数年前に足を運んだイベントは、ある映画の試写会。戦後60年を超えて、本格的に戦争を体験した世代が歴史から消えていく中で、国をあげて出来るだけ多くの記録を残そうとする動きの一環で、若きジャーナリストが戦後、自らの意思にて日本に帰国することを選ばなかった人々へのインタビューを元にしたドキュメンタリー映画である。
東南アジア全体に広がった戦場で、様々な想いを抱えて終戦を迎えた人々。昨日まで自分たちを縛っていた常識が、今日にはまった別のものに反転してしまった人々は、ガダルカナルやインパールといったこの世のものとは思えない苦しみとその中での人間の性を経験し、それこそ様々な思いで日本に帰ることを拒否していく。
各地に溶け込んで、各地の人間として生きている80に手が届く当時の若者たち。彼らが久々に発する日本語の中で語られる壮絶な事実。現在からは到底想像もつかない軍の命令。挫折、絶望、後悔。様々な思いが今も昨日のことの様に語られる。
「語らない」のではなく「語れない」のだと世代の背負った宿命を垣間見た気がした一日だったが、その一日がフラッシュバックするような一作。まさに、同じ視点で進められたであろう取材とそこで語られた言葉たち。
その帰り道、どれだけ自分の祖父の世代のことを知らないんだと自分を恥じたことを今でも鮮明に覚えている。
二世代前までは人格を踏みにじるような過酷な状況の中で、自分と年齢が変わらない若者が家族の為に、祖国の為にと命をかけて戦った事実があることすら、まるでネットの中のバーチャルな物語の様に感じる現代に生きる若者。司法試験に落ち続け、それでも必死になることもなく生きていける現代の飽和社会。その若者を歴史を紐解く視線にし、その若者が同じく若者であった当時の祖父の姿を追うことで、「生きる」ことと「愛する」ことに新たなる意味を見つけていく物語。
小説として成功しているのは、時代を超えた若者をオーバーラップすることと、「ゼロ戦」という「メイド・イン・ジャパン」の化け物を軸に物語を進めることで、壮絶な過去のインタビューからさらに奥行きをつくりだしているのだろう。
戦時を語れば、すぐに「右」だ「左」だと隣国の表情を眺めて右往左往する現代。ドイツの様に過去の過ちを確実に清算して新たなる歴史を歩みだすことができずに、いつまでたっても過去にとんでもないことをした国だと隣国からなじられ、祖国に対する愛国心を持つことが難しい時代に育つ子供達は一体どのような大人になっていくのだろうと思わずにいられない。
いつの日か、日本でも「ヒトラー 〜最期の12日間〜」のような映画が、自国産で製作されるような時代が来ることを祈るだけである。