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2016年2月12日金曜日

ビーコンプラザ 磯崎新 1995 ★★


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所在地  大分県別府市山の手町
設計   磯崎新
竣工   1995
機能   展示施設・コンベンションセンター・市民ホール
規模   地上2階
延床面積 2,892m2
構造   RC造
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第37回(1996年)BCS賞受賞
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中津から再度大分方面に向かい、手前の別府にて高速を下りる。モクモクと湯けむりを立ち上げる煙突があちこちに見える坂の町を抜けて目指すは大分出身の磯崎新が設計した複合施設・ビーコンプラザ。

1960年 大分医師会館 (29歳)現存せず
1966年 大分県立大分図書館(現アートプラザ) (35歳)
1966年 福岡相互銀行大分支店 現存せず
1970年 日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置 (39歳)
1972年 福岡相互銀行本店(現西日本シティ銀行本店) (41歳)
1974年 群馬県立近代美術館
1974年 北九州市立美術館
1974年 北九州市立中央図書館
1983年 つくばセンタービル (52歳)
1985年 ザ・パラディアム
1986年 新都庁舎コンペ案
1986年 ロサンゼルス現代美術館(アメリカ)
1987年 お茶の水スクエアA館(カザルスホール)
1987年 北九州市立美術館アネックス
1988年 東京グローブ座
1988年 ハラ ミュージアム アーク (57歳)
1990年 水戸芸術館 (59歳)
1994年 奈義町現代美術館・奈義町立図書館 (63歳)
1995年 京都コンサートホール (64歳)
1995年 ビーコンプラザ (64歳)
1998年 秋吉台国際芸術村
1998年 なら100年会館
2002年 セラミックパークMINO (71歳)
2007年 イソザキ・アテア(ビルバオ、スペイン)
2008年 深圳文化中心
2008年 中央美術学院美術館
2009年 中国湿地博物館 (78歳)
2011年 ヒマラヤ芸術センター (80歳)
2014年 上海交響楽団コンサートホール(中国)

プロジェクトリストを見ると、水戸から5年。京都コンサートホールと同時進行していたプロジェクトで、円熟期の作品と分類できるものであろう。機能としては、市民ホールと県立のコンベンションセンターと、市と県の施設が同じ建物の中に共存するという非常に珍しいタイプのもであるが、市民ホールはフィルハーモニアホールとも呼ばれ1200席近い客席を持つ音楽専用ホールとなっており、「水戸の次で京都も同時にやっていたなら、ひょっとして・・・」と思ってみてみると、やはり音響設計はお馴染みの永田音響設計によるもの。ならば音は間違いないだろうから、ぜひとも一度コンサートを体験してみたいと思うが、どうやら今は建物全体の改修を行っているようで、様々なところで足場が組まれている。

逆にコンベンションセンターは最大8,000人収容のコンベンションホールと大中小の会議場から構成されており、現在オフィスで進めているコンベンションセンターの為にと案内図を見て動線やら配置を勉強する。

この建物でなんといってもすごいのは、三角形をした敷地の頂点に立つ「グローバルタワー」という高さ125mの展望台。別府市のシンボルとなっていた別府タワーに取って代わり、すっかり別府の新しいシンボルとなっているようである。チケットを購入してエレベーターで到着するのは100mに位置する前面ガラス張りの展望デッキ。しかも上はワイヤーが張ってあるだけでそのまま空に続いている・・・。まさに360度別府の街を見渡せるのだが、高所恐怖症にはやや厳しい・・・。

スリムな階段で下りるとそこには下りのエレベーター乗り場があり、動線が絡まらないようにと配慮されているが、一体ここには同時に何人乗ることができるのだろうかと怖くなりながら下りていく。なんでもこのタワーは隣接する緑豊かな別府公園の中心ちから丁度500mのところに位置しており、まっすぐ伸びるエレベーターとその後ろに円弧状になっている構造体とでタワーが成り立っているのだが、この円弧がその半径500m(直径1km)の円の一部を切り取ったものとなっているという。

「なるほど・・・」と思いながら、強風や激しい雨の時には営業と停止するという展望台に登れたことだけでもラッキーかと思いながら、建物を後にすることにする。

































2015年3月15日日曜日

白塔寺(bái tǎ sì) 妙应寺 1096 ★★★


海外に行き、旅行者として毎日を限界まで最大化して色々なものを見て周る時間を過ごすと、日常においても、旅行者の視線を忘れずいれば、様々な発見があるのではと毎回の様に思うことになる。そして毎回の様に暫くはあくせくと彼方此方を巡ることになる。

そんな訳でなかなか足が伸びない西側を巡ることにし、最初の目的地としたのがこの白塔寺(bái tǎ sì)。正確には妙応寺の一部としての白塔であるが、北京のシンボルともなるほど有名なため俗称として白塔寺と呼ばれている。

そのいでたちから分かるようにチベット式の仏塔である。元は遼時代の1096年に寺院が建設され、元時代の1275年にフビライ・ハンの命により白塔の建設がされる。その時の寺院名は大聖寿万安寺とされていたが、後に火災にあい再建された1457年に現在の妙応寺と改名され現在に至るという。

周辺が昔ながらの胡同に囲まれ背の高い建物が無いため、周辺のどこ場所からもこの特徴的な白い塔が視界に捉えることが出来その景色は北京っ子の原風景ともなっている。この寺院から少し北に建設された周囲の身体スケールと胡同と白塔寺の風景を破壊するように建てられたソーシャル・ハウジングは、多くの批判に晒されたとも聞く。

そんな北京と言えば思い浮かべる風景の一つである白塔寺。内部は博物館として開放されているのだが、現在は修復の為に中に入ることが出来ないため、周辺の路地を歩き、様々な日常風景からみあげる白い塔を眺めることとする。






2014年2月4日火曜日

倉吉大店会(くらよしだいてんかい) 山田幸一 1908 ★

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所在地  鳥取県倉吉市魚町
設計   山田幸一(大工)
竣工   1908
機能   レストラン(元銀行)
規模   地上2階
構造   木造・土蔵造
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倉吉市の中心部には近代建築が良い形で保存され残っているというので、現代建築ではなく、伝統的建築でもない目的地が幾つかリストに上がってくる。これは裏を返せば、街が高度経済にのり、バンバンとスクラップ・アンド・ビルドの開発を繰り返して、価値のある近代建築を取り壊してしまうという、他の多くの地方都市が通った道をこの倉吉が通らなかった。つまりは、そこまで過度な開発、資本主義の手に染まることなく、自身の風土にあった街の規模を維持しながら現在までコツコツと発展してきたことに他ならない。

そう考えると、中心部にも背の低い建物がならび、築50年以上になる行政施設が取り壊され高層化され建てかえられることもなく、中心の打吹公園周辺に今も残っているのもまた、この街のありのままの姿を見せてくれているのかもしれない。

街に住まう人にしてみれば、街がもっと発展して、もっと人口が増えてくれれば、便利な生活が・・・という声もきっとあるに違いないが、それでもこの街の規模と風景を愛してこの街に行き続けている人がきっと多く残っている街なのだと勝手に思い込むことにする。

この倉吉も、江戸時代までは旧国である伯耆国(ほうきのくに)の東に位置し、東伯耆の政治経済の中心地として栄えるも、近代交通、つまりは鉄道と高速道路網の要所から外れた為に、近代の発展の波に飲み込まれることなく、往時の古い街並みを現在に残すことになる。

つまりは古代の徒歩と馬や船を中心とした交通網から、近代の汽車と車へとシフトしていくなかで、交通網が変化し、かつての要所が取り残されるようにして、かつては栄えていたが、現代ではそれほど重要な産業があるわけでも無いにもかかわらず、それでも古い街並みを残しているという街は日本中に多く残る。

完全に過疎化が進むわけでもなく、それといって何処にでもある郊外都市になる訳でもなく、小規模ながらかつての面影を残し、風土を感じさせてくれる風景を残した街に出会うのは、かつての日本に紛れ込んだようななんとも嬉しい気分にさせてくれる。

打吹城の城下町として旧街道である「倉吉往来」が街の中心部を東西に横切っている。その通りに面して残っているのが、保存されながらも今でもしっかりと使われている倉吉大店会(くらよしだいてんかい)。

元々は国立第三銀行倉吉支店として、大工の山田幸一によって1908年に作られるが、木造の擬洋風のデザインは様々な用途を経て、倉吉の一つのシンボルとして現在もレストランとして使われているという。

本来ならば中で温かいコーヒーで身体を温めたいと思うところだが、狭い旧街道沿いということと、今も街の中心部として活発な地域だけあり、駐車場が整備されている様でもなく、しょうがないので車の中からちらりと眺めながら次の目的地へと向かうことにする。