2013年11月30日土曜日

「葬式は、要らない」 島田裕巳 2010 ★★

身近な人物の「死」を通して始めて体験する葬式という儀式。

人生に数回しか当事者とならなく、「死」を弔うという特別な状況下の為に、多くの人が慣れておらず、またどのような処置が適切なのかも分からず、何よりも世間体を気にするあまりに専門家に言われるままに物事を執り行う事になりがちなこの葬儀。

その専門家とは誰かというと、葬儀社と寺。

彼らが当然として伝えてくる儀式の内容とその必要経費が果たして適当なものなのかどうか?デフレにどっぷりと浸かっていた現代社会においてはも、「聖域」として守られてきたアンタッチャブルなその部分にメスを入れるかのように出版された、葬式に対する常識を正す様々な書物の先駆けともいえるこの一冊。

今回、近しい親族の葬儀を通して自ら見ることになるその現状。フラットに眺めてみてもやはり「オヤッ?」と首を傾げたくなるような場面に多々遭遇する。両親に聞いても納得できる回答が得られず、いろいろな視点から考えてみてもやはり「ストン」と落ちるような答えは見つからない時にフラッと入ったブックオフで見つけた背表紙に必然の様に手が伸びる。

「葬式が厄介なのは、それが突然に訪れるからである。」

というように、誰もが知識も無く、準備もできていない時に突然当事者にされて、それを日常としてそれでメシを食っている専門家が登場して「あーだこーだ」とお悔やみを申しながら「教えて」くる。非日常に出くわしてある種の思考停止に陥っている状況で、それはある種「これに従えば間違いないんだ」と思わせるマインド・コントロールのようなもの。

しかし本当に必要なのは、世間体を気にする事よりも「葬式はどんな意味を持つか?」を常日頃から自分なりに調べ、考えて、そして次の当事者になるであろう家族としっかり話し合っておくこと。

本書の中で示されるのは

全国平均で葬式費用231万円
その内訳は
葬儀一式費用(葬儀社へ支払うもの)143万3000円
飲食接待費用(料理屋、香典業者)40万1000円
お布施・心づけ 54万9000円

という。これがいつのデータなのかは良く見なかったが、今回の葬儀ではこれほどかかる事はなかったが、自分の日常的な常識から考えても理解できないくらいの高額のお金が必要となっていた。

このような「死」に対する儀式でこういう言葉を使うのは非常に憚れるのだが、葬儀社への支払いではとてもじゃないが、通常のコスト・パフォーマンスの感覚からは遠くかけ離れた食事やサービスが目に余る。

「人類が大昔から葬式を営んできたのも、そこに一定の役割があるから」

というように、確かに葬式という最後にその人とのお別れを、各人が心の中で区切りをつける場として必要としたというのはとても理解できるし、それは時代が変わろうが宗教が違おうが決して変わる事のない人類の本質に関わる事であると思う。

問題は、江戸時代に寺請制度が導入されてから、ある種戸籍管理システムとして脈々と続いてきた日本全国に張り巡らされた檀家制度。そしてその制度導入と同時に一般の庶民も死後に戒名を授かるようになったことによって、それまでは村単位で行われていた葬式とうい儀式が、檀那寺の専売特許となり、それが葬式仏教としての流れを加速さていく。

その流れは寺院に対して安定した収入を確保するのと同時に、新規参入を難しくすることにも働いたのは想像に難くない。地域社会が安定していればいるほど、流出者が少なければ少ないほどに、その寺院の収入は安定するが、近代において檀家制度に属さない家庭が増えたり、地域から流出する家庭の増加などにより、安定収入が不安定になることと同時に、バブル時代にその経済の流れにのってより細かい項目を作り出す事と、単価を吊り上げるなどによってより形骸化へとすすむ葬式仏教。

誰もが学校で習うように、釈迦が悟りを開いたところから始まる仏教。それが中国を経て日本にたどり着いた飛鳥時代。その時代は大陸から伝えられた最先端の学問の一つとして、国の安定化のためのシステムとして採用された。その事実を伝えるように、奈良の古寺である法隆寺、薬師寺などは墓地を持たず檀家がいない。ある種純粋な仏教の姿を見せている。

その後、空海などの平安仏教もまた護国のための仏教であったが、法然や親鸞などの鎌倉仏教を経て徐々に庶民へと広がり、その流れを受けて、仏式の葬式が普及していく。ただしその時には現在のような葬儀に来る導師への「お布施」や、脇導師へのまた別途のお布施。ランク別に値段を決められた「戒名」など、どうしても生臭く感じてしまわずにいられない。

「死」を扱うプロフェッショナルであることは、普段から檀家として寺の存続をサポートする家庭に対して、非常時である葬儀の時には、心から近しい人を失った残された家族の気持ちをいたわり、精一杯の弔いをするのが筋かと思うが、どうも高額のお布施が当然で、一種の特権者として儀式を執り行ってやっているんだという態度で、お布施や戒名料の金額次第で執行態度を豹変させる。そんな僧侶も多々いると聞く。

世間ではグローバル社会の競争に晒され、誰もが一円でも効率化を進め、人員整理や社内仕分けなどを経てなんとか市場で競争できる価格に持っていこうとしている時代。安定した地域社会が崩れ、誰もが少しでも上へ、他の人よりも稼ごうと、容赦のない弱肉強食の日々の中それでもなんとか生き抜いていこうと知恵を絞っている昨今。

その横では変わる必然性を感じずに、ましてお布施という不透明な金の流れと納税の義務を免除されている寺という聖域の中で、それこそあまりにも時代にそぐわないシステムではないだろうかと思ってしまうのもしょうがない。

仏教国は世界に多々有るにも拘らず、戒名というのは日本のみにあるシステムであり、それこそ既存の身分秩序が簡単には崩れないように、成金などがすぐにコミュニティの中で高い地位を得る事ができないように、コミュニティを守ると同時に硬直化させる仕組みであり、同時に寺の安泰を約束する仕組みであると考えてしまいがちである。

しかし、読み進めていくうちに、そうとは一概にも言えずに、兼業などをしない限り現在の仏教寺院の収入はそれこそ葬儀や法事などでの儀式を執り行う事に対して檀家から支払われるお布施が大半を占める事になり、それから計算すると寺院を維持していくには300軒の檀家が必要であるが、都市化によって寺院と檀家との関係が希薄したことと、経済至上主義の影響で葬式にも商用化の波が押し寄せてきた点により、時代と共に300を超える檀家を抱える寺は減ってきているという。

それはイコールで寺院の収入の減少を意味し、それを裏付けるように曹洞宗の寺院での日本全国での平均年収は565万円でだという(平成17年)。封筒の中に包まれた金額がどれだけか分かるのは檀家と寺院のみで、そこに領収書が発行されるでもない非常に不透明な金のやり取りに加え、本山に上納されるという戒名料なども実際のところいくらが渡されているのは決して知りえる事がないやり取りが見え隠れするだけに、この数字がどれほど信憑性を持っているのかは疑問があるが、それでもいわゆる一般サラリーマン家庭と変わらない経済規模だというのは、恐らく大多数の人にとって意外な事実であるであろう。

しかもその約半数は年収300万円未満という注釈付きというのであるから、世間だけではなく寺院もまた厳しい経済の波に同じように飲み込まれていることとなる。

「葬式は贅沢である」

と結論付け、時代にあって、自分にあった色々な形の葬儀のやり方がより普及してくる事。「家族葬」や「直葬」、「樹木葬」など自分自身もいつか自分の番になったら選ぶであろうと思える方法を紹介する。

一般常識的な葬儀を盲目的に執り行う必要は無く、外国などの状況などを説明し、一般的に葬儀に対してのどのような事が行われ、どれくらいの費用が支払われるかを紹介し、如何に現在の日本での葬儀のやり方が過剰であるかを解いていく。

しかし、これでは自分だけは時代に合わせて檀家から抜けて、個人レベルでできる規模の葬儀を行っていきます。というだけでは、それまで脈々とこの土地に根付いてきたゲニウス・ロキや地縁を断ち切るだけであり、日本の風景を支えてきた寺院を崩壊に導くだけであると思わずにいられない。

本当に必要なのは、現在の社会、現在の時代にあった「死」の儀式のあり方を、社会も仏教界も各家族も個人も、皆が改めて考えて、身の丈にあった規模と内容に修正していく、そんな必要があるのだろう。

様々な既得権益が複雑に絡み合い、それでメシを食っている多くの人間がいるからこそ、簡単には変わらないとは思うが、それでも現状のまま放置していけば、間違いなく一世代で葬儀のあり方、檀那寺のあり方、墓のあり方がガラッと変わってしまうのは目に見ていることである。

少なくとも、家族と親と兄妹と親族と、そして現在の檀那寺と時間を取って話し合うことが自分達にもできることだと改めて知る事ができる一冊であろう。

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はじめに

第1章 葬式は贅沢である
/どんなに寿命がのびたとしても
/古代から人間は葬式を営んできた
/葬式費用231万円は世界一
/葬式は法的な義務ではない
/葬式無用の主張
/散骨はいつから認められるようになったか
/葬式をしない例は少ない
/社葬は日本の文化
/何も残らないにも関わらず

第2章 急速に変わりつつある葬式
/「直葬」登場の衝撃
/直葬とはどんな葬式か?
/昔「密葬」、今「家族葬」
/葬式のオールインワン方式、ワンデーセレモニー
/葬式だけでない簡略化の流れ
/家から個人の儀式へ
/墓の無縁化と永代供養墓
/創価学会の友人葬
/樹木葬・宇宙葬・手元供養
/宇宙葬すら100万円しかからない

第3章 日本人の葬式はなぜ贅沢になったのか
/古墳壁画や埴輪から古代の葬式を想像する
/見出せない仏教の影響
/もし仏教がなかったら
/日本仏教を席捲した密教
/葬式仏教の原点としての浄土教
/地上にあらわれた浄土
/易行としての念仏
/仏教を大衆化させる道を開いた親鸞
/禅宗からはじまる仏教式の葬式
/浄土を模した祭壇

第4章 世間体が葬式を贅沢にする
/仏教式だからこそ
/細部へのこだわりが
/世間体が悪いという感覚
/村社会の成立と祖先崇拝
/柳田國男の祖霊信仰
/山村の新盆と「みしらず」
/村のなかでの格と戒名
/世間に対するアピール

第5章 なぜ死後に戒名を授かるのか
/戒名の習慣と戒名料
/戒名料の相場
/戒名のランキング
/日本にしかない戒名
/戒名への納得できない思い
/葬式仏教が生んだ日本の戒名
/出家した僧侶のための戒名
/日本的な名前の文化
/戒名の定着と江戸期の寺請制度

第6章 見栄と名誉
/高度経済成長における院号のインフレ化
/バブル期に平均70万円を超えた戒名料
/仏教界の対応
/戒名はクリスチャン・ネームにあはず
/有名人の戒名に見る、それぞれの宗派の決まりごと
/死後の勲章としての戒名
/生前戒名が広まらない理由
/墓という贅沢

第7章 檀家という贅沢
/介在する葬祭業者
/仏教寺院の経済的背景
/阿修羅像はなぜ傷んでいるのか?
/必要な檀家は最低でも300軒
/減る年忌法要と無住化の危機
/戒名料依存の体質が変わらない訳
/檀家という贅沢

第8章 日本人の葬式はどこへ向かおうとしているのか
/柳田國男が恐れたもの
/核家族化で途絶える家の後継者
/仏壇を祀らせる運動として
/家の葬式から個人の葬式へ
/土葬から火葬へ
/日本人が熱心なお墓参り教
/大往生が一般化した時代
/最後に残るのは墓の問題

第9章 葬式をしないための方法
/葬式をいっさいしないために
/完全自前の葬式は可能か
/僧侶を呼ばなければさらに
/宗派による葬式と墓の自由不自由
/寺檀関係のない僧侶のぼったくり
/作家と戒名
/戒名を自分でつける方法
/火葬するのも贅沢

第10章 葬式の先にある理想的な死のあり方
/死んだ子どもの思い出に創設されたスタンフォード/大学
/裕次郎さえ寺は残せなかった
/PL教団の花火は葬式だった
/葬式で儲ける!?
/派手な葬式と戒名で財産を使いきる
/本当の葬式とは

おわりに
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「反貧困―「すべり台社会」からの脱出」 湯浅誠 2008 ★★

現行の報道などを見ていると、不正受給や若くて健康なのに働こうとしない人など生活保護の問題を刷り込まれ、精神的に弱い人間が甘いシステムに依存して、楽をして生活していることで真面目に働いている人間に皺寄せが来ている。なんて風に考えてしまいがちだが、それの考えがミクロな視点であり、本質的には貧困というマクロな視点を持って眺めないと近視眼的になってしまうとよくよく理解できる一冊。

それにしても、派遣村の村長で、労働問題を主に取り扱っている社会活動家であり、近頃は政府に請われて参与などをやっている人という認識だったが、改めて東大で博士課程まで進んだエリートなのだと知ると、その活動内容もまた違って見えてくる。

本書でも出てくるように、貧困を自己責任だとして攻めてしまう奥谷禮子の「弱い人が増えています。まさに自己管理の問題」という発言の様に、確かに様々な能力が足りなかったり、努力が足りなかったりするために貧困に陥っている人がいることは確かであろう。

しかしそれが同時に、こちら側にいる自分の幸福の再確認作業になってしまったり、ましてや自分は努力したから当然だと思ってしまうことも多々あるだろう。しかしその正当性を改めて考えてみる必要があるのだと思わずにいられない。

本書の中に出てくるように、大学受験に合格した人が、「それができたのは、高い教育費をかけてくれた親がいたからだ」と考えることは少ないだろう。という言葉の様に、自分の努力で手に入れたと思っている今の居場所は、実は親を始め多くの援助のもとで可能になった選択肢があったからだと思う必要があるのだと実感する。

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」でも描かれるように、外からの視点を手に入れるには、外にでるチケットを手に入れる必要があるし、外から冷静に自分がいた場所を見返せるようになるには、心に余裕を持って時間が過ごせるような生活を得る必要がある。

そこに辿りつく為には、学を修め、職業的にもキャリアを積んでいく必要があるが、そのためには自分の努力ももちろんであるが、そこにチャレンジする様々な援助が必要となり、それは家族を始め育っていく中で多くの人から与えられてきたことになる。

それが如何に恵まれていることか。当たり前だと思ってきた時間が、どれだけ恵まれていたのかを良く知ることができる一冊であり、「オリンピックの身代金」で描かれたような人夫の様な日常を送る人々が今の現代でも多くいるんだと理解する。

親の貧困のせいで十分な教育と愛情を得ることが出来ない幼少時代を過ごし、精神も健康も蝕むようなネットカフェ難民に陥り、何とか手にした仕事で日雇い派遣会社に経済的にも精神的にも搾取されていく。ダメだと思いながらも止めることができない負の連鎖。

雇用のセーフティネットからも、社会保険のセーフティネットからも、公的扶助のセーフティネットからも抜け落ち、作者が「五重の排除」と言うように教育過程、企業福祉、廉価な社員寮・住宅手当・住宅ローン等々、家族福祉、公的福祉、そして自分自身からの排除を受けてたどり着くのは唯一頼ることができる生活保護の制度。

外界からの衝撃を吸収してくれるクッションの役割である、「溜め」であるお金や頼れる家族を持たない人間は、なんら防護服を着ることなく厳しい野生の世界に放り込まれる。そんな人々が「できることなら自立したいがどうしようもなく・・・」と最後にたどり着くのが生活保護。

それを悪用したり不正受給するものたちのせいで、まったく違う側面ばかりが注目されてしまう現行の生活保護。「需給規定を厳しくすればいい!」「現物支給にすればいい!」などという声が高まれば高まるほど、本来そのシステムを必要とする人たちの姿はより見えなくなっていく。

そういう人たちを「弱い人間だ。自堕落な人間だ」と切り捨てるのは簡単だが、それでは根本的な解決には至らず、根本的に解決していなければ、社会自体がより負担を被り、じわじわと傷を広げていくばかりである。

そこにたどり着いているような人たちが、もっと早くに何かしらの手を打てるような社会にすること。そういう人が貧困に陥ることなく生きることが出来る社会に変えていくこと。親の貧困が連鎖することで子供も同じく貧困に陥るのではなく、どんな状況下でも同等の教育が受けられるようなシステム、努力すれば同じ機会が得られるような社会にしていくこと。

格差だと叫びながらも、他の国の様に貧しければ貧しいなりに楽しい生活ができるような、生活費にもっと幅を持たせることができる多様性を受け入れた社会に変えていくこと。持つものだけが更に富んでいく社会ではなく、月々10万円でも十分に満ち足りた生活ができるような場所を持つ社会にしていくこと。

「下には下がいる」「やりたいヤツはいくらでもいる」「おまえの代わりはいくらでもいる」と現在の地位を維持するためにも高い労働付加価値が要求されるようになり、労務管理・人事考査が厳しくなって、全体の労働条件が切り刻まれた現在の社会を少しでも変え、低収入の人たちも人間らしく生活の営める幅の広い社会の在り方を模索していく必要がある。

どんな人達でも安心して老後を迎えられるような現代に適応した新しい年金制度への移行を進めるなど、縮小社会に向かう今後の日本においては、国が担う役割が非常に大きいと思うが、それと同時に貧困が個人の問題ではなく、社会の問題であり、それは結局のところ自分の問題であるという認識の変換も迫られているのだと実感する一冊。
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目次
/まえがき

第I部
/貧困問題の現場から

第1章
/ある夫婦の暮らし  
/ゲストハウスの新田夫妻
/貧困の中で
/工場派遣で働く
/ネットカフェ暮らし
/生活相談に<もやい>へ
/貧困は自己責任なのか

第2章
/すべり台社会・日本
/1 三層のセーフティネット
/雇用のセーフティネット
/社会保険のセーフティネット
/公的扶助のセーフティネット
/滑り台社会
/日本社会に広がる貧困

/2 皺寄せを受ける人々 
/食うための犯罪
/「愛する母をあやめた」理由
/実家に住みながら飢える
/児童虐待の原因
/親と引き離される子・子と引き離される親
/貧困の世代間連鎖

第3章
/貧困は自己責任なのか
/1 五重の排除
/五重の排除とは
/自分に地震からの排除と自殺
/「福祉が人を殺す時」

/2 自己責任論批判
/奥谷禮子発言
/自己責任論の前庭
/センの貧困論
/「溜め」とは何か
/貧困は自己責任ではない

/3 見えない“溜め”を見る
/見えない貧困
/「今のままでいいんスよ」
/見えない「溜め」を見る
/「溜め」を見ようとしない人たち

/4 貧困問題のスタートラインに
/日本に絶対的貧困はあるか
/品kのんを認めたがらない政府
/貧困問題をスタートラインに

第II部
/「反貧困」の現場から

第4章
/「すべり台社会」に歯止めを

1 「市民活動」「社会領域」の復権を目指す
/セーフティネットの「修繕屋」になる
/最初の「ネットカフェ難民」相談
/大作が打たれるまで
/ホームレスはホームレスではない?
/生活保護制度の下方修正?
/「反貧困」の活動分類

/2 起点としての〈もやい〉 
/「パンドラの箱」を開ける
/人間関係の貧困
/自己責任の内面化
/申請同行と「水際作戦」
/居場所作り
/居場所と「反貧困」
 
第5章
/つながり始めた「反貧困」
1 「貧困ビジネス」に抗して―エム・クルーユニオン
/日雇い派遣で働く
/低賃金・偽装天引き
/貧困から脱却させない「貧困ビジネス」
/労働運動と「反貧困」
/日雇い派遣の構造

2 互助のしくみを作る―反貧困たすけあいネットワーク
/労働と貧困
/自助努力の過剰
/社会保険のセーフティネットに対応する試み

3 動き出した法律家たち
/北九州市への告発状
/大阪・浜松・貝塚
/法律家と「反貧困」
/日弁連人権擁護大会
/個別対応と社会的問題提起

4 ナショナル・ミニマムはどこに?―最低生活費と最低賃金 
/「生活保護基準に関する検討会」
/最低賃金と最低生活費
/最低生活費としての生活保護基準
/知らない・知らされない最低生活費
/検討会と「もう一つの検討会」
/「一年先送り」と今後の課題

終 章
強い社会を目指して
/新田さんの願い
/炭鉱のカナリヤ
/強い社会を
/人々と社会の免疫力
/反貧困のネットワークを
/貧困問題をスタートラインに

/あとがき
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2013年11月28日木曜日

地縁


朝、ふと目が覚めて携帯電話を調べると、メールに兄から「今朝、伯母が無くなったと連絡があった。追って連絡する」と。

かねてより癌を患っており、かつ単身ということもあり、実の妹である母が献身的に介護を行っていたが、病状の悪化と共に自宅での介護が不可能になり、ケアセンターに入所しており、一ヶ月ほど前から病状が悪化したとは聞いていたのですぐに状況を理解し実家に連絡を取る。

葬儀社、導師の都合により、翌日が通夜となるということで、すぐにオフィスに向かい、パートナーに事情を説明し、すぐに航空券の手配をすると、幸運にもその日の夕方に東京に向かう便をとることができた。

プロジェクトの進行状況を確認し、数日間やることを指示して昼過ぎには自宅に戻り、妻が用意していた荷物を受け取り、すぐに空港へと向かうことにする。

病気か家族の不幸でしか日常を止められない。それもどうかと思うが、久々に「ポッカリ」と空いた時間をもてあまさない様に、久々に何冊かの本のページをめくりながら飛行機を待つ空港ロビー。

羽田に到着したのが、21時過ぎ。Navitimeで乗換えを調べても、既に実家に向かう最終の新幹線は出てしまっているらしく、どうやっても今夜のうちに電車にて戻るのは厳しそうだが、一晩東京で無駄に時間を過ごすのももったいないという事で、かつてすっかり懲りた夜行バスという選択肢を取る事にして東京駅へと向かう。

ちょうど20分ほどで名古屋方面に出発する高速バスがあるというので、チケットを購入し、コンビニでおにぎりとコーヒーを購入し外で頬張っているとすぐに出発時刻。暫く前に問題になった「高速バス」の事故の影響か、名古屋までの高速バスは二台続いて運転するらしく、その人件費が跳ね返ったのかチケット代は5590円と決して安くは無い。

「これなら朝まで待って新幹線で・・・」と頭をよぎるが、早朝5:00に地元の駅につけるので車内で睡眠を取れることを期待して、明日の朝から動きが取れるようにとバス移動を決行する。

バス車内は窓際にそれぞれ一席、真ん中に一席とシートが独立した配置になっており、かなりの角度までリクライニングもできるようになっているので、恐らく慣れた人にはかなり快適な環境なのだと思われる。以前利用した大阪までの格安高速バスは二人がけのシートで、前後の幅も狭いのでかなりのつわもので無い限り睡眠なんて期待できたものではないが、「これならば・・・」と期待して乗り込むとすぐに出発。

思ったよりもガラガラの車内で、以前乗ったバス会社よりもそれほど車内規定が厳しくなく、携帯の液晶画面の明るさが睡眠の邪魔になるから利用禁止などという馬鹿げたこともないようで、接続速度の速さに感動しながら中々寝付けれないままに時間を過ごす。

少々ウツラウツラしたころに到着するのが休憩場所の足柄SA。「めちゃイケ」のSAとして有名なようで、オカレモンの大きな看板が掲げられており、中も随分充実しているようで、身体を動かすがてら、いろいろと物色することにする。

次の休憩は三ケ日で取り、極寒の北京から着込んできた上下のヒートテックが暖房の効いた車内では暑いし、圧迫するしで、すっかりエコノミー症候群のような症状であちこちの血管にピリピリとした痛みを感じてやっと地元の駅到着。

解放感を感じながら手足を伸ばしていると、暫くして迎えに来てくれた父親の車が見えてくる。車内に乗り込んで話してみると、ちょうど連絡をもらって24時間で実家に戻ってきた事になるのに気がつき、なんとも便利な時代になったものだと思いを巡らす。

車中でまったく寝れなかっただけに午前中は少し休んだ後に、夕方から始まる通夜に向けて午後から両親と一緒に準備にかかり、隣家や親戚など集まってくださった方々に両親と共に挨拶をし、時間通りに到着した導師の指示に従って通夜が執り行われ、何とか滞りなく終了して一晩休むと次の日は昼からの葬儀・告別式となり夕方まで何かと忙しなく動き回ることになる。

葬儀の夜に東京に戻る兄を送り出し、次の日は両親と共に片付けや最後まで入所していたケアセンターへ退所の手続きに向かったりと日本の葬儀の大変さを改めて実感した三日間。

今回の件は、「単身高齢者」であり、「精神疾患」を患っていたということもあり、現代の様々な問題を当事者として向き合う両親の後ろから長年に渡って眺めてきたこともあり、様々な事を思わずにいられなかった。

介護への拒否によって、介護者をどんどん疲弊させてしまう老老介護の問題。

精神疾患の為に近隣との付き合いがうまくいかないだけでなく、世間からどんどんと孤立していく単身高齢者とそれでも社会の中で暮らしていかないといけない為に板ばさみになる家族の問題。

単身生活が長く介護保険にも加入していなかった空白の時期があったことと、その時期まで遡って支払う事ができない現行のシステムの介護保険の問題。

単身高齢者には広すぎてとても自分で手が届ききらない古い家屋から、適当な広さのアパートに入居しようとしても、高齢の為に契約者となれない不動産の問題。

古きコミュニティが残る土地だけあって、問題はあっても通夜や葬儀に出席してくれる隣家とのやり取り。

こういう非常時に改めてその関係性を実感する双方の親戚。

「死」というものにどう向き合うかを考えさせつつ、今後どれだけそのシステムが持続していくのか疑問を持たずにいられない檀那寺の問題。

それらの全ては地縁という問題に辿りつく。この土地で生まれ、この土地で育ち、この土地で生きていく為に出来上がってきたシステム。お互いに頼りあいながら物事を進めていくことで、より地縁を強め、より相互依存を強めていくためかのように、大変な労力を要する「死」に対する様々なイベント。

一般と思われる規模の葬儀を執り行おうと思えば、経済的にも労力的とても一人や一家族では対応できるものではなく、どうしても隣家や親族の助けが必要となってくる。それを見ていると、やはりどうしても現代にそぐわない行事だと思わずにいられない。

自由経済主義の波に飲まれ、刻一刻と社会が変化している現代において、それでも何を守る為にこの地縁に沿ったシステムを保持していくのか?かつての村八分でも、火事と葬儀だけは除外されていたというのがまったく理解できるように、誰かの「死」を執り行う行事は、一つの家庭を超えてしまうものであった時代に設定された行儀のやり方であり、それがコミュニティや社会のシステムが変化した現代においても、頑なにそのままの姿で残っているのはやはり多大なストレスをある一箇所に与えてしまうのだと思う。

数年前に、現代における「葬儀」のあり方に対する新書が何冊も出版されたのを思い出すまでも無く、やはり社会の様々な場所でこのタブーに対する意識の変換が必要となっているのは間違いないと思う。

現代でも間違いなく必要だと思う地縁であるば、現代の社会に即した新しい形の檀那寺の在り方や隣家との関係性、葬儀の執り行い方など様々な地縁に思いを馳せる機会となった数日間であった。

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」 辻村深月 2012 ★★

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2013年おすすめ文庫王国 エンターテインメント部門 第1位
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電車に乗るなどの移動時間を持たない日常を送っていると、読書をするためにはどうしても目的を持って時間を作るか、もしくは食事や徒歩などの「ながら読書」をするしかなく、必然的にページの進む速度は遅くなる。

そんな限られた読書時間ならば、職業的向上に繋がる専門書を読むべきだとは頭で理解しても、更に遅遅として進まないページに苦しみながら、そしてまた戻って来てしまう文庫本。その文庫本もつい先日に泣く泣く読み終えることなく閉じたばかりなので、そのリハビリという訳ではないが、サラリと読めそうなものを選び出す。

「ツナグ」の作者。人間としての根源的なテーマと、現代社会の問題をオーバーラップさせながら物語を展開していく作者の視点が捉えたのは、母娘の関係と地方都市に住まう女子の格差問題。

どこにでもありそうな地方都市に生まれた主人公は、いわゆる「いい家」で育ち、優秀な兄を追うようにして進学高へと進み、当たり前の様に名の知れた東京の大学へと巣立っていく。幼馴染の友達は中学まではここが世界の中心と言わんばかりに同じ時間を共有するが、高校進学と共に進む道が徐々に乖離していき、その距離に比例するように疎遠になっていく。

東京の大学を出てから、女性誌のコラムを書く仕事をするようになる主人公は、母親に請われるようにして地元に戻り、地元から出ることなく、そのままの人間関係で日常を生きるかつての友人と再度交流を始めるが、離れていた時間が作る溝はいつまでもそこに横たわることとなる。

地元が世界の全てである女子の視点。東京を経由して、ここは私の居場所ではないと心のどこかで思う女子の視点。パラサイトしつつも、高級ブランドに身を包み、結婚のみが自立への出口である女子達にとっては、少しでも「イケてる」男を捕まえようと祈るように参加する合コンがその序列を作り出す。

どうにかすれば、誰でも自分が誰かに当てはまるどこにでもある風景の中のどこにでもあるコミュニティ。その中で起こったある事件をきっかけに、「かつて交わした約束」を思い出し、自らの過去も同時に清算するかのように事件の中心人物となった幼馴染を追う主人公。

地縁の中の狭い狭いコミュニティで生きるが上の生きにくさ。

帰国子女でキャリアを重ねる幼馴染の同僚が発する言葉、「あの人は生きる事に対してのモチベーションが低すぎる。世界を知る事が出来なかったのは全て親のせい。そうしていつも逃げて生きているからイライラする」

外からの視点を得る事ができたのは、外に出る事が出来たからであり、それはもちろん本人の努力もあるだろうが、そういうことを可能にしてくれた親の関与が如何に大きいか?そして外からの視点を持つことがこの地で生きていく上で本当に幸せな事なのか?

現代日本の中心と周縁としての東京と地方の姿を、一方的な格差ではなく、その考え方が正しいのか?と問いかけるかのように物語りは進行する。限られた世界の中で限られた地縁の中で生きる彼女達。歳を重ねればかつての自分達の化粧を脱ぎ去り、自分もこの世界の中に埋もれていくとどこかで理解しながらも、それでも少しでも「イケてる」青春を過ごそうとあがく。

その空気にうまく烏合できない彼女はどうやって生きていけばいいのだろうか。決してその世界から逃げ出す事もできず、地縁を切る事も出来ない彼女はどうすればいいのだろうか。

どこの地方都市のどの飲食店でも見られるような年頃の女子数名による女子会。その楽しげな雰囲気の奥にひっそりと隠された空虚感。誰もそれに気がつきながら、誰もがそれに目を向けないようにして、どんよりとそこに横渡る。そんな目につきにくい現代社会の一面を見事に描き出している一冊だろうと思わずにいられない。



2013年11月25日月曜日

「閉鎖病棟」 帚木蓬生 新潮文庫 1994

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第8回(1995年) 山本周五郎賞受賞
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かつてある先生に言われたことに、「本と言うのは出合いであるから、買おうか迷って買わなければ、もう二度とその本を手にすることは無い。だから迷ったら必ず買いなさい。」と。

そんな出会いだからこそ、一度手にしたのなら、たとえ読み続けるのがどんなに耐え難くても、最後の1ページで今までの印象をガラッと変えてしまう展開があるかもしれないので、出会ってしまった運命を受け入れて、決して投げ出すことなく読みきることを心に決めていたが、しかしこの一冊はきつかった・・・

どこかで上り坂のピークのたどり着き、一気に物語が加速するのかと思うがどうにも頂が見えてこない・・・

物語の舞台は精神病院。

中学時代のある日、国語の担当であった若い女性の先生が、授業開始と共に「教科書をしまって。大切な話がある」と深刻な顔をして話し始めたのを思い出す。何でも昨日、ある生徒が別の生徒に対して家族が街にある精神病院に入院していることをからかっているところに出くわし、とても悲しい思いをしたということで、精神病院ということについて先生の思いを語っていた。今思うと熱い先生が居た時代だったんだと思わずにいられない。

そんな外からはなかなか中が見えにくい精神病院のお話。著者が現役の精神科医ということで恐らく日常的に精神を病んだとされた人々を相手にしている精神科医にとっては、現代社会にとっては何が「健常なのか?」と問いかけずにには、その日常をまともに過ごせないのだろと思う。職務に真摯であればあるほど、そう思い、深く悩むに違いない。

恐らくそんな思いを主題にして、精神病院という中に入ってしまうと、「患者」として人格を剥ぎ取られて一生を生きていくということに対して著者なりのメッセージが込められているのだろうと思わずにいられない。

登場人物がそれぞれに重い過去を抱えているのだが、そのニックネームや複雑な行動原理などのお陰で誰が何をしたのか?がとても理解しにくい。しかもそれぞれにニックネームがついているのも手伝って、頭の中で物語の枠組みを作り出すのが難しくさせている。しかも健常者に対して行動がなんとも一貫性がないというか突拍子がないと言う特徴と持つのが精神病院の入所者達であるから、それぞれの行動を追いながらも話を追っていくのが非常に難しい。そしてそれらの断片が紡いでいくはずの話の筋がなかなか見えてこない。

その忍耐力を試されているような物語。精神科医として毎日どのような時間を過ごしているのか、少しでも世間と共有し、理解してもらい、その日常の奥に反射するように見えている「健全な社会」とは何か?を問うているのは良く分かる。

ひょっとしたら次のページに人生観を変えてしまうような展開が待っているかもしれない・・・などと、ページを閉じるのをなんとか止めようとする思いに苛まれながらもしかし、流石にこれは限界だということで半ばを過ぎたあたりで本を閉じることにする。

2013年11月24日日曜日

コンサート 「Salzburg Mozart String Quartet」 NCPA 2013 ★★★★

ストリングス・カルテット(String Quartet)。

何度耳にしても記憶に留まらないこの言葉。どれだけ生活の中で音楽に馴染んでこなかったかを証明しているようであるが、この歳になっても新しく覚える言葉があるのはいい事だと思う。

さて、メンターに薦められて試しに聴きに行く事にした今日のコンサート。ストリングス・カルテット(String Quartet)とは「弦楽四重奏」を意味するらしく、ヴァイオリンとその仲間の楽器計4本を使って演奏される合奏形態を意味すると言う。詳しくは2本のヴァイオリンと、ヴィオラ、そしてチェロという構成らしい。

幾つかの異なった楽器がそれぞれのパートを演奏しながら一つの曲を構成していくのでオーケストラの奏でる交響曲の小さいものかと勝手に想像するが、やはり交響曲と弦楽四重奏は作曲家の重要ジャンルとなっているらしい。

そして今日の音楽家はSalzburg Mozarteum Quartetといい、オーストリアのストリングス・カルテットだという。その構成は以下の通り。

First Violin; Markus Tomasi
Violin; Milan Radic
Cello; Marcus Porget
Viola; Geza Rhomberg

そしてプログラムはモーツァルト、メンデルスゾーンにドヴォルザーク。演奏の中で日本のテレビCMでも使われてて、耳に馴染みのあるフレーズが何度も聴こえてくる。

メンターが「ストリングス・カルテットはコンサートの中でも一番知的で建築的だ。オーケストラだと量がありすぎて、個が見えないが、ストリングス・カルテットでは一つ一つの楽器の音が埋もれることなく際立って見えるからいいんだ」といっていたように、4つの楽器がそれぞれに異なった動きをしながらも、しっかりと調和と取りながら、そしてある時には共鳴するかのように同じ旋律を重厚に響かせる。その緊張と緩和。とても素晴らしい。

どうも生の良質な音楽に晒されてこなかった自分の脳は、ヴァイオリンなどが発するアルファ波に抗体が無いらしく、開始早々抵抗することが出来ないくらいの睡魔に襲われ、身体をダラリと緩和させ、同じく脳も弛緩させ、ウツラウツラとモーツァルトの調べの中に落ちていく。

かつてCDもテープも無い次代に音楽を聴くというのは、まさにこの調べを聴けるのは一生に一度しかないかの機会だったに違いない。そんな時は観客は相当な集中力を持って音楽家の発する音に向かっていたに違いない。

そんな中で貴族や王族だけが、その特権を利用し、有能な音楽家を宮廷に呼んでは夜な夜な極上の調べに身体を浸していたのだろう。その余裕があるからこそ、ゆったりと身体をリラックスさせ、音楽をしっかりと脳に届ける事ができたに違いない。そう考えるとこうしてアルファ波にやられて、ウツラウツラすることは、当時の特権階級のみに揺るされた高度な文化行為だったに違いないと自己正当化をしながら更に深い眠りに。

そんなことんなをしていると一曲目が終わったようで、観客の拍手と共にカルテットがバックステージに消えてまた出てくる。音楽を聴いているとすっかり時間の感覚がなくなるので、「ひょっとして既に幕間・・・?」と思ってしまうが、どうやら二曲目が始まるらしい。

二曲目のドヴォルザークを聴きながら、まだまだ脳がアルファ波を欲しているらしく、再び深い睡魔に誘われる。弛緩しきった視界の先では会場の4分の3ほど埋めている観客を捕らえる。その数およそ1000人。日曜の夜に様々な誘惑がある都会の生活にも関わらず、アルファ波に誘われるようにしてあつまる蝶の様に、これだけの人が自らの意思でここに足を運んでいる。それは凄い事だと改めて思う。

自分の様にこの歳になるまで、自分の意思でこうしてコンサートやオペラなどに積極的に足を運ぼうとしなかった文化的なアンテナの低い人間にとってはまったく意味を成さない場であるこのオペラハウス。しかし、これだけの人がその豊かな時間を身を持って知っており、どういう楽しみ方をするのか理解し、そしてまた足を運んでくる。

そう思うと同時に、今まで出合っていたその様な文化的教養の高い人たちの前で、文化的素養の無さを晒していたのかと思うとかなりゾッとするのと同時に、彼らが無知な自分を目の前にしても優しく接してくれていた事に感謝する。

一日に一度十分にアルファ波を吸収したら脳もお腹一杯のようで、後半はすっかりクリアになった頭で集中して音楽を聴き、音楽家の動きを眺めてすっかりストリングス・カルテットが好きになったとメンター夫妻に報告する。

「締切りがあるので、チームの進行状況を確認しにオフィスに戻らなければいけない」と言うと、「なんて非人間的な仕事のやり方をしているんだ・・・」とメンター夫妻。「しかし、それが戦う建築家の日常なんです・・・」としか言えず、「あまり無理せずに」という言葉を背中に受けながら、今年最後になる来週のオペラに思いを馳せてオフィスに戻る事にする。

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Programme
W.A. Mozart; String Quartet in D Major K575
Mendelssohn Bartholdy; String Quartet E Flat Major op. 12

Intermission
A. Dvorak; String Quartet in F-Major op. 98 "American"
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日壇 (にちだんこうえん 日坛公园) 1530 ★★


九壇八廟の「壇」採集。その最終目的地となったのがこの日壇 (日坛 Dìtán)。

昨年北京に戻ったばかりの頃は、何とか日常生活のリズムを作ろうと、毎朝必死にランニングにでかけた時の折り返し地点としてよく中を通り抜けたこの公園。大気汚染が肺に与える影響のお陰でランニングを中止するまでに良く来たはずだが、その時はまだ後々「壇」にはまるとは思ってもいなかった。

日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)

例のごとく昼過ぎにはオフィスに出なければいけないので、せめて日曜のランチくらいは贅沢をと、新しく出来たショッピングモールに入っている日本の老舗のトンカツ屋に向かうがやはり長蛇の列。予約を入れるとちょうど40分ほどだというので、その間に「壇」へと向かう事にする。

さてこの日壇公園。壇公園の中で唯一無料で市民に開放されており、そのお陰でランニングする人や太極拳に勤しむ人の姿を多く見ることができる。ロシア人街となっている北門エリアから内部に入るとまず目に入るのは大きな朱色の門である北天門。それを抜けると鮮やかな黄色に色を変えた大きなイチョウの葉が地面を埋め尽くし、綺麗な黄色のカーペットを作り出している。

枝で覆われた黄色のトンネルを抜けて更に南に下ると、左の方に如何にもな塀が視界に入ってくる。特徴的な朱色の壁が円状に湾曲している為に、方形で構成された公園の中で明らかに異彩を放っている。

まずは北門から見てみるが、どうにも門が閉ざされているようである。鍵のかかったその隙間から中を覗いてみてみるとやはりそこには壇があるが、天壇、地壇の様に塀が何重にも囲われて壇も何層にも重なっている訳ではなく、一重の塀に一段の壇という構成の様である。

壁にそってぐるりと西に向かって回ってみると、円に沿って移動するとすぐに距離感覚が鈍るのかあっという間に西の門にたどり着く。そこで気づくのは先ほどの北の門と違って今度は三つの門で構成されている。後ろを振り向くと、ずっと先に立派な西門が見え、そこまでの道は真ん中に大きな石が敷き詰められる如何にもな舗装形式。

横に置かれた説明を見ると、やはりこの道は皇帝が通る路だと言う。この日壇は、明と清の皇帝が「太陽の神」を祭った場所であり、天壇、地壇、月壇と同様に明時代の1530年に建設された。

それゆえにまたの名を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)とも呼ばれ、祭壇は西を向いて建てられているという。普通太陽を崇めるのなら、太陽が昇ってくる東を向いて建てられそうなものだが、太陽が沈んでいく西に向かって建てられたのか、それとも北京の中心にいる皇帝に向けて建てられたのか想像力を刺激される。

兎にも角にも皇帝がこの場所に祭事の為にやってくるというが、ではどこから来るか?それは紫禁城(故宮)。つまり北京中心に位置する紫禁城から北京の東に位置するこの日壇までやってきた皇帝は、西門より中に入り徐々にこの朝日壇にアプローチする。つまりは西門にあたる西天門から朝日壇にいたる道は皇帝が通る神聖な道であり神路と呼ばれ、そして皇帝がくぐる朝日壇の西側の門もまた他の、北・南・東の門に比べ特別な設計がされており、3つの門となっている。

そんな訳で更に進んで南の門を見ても、北と同じく一つであり、その先の東の門もまた同じく簡単なもの。円という無方向性な図形に対して、東西南北という絶対方位を与え、更に西に向けることで正面性を作り出す。それはその概念を理解したものにしか見えてこない観念的な図形であり、文化を理解するものにしか語りえないものだと思うと、建築に込められた深い思いに改めてゾッとする。

中に入れないのは残念だが、無料で開放している以上、文化財保護のためにも必要なのかと思いながら、更に公園内を散策してみるが、自分の顔以上の大きさを持つイチョウの葉を拾い集める子供連れの姿を眺めながら、どこの国でも巨木が残る風景はやはりいいものだと改めて思わされながら、一先ず終えた「壇」採集と次はどんな楽しみを見つけるかに思いを馳せながらトンカツを食べに戻る事にする。



















2013年11月23日土曜日

北海公園 (ほっかいこうえん 北海公园) 先蚕壇 1742 ★★


今週末は幾つものプロジェクトが週明けに締め切りを迎えるので、それぞれのチームに「今週末はやることが多いから皆来るように」と伝えて迎える陰鬱な土曜の朝。

普段の週末よりも早く起床してジムに向かって、見始めた「リーガルハイ2」を見ながらランニング。噂に違わずなかなか面白いその内容のお陰で、あっと言う間に30分のランニングが終了する。週末に行う筋トレの半分をこなして、昨日一つのプロジェクトのチームに伝えていた集合時間が迫っているのに焦りながらシャワーを浴びてオフィスに向かう。

オフィスに着くと、火曜日にクライアントに資料を送らないといけない福建省で進めている新しい美術館の脇に更にオフィスとホテルを建設するというプロジェクトを進めているチームにスケジュールとやること、そしてスケッチを送って、今日中に資料のドラフトを纏めて他のパートナーにも送るように指示をする。

次には北京のアート地区で進めている新しい美術館のプロジェクトを担当しているプロジェクト・アーキテクトが数日前に送ってきたドラフトに一ページごといくつものコメントを与え、スケジュールと修正点、加えるコンセプトとダイアグラム、それに参考プロジェクトなどを指示してメールで送る。

その後、アメリカで進めているあるプロジェクトについて、週明けにパートナーがアメリカでクラインにプレゼンをするので、その資料作りとやるべき内容を担当チームにメールで送る。そうすると、すぐにロシアに行っているパートナーから修正コメントがSNSで入り、「先日の資料はとてもじゃないがクライアントに見せれるレベルじゃなく、市計画局に見せるためにも、もっと正確で、もっと美しい資料じゃないとダメだ。これこれをやってまずこちらに確認の為に送るように」とチームに激しいコメントが入る。

「そりゃそうだろうな。こちらもあのクオリティは無いなと思うけど、一日しかなかったんだもんな・・・」とチームに一番近く接しているだけに思いは複雑ながら、仕事量と能力を考慮して別のフルタイムのスタッフを急遽チームに入れて、やるべきことを分担していく。

それが終わるとやっと本日のメインである南京で進めているプロジェクトの締め切りに向けて商業部分を担当する協力会社から出向してきている二人を含めて10人以上となっているチームの作業の進行状況をイタリア人のプロジェクト・アーキテクトと確認する。提出に合わせてパース会社に数枚パースを仕上てもらうために、こちらで制作している3次元模型の内容とパースのアングルの確認をし、更に加工で必要な設計に関わる要素の指示をしていく。

それが終わるとより細かいデザイン要素を担当しているスタッフを回って、方向性を修正して、それぞれが遭遇している問題点に対して解決法を話し合っていく。そんなことを数人やっていると、既に昼過ぎに。自分の席に向かいながら「ふぅ・・・」と大きく息を吐き、なんとか気持ちを落ち着かせ、作業が進むまでの気分転換にとオフィスを抜けて向かった先が北海公園(ほっかいこうえん)。

後残り僅かとなった「壇」採集。「北京に散らばる9つの「壇」を全て採集したら、モクモクとして煙と共に「壇蜜様」でも現れたりすれば面白いのに・・・」などと想像を膨らませ紫禁城(故宮)の北に位置する景山公園を脇目に捉えて更に西へと向かうと右手に広がる大きな水面。そこが北京の発祥の地といってもいい北海。そしてその中にあるのは九壇の中で最も新しく築かれた先蚕壇(xiān cán tán)。

日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する

他の壇は全て今まで見てきた「壇」が全て明王朝時代に築かれているのに対して、この先蚕壇だけは清朝の1742年に建立されている。春にここで桑を祭ったと書かれているが、蚕と桑の関係性はいまいちよく分からない。しかし皇帝の変わりにその行事を皇后が代行する事もあったようで、その意味で女性が上がる事ができた唯一の壇ということらしい。

しかし残念ながらこの先蚕壇は既に撤去されてしまっており、かつてあった場所には門が構えられており、漢字と満州文字でかれた「先蚕壇」の額が掲げられている。

壇に関しては残念だが、とにかくこの北海公園、その巨大さもさることながら、その歴史がとにかく古い。1000年も以上前に築かれた皇帝庭園ということで、この地に攻め入ってきた元のフビライ・ハンは、その庭園の美しさに惚れ込んで、この地に都を作る事を決め、それが後の北京の基礎となっているという。

つまり歴史都市北京はこの北海の庭園があったからこそ実現したといえるのである。この庭園が先にあり、その後元王朝がその隣に紫禁城を建設したものを、北京を首都と定めた明王朝が改築をして北京の中心が決められていく。

そんな訳で、という訳でもないがとにかくこの公園は巨大である。先蚕壇が北に位置していると知らず、ついつい南門から入ってしまったので、ひたすら北まで湖の脇を歩く事になる。およそ30分ほど歩いてやっと到着。そして振り返るとはるかかなたに見える白い塔。愕然としながら残り半分をとぼとぼ歩いて戻る事になる。

そんなこの公園の中心をなすのが、湖の真ん中に浮かぶ瓊華島と呼ばれる島。その中心には 1651年にダライ・ラマ5世の北京訪問を記念して建立されたという白塔というチベット仏教(ラマ教)の仏塔。その他にも様々な古い寺院などがあったりととにかく見所には困らないのだが、その距離の長さにかなり疲労する。

それだけに他の公園の様に1元の入場料と言うわけにはいかず、入場料も15元と設定されているが、それだけの価値はあると思わずにいられない。

湖の脇を歩いていると、そのすっきりした境界の空間がやたらと新鮮に見えてくる。日本ではかならず安全の為にとかなり目の細かい手すりが設置され、石と水の境界に、まったく別の人工物が入り込む。かつてあった風景を直接見ることが出来なくしてしまっている現代の法と安全への配慮。それももちろん大切なのだろうが、それ以上に現代の人を信用し、かつてあった風景をそのまま残すという大らかさも必要なのではと思いながらそろそろオフィスに戻る事にする。



















2013年11月22日金曜日

忙しさとストレス

誰でも出来ることなら忙しい日々は送りたくないものである。しかし生きていくということは、非常に大変なことである。生きるためにお金を稼がなければいけないし、その為には働かなければいけない。働くことが楽しいばかりではないのは世の中の誰もが知っていることであるし、ほとんどの仕事は毎日苦難が大半を占めるのもまた同様。

そればかりではなく、生きていくうえには家庭に関する様々なこともこなしていかなければいけない。掃除、洗濯、料理、片付け。収入と家庭の将来計画に沿って月々のやりくりをしなければいけないし、現代社会で生きていく上の様々な必要なやり取り、保険、年金、光熱費、通信、様々な手続きは増えるばかりで上手く正確に処理していかなければいけない。

子供ができれば、自分で自分の世話ができない子供の為に多くの手間をかけてやり、親が高齢化すればまた大きな世話を引き受けていかなければいけない。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

誰もが「あーーーーーーーーー」と叫びたくなるような物凄い量のやらなければいけないことを抱えながら、それと比例するストレスを脳に与えながら生きている。もちろん誰もがそれに耐えられる訳でもなく、その忙しさとストレスの最前線から一線を引き「ニート」や「引きこもり」という鎧を纏う人もいれば、なんとか楽をして生きようとする人もいるだろう。

その為には親の手厚い保護が必要だし、それも永遠に続く訳ではない。それ以外で考えると物凄い資産家の家に生まれるか、もしくは特殊な金儲けの手段を手に入れているか、もしくは週に数日だけ働いて十分に稼げるような芸能人のような特殊技能を身につけている必要があるし、そうでなければ自ら起業して自ら関与しなくてもいいようなシステムをつくっていくしかない。そのほかで考えれば、株などの金融商品で労働無き富を得ていくという方法もあるだろう。

が、一般的に生きていれば、到底そんな生活は望めるべくも無く、誰もが忙しさの中ストレスを抱えながら日々を生きていくことになる。

その「忙しさ」だが、例えどんなに忙しくても、心がギュッと締め付けられるような「ストレス」を感じない仕事の内容、例えばその場に居ることが重要であり、何かを考えたり、何かを解決したりすることを期待されず、ただただこなしていけばいい「量」の「忙しさ」であれば、恐らくその負担が身体に与える影響は物凄く違った意味を持つのだろうと思わずにいられない。

現代社会である程度の責任のある職務をこなしていくとなると、そんな仕事を求められる訳ではなく、自ら職業的能力を発揮し、日々止め処なく発生する問題を会社の利益を考慮しながら限界まで精神を追い込まれながらもなんとか処理していく、そんなギリギリのストレスのかかる仕事がほとんどとなってくるはずである。それをこなしていくからこそ、その人の職能も向上し、更に上の職責を与えられ、できることも拡大していく。

「頑張ったけど出来ませんでした。次は上手くいくように努力します。」で、「大丈夫、大丈夫。なんとかなるから気にしないように」とカバーしてもらえる大らかな仕事の在り方は既に望める訳も無く、その凶暴性をむき出しにした国際競争時代の現代では、「あなたができなければその地位を望み、その為に努力を惜しまない多くの人間が待っている」というなんとも過酷な時代になっている。その中でも、競争に勝ち、より上で勝負を望むのであれば、過酷な「ストレス」伴う「忙しさ」を日々、涙を呑みながら享受していかなければいけない。

なぜそんな過酷な「忙しさ」と「ストレス」を日々受け入れて生きていくのか?それは自分一人の為であるならば、相当な高い自己実現への野望を内に秘めていなければならないだろうが、多くの人間がそうではなく、やはり「家族」の為だからこそ、受け入れられるのだろうと思わずにいられない。そう思うことでのみ、日々への意味づけが成されることになる。

こんな時代だからこそ、今まで別々に「忙しさ」と「ストレス」に向き合ってきた大人二人が生活を共にしていく現代の結婚というのは今までとは違った意味を持ってくるのだと思わずにいられない。

二人が共に生きることで、二人とも全方面に「忙しさ」と「ストレス」を被るのではなく、この部分はこちらが担当し、この部分はもう一人が引き受けるという役割分担することによって、一人ずつで生きていたときよりもお互いの負担、感じるストレスを少なくしていける。それが現代社会における結婚の大きな効用でもあるだろう。

自分の為ではない、家族の為に生きること。それが行動の判断基準になること。それが大人になるということであり、結婚して共に生きていくことだと改めて思う。如何に自分よりも家族を上位において物事を捉えられるのか?そんなことを思うのも今日が「いい夫婦の日」であり、結婚記念日であるからだろうと思わずにいられない。

つがい


「愛」に関するダンスを見たからではないだろうが、街を歩いていると行きかう人の中でやはり一番目に付くのはカップルの姿。冬が本格的に始まるとその印象は更に強くなるばかりである。

二人が結婚して夫婦だとしても、彼女彼氏という恋人の関係でも、やはり目に止まる中で一番多いパターンが男女二人という姿である。

この「つがい」という特徴は動物界では見られなく、哺乳類の一部だけに見られる現象だと昔何かの本で読んだことを思い出す。それはつまりは、人類だけに許された理性の成せる業だということだ。

ある一人の異性に対して好意を持ち、互いに同じ感情を共有し、ずっと一緒に寄り添っていく。天皇陛下の火葬が発表されたばかりであるが、長きに渡って寄り添われてきた皇后陛下が共に埋葬されるのは恐れ多いと発言されたばかりだが、現世から離れた後も現世で契った「つがい」の気持ちは続いていく。

それが宗教による刷り込みなのか、社会を安定される為に人類の歴史の中で必要として発明された制度なのかは緒論あるだろうが、それでもやはり人間特有の理性が在るゆえのシステムだといえる事は間違いない。

その他のどんな動物でも、DNAの中で最上位にプログラムされているのは種の保存。人間の「つがい」の様な一異性に対する感情を持ち続けないようにインプットされ、刹那的に生きる事が、種としての子孫繁栄に繋がっていく。

人類が理性を手にしたと同時に失った発情期というプログラムが発動した時に、近くにいる集団の中の異性と結ばれ、そこで次世代をつくっていくことが、種の保存のためには都合がいいのは間違いない。

そうして考えると、動物とは違う人類としての特権を一番の形で発現しているのがこの「つがい」の風景。それは人類が理性の生物であるという証左。動物的に生きる多くの人間ももちろんいるのだろうが、街を埋め尽くす多くのカップルの姿を見ると、それでもなんだか嬉しくなるのはそういうことなのだろうと理解して家路を急ぐ事にする。

2013年11月20日水曜日

バレエ 「ドン・キホーテ」 NCPA 2013 ★★★

メンターが、「自分もかつて日本で同じ題目のバレエに出た事があり、役柄は馬だったが、同じプロダクションの様なのでどんな感じがチェックしてみたい」というので購入する事になったドン・キホーテのバレエチケット。

平日だけど一人のパートナーは既にレクチャーの為にドイツ入りしており、もう一人のパートナーも明日からモスクワで始まるコンペのキックオフ・ミーティングに参加する為に、今日は準備の為に早く帰るはずだと想定し、今日こそは開演時刻に間に合うようにオペラハウスに到着できるだろうとバッグの中に忍ばせたチケットが気になりながら過ごす一日。

19時も近づいて一応チケットを確認する。一度に数枚チケットを同時購入するので購入時には演目や日時などは確認する事が無いが、一応本日のチケットを確認しようと過去のチケットと一緒になって十数枚になっているチケットを整理してみるが、どうにも本日のチケットが見当たらない。

その代りに15日にピアノ・コンサートを見にいったにも関わらず、同じ日のシアターでのチケットがバッグから出てくる。「まずいな・・・」と思い始め、恐らくチケット売り場の係りが間違えてチケットを渡したに違いないと思う事にして、「既に中に入っています」とメンター夫妻から届くSMSに「チケットを間違えて購入したか、もしくは間違えて渡された可能性があり、今日のチケットが手元に無いですが、チケットカウンターに問い合わせに行ってみます」と返信し、既に開演10分前にオフィスを出る。

既に開演時刻を過ぎて会場に着き、走ってチケットカウンターにいき、事情を説明するが、「それはこちらのミスではない。その場で確認して返却しなかったそちらのミスだ」と言い張られる。しょうがないので、「今日のチケットが残っているか」と尋ねると、残っているが既にレジを閉めてしまったので売ることができないと冷たい対応。

その様子を後ろから虎視眈々と眺めていたダフ屋のお姉さんが近寄ってきて、「チケット、あるよー」と。「420元のチケット300元でいいよ」などと行って来るので、「とにかく入れればいいので、一番安いやつあるか?」と聞くと、流石にチケットを無駄にしたくない一心なのか、「120元の席を100元」でいいという。「80元の席でいいんだけど」というと、それは無いというので、とにかく100元のチケットを売ってもらうことにしてすぐにセキュリティーを通って中に向かう。

前回の様に幕間まで待たされる事なく中に入れてもらえ、そんなに混んでいない3階席の端っこに座ると、丁度プロローグが終わり、バルセロナの街で皆が踊っているシーンから見ることが出来た。バッグの中に忍ばせてきたオペラグラスを取り出して、プリマドンナを眺めてみると、まったく違う重力場にいるようなゆったりとした踊りにすっかり目を奪われる。流石はこの国唯一の国立バレエ団であり、その中でトップを張るダンサーのレベルや相当なものだと改めて思わされる。

結婚を反対する親から逃げるようにして街を離れるキトリとバジルの姿を持って幕が下ろされる第一幕。「下のカフェの前で会いましょう」とメンター御夫妻にメッセージを送り、15分を使い切る為に下に下りてチケットの顛末を説明し、カフェでサンドイッチを法張り、「ゴーン」と鳴り出す5分前のサインでまたエレベーターを駆け上がって3階席へ。

そんな訳で空腹も収まり、やっとオペラの雰囲気にも慣れてきて、オーケストラが奏でるアルファ波にすっかりやられ、2幕開始と共に強烈な睡魔に襲われる。オペラに横になれるベッドが設置されていたらおそらく一番贅沢な睡眠が取れるのでは・・・とあられもない想像をしながら、槍をふりまわすドン・キホーテの姿をうっすらと捉えながら完全に眠りの中に。

気がつくと2幕が終わってしまっていて、すっかり幕中完全に睡眠を取ってしまったが、「これが一番質の高い睡眠だ」と自分を納得し、外にでて食べ残していたサンドイッチを頬張りながら下を見ると、メンター夫妻が自分が下りてくるものだと思ってキョロキョロ探してくれている様子である。

携帯からメッセージを送るがどうも気づいてないようである。しょうがないので携帯に電話するが、オペラハウスということもあり電場状況が芳しくなく、「電波の届かないところに・・・」というメッセージ。しょうがないので、メッセージを再度送って中に戻る事にすると、暫くして「了解」という返信が。

最終幕はなんとか眠気を吹き飛ばし、中国最高レベルのバレエの演技にすっかり心を奪われる。何と言ってもキトリとバジル役の二人が圧巻で、つま先から指先まで神経がびっしりコントロールされている身体から発せられる緊張感がバシバシ伝わってくる。

この幕はどうも結婚式の場面らしく、入れ替わり立ち代り様々な役者が楽しげな踊りを披露していく。その横では主役のはずの・ドン・キホーテがどっしりと座って見物している。そんなこんなでフィナーレを迎え、カーテンコールの最後に後ろからドン・キホーテ役のダンサーが中心に出てくるが、どう考えてもこのバレエの実質の主役はキトリとバジルの二人だろうと思いながら拍手を送る。

その後下のホールで再度落ち合ったメンター夫妻。やはり玄人にとってもこの全てのダンサーの踊りは素晴らしかったようであり、随分と褒めちぎっていた。しかし二人の座った席の後ろの観客が、劇中ずっと喋りっぱなしで、酷いマナーだったようで、係員に言って席を替えてもらったといい、その事に関しては酷く憤慨している様子。

「これからオフィスに戻らないといけないが、2幕ですっかりナップを取れたので少し元気になったから問題ない」と伝えると、二人揃って大笑い。やはり玄人はアルファ波にも抗体が出来ているのだろうと思いながら、今度は週末のString Quartetのコンサートで会いましょうと別れを告げて、少し頭が軽くなった気になってオフィスに戻る事にする。

2013年11月17日日曜日

月壇 (げつだんこうえん 月坛公园) 1530 ★


まるでドラゴンボールでも集めているかのような気分になれる北京の「壇」採集。恐らくスマホでカードゲームにはまる子供や大人も遠かれ近かれ同じような気持ちなのだと思うが、それぞれの場所で壇を体験するたびに、身体の中で何かがスポッと嵌るような気分になれる。

日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
月壇(月坛) 別称を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する

北京を首都と定めた明王朝。皇帝がこの現世を支配するのに相応しいものとして、天と交信をしてこの世の統治の方法を授けられるようにと設けられたのは天と地を司る天壇と地壇。では、その後には「何を祀るのか?」の答えはもちろん太陽と月であった。電気もない時代に、地上を照らしてくれる空からの光はまさに神そのものであったであろう原初的な世界。その神に少しでも近づき、声を聞くために地上より少しだけ高く持ち上げられた壇。

この壇を眺めていると、マヤのジャングルの奥地に設けられた原初的なピラミッドを思い出さずにいられない。どんな段階の文明に置いても、この世を司る天と地、日と月に神聖を感じるのは理性を持つ生物として当然であり、その動きにこの世の真理を見つけようとする。その神を崇めるために、何かしら人工性を持った建築物を持って向き合おうとする。その時に選ばれるのは自然界には存在しない原初的な幾何学の代表である正方形や円形の壇。こうして見ると、この壇にも人類の建築の歴史が閉じ込められているようで面白い。

そんな訳で1530年に建設されたのがこの月壇 (月坛 yuè tán)。太陽が沈んだ後は闇に包まれた当時の北京。そこに火を灯し、闇の恐怖に立ち向かった人々が見上げた夜空に明るく煌く星々たち。その中でも極めて大きく光を放つ月。その月を神とし、夜明神(月)と空に浮かぶ星々を祭ったこの場所は又の名前を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)と呼ばれ、「夕」とは中国語で「夕方,日暮れ」を意味する。

東へと発展する現代の北京。西にはかつてより軍隊の敷地が多く残るので、開発の手が入るのが遅れているという事情はあるにしても、目的がないとなかなか足を伸ばす事がない北京の西。さすがに電動スクーターでたどり着ける距離ではないので、自宅近くからバスに乗り込み、乗客の乗り心地など関係無しに思いっきりブレーキを踏み込むバスの運転の為に、グラグラ揺られて吐き気を覚えながら、とてもじゃないが読書などできずに棒に捕まりながらなんとか耐える1時間。

到着したのは月壇公園駅だが、北京に4か所ある壇のうちで最も小さい公園だけあって、それほど観光地化している訳でもなく、案内板も出ておらず、携帯で地図を見ながら北に位置するチケット売り場へ。地域の住民の憩いの場になっていると言うだけに入場料も1元。ここにくるまで1時間揺られてきたバスも1元。これは都市の流動化を促す大きな要素であると思うので、ぜひ東京も移動にかかる費用を抑える対策を取ってもらいたいものである。

さて、門を抜けて中に入ると、なんとも仄々した雰囲気。バスケットボールで遊んでいる親子の後ろには、如何にもそれらしき門があるが堅く閉ざされている。上を見上げると門の中に聳えている電波塔が威容を誇って見下ろしてくる。「さては・・・」と悪い予感を感じながらも更に南に下って壇探し。

どこまでいっても、整備された庭園が広がるばかりで、否が応でも手元のチケットの裏に示された園内地図と見上げると視界に入ってくる電波塔の関係が気になるばかり。諦めきれずに先ほどの門を北側に回ると明らかに壇のあとだという階段があるが、こちらも堅く閉ざされているので係員と思われるおじさんに聞いてみると、「入れないよ」と言うので、「中の壇は壊されたのか?」と聞くと「知らない」と。

言葉を失いチケット売り場に戻って聞いてみると、随分昔になくなって今は電波塔が建てられて中には入れなくしているという。「それでは、風水都市北京が完結しないじゃないか・・・」とがっくり肩を落として丁度やってきたバスに飛び乗りオフィスに戻る事にする。

東から西は混んでいるが、西から東は空いているようで、椅子に座れるとすっかり冷えた身体に車内の暖房が丁度良く、ウトウトとしているうちにオフィス近くのバス停を乗り過ごしてしまい、ワンブロック歩かなければいけないので、折角ならばと胡同の中に入っていって肉まんとゆで卵を頬張りながらオフィスに戻ることにする。