国土の中で養われてきた自然と建築との関わりをダイレクトに身体に感じるために、寺社仏閣などを回るのがかなり有効的だと思っているが、それと同じくらいに有効なのが時の権力者達の作り出した建築。
その際たるものが古の都・京都に鎮座する御所を筆頭とする天皇家一族に関連した建築郡。ブルーノ・タウトを驚愕させた桂離宮をこの中華新年に訪れたイタリア人スタッフは、「モダニズムよりも遥かにモダニズムだ」と、未だに興奮冷めやらない様子。
それだけに留まらず、日本の様に起伏に飛んだ地形の国で、戦乱の世を勝ち抜くために開発された城郭建築郡。日本のあちこちに散らばるこれらの城こそ日本独特の地形を読み解き、その地形を拡張させて建築化して、戦闘と防御に特化した建築様式を作り出していく過程で、まさにこと細かく地形を読み解き、場所の力を具現化されたものだったに違いない。
日本のあちこちで、戦略的意味だけでなく物流の拠点としても重要な意味を持つ特別な場所を押さえ、現代でいう都市計画の拠点となっていく城郭建築。山城から平城まで防御から領主の屋形、ひいては地域の拠点として役割を変遷していくなかで、寺社仏閣に劣らず地域の良質な場所をその建築場所に選定されたことは想像に難くない。
そう評価していくと、現代でも街の中心に城を構える都市は、かつて栄えた時から拠点を移すことなくそのまま土地の力を活用しながら現代まで発展を続けていることになる。つまりは昔の人々が感じた、そして見つけた土地の力を具現化して立てられた城の様に、力強い土地の力を受けつづけ現代を生きている都市ということになる。現代にとってつけたように、「開発」というかつての人にとっては価値を見出せなかった場所に、無理やり近代のシステムの最たるものである「鉄道」を敷き、価値を植え付け「作り出された」新しい都市とはその成り立ちにおいて確固たる差異があることになる。
そんな訳で百名城だけでなく、各地の名所となっている百景や、山登りのためにと100名山などの場所も含め、自らのGoogle Mapにマッピングしたのは既に6,7年前で、それらのアイコンも徐々に「既に訪れた」赤色へと多くが変わっていっている現在、さて次にマッピングすべきはどんな場所だろうと頭を巡らせる。
そして次にくるのは各地の風景の拠点ともなる「公園」空間。その土地土地に生まれ育った人ならば、遠足や遊びの中で当たり前の様に身体に取り込んでいるその風景は、その土地以外で育ち、移り住んできた人々にとってはなかなか入っていきにくいし、その場所が土地の中で持つ意味を捉えにくい。東京で言えば、大学あたりから移入してきた人々にとっても馴染みが深いものといえば、代々木公園、日比谷公園、井の頭公園程度で、生活レベルに合わせてそこに世田谷公園や砧公園、上野公園、芝公園、青山公園などが入ってくる程度で、水元公園や舎人公園などは何らかのきっかけでその地に住まない限りほとんど知られることのない存在であろう。
しかし城や寺社に負けず劣らず、アースダイバーではないが、川や池、森や丘が作り出し、近代以前の街づくりでも庭園や憩いの場として場所の心地よさを評価され整備された場所があり、近代になりより統計的かつ計画的に整備され、地域のコミュニティを形成する上で大きな意味を込められて作り出された特権的空間であったはずである。そう考えいけばいくほど、これは無視できない存在だということになり、東京中の有名公園をマッピングし、日本中に広げて「日本の都市公園100選」などもマッピング。
そうしてみるとやはりかなり知らないところが多いことに気がつかされる。グローバリゼーションで世界は狭くなったはずが、まだまだ深くなることが可能だということかと、今度は「にほんの里100選」などに手を伸ばし、まだまだ控える100選リストを頭に入れながら、これで次に行くべき場所の再選定が必要だと想いをめぐらせる。
その際たるものが古の都・京都に鎮座する御所を筆頭とする天皇家一族に関連した建築郡。ブルーノ・タウトを驚愕させた桂離宮をこの中華新年に訪れたイタリア人スタッフは、「モダニズムよりも遥かにモダニズムだ」と、未だに興奮冷めやらない様子。
それだけに留まらず、日本の様に起伏に飛んだ地形の国で、戦乱の世を勝ち抜くために開発された城郭建築郡。日本のあちこちに散らばるこれらの城こそ日本独特の地形を読み解き、その地形を拡張させて建築化して、戦闘と防御に特化した建築様式を作り出していく過程で、まさにこと細かく地形を読み解き、場所の力を具現化されたものだったに違いない。
日本のあちこちで、戦略的意味だけでなく物流の拠点としても重要な意味を持つ特別な場所を押さえ、現代でいう都市計画の拠点となっていく城郭建築。山城から平城まで防御から領主の屋形、ひいては地域の拠点として役割を変遷していくなかで、寺社仏閣に劣らず地域の良質な場所をその建築場所に選定されたことは想像に難くない。
そう評価していくと、現代でも街の中心に城を構える都市は、かつて栄えた時から拠点を移すことなくそのまま土地の力を活用しながら現代まで発展を続けていることになる。つまりは昔の人々が感じた、そして見つけた土地の力を具現化して立てられた城の様に、力強い土地の力を受けつづけ現代を生きている都市ということになる。現代にとってつけたように、「開発」というかつての人にとっては価値を見出せなかった場所に、無理やり近代のシステムの最たるものである「鉄道」を敷き、価値を植え付け「作り出された」新しい都市とはその成り立ちにおいて確固たる差異があることになる。
そんな訳で百名城だけでなく、各地の名所となっている百景や、山登りのためにと100名山などの場所も含め、自らのGoogle Mapにマッピングしたのは既に6,7年前で、それらのアイコンも徐々に「既に訪れた」赤色へと多くが変わっていっている現在、さて次にマッピングすべきはどんな場所だろうと頭を巡らせる。
そして次にくるのは各地の風景の拠点ともなる「公園」空間。その土地土地に生まれ育った人ならば、遠足や遊びの中で当たり前の様に身体に取り込んでいるその風景は、その土地以外で育ち、移り住んできた人々にとってはなかなか入っていきにくいし、その場所が土地の中で持つ意味を捉えにくい。東京で言えば、大学あたりから移入してきた人々にとっても馴染みが深いものといえば、代々木公園、日比谷公園、井の頭公園程度で、生活レベルに合わせてそこに世田谷公園や砧公園、上野公園、芝公園、青山公園などが入ってくる程度で、水元公園や舎人公園などは何らかのきっかけでその地に住まない限りほとんど知られることのない存在であろう。
しかし城や寺社に負けず劣らず、アースダイバーではないが、川や池、森や丘が作り出し、近代以前の街づくりでも庭園や憩いの場として場所の心地よさを評価され整備された場所があり、近代になりより統計的かつ計画的に整備され、地域のコミュニティを形成する上で大きな意味を込められて作り出された特権的空間であったはずである。そう考えいけばいくほど、これは無視できない存在だということになり、東京中の有名公園をマッピングし、日本中に広げて「日本の都市公園100選」などもマッピング。
そうしてみるとやはりかなり知らないところが多いことに気がつかされる。グローバリゼーションで世界は狭くなったはずが、まだまだ深くなることが可能だということかと、今度は「にほんの里100選」などに手を伸ばし、まだまだ控える100選リストを頭に入れながら、これで次に行くべき場所の再選定が必要だと想いをめぐらせる。