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2015年10月6日火曜日

那珂湊おさかな市場(なかみなと) ★★


「関東近郊で新鮮な生カキが食べられる港」と検索すると一番に出てくるのがこの那珂湊おさかな市場(なかみなと)。都内から二時間ほどで港に着き、漁港に併設された市場にて水揚げされたばかりの新鮮な魚介を楽しめるということで、生カキ好きの妻と一緒に、朝食を我慢してなんとか8時台に市場に到着。

恐らく少し前のシルバー・ウィークでは相当な賑わいだったのだろうが、平日ということもあり人の姿はまばら。おかげでゆっくりと市場を見て回ることができる。

大分産だという生カキは大体どこも「1つで400円。2つで600円」という相場の様子。海水の塩気に少しのポン酢を垂らしなんとも贅沢な味を楽しみ、塩辛やかに味噌、汐昆布など如何にもこれからの寒くなる時期に焼酎や日本酒に合いそうなおつまみとシラスなどのお土産をを買い込んで、次の目的地へと向かうことにする。









2015年3月13日金曜日

テクノロジーの無常さ

テクノロジーの進歩の速度はまさに日進月歩で、最先端で更新されるテクノロジーに合わせて仕事のやり方も必然的に更新されていく。

例えば仕事で使うPdfなどのデータ。プロジェクトごとに作成しているSNSのグループに、設計状況を確認する資料を毎日スタッフが何度も送ってくるのだが、数メガになるその資料を携帯上でダウンロードして開くには、やはりそれ相当の処理能力のある携帯端末が必要となる。

常に最新で最速の処理速度を持つ携帯に更新していくパートナーの二人に対して、「そんなに困らないなら無駄に新しいのを買わなくても・・・」と思ってしまう自分では、常に使用する携帯端末のバージョンに差が出ている。

そうなると当然携帯で処理できるデータの大きさにも差が出てきて、こちらの携帯ではまたダウンロード途中にもかかわらず、あちらの携帯ではさっさとその資料に対してコメントを送っている。

世の中の仕組み、もしくはある組織内での仕事の進め方はこの様にその中での最速な単位をベースにして先に進んでいってしまう。誰も遅れた亀にペースを合わせてはくれない。テクノロジーは無常である。

同じことは都市にも言える。行政が完全にコントロールを持ちえる場所でなければ、どうしても民間の競争原理が働いて、都市内が更新されていく。資本主義の市場としての魅力を認めない限り、更新のペースについてこれない場所はどんどんと切り落とされていく。

それが過疎地の様に買い物難民となった高齢者の住まう地域での行政サービスやインフラの整備をどう維持していくか。という問題に直接結びつけることは出来ないが、それでもやはり同じ原理がその後ろには横たわり、社会の変化とそれに対して異なる対応速度を持つ人々に対してどの様に対処していくかが問われてくるわけである。

過疎地を維持するために母体となる自治体が衰退してしまっては元も子も無い訳であり、一番重要なのは新しい時代に適した社会のあり方を模索し、それに向かってそれぞれが可能な限り努力をして変化をしていくこと。

そんなことを考えているうちにやっとファイルのダウンロードが終わったので、資料を確認することにする。

2015年3月4日水曜日

ヴィクトゥアーリエンマルクト(Victuals Market) ★★



パートナーの二人は仕事関係でクライアントとの打ち合わせと言うことで出て行き、こちらはその時間を利用してクライアントが用意してくれたガイドとともに市内観光へ。

早朝に起き出し、せっかくだからと持ってきていたランニングシューズで外に観光がてらにランニングに出たが、この時期のドイツはまだまだ寒く、とてもじゃないが半袖短パンで外を走れるような状態ではなく、1キロ持たずに逃げるようにしてホテルに戻り、ホテルのジムでランニングマシンの上で身体を温めるという悔しい想いをしていたので、思いがけず市内を見ることができてラッキーだと思いながら街を進む。

いつも通りおよその地理は予習していたが、実際にどれくらいの距離感覚なのかは行ってみないと分からない。まず最初に立ち寄ったのが世界一有名なビアホールと言われるホフブロイハウスミュンヘン(Hofbräuhaus)。1589年に設立されただけあってかどうかは知らないが、平日の朝だと言うのに多くの人がすでにビールを飲んでいる・・・名物だと言うマイボトルならぬマイジョッキを眺めるだけに留め、ビールは飲まずに先を進む。

そしてたどり着くのは市の中心であるマリエン広場の南東に広がる屋外市場である、ヴィクトゥアーリエン市場(ヴィクトゥアーリエンマルクト,Victuals Market,Viktualienmarkt)。

およそ150軒もの店舗が並び、チーズからお肉や果物、雑貨など様々なものが手に入るミュンヘン市内で最大かつ最も歴史のある市場だと言う。市場らしい市場で歩いていてもその活気が感じられ、なんだかウキウキしてお店を覗いて見たくなる、そんな場所である。

ガイドが指し示す先の市場の中心には、マイバウムと呼ばれる塔が建っている。これはドイツ南部に残る風習らしいが、それぞれの街によって祭りのときに建てられその地域独特の飾り付けがされると言う。今では一年中建てたままにしておくことが多いというが、これもドイツならではの風景を言うことか。

「チーズでも買って帰りたいな・・・」と思いながらも、妻に「だから太るんだよ」と言われるシーンを想像して我慢することにする。






2014年6月11日水曜日

城のある場所

城を築くということは、もちろん防御とか交易など様々な理由はあるのだろうが、その中には必ず居住地、自らの支配地の拠点となる場所として絶対に「心地よい」という理由はあったはずだと思っている。

つまりは城がある地域というのは、歴史の中で誰かに選ばれた場所であるということ。

ここは住まうのに心地がいい場所だ。
この場所は力を持っている。

などと誰かが何かポジティブな要素を感じ取り、「よし、ここに城と城下町を築こう」と決断されたに違いない。

しかも城を築いていた時代というのは、現代の様に「ここの土地が手に入ったので、ここの敷地に城を築こう」などというみみっちい話ではなく、広大な領地の中を歩き回り、土地に耳を傾け、場所の力を感じ取り、それを最大限に人工物である建築へと転換し領地を守り、人々にとって心理的にも視覚的にも中心となる城を作り上げていた時代である。

一番いい場所を、どれだけでも時間をかけて見つけることが出来た時間。それだけに、自然の力を感じ取る力が試された。

永く人が住んできた地球。その中で幾つかの場所が何かしらの理由があって選ばれてきた。城を見上げる我々は、その後ろに隠れる様々な理由を同時に眺めているわけである。

選ばれた場所があるということは同時に、決して選ばれることの無かった場所も数多あるということ。誰もがポテンシャルを感じることなく、誰もが心地よいと判断しなかった場所。そんな手付かずに取り残されていた場所に、現代人がやってきて、細かく切り刻み、そして開発を行っていく。

そう考えれば考えるほど、城のある街で育つことの豊かさを考えずにいられない。

城だけでなく、同じように何かしらの歴史の中で「選ばれた」という印となるものがあるのだろうと想像する。港にしても、市場にしても、様々な理由と様々な心地よさによって場所を人が発見し、手を入れていく。それが風景として次の世代に繋がっていく。

そう考えて、改めて自らの生まれ育った街、そして現在過ごす街が歴史の中で「選ばれ」てきた場所であるかを考えるざるにいられない。