアイデアが浮かぶはずもなく、それでも作品を出し続けるにはやはりある法則が必要となってくる。そしてそれがこの作家の場合は

①中小企業ながら非常に高い技術力を持っている
②プロフェッショナリズムを失い、数と規模の力を振りかざす大企業に攻撃される
③経営、職場、家庭など異なる場面で同時に危機が訪れる

と言ったところだろうか。

「社会人野球」という一年のある時期に必ずスポーツニュースで流されるその存在。ほとんどの人にとってはそれはあくまでもテレビの向こう側の存在で、自分の会社にテレビで聞くような強豪野球部を持っている企業は少ないのではないか。

そんな自分には全く接点の無い世界だが、同時に自分の働く会社に、時間の余裕のある週末に「自分のチーム」として応援に行ける、そんな野球部がある。そんな生活も悪くないだろうと思ってしまう。

そんな多くの人からの絶妙な距離感にある企業における社会人野球を切り口にし、「一番おもしろいゲームスコアは、8対7だ」というルーズベルト大統領の言葉をタイトルにして、中堅電子部品メーカーが社員の結束力と技術力を武器に大企業を最終的にはやっつける。

十分キャッチーな要素を持ち、さらに「半沢直樹」の大ヒットの後に同じ作家の作品とすれば、テレビ局はどうにかしてドラマ原作として使いたくなのだろうか。

しかし企業野球部員の会社における存在の在り方や、企業にとって収益を生み出さない野球部を抱え続けるのはどれだけの費用となるのか、どんなところでもより良い条件に移っていく人がいれば、条件を超えた何かで残る人間がいることなど、十分すぎる人間ドラマは散りばめられているが、やはりパターンを知った読者にそれを超える驚きと喜びを与えるにはいたっていないというのが多くの人の感じるところではないかと思わずにいられない。

2014年5月10日土曜日

「1973年のピンボール」 村上春樹 1980 ★

青春三部作の二作目と言われるこの作品。

デビュー作品の「風の歌を聴け」と、三部作を締めくくる「羊をめぐる冒険」にはさまれるようにして書かれたこの作品。

最初から三部作としての構想があって書かれたのか、それとも書いているうちに物語がつながって三部作になったのかは気になるが、どちらにせよ、他の二作に比べこの一冊はどうにも好きになれなかった。

恐らく刊行された当時の雰囲気の中では、とてもカッコいい、まるで外国の小説を飲んでいるような軽やかさとユーモアの含まれた小説だったのだろうと想像する。それを手に取った若者は新しい時代の到来を感じていたに違いない。

しかし「羊をめぐる冒険」の様にこちらは決して目次を自ら打ち込もうとは思わない。その差が何かは微妙なのだろうが、それが小説の面白いところでもあるのだろう。

主人公と鼠のダブル主役。ピンボールの「スペースシップ」をやっと探し出し、広い倉庫で暗い照明の中でプレイする場面はやたらと鮮明に目の前に浮かぶ感じであるが、物語を読み終えて何かを覚えているかと言われたら非常に微妙である。

「風の歌を聴け」を読んだ後に感じる風が吹き抜けたような爽やかさも、「羊をめぐる冒険」の後の疾走感も無く、ただただ断片が並べられたような印象を受ける一冊である。


2014年5月9日金曜日

「羊をめぐる冒険 上・下」 村上春樹 1982 ★★★★

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第4回(1982年) 野間文芸新人賞受賞
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村上春樹の三部作と呼ばれるデビュー作でもある1979年の「風の歌を聴け」。1980年の「1973年のピンボール」、そして1982年の「羊をめぐる冒険」。

三部作だというのは後で知るものであるから、読んでいくと、「あれ、これあの本に出てきた人物だよな・・・」と気になる人物がチラホラ。主人公に、鼠に、バーテンのジェイ。

そこらへんで気になって見てみるとやはり三部作で、「風の歌」の後日談だという。「だよね」と思いながら読みすすめるが、村上春樹の本を読んでいると、ウイスキーも上手く飲めるようにならずに中年になってしまったのがとても恥ずかしく思われながら、冷蔵庫からロックアイスを取り出してウイスキーを片手に先を読みことにする。

村上春樹を読むと、生きることをじっくりと味わうことのない時間を過ごしてしまっている自分に悲しくなる。というよりも、人生の過ごし方というのは、いっぺん通りではなく、本の中の人物のように、非常にマイペースでゆっくりと生きている姿を見ると、それは自分らしく生きるとはどういうことだろうと思わずにいられない。

そしてそれは同時に背筋が伸びる思いをさせてくれる。人間は誰でもこの人に会うと背筋が伸びるという、ある種の尊敬を感じられる人がいるものである。もちろんそういう人がいない人もいるだろうが、そういう人は非常に不幸であるだろう。人生の中で常に背筋が伸びると思える人をそばに置いて時間を過ごすことは何よりも人生を豊かにしてくれる。

常に自分よりも先を行っている
常に自分よりも勉強している
常に自分よりも豊かな人生を送っている
と思えることは自分にとって学ぶことがある
いろいろなことに対して同じレベルで話し合うことが出来う

それは小説でもしかり。
この人の本を読めば背筋が伸びる。
ウイスキーと背筋。

マッチしないように見えるがそれが村上春樹。

ダラダラとした印象が3分の2過ぎまで続くが、その独特な世界観を持った章題に惹かれた読み続けると、いきなり物語が展開し始め、独特の世界観が破綻をきたすことなくスピードを加速させる。

素晴らしい。

前作も良かったが、それはデビュー作という今までの鬱々とした長い年月の間に身体の中にたまった言葉と妄想を吐き出した熱さを持った良さであったのに対して、近作は作家として生きていく決意を元に、程よい距離感を保ちながらキザに過ぎない台詞を選び抜いて紡いだ物語。

また別の意味での傑作であろう。

ネットを探しても何処にも目次が載ってない。しかし自分でタイプする価値は十分あるので、物語の復習がたてにとタイプしてみる。そうして再度物語を早足でかけていく。それでもいい。

順番を違えてしまったが三部作の二作目も読まなければと思わせてくれる一冊である。




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第一章 1970/11/25
・ 水曜の午後のピクニック

第二章 1978/7月
1 16歩歩くことについて
2 彼女の消滅・写真の消滅・スリップの消滅

第三章 1978/9月
1 鯨のペニス・三つの職業を持つ女
2 耳の開放について
3 続・耳の開放について

第四章 羊をめぐる冒険Ⅰ
1 奇妙な男のこと・序
2 奇妙な男のこと
3 「先生」のこと
4 羊を数える
5 車とその運転手(1)
6 いとみみず宇宙とは何か?

第五章 鼠からの手紙をその数日後譚
1 鼠の最初の手紙 1977年12月21日の消印
2 二番目の鼠の手紙 消印は1978年5月?日
3 歌は終りぬ
4 彼女はソルティー・ドッグを飲みながら波の音について語る

第六章 羊をめぐる冒険Ⅱ
1 奇妙な男の奇妙な話(1)
2 奇妙な男の奇妙な話(2)
3 車とその運転手(2)
4 夏の終わりと秋の始まり
5 1/5000
6 日曜の午後のピクニック
7 限定された執拗な考え方について
8 いわしの誕生

第七章 いるかホテルの冒険
1 映画館で移動が完成される。いるかホテルへ
2 羊博士登場
3 羊博士おおいに食べ、おおいに語る
4 さらばいるかホテル

第八章 羊をめぐる冒険(Ⅲ)
1 12滝町の誕生と発展と転落
2 12滝町の更なる転落と羊たち
3 12滝町の夜
4 不吉なカーブを回る
5 彼女は山を去る、そしておそう空腹感
6 ガレージの中で見つけたもの 草原の真ん中で考えたこと
7 羊男来る
8 風の特殊なとおり道
9 鏡に映るもの・鏡に映らないもの
10 闇の中に住む人々
11 時計のねじをまく鼠
12 緑のコードと赤のコード・凍えたかもめ
13 不吉なカーブ再訪
14 12時のお茶の会

エピローグ
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2014年4月16日水曜日

「最悪」 奥田英朗 2002 ★★★★★

モスクワから戻ってきて、すぐに日本で進めている保育園のプロジェクトの打ち合わせの為に日本に戻る。国境をまたいでの移動は、空港での待ち時間に、飛行機の中で身体を拘束される時間を合わせ、必然的に読書がはかどる時間でもある。

そんな中で読みきったのが、大藪春彦賞や吉川英治文学新人賞など1999年に様々な文学賞で受賞候補に挙げられた奥田英朗の有名作。そのタイトル通り、読んでいても、「なんでそんな風にしてしまうんだ・・・」と心がムカムカするほどの登場人物の判断力の無さや行動内容。まさに「最悪」としか言いようが無い。

最近読むことが多かった、ある数人の主人公にスポットを当てるのではなく、多種多様の人物を平行して追うことにより物語を進行する群像劇ではなく、あくまでも主役は3人なので、読んでいきながら流れをつかみやすい。そして3人の転換も非常にテンポが良い。

一人目の主人公は鉄工所社長の川谷信次郎。鉄工所の社長といっても、「僕達急行 A列車で行こう」の瑛太の様なのんびりした感じでも、池井戸潤の描くような技術に裏打ちされた職人的な側面を描くでもなく、ただ真面目に、そして愚直に仕事に取り組み、家族を少しでも楽にできるようにと休日返上でも単価の低い仕事でもこなしているいいおっさんである。しかし、かつての田畑に囲まれた中に鉄工所があるという風景から、開発がされ周囲にはマンションが立ち並び、地縁で繋がってはいない新規の住民が周辺に住み着くようになる。

彼らは夕方以降や、週末での騒音は出さないようにと一方的に要求を突きつけてくる。それが如何にも外資系のサラリーマンという形で理論武装をして追い詰めていく。そこに近所付き合いや人情なんてものは入り込む余地は無い。

そんな苦情は区役所にも回っていき、お役所仕事として「形だけでも」なにかしらの結果を欲しがる役人から、どうにか約束を確約しようとされてストレスをかけられる。折りしも取引先の懇意にしてもらっている担当者から進められた設備投資の甘い話。その彼から紹介された通常の取引銀行ではない大手の銀行からの融資の話。その話が済むまでは近隣での騒音問題を抱えている会社とは知られる訳にはいかず、なんとか隠し通そうとする信次郎。

冷静に考えれば、自らの身の丈に合っていない設備投資であり、無理な借金をしてまでも行うことではないと分かるはずなのに、他の幾つものストレスが重なり、ある種の思考停止に陥り、とにかく設備投資さえ出来れば全てが解決すると盲目的に信じてしまう状態。その描写がなんとも素晴らしい。

建築事務所なんていう零細企業を行っていると、つくづく人間は属している組織の大きさによって自らの態度を決め、そして相手の組織の大きさによってとる態度を決めているのだと痛感させられる。決してその人の能力や人間性でではなく、あくまでも最終的にその人を守るであろう組織の大きさでである。

小さい、もしくはその人が知らない組織に属していれば、人はとことん攻め入ってこようとする。人が謙虚に下手に出ていけばいくほど、人は漬け込んでくる。何かこちらに非があると思われることを見つければ、これ見よがしに漬け込んでくる。その目的は最終的には金銭となることが多い。

建築設計を行っていても、時に適正価格というものを考えず、ただただ提示された額からどれだけ値引きさせることができるかが、自らの能力だと考えている人に出くわすことになる。恐らくそれらの人が生きてきた人生と言うのは、そういう中で能力が評価される世界だったのだと想像し、さぞやさもしい時間だったのだと思いを馳せる。

本来はその仕事の業務量がどれほどで、その中で専門的能力がどれほど関与し、手間と時間がどれだけ費やされての報酬額かを理解し、また取引をする企業にとって、この仕事でどれだけの利益が出て、企業活動の継続が可能である範囲かに思いを馳せることがいいのであろう。

しかい多くの人は、他の人はその金額を払っても自分だけは値引きをして欲しい。自分だけは恩恵を被ってもいいはずだ。それでもおたくも問題ないでしょう。という態度となる。この空気が強く現われたのは自由主義経済を進めてきた2000年代の後半。デフレの波が世の中を多い、本質を見ることなくただただ値段の問題へと還元されてしまう専門業務。それは何も残らないイナゴの大群の通った後の風景を思い起こさせる。

そんな思いを抱えながら世の中を眺め、なんとか耐え忍んできた身にとっては、信次郎がどうには現状維持の生活からなんとか上昇のスパイラルへと希望を描き、数多の可能性の中のベストなシナリオしか頭の中に思い描けなくなってしまったかが良く分かる。それほど、社会の下で必死に生きている人の姿をよく理解し描いた作品だと思わずにいられない。

二人目の主人公の藤崎みどりはかもめ銀行の銀行員。職場での淡い恋心や上司からのセクハラ、奔放な妹への心配、自分を目当てに通ってくる少し地方気味の老人顧客への対応など、まさに日常の中の些細なことではあるが、本人にとっては非常に大きな問題を抱えながら生きている。

最後の主人公は、チンピラの野村和也。パチスロで生活費を稼ぎ、水商売の女のヒモとなり、ヤクザの友人とトルエンの強盗を繰り返し、そこからヤクザに追われることにあっていく。

それぞれの状況が徐々に徐々に「最悪」の方向へと沸騰していき、あるとき急に沸点に達したかのように事態が動き出す。そしてバラバラだった三人があるところで運命に引き寄せられる。

三人が三人とも、なんで真面目に生きているのに、何で頑張っているのに、それなのにどうして俺だけ、私だけこんなに悪い方向に進んでしまうのか?どうして俺だけこんなに負担が大きいのか?なんで頑張っているのに人生がよくならないのか?という思いにかられながらも坂を落ちていくようにどんどん「最悪」へと嵌っていく。

まさに読んでいて、気持ちのよいものではない。それだけに描写が素晴らしいということである。恐らく日本人の誰もが、主人公の誰かのどこかに自分の日常を写し合せることができるのだろうと想像する。それだけ日本人は真面目で平凡に毎日をこなしている。それなのに、悪い方向へといってしまう。

あっという間に読み切れてしまうスピード感ある良作である。


2013年12月25日水曜日

「再会」 横関大 2010 ★★

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第56回(2010年)江戸川乱歩賞受賞作
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日常に戻るとなかなか読書の時間がとれないもので、なかなか消費されていかない本が本棚から恨めしくこちらを眺めているようでどうも罪悪感に苛まれながら日常を過ごすことになる。

年末だということで、中国ではカレンダーが違うから年末年始も普通に仕事だが、そこは外国人という特権を行使し、仕事への影響を最小限に抑えて数日だけ激寒の北京から暖かいタイへと向かう事にする。

寒さとストレスと疲労で、とことん緊張しきった身体中の神経を少し和らげ、「何もしない事」を目標にただただ好きに読書をする時間を過ごそうと妻に言われ、旅のお供に何を持っていこうかと本棚の前に立つのはなんともいえない至福の時間。

流石に長いこと専門書を読んでないのはまずいだろうと数冊の建築本。こういう時間に新書を持っていくのもなんともさもしい気がして、できることなら物語を読もうを文庫を漁る。

「できる事なら脳のアイドリングの為に、軽めにサラッと読めるものは・・・」と手にした一冊。「江戸川乱歩賞受賞作」とくれば、抜群の安定感に違いないとほくそ笑む。

空港にて搭乗を待つ間に読み出すのだが、なかなかペースが掴めない。どうも素人臭い展開だなと思ってしまうありがちな構成かと思わされる前半戦。それに追い討ちをかけるのが珍しく小説の登場人物として採用された建築家の設定。

国立大学の建築科を卒業し、建築事務所に入所して早速設計を任されてしまったり、30代中頃にして、大学の先輩に誘われて事務所を設立し、他にも忙しくプロジェクトを抱えながらも地元の大きな開発を受注したりと、「ないない」とツッコミを入れたくなるばかりでどうも物語りに集中できない。

一体どんな時代の建築事務所をモデルとしているのか知らないが、現代日本で建築事務所を経営していくとしたら、そんな簡単に仕事は回ってこないし、マンションを購入し、車を乗り回し、打ち合わせや現場確認に飛び回る。平日にも関わらず夜の8時には地元に車で戻ってこれるというから、恐らくそんなに忙しくないか、建築家の日常がどんなものかをよく調査せずにイメージ先行で書かれたのだろうと一人更につっこむことになる。

まぁ小説だから・・・ということだろうが、そんなにうまい事いかないもんだし、これが建築家の生活だと世の中の人は思ってしまうのかとなんだか要らぬ心配をしながらやや不満げにページをめくる。

それにしてもなかなか小説の登場人物としては選ばれない建築家というのは、なんとも退屈な日常を送る職業なのか。それとも普通に生きていれば、なかなか出合う機会もないので、登場人物として利用しようとも思いが回らないのだと更に勝手に想像する。

この「登場人物に建築家がいる」という事と同じくらい、ひっかかって中々先に進めなくなった要因の一つが「女性への暴行」。物語の肝になる部分だが、地方都市のやさぐれた金持ち息子が、高校生相手に山の中でレイプをし、更にいい大人になった相手に再度身体を要求する。

「何ともチープな設定だな・・・」と思ってしまうが、テレビの報道を見ていると、どこかの都市で女性を車に拉致し、暴行をし、更にお金を獲った人間が逃げているというニュースを目にし、ひょっとしてこの設定もあながち絵空事ではなく、実はそういうことに巻き込まれ、心と身体に傷を負った女性が沢山いるのでは?と思わずにいられない。

そんな訳で、最初はなんとも退屈な展開なのだが、徐々に物語は進み、現在が23年前の事件と繋がり、徐々に4人の幼馴染が誰でも犯人になりうる展開になるとそこそこ引き込まれながら読み進める。小学校の校庭に幼馴染4人で埋めたタイムカプセル。

日本人であれば誰でも自分をその中の誰かに投影できるのではという分かりやすい登場人物の役割分担。事件をすらすらと解いてしまうやり手の警察官が23年前に流れ弾を受けた主婦の子というのはやや無茶な気がするなど、ところどころにツッコみどころ満載だが、アイドリングには丁度良かった一冊である。


2013年11月28日木曜日

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」 辻村深月 2012 ★★

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2013年おすすめ文庫王国 エンターテインメント部門 第1位
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電車に乗るなどの移動時間を持たない日常を送っていると、読書をするためにはどうしても目的を持って時間を作るか、もしくは食事や徒歩などの「ながら読書」をするしかなく、必然的にページの進む速度は遅くなる。

そんな限られた読書時間ならば、職業的向上に繋がる専門書を読むべきだとは頭で理解しても、更に遅遅として進まないページに苦しみながら、そしてまた戻って来てしまう文庫本。その文庫本もつい先日に泣く泣く読み終えることなく閉じたばかりなので、そのリハビリという訳ではないが、サラリと読めそうなものを選び出す。

「ツナグ」の作者。人間としての根源的なテーマと、現代社会の問題をオーバーラップさせながら物語を展開していく作者の視点が捉えたのは、母娘の関係と地方都市に住まう女子の格差問題。

どこにでもありそうな地方都市に生まれた主人公は、いわゆる「いい家」で育ち、優秀な兄を追うようにして進学高へと進み、当たり前の様に名の知れた東京の大学へと巣立っていく。幼馴染の友達は中学まではここが世界の中心と言わんばかりに同じ時間を共有するが、高校進学と共に進む道が徐々に乖離していき、その距離に比例するように疎遠になっていく。

東京の大学を出てから、女性誌のコラムを書く仕事をするようになる主人公は、母親に請われるようにして地元に戻り、地元から出ることなく、そのままの人間関係で日常を生きるかつての友人と再度交流を始めるが、離れていた時間が作る溝はいつまでもそこに横たわることとなる。

地元が世界の全てである女子の視点。東京を経由して、ここは私の居場所ではないと心のどこかで思う女子の視点。パラサイトしつつも、高級ブランドに身を包み、結婚のみが自立への出口である女子達にとっては、少しでも「イケてる」男を捕まえようと祈るように参加する合コンがその序列を作り出す。

どうにかすれば、誰でも自分が誰かに当てはまるどこにでもある風景の中のどこにでもあるコミュニティ。その中で起こったある事件をきっかけに、「かつて交わした約束」を思い出し、自らの過去も同時に清算するかのように事件の中心人物となった幼馴染を追う主人公。

地縁の中の狭い狭いコミュニティで生きるが上の生きにくさ。

帰国子女でキャリアを重ねる幼馴染の同僚が発する言葉、「あの人は生きる事に対してのモチベーションが低すぎる。世界を知る事が出来なかったのは全て親のせい。そうしていつも逃げて生きているからイライラする」

外からの視点を得る事ができたのは、外に出る事が出来たからであり、それはもちろん本人の努力もあるだろうが、そういうことを可能にしてくれた親の関与が如何に大きいか?そして外からの視点を持つことがこの地で生きていく上で本当に幸せな事なのか?

現代日本の中心と周縁としての東京と地方の姿を、一方的な格差ではなく、その考え方が正しいのか?と問いかけるかのように物語りは進行する。限られた世界の中で限られた地縁の中で生きる彼女達。歳を重ねればかつての自分達の化粧を脱ぎ去り、自分もこの世界の中に埋もれていくとどこかで理解しながらも、それでも少しでも「イケてる」青春を過ごそうとあがく。

その空気にうまく烏合できない彼女はどうやって生きていけばいいのだろうか。決してその世界から逃げ出す事もできず、地縁を切る事も出来ない彼女はどうすればいいのだろうか。

どこの地方都市のどの飲食店でも見られるような年頃の女子数名による女子会。その楽しげな雰囲気の奥にひっそりと隠された空虚感。誰もそれに気がつきながら、誰もがそれに目を向けないようにして、どんよりとそこに横渡る。そんな目につきにくい現代社会の一面を見事に描き出している一冊だろうと思わずにいられない。



2013年10月3日木曜日

「残火」 西村健 2010 ★★

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2010年日本冒険小説協会大賞
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東大卒で官僚を経て作家になり、不器用な男の生き様を描き続ける作者。

思いのほかに早く読み終えてしまった一冊のバックアップとして用意したあったので、飛行機の中、拘束される身体を感じながら読み始めると、一体誰が主人公なのかが良く分からない物語に徐々に引き込まれ、これまたあっという間に読みきってしまった一冊。

高倉健に捧げた一冊というだけあって、昼間に堂々と議員会館から闇献金の一億円を盗み出した犯人こそがこの物語の主人公である伝説の極道。何かどんでん返しがあるだろうと思わずにいられないほどの、その愚直な生き様。そしてその生き方を尊敬し、進む道は違えたが、今でも兄貴として慕う男と、かつて互いを尊重しながら対峙しあった元警官がその足跡を追い、北へ北へと向かっていく。

その途中にどんな障害があろうとも、ただ実直にそれを取り除き、見据えた目的のみを見つめながら足を進めていく。そんな不器用でありながら、人の心を打つ何かを発しながら北へ向かう男達。

主人公には決して多くを語ることをさせないでいながら、周囲の人間の反応をもってして、十分にその人柄を描きだす。自らに厳しく、根は優しく、そしてとことん強い男。それだからこそ皆に愛される。

この国はどこかで魂を売ってしまったんだろうと、今の社会を生きる人間なら誰でも感じている事実。

金がすべてか?
金ですべてが買えるのか?

そうではないと言っても、既に社会は拝金主義に適応し終えてしまい、誰もが金の魔力に平伏する。変わってしまったと嘆いても、もう戻せない不可逆の流れ。そんな時代に生き辛く感じる男は悔しいと思いながら、社会を変える決定的な一手を打った男を決して許しはしない。

男が命をかけてやり遂げないといけないことは、決して個人のエゴから心の叫びではなく、生きる道。任侠道に心を捧げた人間としての心の疼きに突き動かされるものであるべきだ。

北の大地の切り立った崖の先に消えた男の行方を想像しながらも、どっぷりと建築の道に入り込んでしまった自らの人生も、愚直なままにどこに向かっていくのかに思いを馳せずにいられない。

2013年8月15日木曜日

「風の歌を聴け」 村上春樹 1997 ★★★

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第22回(1979年) 群像新人文学賞受賞
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かつて「ロンシャンの教会」を見に行った時に、たまたま訪れていた日本人の女性と一緒になった。話を聞くと仕事でパリに住んでいる旦那さんを訪ねに来たついでに、昔からいつか訪れてみたいと思っていたこの建物を見に来たという。

興奮した様子で、「何年も前に見た雑誌の、その時想像した日の光と影と樹々の緑と吹き抜けて行く風。その想像通りの空間がここにある。その中でこの建築を体験できて本当に幸せだ」と言っていた。

それを聞きながら若い建築学生は、一人心の中で感動を抑えられずに涙を流しそうになったのをよく覚えている。心の中を「ブワッ」と風が吹いて行ったような気がした。

「この世の中には、この人の様に素晴らしい感受性で建築を経験してくれる人がいるのか」と、その事に感銘を受け、そして「自分にもいつか誰かを、そんな風を感じさせてあげられる可能性があるのだ」ということに心が震えた。

あの日の自分は間違いなく風の歌をを聴いたのだと思う。

29歳の時の処女作。流石だと思うのは、ウィットに飛んだ表現や、自由気ままな登場人物に振り回されるような話の流れだが、最終的には一つの物語としてちゃんと着地してしまうところ。これが趣味で文章と戯れるのとは違う文章を職業とする人のなせる業なのかと唸ってしまう。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

そんな言葉で始まる物語。様々な人物に出会い、徐々に人生を生きていく自らの思想の基礎を作り上げる20代。10代最後の夏が何か少し甘酸っぱい味をさせるように、20代に築いた言葉達を持ってこれから社会と対峙していく後戻りできないような20代最後の夏はまた違った味がするものだ。

「今、僕は語ろうとしている。」

「文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分とを取り巻く事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。」

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。」

20代最後の夏までに積み上げた頭の中を浮遊する言葉達。その言葉達に一本の筋道をつけ、物語を紡ぎ始める。頭の中から溢れ出る言葉を書き留めるために語るのか、靄のような曖昧な目の前に浮かんでいるものをつかめるようにするために語るのか。


「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だから。市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういうものだ。夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫をあさるような人間には、それだけの文章しか書くことが出来ない。そして、それが僕だ。」

20代、あれやこれやと悩みぬいた青年にとっては、果てしなく真実であろうこの言葉。芸術の持つある種の特権性。自分の明日が見えない人間が、他人の未来を照らす芸術を作り出せると言うのか。

「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」
「金持ちであり続けるためには何も要らない」

現代において特権的である為に必要な経済性。その経済的優位性が、同時に芸術的優劣に投影されなくなって久しい時代。豊かさが細分化し陳腐化していった先に、特権階級の社会的、芸術的責任がないがしろにされている時代。

「人間は生まれつき不公平に作られている。」

誰の言葉だろうと関係なく、夢を追い求めては悔しい思いをする若者には紛れも無く事実である言葉。それを嘆いている間はまだ若いという証明なのだろうか。

「文明とは伝達である。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いいかい、ゼロだ。」

伝えること、それが人類が誇れる数少ない発明であろう。如何に伝えるか?その為に様々なイノベーションが行われてきた。では、何故伝えるか?何を伝えるか?それに目を向ける時代に入っているのは間違いなく、伝えられる側がそれを望まなくなった時代にどう新たなる伝達が可能かを真剣に考えていく時代になるだろう。

「街にはいろんな人間が住んでいる。僕は18年間、そこで実に多くを学んだ。街は僕の心にしっかりと根を下ろし、思い出のほとんどはそこに結びついている。」

街というのは、多様な人間の、多様な生き方を写し取る巨大なノートの様な物で、どんな物語の舞台にもなりうる。必要なのは多様な登場人物達を抱え込み、都市という舞台環境を与えておけば、勝手にドラマを演じ始める人間達。その中で想定していない様々な感情を生み出し、傷つき、喜び、そして去っていく。これもまた人類の成した大きな功績に数えられる。

「あらゆるものは通り過ぎる。誰もそれを捉えることはできない。僕達はそんな風にして生きている。」

この世の全ては「流れ」の中に存在する。その「流れ」がどのような時間のスパンに属しているかは様々だが、留まることは淀むこと。淀むことは死ぬこと。自分のことをまだ「僕」と呼ぶ20代の最後。自分では決してコントロールできない「流れ」の中で、「流される」のではなく、自ら「流れる」ことに向かって生きていく。

ニーチェの言葉としている「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか」の引用で幕を下ろすひと夏の物語。そんな言葉をニーチェが言ったかどうかはどうでもよく、それもまた「僕」が聴いた風の歌の一部であろうと思うこと。

人生にそう多くは吹かない大切な風の歌を、できるだけ耳をすませて聴いていく。それが「流れ」の中で「流されず」に生きていくことにつながるのだろうと思わずにいられない。

2013年7月27日土曜日

「闇の底」 薬丸岳 2009 ★★

人が生きる社会の秩序維持と当事者になった本人の感情との葛藤や矛盾を抉るように描きだす著者の作風。前作では、「天使のナイフ」で更正を目的とするか、大人同様に刑罰の対象にするかで揺れ動く「少年法」と少年犯罪に光を当てた。

そして本作で光が当てられたのは、ネットの普及に比例するように留まるところを知らない「小児性犯罪」。児童ポルノなどに対する規制は進められるが、それでも日常的に報道されるようになった子供に対する暴力や性的虐待。

子供への性犯罪が発生するたびに、その抑止策としてかつてのフランスの首切り処刑人の名前からとられた「サムソン」と自らを呼ぶ男が、かつて性犯罪を起こした人間を一人ずつ殺害し、その映像を警察やメディアに送りつけてくる。その恐怖による抑制。

私人が人を裁くという法治国家では許されない行為に関わらず、一定の抑止力を発揮し始めるサムソン効果。そしてそれが法的には悪だと分かりながらも、市民の心の中では、「それでもこれで醜悪な犯罪が減るのであれば、それはそれでいいのかも・・・」という葛藤。

それに対して置かれるのは、法治国家をならしめる警察組織。犯罪者を逮捕することはできても、警察は犯罪を止められないじゃないかという葛藤。そしてその警察の中でサムソンを追う立場に置かれるのは、自らもかつて妹を児童性犯罪の被害者として亡くしている長瀬。

前作同様、作者はこの一般論と感情論の操作が非常に巧み。画面の外から見ている立場なら迷うことなくいえる意見が、自らが本当にその立場に立たされたら、一体どんな感情に晒されるのか?

デスノートの「キラ」が行う裁き。一定の正義に乗っ取って行われているその行為によって、社会にある種の秩序がもたらされたとしても、それは私人である限りにおいて、大量殺人であることに変わりにはなく、それが今作同様に普遍の一般論と感情論を揺り動かすからこそあれほど受け入れられたというのは理解に難くない。

ネットの登場によって、私人による感情に突き動かされた裁きがより容易になっていく世界。それだからこそ、より守る方向に振れていくだろうと想像されるかつての犯罪者の人権。「更正」という決して外からは真実をみることができない人の心。

だからこそ、今後より難しい問題が出てくると想像されるこの問題。

人を殺したらなぜいけないのか?
では、あなたは愛する娘が殺されたらどうするか?
その根本的な答えを子供にどう教えていくのか?
自分は司法の捌きを受けると分かりつつも、それでもその犯人を殺害する
という人に対してどう向き合うのか?

うらみは恨みを生むだけであるのは間違いなく、それは社会に対してなんの利益を生み出さない。それならば被害者遺族が納得できる刑罰をいかに更新していくのか。深い深い人間の心の闇の底を見せられた気がする一冊である。

2013年6月22日土曜日

「アサッテの人」 諏訪哲史 2010★


ギアが合ってない。そんな時がある。

スタッフにあるプロジェクトについて説明していたら、引きつるような顔をしているので「どうした?」と聞いてみると。

「ヨウスケ。中国語で話していますよ・・・」と。

彼女は韓国人でまだ中国語が出来ないので、通常は英語でコミュニケーションをするのだが、オフィス内での中国語でのコミュニケーションが60%近くになってきたこと、また自分の中国語のレベルがある程度自由が利くようになってきたことから、時間が無いときなどはこういうことが起こる。

そういう時は頭のギアが合ってなく、空回りしてしまっている。「申し訳ない」といいながら、英語で再度同じ内容の説明をする。

「吃音」では無いが、母国語を含まない多言語環境にいると、頭の中で想起したイメージや内容を意識を持って引っ張ってくる学習した言語に乗せて身体の外に出さないといけない。それは時にうまくイメージと単語の選択がうまくかみ合わず、非常にもどかしい時間を過ごすことになる。喉の奥まで言いたい内容は上がってきているのに、どうしてもうまく言葉とマッチングしない。そんな感覚。

吃音(きつおん)や吃り(どもり)。

「ポンパッ!」や「チリパッハ」と言った、理解不能な響きを発し、アサッテの世界に入り込まずにいられなかった叔父への回想。叔父の書きとめていた日記から、最愛の妻を亡くし、ならに自らのアサッテの世界に閉じこもることになり、最後は突然消えてしまった叔父の頭の中ではどんな世界が広がっていたのかを追っていく主人公。

「ピンイン」という表音記号で表される中国語を学んでいると、「あー、なんとなくこんな感じのピンインだったんだけどなぁ・・・」と手探りの感じで音にしてみて、それを耳で確認しながら、「なんか違うなぁ・・・」と一人でやることが多々ある。

そんなことを繰り返していると、ミーティングで理解できなかった単語などが出てくると、無意識のうちに、「チュイジィ、チュイジー・・・」などとブツブツしてしまうことがある。それと共に、意味は分からないけど非常に耳にしっくり言葉などに出会ったときに、それを何度も繰り返したりしてしまう。

そんなことを思い出してみると、現在の環境はある種の吃音環境でもあるのかとハッとする。小説の中でも様々な国の辞書から見つけてきた響きから、その意味を剥ぎ取り、そして表象するものを無くし、ただ虚空に漂うだけの存在にされてしまったその言葉を、泉から溢れる水のように、身体の中から溢れてくる感情と共にアサッテの世界に投げ入れる。

音がまだ意味を持つ前の瞬間の戯れ。
音が言語としてこの世に定着する前の瞬間。

そんな風に理解しながら、なかなか面白く読み進めた前半部。できればその方向性で物語を発展させてくれればより好感触だったが、後半は作者の高尚なる文学的知識をどうにも物語の中に入れ込まなければ気がすまなかったのかは知らないが、どうにも様相が変わってくる。

小さな頃から本に囲まれたという叔父の言葉を借りることによって、なかなか周囲に理解し会える友を見つけられず、自ら身体の中に溜め込みすぎた文化的芳醇が一種のフラストレーションとなって噴出するかのように、物語の芯とは違ったいわゆる文学的戯れ感が顔を覗かせるのはやや残念。


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第137回(2007年度上半期) 芥川賞受賞
第50回(2007年) 群像新人文学賞受賞
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2013年6月14日金曜日

「笑い犬」 西村健 2008 ★

なぜこの一冊が自らのアマゾンでのカートの中に入っていたのかいまいちよく理解できない。

恐らく、吉川英治文学新人賞を受賞した「地の底のヤマ」を購入しようとして、まだ単行本になっていないので作者の経歴を調べたら、日本冒険小説協会大賞や日本推理作家協会賞を受賞しているなかなかの作家らしいということで、その中でも評判の良いこの一冊を試しに購入してみようか・・・という流れだったに違いない。

取材の緻密さを誇るかのごとくな刑務所内での生活の描写につきる第一章。大手銀行の上層部の意向に従って行った土地の売買から、自殺者が出たことで罪に問われ、会社を守るためにと会社の顧問弁護士からも言いくるめられ結局は有罪の判決を受けて塀の向こうでの生活を始める元銀行支店長。

小さなころから何をやっても自信も無く、うまくいかなかった主人公。東大に落ちて入った早稲田大学。家族を見返そうとして内定を勝ち取った大手銀行は、父親の忌み嫌う貸し渋る銀行の一つであり、更に家族との亀裂は深まる。非行に走る娘に対して小さなころから自分よりも人間的な器は上だと認めてきた長男は何の問題も無く東大に合格するが、冤罪を信じてきた彼は、判決後も上告をせずに執行猶予を狙って刑を受ける父親に「負け犬め」という視線を投げかける。

手のひらを返すような銀行からの圧力によって、長年付き添った妻も「疲れました」と実家に戻り、嵌められれ、トカゲの尻尾切りにあった元エリートの転落人生と、それに伴う刑務所の中の悲喜こもごもな生活の様子をこと細かく描いて物語は進んでいく。

世間の批判が銀行自体に向けられるのを避けるために犠牲にされたというよりも、彼を社会的に抹殺すること事態が目的だと思われるような銀行の行動。そこから見えてくる、より大きな陰謀・・・。それに気がついた主人公が出所後銀行に対して開始する復習劇。

と、話は分かりやすいのだが、如何せん、突っ込みどころが満載で、細部まで詰められてない世界観が露呈してしまっている感はいなめない。タイトルでもある「笑い犬」。無意識の内に浮かべているはずの笑みのはずが、関係者に恐怖を与える一方、娘や記者とは普通の様にやり取りができている点など、主題に関わる部分で解決されない疑問が多すぎで、どうにものめり込むまで行かない一冊。

吉川英治文学新人賞を受賞した「地の底のヤマ」では、そんなことは無くて欲しいと次に期待する。

2013年6月9日日曜日

「スプートニクの恋人」 村上春樹 2001 ★★★★

恐らく大学時代に手にした一冊。久々に手にとって読んでみると、当時では分からなかった世界観の奥行きを感じる一冊。

世界初の人工衛星スプートニク1号
ライカ犬を乗せたスプートニク2号

その名前を冠された恋人とは・・・と思わせるタイトル。

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22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進むような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片っ端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
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激しい導入の文句とともに幕を揚げる物語。


そのロシア語の独特の響きのよさからという安易な引用ではなくて、ジャック・ケルアックの小説『ロンサム・トラベラー』の話から、ケルアックらが分類されるアメリカの作家の世代ビート・ジェネレーション。それが「ビートニク」と呼ばれることから、それをうろ覚えしていて出てきたのが「スプートニク」。

主人公に小説家になりたくて、なりたくてしょうがない女性を持ってくるだけに、小説としてもかなり挑戦的な内容になるべくして、選ばれる言葉達も相当に情熱的であり、感傷的なものが多い。

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その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったい何を見ていたのだろう。

〈記号〉と〈象徴〉の違いを200字以内で説明できる?

あたりがまだ真っ暗で、それはかつてスコット・フィッツジェラルドが「魂に暗闇」と呼んだ時刻に近いらしい。

春の大地を黒く湿らせ、その下に潜む名もなき生き物たちを静かに鼓舞する柔らかな雨だった。

わたしは本当のわたしの半分になってしまったの。

すみれは彼女にしかできないやり方で、僕をこの世界につなぎとめていたのだ。

人にはそれぞれ、ある特別な年代にしか手にすることのできない特別なものごとがある。

にもかかわらず僕はもう二度と、これまでの自分のは戻れないだろう。明日になれば僕は別の人間になっているだろう。
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そんな言葉の中でミュウの言葉を借りて語られる台詞は極めて現実的。

「どんなことでもそうだけど、結局いちばん役に立つことは、自分の体を動かして、自分のお金を払って覚えたことね。本から得た出来合いの知識でなくて。」

作者の好きなギリシャを舞台とするだけあって、相当な意欲作と呼べる一作。そしてその期待に決して裏切らない良質の恋愛小説。多感な大学時代に手にすべき一冊だろう。

2013年5月22日水曜日

「レッドゾーン 上・下」 真山仁 2011 ★★★


相変わらずの壮大なる世界観。一体どこまで考えて、一冊の本を書き出しているのか?と思わずにいられない。

クリアしてもまだ続くかつてのRPGゲームの世界の様に、一つの物語の裏では、また別の壮大な物語が進行しており、それらが複雑な糸のように絡み合う。しかし決して破綻はしないその構築された世界の精密さ。

まったく違う地点から開始する、様々な人物の話としての伏線。

他の小説でも登場する魅力的な人物を脇役として登場させる手法は相変わらず見事だが、これもせっかく丹精こめて練り上げた人物像を一つの話だけでなく、大きな世界で存分に活躍させたいという親心か。

アジア屈指の買収者として名が知られるようになった鷲津政彦。かつての盟友、アランの謎の死。その場で目撃されたアジア系の女の姿。

トヨタをモデルとしていると見られる世界的自動車メーカー。気骨のある経営陣と、どうしようもない創業者一族の副社長。そこに現れる中国人の買収者。その裏で意図を引くのは一体だれか。中国の国家ファンドと香港系財閥の若き指導者。そこに現れるアメリカ系投資ファンドの総帥。

この作者の小説を読んでいると、今の自分がどれだけ矮小かを感じざるを得ない。華やかで、膨大な額の金を動かし使う男達。その中で一流のものに触れて、知識と経験を根拠に更なる高みを目指していく世界。

数年アメリカにいたからといっても、どれだけ地元に密着する生活をしていたといっても、こんな風に各地方の方言を交えて流暢に英語を使い分け、中国語を解してビジネスを展開していくのは、やはり小説の世界だとは分かっていても、そんな超人のような才能を持った人もこの世の中にいるんだろうなと想像する。そして自分との距離に思いを馳せる。

金融の世界が、「金が全てだ」という価値観だけではないという人間が多くいるんだというメッセージは強く伝わってくるが、また一冊と読めば読むほど、住まう世界で見える風景の違いがこうまでもとはと思わずにいられなくなるのもまた事実。

国境が溶けてしまった国際金融の世界。これからもっとこのような物語が生まれてくるのだろうと期待せずにいられない。

2013年5月3日金曜日

「虚像の砦」 真山仁 2005 ★★★


2004 ハゲタカ   ハゲタカファンド
2005 虚像の砦   メディア
2006 バイアウト  ハゲタカファンド
2006 マグマ    国際エネルギー 
2008 ベイジン   エネルギー、中国
2009 レッドゾーン  ハゲタカファンド
2010 プライド    期限切れ食材
2011 コラプティオ 政治
2012 黙示     食と農業

こうして見ると、「マグマ」や「バイアウト」を書いている時と同時期の作品。

作者独特な、複数の主人公を追っていく物語の進め方。某テレビ局で報道局に席を置く男。同じテレビ局でバラエティ制作に身をささげる男。そしてそのテレビ局を監督する立場の総務省に赴任した女。

その三人を軸に、時系列に進んでいく物語。それと同時に徐々に暴かれるテレビ局の内実。何百万、何千万という視聴者を相手にするが為に、可能な限りクレームが起こる可能性をできるだけ起こさないようにと、「事なかれ主義」に徹し、誰もが決断の責任を取れなくなった現実。そこに発生するある事件。

憲法の解釈をまげてでも自衛隊を派遣した中東の国で、渡航禁止の政府勧告にも関わらず、平和を願い自ら足を運んだ日本人3人が、現地のゲリラに誘拐されて人質として自衛隊の撤退を要求される事件。

「自己責任」とうい言葉と共に、内閣を転覆させないように、大きな力によって操作されたメディアの報道によって、人質となった三人とその家族への誹謗中傷へと姿を変えていく世論。

同時に張り巡らされるテレビ局への免許再発行の為のテレビ局から総務省への政治的動き。それに対して政治世界からの気に食わない報道をするテレビ局への圧力。その流れを使って、社内政治を勝ち抜こうとする勢力。

誰の為の報道かなんかはそっちのけて繰り広げられる魑魅魍魎たちのパワー・ゲーム。言葉の一つの裏にも、様々な意図と謀略が張り巡らされていることが緊張感をもって描かれる。現場で生きる人間は、どこまでも職能に真摯であるからこその葛藤をし、悩み、苦しみながら、最後に辿りつくのは自分にできることを必死にやるということ。

その財務体制や、こんなことをやっていながらも日本でも有数の高級取りであることなど、現実はそんなに離れていないと思わせるその説得力は、作者の緻密な取材の賜物であろうと簡単に想像できる。ネットメディアの興隆によって、硬直したメディアの世界に少しでも新しい風が吹き込むことを期待せずにいられない。
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<目次>
プロローグ 岐路
第一章 報道迷走
第二章 テレビの使命
第三章 テレビの力
第四章 灼熱の中で
第五章 絶体絶命
エピローグ 決意
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2013年3月10日日曜日

「永遠の0」 百田尚樹 2009 ★


数年前に足を運んだイベントは、ある映画の試写会。戦後60年を超えて、本格的に戦争を体験した世代が歴史から消えていく中で、国をあげて出来るだけ多くの記録を残そうとする動きの一環で、若きジャーナリストが戦後、自らの意思にて日本に帰国することを選ばなかった人々へのインタビューを元にしたドキュメンタリー映画である。

東南アジア全体に広がった戦場で、様々な想いを抱えて終戦を迎えた人々。昨日まで自分たちを縛っていた常識が、今日にはまった別のものに反転してしまった人々は、ガダルカナルやインパールといったこの世のものとは思えない苦しみとその中での人間の性を経験し、それこそ様々な思いで日本に帰ることを拒否していく。

各地に溶け込んで、各地の人間として生きている80に手が届く当時の若者たち。彼らが久々に発する日本語の中で語られる壮絶な事実。現在からは到底想像もつかない軍の命令。挫折、絶望、後悔。様々な思いが今も昨日のことの様に語られる。

「語らない」のではなく「語れない」のだと世代の背負った宿命を垣間見た気がした一日だったが、その一日がフラッシュバックするような一作。まさに、同じ視点で進められたであろう取材とそこで語られた言葉たち。


その帰り道、どれだけ自分の祖父の世代のことを知らないんだと自分を恥じたことを今でも鮮明に覚えている。


二世代前までは人格を踏みにじるような過酷な状況の中で、自分と年齢が変わらない若者が家族の為に、祖国の為にと命をかけて戦った事実があることすら、まるでネットの中のバーチャルな物語の様に感じる現代に生きる若者。司法試験に落ち続け、それでも必死になることもなく生きていける現代の飽和社会。その若者を歴史を紐解く視線にし、その若者が同じく若者であった当時の祖父の姿を追うことで、「生きる」ことと「愛する」ことに新たなる意味を見つけていく物語。

小説として成功しているのは、時代を超えた若者をオーバーラップすることと、「ゼロ戦」という「メイド・イン・ジャパン」の化け物を軸に物語を進めることで、壮絶な過去のインタビューからさらに奥行きをつくりだしているのだろう。

戦時を語れば、すぐに「右」だ「左」だと隣国の表情を眺めて右往左往する現代。ドイツの様に過去の過ちを確実に清算して新たなる歴史を歩みだすことができずに、いつまでたっても過去にとんでもないことをした国だと隣国からなじられ、祖国に対する愛国心を持つことが難しい時代に育つ子供達は一体どのような大人になっていくのだろうと思わずにいられない。

いつの日か、日本でも「ヒトラー 〜最期の12日間〜」のような映画が、自国産で製作されるような時代が来ることを祈るだけである。

2012年10月11日木曜日

「命の遺伝子」 高嶋哲夫 ★★


最先端の遺伝子研究、
暗殺、
ナチスの残党、
第4帝国の秘密を残す南米、
細胞の分裂回数を決める遺伝子:テロメア、
バチカンの陰謀、
驚異的な回復力を備える文明と隔離された民族。

これだけ見ると笹本稜平の本かと思ってしまうが、原発、自然災害、エネルギーとその活動を広げる作者の新しいフィールド。

「ES細胞―万能細胞への夢と禁忌」ではないが、ノーベル賞の受賞で一気に加速するであろうIPS細胞の研究が突きつけるであろう、究極の選択。それは自らのクローン製作と拒絶反応を起こさない若い細胞に満ちた「自らの」身体への移植を通して見られる不死の世界。

その時に人類に求められるのは、「神の炎」と呼ばれた原発の技術を手にした時と同様に、「どこで止めるか」の勇気と自制を持つことであるだろう。

こんなにせちがなく閉塞感に漂う世界でも、そこに生きる生命たちは未だ「たった一度の」命を生きている。そして皮膚の後ろには誰もが真っ赤な血を循環させて、フラジャイルなその存在を支えているからこそ、人生は悪くないと言えるのだろうと思いを馳せるにいられない。


2012年8月15日水曜日

「プリズン・トリック」 遠藤武 ★★


交通刑務所の中で起こった密室殺人。犯人と殺人犯は巧妙に入れ替えられており、しかも真の殺人犯はここに居るはずの無い人間。

刑務所内部の一日の動きや、収容者の規律に対しての綿密なリサーチに裏づけされ、見たことも無いのに目に浮かぶような描写力と、飲酒運転によって突如愛する人間を奪われた側と、突如殺人犯になってしまった側との対比の構成、そして飲酒運転に見せかけられたある事件の隠蔽工作、さらにその上に被せられたもう一枚のトリック。

入れ子の入れ子の入れ子。

このプロットを思いついた時の作者はきっと嬉しさに飛び上がったであろうと思える文句なしのシナリオで、江戸川乱歩賞受賞というのも納得できるが、なぜだか読んだ後に襲ってくる感情の波は少なく、そうじゃない方法で終われなかったかな、となぜか一人消化不良。
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第55回江戸川乱歩賞受賞作
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2012年6月26日火曜日

「燃える氷 上・下」 高任和夫 2003 ★★


フランク・シェッツィングのベストセラー「深海のYrr」が刊行されたのが2004年なのを考えると、石油の可採埋蔵量の計算よりピークオイルがくると叫ばれだして、そろそろ人類も化石燃料から脱却し脱炭素時代に入るべきだと議論され始めたころに、全世界中の作家も時を同じくし、地熱や風量、水素エネルギーなどの可能性を探索しつつ、少なくない数の人が注目したのがメタルハイドレードだというころだろう。

終わりがあまりに呆気ないは否めないが、2011年のあの地震はひょっとして・・・とも思わせるような内容が2003年に書かれていたことには少々驚いて、作者は一体どのようにあの地震を見ていたのだろうと思わされる。

最近ひょんなことからよく足を運ぶようになった、根津界隈から始まる物語。その響きどおりに言問通り沿いの人情溢れる小さなお店たち。「この界隈ですべてが賄える。なじみ客となると居心地もいい。」というのも納得。

ギリシャ神話の地球神・ガイアの怒りに触れてしまった人類に対する警鐘をとういことで、新雑誌「ガイア 」を刊行される。

雑誌が売れるためには、スキャンダル、セックス、スポーツ、戦争の4Sが必要だというが、なぜ日本人はスキャンダルを異常に好むのかというと、恐らくそれは妬み深い日本人の性質にも原因があるんだろう。

「40になると抜け殻。自分の意見を持たない腑抜けばかりだ」という言葉にこれからの30代をどれだけ必死に生きないといけないかを考えさせられる。

ナイジェリア・ラゴスで天然ガス採掘の為に海上プラットフォームのプロジェクト・マネジメントを行う葛西雄造。

 「日本人が夢を求めなくなってから、どれほどの時間が流れただろうか?」

そこでオランダ人から耳にする言葉「メタルハイドレート」

二酸化炭素の排出量が少ないc1h4で表される天然ガス。海底堆積物の中の有機物で、生物の遺骸を微生物が分解しメタン生成する。水と結合し固体結晶となったのがメタンハイドレート。氷の様に姿で海中深くに潜んでいる。散文的な表現をすると燃える氷。脱炭素社会にとっては救世主のような存在。ガスを採取するのと、パイプラインなどのインフラ整備などの問題点はあるけれども、それでも昨今注目される新エネルギーの筆頭であることは間違いない。

神と龍」ではないが、世界が競って手に入れようとする未来社会の利権にもなりうるエネルギー源。

しかし最も恐れられるのが、ガスキックというガス漏れ。それが引き落とす海底地滑り。今回の地震でも広く知られるようになったように、北米、ユーラシア、フィリピンの三つのプレートのせめぎ合う日本大陸。そのプレートのせめぎ合うその上に位置するのが日本の象徴である富士山 。

災害小説の第一人者が挑む新たなるタイプの災害。新エネルギーがガイアの一部であり、それが引き起こす富士山の爆発と、同時発生する巨大地震。今ではどこのメディアでも叫ばれるその危険性だが、新しいエネルギーへの技術革新がその引き金にするのは流石と思わせる一冊。

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第1章 蠢動 しゅんどう
第2章 創刊
第3章 拉致
第4章 帰国
第5章 官僚
第6章 怪光
第7章 絶滅


第8章 再会
第9章 予兆
第10章 警告
第11章 鳴動
第12章 避難
第13章 噴火
第14章 希望
解説 
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2012年6月10日日曜日

「眠れぬ夜の殺人」 岡嶋二人 ★


バスに乗っていたら欧米風の男性に「日本人ですか?」と流暢に話しかけられる。

その彼はスペイン人で7年間日本に住んでいたといい、かなり流暢な日本語を話し、読んでいた小説の表紙の文字を見て話しかけてきたという。日本の後に今度は中国に来て、今は中国語を学びながら仕事を探しているという。

元々、測量技師で地下鉄や建築の現場での測量を仕事としていて、今度は太陽光エネルギーの会社の面接を受けに行くという。

その内容を中国語で話すとなると、かなりしんどいことになるな・・・と思いながら、彼の日本語能力に感心しながら、話は今夜のユーロカップ、スペイン対イタリアへ。

今、スペインがサッカーで負けたら、我々には何も残っていない。

なかなか風刺の効いたコメントを言うなと思いながら、そろそろ降りなきゃいけないのでまた今度、と挨拶しながらバスを降り、せめてもう少し洒落たタイトルの小説を読んでいればとやや悔やむ。

日本から届いた大量の本からまずはリラックスにと選んだのは好きな岡嶋二人だが、気が利いていないのはタイトルだけでなくトリックもいまいちな様で、今夜のスペイン選までには終えてしまおうと二宮尊徳状態で歩く日曜の夕暮れ時。



2012年4月2日月曜日

「空飛ぶタイヤ 上・下」 池井戸潤 ★★★★


「下町ロケット」で第145回直木賞を受賞した池井戸潤の描く三菱自動車によるリコール隠しから三菱製トレーラーの車輪の運転中の脱輪による死亡事故を完全にトレースしながら、その背後で行われたであろう、大企業と中小零細との攻防。さらに脇を固める銀行の面々など、「鉄の骨」に負けず劣らぬ読み応えたっぷりの企業小説。 

こうして日本はダメになっていったんだなというのが分かるのと同時に、こんなに立派な人材が沢山在野にいる日本の可能性は低くないのにと理解する。

毎日毎日テレビで繰り返すように流されるニュースの一つ一つの後ろには、こうしていきなり当事者の役割を与えられ、大企業がそんなことをするはずがないという世間の偏見の為に、いきなり犯人扱いをされ、会社、家庭、地域とさまざまな場所で戦い続けなくてはいけなくなる事実。

それに対して、どんなことが起こっても、大企業というブランドに胡坐をかき続け、下々のことなど気にしてられないとマニュアル通りの処理をするなかで、それでも企業内部の政治を目的に日々を生きる人がいる事実。

生きることは綺麗ごとではないといいながらも、それでも魂を売ったかのように、生きる意味を日々の仕事の中では見失い、相対的に誰かと比べることでつかの間の安息を感じる人々を描写して、現代のひずみを描き出す。

「誰かが言わなきゃ変わらない。だが、それで変わるのは正しい組織だけだ。」

大きくなればなるほど、ちょっと動いただけでも周囲に与える圧力たるや強力で、それに振り回される周囲の景色は中から見ている分には滑稽ですらあるのだろうか。社会が良くなることよりも、いかに会社が生き残るか、ひいては自らが所属する部の利益が上がるか、そして自分の評価があがるかが重要で、全ては局所的な視線で語られる。

「今の世の中、商品を売ろうとするなら安くするか差別化するかのどちらか。差別化の最重要ポイントがブランドだ。」

昨今のブランディング理論で多く語られることだが、その中でも歴史ほど圧倒的に他を差別化するものはない。だからこその勘違い。

相対的にではなく絶対的に生きる為には、やはり毎日しっかり手を動かすことだと再認識できる一冊。