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2014年4月8日火曜日

Narkomfin building モイセイ・ギンズブルグ 1932 ★★★


メルニコフ自邸から北に向かい再度西に向かって有名なスラブ状の巨大スケールの集合住宅が落とす影の中に吸い込まれながらさらに北に向かって目指すのは、次なるセブンシスターズである文化人アパートエリア。その手前にあるのはロシア構成主義の傑作である集合住宅。しかしここらへんになるとかなり専門的になってきてしまう。

共同主宰する建築オフィスMAD Architectsでは、オフィス内でリサーチに特化したグループを立ち上げ、進行するプロジェクトとは別にテーマを持って様々なリサーチをし、それぞれのテーマごとにオフィスとしての結論をだし、そしてプロジェクトという形で答えるという活動を始めている。

それぞれのテーマが今後は進行する各プロジェクトにフィードバックとして与えられ、オフィスの方向性を強化する目的がある。ほとんどのオフィスはやはり日常業務に追われ、どうしても体系立てたリサーチを行いたいと思っていても、どうしても後回し後回しで結局手つかずになってしいがちであるが、やっとそれを体系立てて専属のメンバーを数人確保してリサーチを進めている。

その最初のテーマが「Social House」。日本語にすると公営住宅、つまり団地ということになる。都市部への人口集中が止まらない現代の社会において、新しい都市環境に適し、現代のライフスタイルを反映し、最新の技術を採用した新しいタイプの「Social House」とはどんなものかを考えるために、歴史の中で集合住宅や団地がどのような社会的問題を背景して計画され、どのような問題点を建築がターゲットとしたか、そしてどんな建築的言語、そして技術を背景として、どんな解決策を建築家が提案してきたのか。

もちろん社会的背景は時代と国によって違ってくる。幸いながら、それだけの多様性をカバーするだけの国際性に富んだスタッフがいるので、台湾とロシアの女性スタッフが中心となり、ジョン・ウッドのクレセントから産業革命を経たロンドン。スラムと疫病が蔓延する劣悪な住環境を解消し、管理の行き届く快適な労働者の住環境を整えることがより効率的な生産性につながるとされたルドゥーによるショーの製塩工場の発展形である様々な形のロンドンの「Social House」。

人類史上初となる世界大戦を終えた各国が、復員兵士たちへの住居を短期に大量に作り出さなければいけなかった全世界的な背景から作り出した機能的で標準性を持った住宅。その中でもマルクスに率いられた新たなる社会革命を目指したソビエトで掲げられた新たなる社会への新たなる建築のあり方を目指したロシアン・アヴァンギャルド。そしてその後再度訪れた第二次世界大戦とその後の住宅ブーム。

そんな流れをほとんど各国出身のスタッフにリサーチをしてもらい、それを説明して一つの資料としてまとめていくと、今まで理解していた流れとはかなり違った視点を得ることができる。

数日ごとに厚みを増していくリサーチ。フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、スペイン、アメリカ、ブラジル、日本、中国、等々。各国で各時代にどのような問題を抱え、どのような技術的革新を背景に、どのような解法が取られたのか、多国籍のスタッフがいる環境だからできる深みのあるリサーチ。これはどんな大学の授業よりも面白いのではと思いながらリサーチのレビューをしていく。

基本的には日本で出版されている集合住宅関係の歴史、資料を基にリサーチを開始するのだが、各国での事情やさらに細かいプロジェクト例など今まで自分が知らなかったことやプロジェクトを目にすることになる。それは建築家にとって非常に楽しい作業である。それらの資料をさらにそれを編集していく。

その中でも際立つのがやはりソビエトでの新しい建築への探求を行ったロシアン・アヴァンギャルド達の激しさ。これらを詳しく見て、しかもかなり早い段階でコルビュジェもロシアを訪れてこれらの実験的な住宅作品を見て、その可能性を理解していたと知ると、その後のユニテにつながるコルビュジェの作品もかなり違って見えてくる。

建築に関するオリジナリティはかなり怪しいもので、全世界の建築家による集団知の蓄積によって徐々に次世代へのブレイクスルーが準備されるものであるが、それにしてもこの時代にソビエトで積み上げられた蓄積の厚さにはほとほと舌を巻くことになる。その後の流れはほとんどこの時期のソビエトでやられていたんじゃないか。しかもそれぞれの内容がまさにアヴァンギャルド。なんでもやってみる。

その後のチーム・テン、CIAM、メタボリズムさえここに発芽があったのではと思えるほど多様な建築言語。そして社会的提案。ピロティ、スキップフロア、機能別ゾーニング、分離棟、等々。

そんな訳でモスクワに足を運んでこれを見逃す手はないという建物がこの「Narkomfin building」。ロシア構成主義の指導者でもあったモイセイ・ギンズブルグ(Moisei Ginzburg)の意欲作。大地から持ち上げられたピロティ、機能別に分けられたアクセス棟、1階と4階に設けられたアクセスフロア、ロフトを持った内部空間、等々とにかく意欲的。

という訳で、この今ではボロボロの建物は建築家にとってはかなりの記念碑である訳である。ランドスケープを専攻するオーストラリア人にはやはりちょっと分かりずらいようであるので、簡単に説明するが、どうもピンとこないようである。しかしこの内容を英語で説明するのはやはりかなりしんどいので、軽く切り上げて100年近い時間を経たこの記念碑を写真に収めることにする。