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2015年2月21日土曜日

潮江天満宮(うしおえてんまんぐう) 905 ★


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所在地 高知県高知市朝倉
主祭神 菅原道真公、高視朝臣(道真の嫡男)
社格   旧県社、別表神社
本殿の様式 三間一戸入母屋造
創建  905
機能  寺社
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予定には入ってなかったが、どうやら高知市に住まう人が初詣に行くとしたらかなりの確立でこのお宮があがるようである。せっかくだからと山内神社から鏡川の対岸に渡ると、競輪場と野球場などの体育施設が集まる地域をぐるりと巡りたどり着くのがこの潮江天満宮(うしおえてんまんぐう)。

天満宮と言うとおり、全国に多くみられる菅原道真を祭神とする神社である。901年の昌泰の変により道真が左遷され、その息子である菅原高視も土佐権守として左遷させられ、この土佐国潮江に移り住んだと言う。

その2年後の903年に道真が亡くなり、その遺品である観音像が息子の元に届けられ、それを祀るようにと創建されたのがこの地の天満宮だという。道真が亡くなった後に京の平安京で起こった天変地異の中、落雷で時の大納言の藤原清貫が亡くなったことから、道真を雷の神様である天神と同一視して祀るようになっていく。

「天満」の呼び名は、道真の死後に送られた新号である「天満(そらみつ)大自在天神」から取られたとされている。知られる通り、道真が優れた学者であったことからこの天神・道真を「学問の神様」として信仰し、受験生の合格祝いなどの為に詣でることが慣わしとなったという。

全国の天満宮の中でも特に道真に関係が深い太宰府天満宮、北野天満宮と、最も古い歴史を持つ防府天満宮(山口)を含めた三つを日本三大天神と呼んでいるという。

とにもかくにもこの高知市に住まう人にとっては当たり前の場所として日常の中に組み込まれているのであろうこの潮江天満宮。夏祭りに初詣と、一年のある時期の到来とともにこの境内に集まる多くの市民の姿を想像しながら参拝することにする。

















2012年11月8日木曜日

太宰府天満宮 919 ★★★



一年検査を終え、半日空いた時間を過ごすために熊本から九州道を北に飛ばして向かったのは大宰府。

恐らく日本で「行きたい寺社仏閣は?」というアンケートを取ったら、10位くらいには入ってくるくらい有名なのに、そのロケーションからなかなか手が出ないでいた意外と来る機会の少ないメジャー選手とういところか。

学問の神様と知られる菅原道真がその死後、天神(天満大自在天神)として崇められるようになり、その霊廟として建立(919)された大宰府天満宮は全国の天満宮の総本社として、数多くの人の参拝地となっている。

近代に入っての都市化の中心地からは外れた場所にあるために、街全体として横に広がる田園風景との融合を残しながら、建物も広々とゆったりとした雰囲気を醸し出し、おおらかな平安の風景を残しているかのようである。

「情報の歴史」を開いてみると、ほぼ同時期にヨーロッパで建てられたのがクリュニー修道院だという。この構成ならば、平安も世界に負けてないなと嬉しくなって参拝する。