ラベル 巡礼 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 巡礼 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年11月7日月曜日

サン・ジャックの塔(Saint-Jacques Tower) 1522 ★★



朝の6時に空港に到着し、空港のWifiを利用して市内までどうやって移動するのかをGoogle Mapで調べ、「なるほどRERと呼ばれる電車で市内までいって地下鉄へ乗り換えか」と便利になった世の中を実感し、やっと出てきた荷物を持ってRERの乗り場へと向かい、今度は電車のチケットを10€で購入しようとするが、チケット販売機はコインと10€と20€のみ受け入れで、手元にある両替していたお金は50€と5€のみと早速トラブル。チケット販売オフィスは早朝だからまだ人がおらず、何とかならぬか画策すると、クレジットカードで買える販売機を見つけて何とか購入。数分後に出発の電車を逃さすように小走りでプラットフォームへと向かう。

一時間ほどで到着したホテルの最寄り駅を出ると、外は冷たい小雨。想像以上に厳しい寒さに不安を感じながらホテルに到着すると、この時間でも入れる部屋があるというので、とにかくチェックインをして冷えた身体を暖めながら、パソコンを開いて今日一日をどう有効活用できるか、リストアップしていた目的地をマップで確認しながらルートを想定していく。

まずは9時にオープンするサント・シャペル(Sainte-Chapelle)を目指しながら、近くのカフェで朝食を取るためにホテル付近でお勧めされているカフェを探し出してマッピングし、時間に余裕を持って出かけることにする。

歩くこと5分ほど、目的のカフェが位置するのはこのサン・ジャックの塔(Saint-Jacques Tower)のすぐ向かい。フランス語のみのメニューと受け答えに、久々に異国を感じながらなんとか注文を終えて、手を擦りながら見上げるこのタワー。

夏には内部に入ることができるというこの塔は、もともとこの地にあった教会の一部であり、かつ遥か西のスペインの聖地サン・チャゴ・デ・コンポステーラへ繋がる巡礼の道の始まりの地として知られているらしく、かつて映画「星の旅人たち」を観た時に、いつか時間をかけてこんな旅をしてみるのを悪くないなと思いを馳せたの旅の出発点がここであり、その巡礼路の一部として世界遺産にも登録されている建物でもあるという。

1522年に竣工したサン・ジャック・ドゥ・ラ・ブシュリー教会の鐘楼であり、その教会本体はフランス革命時に破壊され、この塔だけが残り、その後1850年代に周囲の広場とともに改修・整備が行われ今に至るということで、その時期はセーヌ県知事としてオスマンがパリの大改造に腕を振るっていた時期に重なることから、この改修において高さ52 mのこの塔がアイキャッチとしての機能を持たされたのが良く分かる。

パリの中心と呼ばれる4区の中でも、長くこの地でパリの発展を見続けてきたこのサン・ジャックの塔。その塔を見上げながら、残りのクロワッサンをコーヒーで流し込み、セーヌ川の真ん中に浮かぶシテ島へと足を向けることにする。



パリ4区

2014年2月6日木曜日

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 村上春樹 文藝春秋 2013 ★★★

「36歳」というのは子供の時には十分に大人だと思っていたが、実際にその歳になってみると自分が思っていたのよりは遥かにまだまだ子供だということ。

ブレなかったり、感情に流されなかったり、仕事は専門知識を十分に蓄えて、さまざまなことができると想像していた大人の年齢だが、現実には相変わらずできない事に苦しみながら学ぶことの多さに八方塞になりつつも、学生時代とほとんど変わらない日々を送っている。

そんな36歳の年に、36歳の中年の男の物語を読む。

実家に戻った時に珍しく村上春樹のハードカバーが置いてあるのを目ざとく見つけ聞いてみると、父親が流行っているようなので買ったけどまだ読んでないから持って行っていいというので、その言葉に甘えて北京に持って帰ると、珍しく自分より先に読み終えた妻が、「なんだかあなたのバックグランドに似ているよ」と言ってくるので、色々と思考を巡らす一人旅には丁度言いかと山陰につれてきた一冊。「ハルキスト」なる気持ち悪い言葉が垂れ流された昨年の熱狂からやや時間を置き、静かな雪景色の中で読み進める。

物語は中心は名古屋の裕福な家庭で育った主人公。恐らく県立と思われる進学校で過ごした高校時代に仲の良かった男女4名の親友がいたが、一人だけ進学の為に上京することになり、大学2年のある日に突然地元に残っていたその親友から絶好を言い渡され、理由も分からずにその心の傷を抱えながら今まで生きてきている。

その主人公は駅舎を設計する建築士の仕事についており、今では東京の会社で自分の好きな事を仕事として何不自由なく暮らしているが、新しく出遭った恋人といえる年上の女性にその心の闇を指摘され、長い年月の末その傷に向き合うことを決めて、かつての親友を訪ねていくという話。

印象的なタイトルは名前の一部に色が入っている親友4名に対して、自分だけ色が無い名前を持っている為に、色彩を持たない主人公が自らのトラウマを解消する為に地元やフィンランドまで足を運ぶ巡礼にでるという内容。

この中で、「名古屋」とあげられているが、その中に含まれる「愛知を含めた名古屋圏」という意味で捉えると、未だに旧制中学が高い進学率を誇る教育大国でも愛知県出身者には、本の中で出てくる高校の雰囲気や、彼らのその後の生き様なども非常に共感がもてるだろう。

名古屋を中心とした愛知では、旧制中学のナンバーに沿い、旭丘高校、岡崎高校、津島高校、時習館高校、瑞陵高校、一宮高校、半田高校、刈谷高校、と県立学校でも高い進学率を誇る学校が残る。それらは旧制中学ということもあり、それぞれの地域にバランスよく散らばっている。人口比率から考えると名古屋市内には高い水準を求める生徒と親の希望に応えるだけの公立校が足りないので、必然的に全国的な進学率をもつ、東海高校や滝高校などの私立学校が存在する。

そんな背景がありながら、地元中学の優秀な学生がほとんど上記の県立高校に進学し、男女共学の中で文武両道をモットーに極めて健全な学生生活を送り、その中で家庭の状況にも依るが優秀な生徒は東京方面の国立大学や私立大学、もしくは西の京都大学や大阪大学などの国立や立命館などの私立に進学するか、地元に残り名古屋大学を頂点とした地元の大学へ進学するのが大多数である。

世界企業であるトヨタのお膝元ということもあり、教育水準も高く、そして進学や就職のチョイスも、西と東の狭間で多くあるということで、非常に恵まれた地理的環境に生まれ育った事を大人になって認識するのもまた名古屋周辺で生まれたものの共通項であろう。

連鎖する生活水準同様、上記の進路を取る人間は、概して高い収入を得る職業に就くことが多いか、不動産や医者などの親の家業を継ぐことが多く、必然的に地元に残るか戻って来て、子供も同じように出身校に通わせるという、ある種のループが綺麗に完結する。

そんな育ちの良い、家庭環境のしっかりした、中学では恐らく生徒会の役員もやっていたに違いない高校の同級生たち。都会の雑踏の中ですれたり、ぐれたりすることなく、極めて健全に高校時代を過ごし、誰かを好きになったり、友達と喧嘩したり、部活に没頭したりと極めて健全な時間を過ごして次のステップに羽ばたいていくまでの時間。

この様に見ていくと、恐らく自分と同じように、この物語に自分の高校時代、そしてその後の人生を重ね、バックグラウンドが似ているなと思っている人はかなりの数いるのではということ。それぐらい、そこそこの進学校でそれなりに楽しい高校時代を過ごし、男女問わず数人の仲の良い友人がいて、大学進学後の時間のすごし方は違えど、年に何度かは連絡を取り合い関係性を続けている。そんな名古屋周辺で生まれた70年代生まれ世代。

作者の類稀な想像力とその取材力により、かなりリアリティを持ってその地に生まれたものにしか分かりえない空気を捉え、そして実感を持った物語を編んでいく。恐らくそれが山陰でも、九州でも、それはまったく違った物語になるのだろうが、時代の空気を共有しながらも、それでいながら地域の差異をしっかり加味してつくられる物語。

戦国時代の天下に手をかけた3人の武将がこの地出身だったことが証明する様に、全国規模で活動するにはこれとない地理的優位性を誇るのが太平洋沿岸にそった流通の便を備え、京と江戸という二つの時代の価値の中心地へのアクセスを誇ってきた場所。

時代は変わり、主要交通網が変わっても、人が移動し、交易する中で価値が増加する社会生物としての人間の姿がある限り、地理的要素が現す地の利はどの世の中でも変わらないだろう。


の言葉に違わないように、ますますその凶暴性を増してきたグローバル経済。その中で勝ち残り、新しい時代に生き残っていく都市は、古来からの土地の力を上手く利用し、価値の流動性の流れの中に身を置いたもののみであろうと思いながら本を閉じることにする。

2014年2月1日土曜日

佐太神社(さだじんじゃ) 717 ★★★



--------------------------------------------------------
所在地 島根県松江市鹿島町佐陀宮内
主祭神 佐太御子大神、天照大神(北殿)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)(南殿)
様式  大社造
社格  式内小社、国幣小社
創建  717
機能  寺社
--------------------------------------------------------
大根島から松江側に渡る橋のたもと。
なんとも美しい風景に車を止めざるを得ない。
車を路肩に止め、エンジンを止め、カメラを持って外に出る。

湖らしいフラットで静かな水面。その先に広がるこれまた水平を強調するような風景。ややもやのかかった水面の彼方に小さな浮き島を捉え、そこには優雅に数本の松が生えている。神々の国に足を踏み入れたんだと改めて実感する風景。

橋を渡り、市外に向かうことなく車を走らせ、20分ほどで到着する今回の巡礼の旅の第一となる聖域。のどかな田園風景の中にいきなり一の鳥居が現れて歓迎してくれる。北京での喧騒の日常から、東京での忙しない時間を通り過ぎ、やっと足を踏み入れた静かなる神々の時間。

朝一番ということで、手水舎(ちょうずしゃ)の冷たい水で身体を清め、砂利敷きの境内へと歩を進める。目の前には横に並んだ三殿の大社造り。この地方独特な造りである大社造りを目の前にし、ついに出雲エリアに足を踏み入れたのを身をもって感じる。

残念ながら左の本殿は工事中で見えないが、三殿ともに切妻の妻側をこちらに向けた大社造。これから出雲地方を巡礼していくに当たってはこの「大社造」を避けては通れない。伊勢神宮の神明造(しんめいづくり)や最も数の多い流造(ながれづくり)など、その建築の形態によって様々な様式に分類されるが、その中の一つであるのがこの大社造。

もちろん出雲大社に代表され、その出雲大社の力の及んだ範囲、つまりは山陰地方の神社に多く見られる形式である。ネット上で大社造の神社の分布を地図上で表記したものはまだ無いようであるが、島根県を中心に分布し、明らかに出雲大社の勢力化にあった神社において採用された形式であることが分かる。

つまり独自の文化を形成し、それが古代という交通の便が悪いにも関わらず、かなりの広さを持って展開された、極めて安定した文化圏が存在したことの証。しかもその出雲の地においても、大社造を採用しなかった神社があるとういこと。それはもちろん対抗勢力の参加の神社ということで、かなり激しい勢力争いが繰り広げられていたのだろうと想像する。

では、何を持ってその「大社造」の様式かというと、基本的に山の形をした屋根の形状を持つ「切妻(きりづま)造」の建物であるが、正面がその屋根の傾斜面を見るのか、それともその側面である三角形を見るのかによって変わってくる。傾斜面を見ながらアプローチするタイプを平入り(ひらいり)といい、逆に側面の三角形を見ながらアプローチするのを妻入り(つまいり)という。

神社建築の様式のほとんどは前者の平入りに属し、神明造も流造もこちらのタイプになる。だから神社に行くとなんだか茅葺の大きな屋根面を見た記憶を持って帰ることが多いわけである。

それに対して妻入り、つまり切妻の側面を見ていくものに属するものの一つがこの「大社造」となる。他にも春日大社などの春日造もこちらのグループ。境内に入って目に入ってくるのは、ここに神様がいますよ、と言わんばかりの三角屋根。メインの建物は高床式で6本柱によって正方形を構成された「田の字」形である。

そうなると必然的に正面側は柱3本で2間となるので、真ん中には柱が来てしまい入口としては使えない。なのでしょうがなく入口をどちらかにずらす必要がある。そしてどちらにずらされたかというと、右側である。恐らくこれは神社においては社殿向かって右が上位であるとされることから来るのだろうが、なぜ右が上位かと言えば、出雲大社では向かって右に元々のご神体であったと思われる八雲山があるということに関係してくるのかと勝手に想像する。

そんな訳で正方形の切妻形式の建物の正面右側に入口がずらされたのが基本形となるのが「大社造」。それをもって再度この佐太神社に頭を戻すと、三殿の大社造が横並びになっている。そうするとどうしてもシンメトリーにそろえたくなるのが建築世界に身をおくものの宿命。中心の本殿の入口を強引に真ん中にもってって柱にぶつかることは流石に出来ないが、南殿の入口を反転し、向かって左側に持ってくることは可能だということで、北殿と南殿で左右対称にしてみよう、となったのかどうかは知らないが、そんな何とも珍しい三殿の大社造が見られる神社である。

上記したその造りから、どうしても少し横から見るとその奥行きや高さの変化などが良く分かるのも大社造の特徴。では、どちら側から見たほうが分かりやすいかというと、もちろん左側。2間の右側に入口がよって、奥に高床式に持ち上げられた建物の構成が良く分かる。グーグル画像検索で「大社造」とタイプして出てくる画像を見てもらえばその傾向が良く分かるはずである。

そんな訳で自然と作られる横向きの重力に引っ張られながら南殿をぐるりと回っていくと、南末社とその奥に神明社が。その前にはいかにも物好きそうなおじさんが写真を撮っており、どちらからともなく話をすると、兵庫から来ていてかなりの古墳好きで今回は山陰地方の珍しい古墳を中心に回るという。

今後の行程を説明すると、「ぜひとも出雲で見ておいたほうがいい面白い古墳があるんだ」とおもむろに地面にしゃがみ、砂の上に絵を描きながら説明してくれる。なんでも、西谷墳墓群といい方形古墳の四隅がヒトデの様に飛び出した形をしているらしい。なかなか興味深いと思いながら、「いやー、古墳はまだ手をつけてないんで、時間が空けば見てみます」と返答し、更に奥にある母儀人基社(もぎのひともとしゃ)への参道を二人して上がっていく。

5分くらい上がっていくとポッとひらけた場所に出て、奥には如何にも雰囲気のある磐境(いわさか)が祀られている。

磐境というのは、古代の人が自然信仰の対象として、神の存在を感じ、それを祀る為に作られた非常にプリミティブな石をつんだもので、神社の奥などに明らかに人の手によってつくられたと思われる様に詰まれた石の前に注連縄などが張られている事があると思うが、そこに神が降臨する依代となると信じられた痕跡である。

そうするとそのおじさんが、「いやー、自分磐境(いわさか)が好きでねぇ。こういうのを見て回ってるんだ」と。流石古墳好き。好きなポイントが渋いなと思いながら交代しながらお参り。

そして狭い石階段を下りて再度境内へ。互いによい旅になるようにと願いながら分かれるが、最初の神社でのなかなか興味深い出会いに、「これは面白い旅になりそうだ」と次なる目的地へと向かう事にする。




















2013年7月20日土曜日

行き道と帰り道での違い

朝早くからろくに食事も摂らずに、汗だくになりながら部活や修行の様にあちこちを小走りで駆け巡る。それが何日も続くと疲労も蓄積し、「一体なんでこんなことをやっているのだろう」と考えない訳でもない。

しかし行き道の自分と帰り道の自分では必ず何かが違うのだろうと思い直しまた足を進めることになる。その違いとはなんだろうか。

行き道では、ある程度の情報を元に想像を膨らませる。どんなに広いか、どんな感じを受けるか。

一生に一度しか与えられないチャンス。その場を初めて訪れる時に受ける感情。

帰り道では少なくとも、どんな場所で、どれくらいの広さで、何があり、何が見えるのか、そういうことを既に知っている。そして何よりも重要なのは、そこに始めて足を踏み入れた時に自分が何を感じたのかを知っている。その感情はどうしようとも偽れない。

その地域のほかのどんな場所よりも、多くの人間が集い、時間を過ごしてきた特別な場所。地域を護り、地域から護られてきた日本の根本の場所たち。そこに身をおくことで、
何か分からないが、確かに自分の中で何かの変化があるはずだと信じてまた一つ帰り道を増やしていく。