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2016年2月12日金曜日

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう、豊後国一宮) 830 ★★★★


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所在地  大分県大分市大字八幡
主祭神  仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
社格   豊後国一宮・旧国幣小社・別表神社
本殿の様式 八幡造
別名  由原八幡宮
創建  (伝)天長7年(830年)
機能  寺社
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大分市内から離れ、随分と山に向かって進んでいく。そして到着したのは豊後国一宮でもある、この柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)。また八幡である。というのも、この柞原八幡宮は豊後国における宇佐八幡の分祀とされているとのことで、宇佐八幡の別宮の一つとして長く崇敬を受けてきたという。

山の地形を利用した大階段。その脇にはすでに霊気を放つかのような巨木。参道の先は深い森の中に埋もれて見て取ることができない。その入り口の雰囲気からしてこれは凄い場所であることが感じることができる。

相当に急な石階段を上り終えると、少し平坦な石畳の参道が続き、この石畳と石の間に沿うようにして伸びる苔の姿からも、格式の高さと歴史の長さを感じることができる。目の前には今度は少々幅を狭くした石階段。その脇にも先ほどのものよりもさらに大きさを増したかのような巨木が姿を見せる。本当に凄い場所である。

階段を上りきると待ち受けるのが朱塗りの鳥居。そしてその先には、南大門が待ち受ける。この大門を抜けると左に現れるのがこの神社のご神木といわれている巨木の大楠。ここにたどり着くまで他の神社なら十分にご神木として扱われるサイズの巨木を見てきていたが、明らかにそのサイズは別次元。自分が属する世界とはまったく違う物理の法則が支配する世界が行き成り目の前に会われれた様なそんな衝撃である。

恐らくトトロがふと横に現れた時や、巨大な宇宙船が雲の切れ間から顔を覗かせるときには、こんな気持ちを人類は抱くのだろうと納得するような別のスケールの不気味さ。それを感じることができる。樹齢は3000年という。幹の周囲は37m。恐らく写真ではうまく伝わらないだろうが、これはぜひとも一度見ておくといい巨木である。

衝撃を身体に感じながら、先を進むとまるで男坂と女坂と言わんばかりに二手に分かれる参道。より緑が濃い、そして勾配がキツイ右側の石段を進むが、こちらは社殿正面向かい、石階段の先には楼門が見えてくる。こちらから中には入れず、しょうがないので左に移動し、もう一本の参道に合流する。

こちら側の西門から境内に入り、廻廊を渡って先ほど向き合う形になった拝殿へと向かう。拝殿の奥には八幡造りの本殿が鎮座し、急な石階段が作り出す緑の風景が廻廊の朱色の柱に縁取られた絵画のように人々を迎えてくれる。

参拝をし、しばらく外の美しい風景を眺めこの場所の空気を身体に取り込み、今度は右側のゆるさかな参道に沿って降りていきながら、右手に見えてくる先ほどの大楠を見上げながら参道を気をつけながら降りていくことにする。












南大門
ご神木の大楠
ご神木の大楠












2016年2月9日火曜日

くにたち郷土文化館 石井和紘 1994 ★★


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所在地  東京都国立市谷保
設計   石井和紘
施工   竹中工務店
竣工   1994
機能   博物館(歴史資料館)
規模   地下1階,地上1階
敷地面積 3,636m2
建築面積 513m2
延床面積 2,181m2
構造   RC造・一部S造
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国立を離れる前に、せっかくだからと立ち寄ることに下のがくにたち郷土文化館。国立の歴史などを展示する資料館である。その設計は石井和紘(いしいかずひろ)で、槇文彦によって「平和な時代の野武士たち」とくくられた、1970年代に活動を始めたアトリエ系の若手建築家たちの一人として語られた建築家である。ちなみに他のメンバーは伊東豊雄、安藤忠雄、毛綱毅曠、長谷川逸子、石山修武などそれぞれ独自の建築設計の理念を追求し、現在も活躍する大建築家達ばかりである。

東京大学からアメリカのイェール大学へと渡り、海外の建築を学びながら同年代の難波和彦とも共同で学生時代から設計活動を始め、初期には岡山の直島で幾つもの公共建築を手がけて、非常にコンセプチュアルな理論を背景にした作品を作り、徐々にその作品を公共建築へと広げていった建築家であるが、大学院生時代に地元ではない場所の公共の建築を手がけることになるというのは、一体どのような縁なのかと気にならずにはいられない。

1970年 直島小学校 (26歳)
1974年 直島幼稚園 (30歳)
1975年 54の窓 (31歳)
1976年 直島中学校体育館・武道館 (32歳)
1979年 直島中学校 (35歳)
1979年 54の屋根 (35歳)
1982年 直島町役場 (38歳)
1983年 直島保育園 (39歳)
1987年 ジャイロルーフ (43歳)
1989年 数奇屋邑(日本建築学会賞受賞) (45歳)
1990年 海岸美術館(千葉県景観賞受賞) (46歳)
1992年 熊本県清和村文楽館 (48歳)
1993年 北九州市立国際村交流センター(北九州市建築文化賞) (49歳)
1994年 くにたち郷土資料館 (50歳)
1994年 清和村立清和物産館 (くまもとアートポリス第1回推進賞) (50歳)
1995年 直島町総合福祉センター (51歳)
2015年 死去(満70歳)

こうしてみると、このくにたちはキャリアの中でもすでに後期に所属し、いくつかの公共建築を手がけて満を持して東京に・・・という流れであったのだと想像する。

その敷地であるが、地域の連続性をぶった切るものとして鉄道線や高速道路など、生活空間からはできるだけ距離をとりたいインフラ施設が上げられるが、この敷地も中央自動車道に近しい場所に位置しており、このような郊外の公共施設としてはありがちな敷地で、住宅街を抜けて奥まったところにポツンと建物が林に囲まれるのようにして見えてくる。

建物自体はその大部分が地下に埋められ、地上に見えるのはガラスのボリュームと、あとは地下へと続く屋外劇場のようになっている広場のみ。資料によると総工費が16億円くらいだったということなので、地下の工事が相当に予算がかけられたのだと見受けられる。

武蔵野のどかな風景に溶け込むように、存在感の薄められたガラスのボックスのみを挿入して地下に主な空間を持ってくるというのはこの敷地を見るとやはり一つの解答なのだと納得する。内部は所狭しと資料を張られ、一体何を見ていいのかと混乱するような地域の歴史資料館で同じの光景が並べられており、いくつかの部屋では地域の人が何かしらの勉強会を行っているようである。

恐らく、この年代に建てられた公共建築はどうしても1991年に弾けたとされるバブル景気の影に向き合うはずであり、恐らくこの計画も立てられたのはバブル景気真っ最中。コンペが行われ、設計が進んでいくうちにバブルが弾け、それでも92年くらいまではなんとか好景気を保ちつつも、徐々に失われた10年へと突入していく日本経済の行く末を感じながらこのプロジェクトが完成していったのだと時代背景を考えると、恐らく計画が立てられた当時と、竣工を迎えた94年、そして20年以上がたった今ではこの国立市でこの施設が持つ意味もまた大きく変化したのだろうと思いながら建物を後にする。













なかまちテラス(小平市立図書館・公民館) 妹島和世 2013 ★★


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所在地  東京都小平市仲町
設計   妹島和世
施工   大成建設
竣工   2013
機能   図書館・公民館
規模   地下1階,地上3階
構造   S造
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この三多摩の旅の目的でもあるのがこのなかまちテラス。妹島和世設計による地域図書館と公民館を兼ね備えた施設。コンペによって選ばれた案のようであるが、そのコンペの情報はなかなか見つからない。なんでも、妹島氏が学生時代に小平に住んでいた縁からコンペに参加したとのこと。

外装は青山にある「ルーチェ・トーヨーキッチンスタイル」と同様に、アルミのエキスパンドメタルで覆われているが、あちらが青山という密集地で地価の高さから最大面積を求められる条件からか矩形だったのに対し、こちらは小平の穏やかな街並みに対応し、なおかつ公共性の高い建物の性格を表現するかのように不整形な形を持つ。

「ルーチェ・トーヨーキッチンスタイル」が2012年の竣工で、こちらが2013年ということはほぼ同時期に設計が行われており、その中で同じ外装材を使いディテールをつめていきながら、異なる表現に分化させていったのだろうと想像する。

雑誌やインターネットで見ていたらもう少し大きな建物を想像していたが、実際に見ると周囲の住宅街のスケールと非常にマッチしており、ちょっと大きめの住宅という雰囲気。上階で結合するボリュームが下の階ではいくつかのボリュームに分割され、かつその外形もさらに小さなスケールに分割されているので、恐らく延床面積に比べたら非常に快適な身体スケールが街並みに溶け込んでいるのだろう。

アルミのエキスパンドメタルも角度によっては非常にマッシブに見えるが、中から外を見ても、非常に透過性が保たれており、まったく違和感は無く、二次曲面にはできないためにどこかに無理が生じているだろうと外部を巡ってみるが、思ったよりも破綻してなく、ほとんど平面で処理されているようである。

入り口周辺はがんばってガラスもかなりの角度をもって設置されているが、ほとんどの部分はかなりシンプルに仕上げられ、挑戦するところが明確にしているからこそ実現できたのであろう。内部もこじんまりとしているが、非常に心地よく日の光が差し込んで、数時間ほど本を読んで過ごすのにはとても気持ちの良い場所であるという印象。

しかしこの様な挑戦的な建築が、こうした自治体の文化施設として選ばれて実現するというのもまた、日本の建築文化のレベルの高さを感じずにいられないなと思いながら、恐らく現場が動いている際には事務所のスタッフも通ったであろうと思われる、お隣の蕎麦屋さんで少し遅めのお昼をとることにする。