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2015年2月19日木曜日

建築士定期講習 2015

3年という月日はあっという間だと教えてくれる、そんな区切りがあることはいいことだと思う。その一つがこの建築士定期講習。

普段からよく思うのだが、例えば医者。人の命を預かる大切な職業であるだけに、基本的な知識とともに、日々進歩する技術において最先端の知識を常に学び続けなければいけない職業であるが、それがどのように資格として担保されているのか?

それが国家資格として医師と呼ばれるために国家試験を受けて、その後はある程度個人に任されてしまい、大学病院など大きな組織に属しており、組織が体系立てて常にメーカーから新しい技術の講習を受けたり、製薬会社が主宰する勉強会などで新しい薬の知識を得たり、もしくは自身でいろいろな本をを読んだりして新しい社会の病気のあり方を学ぶ。

そんな最近流行の「意識高い系」の人ばかりとは限らないのがこの世の中。

下手すれば、何十年前にパスした国家試験の内容の知識で、あとは日々の診療という日常の中での経験だけに依拠し、それこそ何十年も前のカビの生えたような能力で診察を続けているという人だっているはずである。

能力を高めるためには、新しい知識を吸収するのと、日々同じことの繰り返しの中で修練する二つがあるとすれば、もちろん日常の中で様々な症状を見ていく中で修練されていく能力もあるに違いないが、それと同時に新たなる知識を更新していくのも確実に必要である。

またこの修練というものも、その環境によりまったレベルの違うものになってしまう。自分では随分レベルの高い日々を送っていると思っても、より大きな組織で、より競争の厳しい世界にさらされている人々に比べたら、何倍も遅いスピードで、まったく緊張感の無い中で時間をすごし、結果的職能としてまったく低いままの状態を維持すること、もしくは能力の維持どころか、かつての能力よりもずっと右肩下がりに落ちていることだってあるのかもしれない。

それが「技能」を保障されてそれを糧に社会から報酬を頂く技術職としてのあくなき葛藤であろう。ある程度までは資格というもので技術を担保するが、その先その人が技術をさらに伸ばしていくか、社会の変化に対応しただけの能力を身に着けていくか、資格を確保したときと同じだけの技術を維持していくか、それらはすべてその個人に拠ってしまう。

それを社会として確実に担保していくには、数年おきにその有資格者に対してある程度の確認作業を行い、彼らの技能が一定レベルと確保していると保証することが必要となる。

建築という、同じくかなり複雑で多岐に渡る技能を持って社会に向き合っていく職業を糧をしていると、上記の葛藤に常に悩まされることになる。

建築といっても、人によってはまったく設計をせずに何十年も自分を建築家と呼ぶ人もいれば、資格を取っても一度も図面すら引かない人もいる。そうかと思えば、施工とはかけ離れた表層的なことを日々の生業にしている人もいれば、逆に技術的な図面ばかりに向き合う人もいる。

それだけ分野内において細分化が行われている現代の中で、1から10まで一人でやり、しかもそれを長い年月において「やり続ける」というのはなかなか厳しいというのも事実である。しかし、「建築家」として社会に認められる上では、有資格者として最低限の技能を一定レベル以上に保つための努力はしなければいけない。

そんなに起きた姉歯事件。「プロフェッショナル」という特殊技術を糧に社会に奉仕するための技術者が、その職業倫理を守ることができなかったという事件以後、国家としてどのように資格者の技術レベルの担保を行うのかという議論の果てに義務付けられた3年ごとの講習会への参加と、その講習会の最後に行われるテストをパスすること。

あってしかるべき動きであると思う。

そんな訳で一番最近に受けた講習より3年以内に再度講習を受けなければ行けなく、また講習が受けられる場所も決まっているために、随分早く予約を入れることになる。講習内容といえば朝の9時から開始して、各コマ1時間の授業で間に10分の休憩。モニターを使った録画講義を元に手元のテキストを確認していき、職業倫理や最新の事故事例、新しい技術や素材の授業をみっちり受けることになる。

一級建築士という資格上、会場に来ているのも人の年齢層もやはりそれなりに高いが、誰もが集中して授業内容を聞きながら、最後のテストに向けて重要項目に線を引いている様子である。

そんな中、テレビ講義の中で講師として登場しているのが、大学で教わっていた先生であったり、また会場にもかつて学校で教えていたときにご一緒させてもらっていた先生がいたり、かと思えば同時期に資格に受かったかつての仲間の顔があったりと、なんだか懐かしい気分に浸りながら夕方の17;20分まで濃密な時間をすごし、職業人としての能力を少しだけ向上した気分で会場を後にする。

2014年3月28日金曜日

プロフェッショナルの言葉

自分は何気なく発言した言葉でも、ある専門職についているという理由から、周囲の人に思わぬ影響を与えてしまうことがある。本人は軽い冗談で発したことが、受け取る側にとってみればかなり重い意味を持って心に残ってしまうことがある。

例えば医者をしている人間が、肩の痛みに悩む友人に、症状を聞き、考えられる可能性を説明し、どうすれば改善されるかのアドバイスをする。そんな簡単なことだが、原因と対策がはっきりとした友人にとっては日常を覆っていた靄を振り払ってくれる大きな助けになることだろう。

こうした良い影響を与えるプロフェッショナルの言葉もあれば、当然ながら悪い影響を与えてしまうものもある。

例えば、建築家が友人の家を訪れて、壁などをコンコン叩きながら家を周り、意味深に「なるほど、今はいいけどね・・・」なんて言ったらその家の主人は気になってたまらない。それでも、「いや、気にしないで」と返された日にはその後数日はかなりのストレスのもとで生活することになる。

問題があるのかどうか、何が問題なのか、その問題はどれくらいの大きさなのか。専門外の人であればあるほど、専門家の言葉の意味は大きくなってしまうものである。

そのことをしっかりと理解して日常を過ごすこともプロフェッショナルとしての責任であろう。

2014年3月19日水曜日

内視鏡検査 

本日は内視鏡検査に腸の検査と、胃カメラによる胃の検査。数週間前から続く下血の様子が怪しいので、胃癌を患った一親等もいるということで、この歳で一度両方とも検査をしておくといいという医者の勧めに従って、アメリカ資本の先端の病院で検査を受けることにする。

さすがにアメリカ資本ということだけあって、治療も保険での支払いが可能かどうかが確認できない限り受け付けないという。幸い近しくお付き合いさせてもらっている友人が医師として勤めている病院でもあったので、話をつけてくれて比較的スムースに手続きが終わり、英語の流暢な中国人の医師に診察をしてもらう。できるだけ早めに胃カメラと内視鏡検査を行うことになるが、その検査の日を決めるにも、保険が降りるかどうかの確認が取れなければいけないということで、数日後に改めて電話するという。

国民皆保険に慣れた日本の生活からすると、「この時間の間に病状が悪化したらどうするつもりだ」と怒りたくもなるが、基本のベースを抑え、あとは高い値段を払って保険に加入して自己責任で医療を選択するというアメリカナイズされた病院の現場を見ると、いったい何がいいのかと考えずにいられなくなる。

そんな訳で一週間後に検査を予約し、「当日は全身麻酔をしますので、マンションの契約や高額の買い物などは控えるようにしてください」という医者の言葉に、「そんなに蓄えないので大丈夫です」と恐らく9割の人が同じ言葉を返すだろうと思われる内容を中国語で伝え、少々気恥ずかしくなりながら、検査の3日前から始める繊維ダイエット、前日からの絶飲絶食、それに前日夕方からの下剤の説明を受けて帰宅する。

そして迎えた前日。恐らく内視鏡検査は以前に東京でも受けていたはずだが、これほど下剤が苦しいという記憶はなかった。1リットルの水に粉上の下剤を溶かしてとにかく飲む。「2袋目から効果がでてきますので」という言葉が間違いでなく、コップ一杯飲んではトイレに駆け込んで、泣きそうになりながらまた水を飲むという繰り返しで、なんとか飲みきったと思ったら、一時間後の次の下剤の時間がもうすぐに・・・・

「こんな苦しい思いをするなら検査なんか受けなくても・・・」と思うくらいの強烈な下剤。夜もほとんど眠れずに朝の分の下剤の時間。横でスースー寝ている妻の姿をやや恨めしく思いながらなんとか課せられた4袋を消費する。午後からの検査のために、何かの勉強会に参加するという妻を見送り、一人ふらふらしながら時間を過ごし病院へ。

直接胃腸科の受け付けに行くと、着替えをさせられすぐに診察台に。医師と看護婦合わせて10人近い大所帯。簡単な説明を受け、口に管を加えさせられ、しばらくすると意識がなくなる。気が付くと「すでに終わりました」とどれくらい時間がたったかも分からない。「これが現代の医療か・・・」と少々ふらふらする身体をお越し、やってきた妻と一緒に説明を受ける。

「胃と腸に小さなポリープが見つかったので切っておきました。それを今精密検査して調べていますので、結果が出次第連絡します。でも大きな問題はないかと思いますよ。これはあなたにとって良いニュースですよ」という医師の説明を受け、ふらふらになりながら、やっと食事がとれるという生物としての根源的な喜びを感じながら病院を後にする。

2013年8月15日木曜日

お世話になりたくない職業


世の中にはできることならお世話になりたくない人たちがいる。

その代表格は、警察、医者、やくざ、弁護士。

そういう職業の人は、世間が「できることなら関わりたくないな・・・」とあなたに対して思っているということを考慮にいれて、世の人と接するべきであると思う。

何気ない言葉一つでも、ネガティブなイメージを抱いている人にとっては、更に疑念が膨らむばかり。それを払拭すべく、余計なこともできるだけ丁寧に説明してあげることが相応しい。

では建築家はどうか?
世の中の建築家に対するイメージは一体どんなものか?

そう思って友人と話していると、「建築家で悪い人を見たことがない」という。
「では、悪かった人の職業はなんだった?」と聞くと。
「うーん、銀行員、金融関係、会計士」などと結構あがってくる。

確かに建築家になるためには、長い専門教育を受けることになる。その中で本当に実務に必要なことは教えればいいのだが、教えることなく、それよりも建築が社会の中でどういう意味を持つか?建築が社会を良くするにはどのようなことができるか?それでは、現在の社会の問題とは何か?なんていう社会性を嫌と言うほど聞かされるからであり、そういう考え方が建築をやっていく上で大切なんだと刷り込まれる。

そして社会にでたら、人生のある種の成功を空間と言う形に変換しようとするクライアントとバチバチやりながらも接していく。決して人生に疲れて、出口が見えなくてどうしようもなくなっている人と接することもなく、またお金という直接的な価値を追求するようなタイプの人間に接する機会も少ない。

ある意味温室育ちの職業人ということになるのだろうが、そこから培養されるのは、「都市空間を如何によくすることができるか?」
「この街が100年先も生き生きと人々をさせられるためにはどうしたらよいか?」
「世界的なエネルギーの問題に対して、建築が今何をすべきか?」
なんていう問題を日々考えながら生きていくことになる。

もちろんその中には、「如何に自分が有名になるために、お金を稼ぐために、どのように振舞ったらいいか?」を考えて狡賢く生きる建築家もいるが、比較的少数派であるだろうと思われる。

しかしそんな純朴な建築家は、狡猾な他の職業に比べたら社会的報酬は世のイメージに比べ遥かに少なくなるのも事実。それでも「お世話になりたい職業」としていられることを喜びと感じながら生きていくのが大切なのだと再認識することを経験する一日。

2013年6月23日日曜日

「神様のカルテ」 夏川草介 2011 ★★

北京で開催されている半年間の「园博会」。ガーデンの博覧会というが、半年間弱の開催にも関わらず相当な規模のものになっている。せっかくだからと妻と妻が相互学習をしている中国人の友人カップルと一緒に足を運ぶことにする。

しかし、会場が北京西部の相当遠い場所にあるから、家からたっぷり2時間ほど電車に揺られながら行くことになるのだが、早起きにも関わらず、揺れる社内で眠りをむさぼることも出来ずに、しょうがないのでとほとんど社内で読みきってしまった一冊。

「専門職」に就いている人間が、現場の現実と理想の狭間の苦悩を、自分を投影しつつ作り上げた第三者としての主人公の口を借り、世に問いかけるのはよくあるパターン。

作家としてではなく、一人の読書人として、今までの人生の文学的蓄積を存分に発揮し、「仕事」としてではなく、「喜び」として書き上げる一冊。それが感じられる、人生が濃縮されたような豊穣さを感じる。

1978年生まれという現役のお医者さんという作者。2009年に刊行されたということは、2007年には十分に書きあがっていたと想定すると、当時は29歳。順風満帆に24歳から研修医を終え数年を経たであろうその時期は、まさに主人公と同じように医者としてのキャリアとしても無我夢中な時期からやや抜け出した時期に違いない。

その年齢で医者としてどれだけの技能レベルに立っているのかは分からないが、もし建築家であるならば、社会にでて建築の実務に就くようになって6-7年。働く場所にもよって違うであろうが、まともに働く人なら、木造やRC造の住宅くらいなら一人で何とか設計から確認申請、現場監理までなんとか見れるようになっている頃かと思うが、同時に自分がどれだけ建築家として能力が足りていないか、建築のことをどれだけ知らないかを思い知りながら毎日を過ごしているころでもあるだろう。

それでも見えてくるかつて抱えていた理想と、毎日見つめる現実の風景とのギャップ。それに葛藤する気持ちと、グルグルと中々前に進まない自分のキャリアへの苛立ち。自らの職能を理系と文系の幸福なる融合を体現するものだと偏ったスター建築家崇拝に染まった教育をどっぷり受けながら、それなりに社会学や哲学なんかの文学体験も経てきているので、らしい文章は書けるようになっている頃合。

その時期に心の中を閉めつくす青臭い気持ちを建築の世界を舞台とした小説で表現するとしたら、一体どれだけ職能人としての自らの無能さを呈してしまうのだろうと感じるであろう恐怖。

しかし、職業人として感じる思いはその時々に変化して、その気持ちに向き合うことができるのは人生にその時しかないのであれば、そんな恐怖に絡められるよりも、思いに突き動かされながら言葉を紡ぐことは決して悪いことでもないのだろうと思える、心が暖かくなり、また松本城が見たくなる信州の物語。




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第10回(2009年)小学館文庫小説賞受賞作
第7回(2010年)本屋大賞第2位
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