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2014年2月10日月曜日

どこでも道路


実家に帰ってきて街中を車で走っていると、こんな田舎町にも関わらずどこに行っても綺麗にアスファルト舗装され、道路脇にはガードレールと道路標識がしっかりと整備されている風景に驚く。

データを見てみると、2008年の段階で日本の道路総延長距離はロシアやカナダよりも長く世界5位。

世界各国の道路総延長距離

日本の道路の総延長はどのくらいですか? 道路:道の相談室:道に関する各種データ集 - 国土交通省

その国土面積から考えても、一定面積辺りに占める道路面積でいったら間違いなく世界トップクラス。「道路大国」と呼ばれるのに相応しい長さの道路である。

そして問題はその数値に表れてこない道路の質と、道路周りの標識やガードレール、街頭などの付属施設の質。中国やロシアなどの大国では都市部のほんの一部を除いては道路が整備されているといっても、相当に質の悪く、凹凸はあり、ところどころはげてしまっており、もちろんガードレールも街頭も無く、道路標識などは何キロに一つという程度。そう考えてみると、道路一定距離あたりにかけられている費用で考えたら、恐らく日本は圧倒的に世界一であろう。

「道路族」という言葉が示すように、この国ではどこに儲けとなる利権が埋もれているか、それをどうやってうまく自分の儲けにつなげられるか、そういうことを必死に考える人がいて、またそういうことを考えさせたら相当に優秀なものだから、本当はもっと有益に使われるべき税金が湯水の様にそちらに流れてしまうのがこの国の形。

先日巡ってきた山陰地方の山間の集落。そんなところまでまぁ綺麗な道が通っている。間違いなく史上これほど国土を覆う網の目が細かくなり、田舎まで含め日本全国に道路という神経回路が張り巡らされては無い。旅行する身にとってはこれほど便利な事は無いが果たしてそれが本当に必要なものなのかといえば疑問である。

人の神経網も細部の細胞に血液と栄養を届けなければその細胞が死んでしまうからであり、どうにかして循環の一部に取り込まなければ全体が機能しないからである。そう考えると同じように、どんなに限界を迎えた集落でも、やはり全国の交通から隔離する事は出来ず、どうにかその一部に接合しているべきである。

しかし、それが世界のほかの国の首都のど真ん中にある道路よりも綺麗に整備され、過剰な周辺設備も付加されている必要があるかどうかはまったく別問題。恐らく余りに暗く、夜道の運転で事故が起こり問題が発生した時に責任を逃れるためにか、とにかく交通量などは関係なく全国共通仕様で纏めましょうということなのだと想像する。

住んでいる北京では、中心の紫禁城のすぐ脇の道でも、スクーターで走ってもボコボコな道だったりするが、恐らく山陰の山奥の道のほうがよっぽど綺麗な道になっている。間違いなくこれから限界集落を超えて極点集落が増加し、高齢者も減っていく縮小社会に突入していく日本。

その中で今までの経済体制、儲けや利権構造を守る為に、過剰に必要以上な道路を作り、また直して整備していくこの国の建設・土木産業の形。そんなことをしていれば、それはお金がかかるだろうし、本当に必要なところにお金が届かないというのもしょうがないと思わずにいられない。