2014年4月30日水曜日

世界に繋がる為にいる北京

GWにあわよくば日本に帰国しようと手配していたチケット。しかし5月末の締め切りを迎えるとても大切なアメリカのコンペの為にとてもじゃないが休みなど取っていられない状況だと把握し、泣く泣くチケットをキャンセル・・・

しかし悪いことばかりではなく、同じタイミングで東京からと上海から北京へとやってくる親友達に会える時間が出来たこと。本来なら帰国しているから残念だと言っていたが、急遽キャンセルになった為に連絡をとりあい、折角だからと一緒に夕飯をとる事に。

東京からやってきた友人は国内最大のアートフェアのイベントを手がける、アートフェア東京でエグゼクティブ・ディレクターを務める金島君。同い年で昔北京にいたときからずっと仲良く、今も帰国や出張時に合流し昨今のアートの潮流などを教えてもらったりしている。

もう一人は上海でギークピクチュアズという映像の制作会社をやっている大学時代からの友人の村上君。「今度北京にも小さなオフィスを構える必要があるからということで、クリエイティブが集まりそうなレンタル・オフィスを紹介して欲しい」というので、外人友達に聞いたところを紹介したらなかなか気に入ったらしくその契約も含めての出張とのこと。

折角なので一緒に合流してご飯でもということで、金島君と共通の知り合いの日本人のグラフィック・デザイナーさんと共にレストランへ。久々の再会を懐かしみながらも、互いに合っていない間の時間にお互いがどれだけ成長したかを行っている仕事の内容などで理解するのもまた楽しいものである。

そこに居合わせる誰もが何年も海外、特に中国の大都市で生活を経験したことのある者として話に出たのだが、やはりある一定数の日本人が居住する都市においては、日本人であるということだけ、日本で仕事をしていたということだけで仕事がいただけるという状況が出来てしまったりする。

それは、もちろんその土地に進出している日本の企業相手の仕事や、まだまだ発展途上の現地の競合相手が辿りつけないクオリティを求めてくるクライアントの仕事など。つまりは日本人でいること、もしくは日本でプロフェッショナルとして働いた蓄えが使える状況である。

しかしそれとは異なり、世界で戦う為にこの場所にいるということも同時にある。

海外で働いていると、今まで蓄えた職業的知識や経験でなんとかやりくりできることもあるだろう。しかし次第にその引き出しをなくし、引き出しの中身がなくなってくると、今度はその組み合わせ、その場しのぎ的なことでやりくりする様になる。

自分では分かっている。若い頃思い描いていたプロフェッショナルな姿。技能をあげて、どんどんやれる事も増える。しかしその成長が止まっている。ある時からこの場所では自分はプロフェッショナルとして成長できないと環境のせいにしてしまっている自分の姿。その中で自分が情けないと思う事。

それを防ぐためには職業的野心を捨てる事。お金を稼ぐ事、生きる為に仕事をしていて何が悪いかと。なんで毎回世界に誇るような新しいアイデア、素晴らしいデザインを出さなければいけないのか。そういう風に世界を眺めるようにして自分を守る。

もう一つはクライアントを下に見る。これくらいのレベルの人に世界レベルのもを提示しても理解できないだろうと。だから合わせてあげているんだと自らに言い聞かせる。

それはつまり自分の気力が終わっている

これらは全てプロフェッショナルとして常にどうやって自らの職業的能力の向上を果たしていくかを考えて生きなければいつかは必ずぶち当たる壁である。

何処に住まうかではない。どう生きるかの問題である。
真剣に生きていたら時間なんて無いはずである。休む暇なんて無いはずである。

そんなことを話しながら、あくまでも自分は世界に挑戦する為に今この都市に生きているんだと自信を持って言いたいし、今より3年後、3年後より5年後の自分のほうが建築家としてより素晴らしくなっているだろうと思いたい。

「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」

いつもべったりくっついていなくても、時にこうして再会し、酒を酌み交わし、こんなことを思わせてくれる友人が少なくともいることに幸せを感じる北京の夜である。

2014年4月29日火曜日

Chaoyang Park Plaza MAD Architects

北京の朝阳公園の南門の向かいの敷地を使って、オフィス、住居、商業の複合開発となるプロジェクトを進めていたが、その現場が動き出した。

chaoyang park plaza by MAD architects breaks ground in beijing

水が流れ落ちるような滑らかな形態で統一された大小さまざまなボリュームが都市スケールでの庭園空間を作り出すコンセプトとなっている。

複雑なファサードを持つために、フランスのファサード・コンサルタントと一緒になってラショナライゼーションを繰り返して設計を進めているが、自らが住まう都市に数年後にはエネルギーを傾けた建築が立ち上がっていくのもまた都市の魅力であるのだろうと感じずにいられない。

2014年4月26日土曜日

寿皇殿 景山公园 1661 ★



北京に散らばる九壇八廟の巡礼も一応これで最後の目的地となるのが八廟の中の一つ、寿皇殿(shòu huáng diàn)。景山公园の中にあるというのだが、確かに良く行く景山公园だが、いつも南門から入って山に登って故宮を眺めて西門から出てしまうというパターンで、あまり北側まで足を伸ばしたことが無いなということで向かう東門。

故宮を見学した観光客を拾うバスが全てこの景山公园の東門辺りに集合しているらしく、周囲は地方からの観光客でごった返している。皆それぞれのツアーの帽子をかぶって物凄い音量で喋り捲っている。

念のために景山公园に北門があるのかも知れないということで、一応見に行ってみるがやはり北門は存在しないようで、しょうがないので人でごった返す東門にスクーターを置いて入場する。

園内もやはり行楽日和ということで家族連れやカップルでごった返しており、咲き誇る花を背景にポーズを決める若い子や、社交ダンスを楽しむ高齢者など様々。そのなか「寿皇殿はどこだ・・・」と地図を片手に先に進むと、見えてくるのが如何にもという門。

説明によると

寿皇殿:在景山公园内北侧,是供奉清代帝后、祖先神像之处。同时也是帝后死后入葬前的停灵之所。

清顺治十八年(1661年)正月初七,顺治帝去世。在乾清宫停灵27天后,梓宫移至寿皇殿停灵。停灵共計百日后,在寿皇殿前举行火化,点火者為僧茆溪森。此後顺治帝的骨灰继续停放在寿皇殿,直到康熙二年(1663年)四月二十二日,同孝献皇后董鄂氏及孝康皇后佟佳氏的骨灰自景山送往清东陵的孝陵安葬。

と言う訳で清代以後皇帝が先祖を祭る場所であったようであるが、現在は一般客の見学は禁止されており、内部の様子はうかがうことが出来なくなっている。九壇八廟の最後の内部を見れないというのもなんだか残念であるが、祭事の場所である壇に対して、あくまでも祖先を祭る場所である廟はより神域性が高いので、ドカドカと何の遠慮も知識も無い観光客に入ってこられてもそれは困るよなと、周囲で楽しげにダンスを楽しむおばさんたちの顔を見ながらなんだか納得してしまう。
















太廟(太庙) 労働人民文化官 1420 ★★★



折角の一人での北京の週末。オフィスには午後から出ればいいのでということで、あと少しとなっていた八廟巡りをしてしまうことにする。

そこで向かったのは堂子と太庙。中国語での説明によると

堂子:原位于南河沿南口路北、北京饭店贵宾楼所在地,始建于1644年。供奉清入关前战死的4位祖先的遗物,清朝廷建立政权后,凡有重大的政治、军事行动,就在庙内举行祭把、誓师。

太庙:在今劳动人民文化宫内,明永乐十八年(1420)兴建,是明清两代封建帝王供奉祖先的场所,即皇帝家庙。

となっている。堂子に関しては現存しているのかどうかいまいち分からないまま「どうせ「労働人民文化官に近いから見つからなくても良しとしよう」ということでスクーターで春晴れの街にでかけていく。

行楽日和ということで、天安門に向かう多くの旅行客の列をのけながら情報どおり北京ホテルのVIP棟までやってくるが、どうやら其れらしきものは無いらしい。念のためを周囲を一周ぐるりとめぐるがやはり無い様である。

しょうがないので太庙がある労働人民文化官に向かうことにするのだが、記憶に拠れば確か正門が南に向いていて故宮の横から入る形になっていたと思い、故宮と天安門に向かう大量の旅行客の流れに乗ることに。

折りしも昨今の続発するテロ対策としてか天安門付近に近づく為に一人一人の安全検査が行われているようで、列は少しも流れていかない。「この炎天下でこれはさすがに無理だ・・・」と諦めて先程スクーターを停めた場所に戻り、道を北上すると、「労働人民文化官入口←」の案内が。

故宮の南東に方形の形をして陣取っている為に、正門となる南門は先程のルートでないとアクセスできないがこちらの東門はびっくりするほど混んでなくさらりと入れる。

中に入るといたるところに「太庙施工」という看板が張ってあるので厭な予感を感じながら、其れらしき門の前に行くとがっちりと閉められた門の前に係員のおばさんが座っている。中を覗いて聞いてみるとやはり修理の為に5月半ばまで工事中だという。

同じように中を覗いていたおじさんも輪に入ってきて、「九壇八廟の堂子を探してきたんだけど見つからなかったんだけど、壊さされたのかな?」と聞いてみるが、二人とも、「アイヤー、そんな内容は私には分からないよ」と笑っている。

外の大勢の観光客の姿が嘘の様に静かな園内。中が見れないのは残念だが、また夏に訪れればいいかと少々満足を覚えて園を後にする。

























2014年4月25日金曜日

「風立ちぬ」宮崎駿 2013 ★

衝撃的な引退発表の場で発せられた、「創造的人生の持ち時間は10年だ。自分の場合、そのピークの10年間はずいぶん前に終わったんだ」という宮崎駿の言葉。

本当にそうだったんだと思わずにいられない一作。

毎回新しいものを作る時に、歴史の中で誰もやってこなかった、それでいて面白くワクワクして価値のあるものと作り出そうと必死に考えて、突き詰めて、壊して、それでも作っていくのは本当に辛い作業である。

一度世間から評価を得たとしても、世間は「もっと、もっと」と貪欲である。自らももっと違う世界を、もっと違う価値観をと自分を追い詰めていく。世界中の様々な場所からインスピレーションの元となるものを探し、それを何とか昇華させ自分の言語としていく作業。

その作業を何年も、何十年も繰り返していくのは本当につらい仕事であるし、誰でも右肩上がりでいける訳ではない。何か新しい価値を作り出そうという職種についている人間であれば、誰でも必ず自覚していることである、「クリエイティブにはピークがある」という事実。そしてそれが自分にとってそのピークがいつくるかという恐怖。

誰もがそのピークをできるだけキャリアの後ろにもってこようと、様々なものを読み、様々な知識を手に入れ、様々な角度からのものの見方を習得していく。しかし一番恐ろしいのはそのピークが自分にとってすでに過ぎてしまったということ。つまり自分はすでに降りていく坂道に差し掛かっているということを認めること。

それを認めるのは恐怖以外の何者でもない。プロフェッショナルとして、クリテイターとして過去の自分にすでに適わないと理解すること。

それを避けるために一番楽なのは作らないこと。創作に向き合わないこと。

そしてかつての栄光にすがること。かつて作ったものの焼きまわしや小手先の勝負でやりくりし、地位や名誉に胡坐をかいてその地位を確保し続ける。

または別の価値観にすがりだす。アカデミックを採用し、「これが分からないからお前らにはこの価値が分からないんだ」という態度により、高みに自分を置いてしまうこと。つまり世間との距離を置くことで自らを神格化して批判が起こる可能性を削除する。

こんな風に大体の人が途中でやめる。途中で戦うことから降りる。そして高みに上がってし誰も責めてこないし批判もしない場所で地位を確保しながら時間を過ごす。自らは気がついていながらも。

昔は怖くなかったはずである。新しい企画、新しいアイデアを考える時に用意した真っ白な紙。目の前のその白紙を目にして、今は何をしていいのか分からない。手が動かない。下手なものを書いてかつての栄光を失ってしまうのではという恐怖に駆られる。

建築家もそうである。若い時代、建築を学んで学んで、寝る間も惜しんで修行して、その時間の中で次第に考えを纏めていく自分なりの建築の在り方。それをやっと自分の好きに形にできる独立したての若い頃の小さな作品。すべて自分の手で、オフィスの経営や自分の生活などの経済性を度外視してまでつぎ込んだエネルギーと情熱。

だからこそ熱い思いが込められた不器用でも何か人に伝わるものをもった建築が生まれる。それを見た人に何か伝わるものが作れる時代である。そんな表現したいと思う内容が溢れるように出てくる時期というのは確かにある。

そして繰り返すうちに、徐々に技能もあがり、様々な状況にも対応できるようになり、向き合う内容もより大きな社会へと視界を広げ、クリエイティブの活動はより活発となる。これもやりたい、これもこうやってたら面白くなるのでは、そんなことを考えながら毎日の一分一秒を過ごしていく。それがピークであろう。

アイデアを実現していくにはものすごいエネルギーが必要となる。クライアントや関係者を説得することは、情熱だけではねじ伏せることができない。経済性や機能性など様々な要因をカバーしていく必要が求められる。

どんなに時間や手間を使ってでもなんとかアイデアを実現させたいと駆り立てるエネルギーと情熱。しかしいつの間にか、それを続けていけなくなる時がくる。いつからか出来なくなる時がくる。楽をしているわけではないがそうして一つ一つに全力を傾けるよりも、全体を眺めてやれることを増やしていくことの方が大切だと思うターニングポイント。

時間とともに知識や経験は増えていく。技能で見たらそれで設計がうまくなるだろう。設計なんてまさにその通りである。熱くガリガリやっていても、それよりも大きなスケールでの決定に影響を及ぼす方がよっぽど意味があるだろう。

しかしそれではプロジェクトをスムースに進めることになるが、プロジェクトを良くすることと同意ではない。これが難しい。知識や経験がある人が作った作品が良いとは限らないと同じように、そりゃ機能的だったり、毎日使うのに適していて、世の中の主婦は喜ぶとしても、しかしそれだけでは評価できないことがあるのが建築である。

建築家のエゴだといわれるのかも知れないが、ゴツゴツして不器用であるが、何か新しい可能性、新しい思いを感じられる建築空間。その手触りがプロジェクトの中から感じられなくなった時に恐らくピークが過ぎた時なのだろうと思わずにいれれない。

宮崎駿が言った言葉の意味もそうだったに違いないと想像する。

映画も同じ。ゼロ戦に生涯をかけたとかそういうことではなく、何かこの人で無ければ作り出すことのできない世界観というのが画面上に現れたかどうか。それが映画のゴツゴツ感であろう。そしてこの映画からはそれが一切感じられなかった。

誰もが見たことの無い絵を思い描き、それが他の誰かにとっても美しかったり 感動を呼び起こすものだと信じ、情熱に突き動かされ、頼まれても無いのに何枚も絵コンテを描き続け、オフィス内で何度も激しいやり取りを繰り返しながら徐々に生まれてくる特別な世界観。

ナウシカやラピュタが持っていたあまりに新鮮な世界観。それがファンタジーであるかどうかではなく、そこにその人が介在したからこそこの世の中に生み出された新しい価値があるということ。

そんなことを思いながら、自らの建築家のピークを感じることなくいつまでもゴツゴツ感のある建築を作り続けていけるようにと机のスケッチに向き合うことにする。
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スタッフ
監督 宮崎駿 
プロデューサー 鈴木敏夫
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キャスト
庵野秀明 堀越二郎
瀧本美織 里見菜穂子
西島秀俊 本庄
西村雅彦 黒川
スティーブン・アルパート カストルプ
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作品データ
製作年 2013年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 126分
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2014年4月24日木曜日

「ジェノサイド」 高野和明 2011 ★★★★

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第145回直木三十五賞候補
第33回吉川英治文学新人賞候補
第2回山田風太郎賞受賞
第65回日本推理作家協会賞受賞
このミステリーがすごい(2012年)1位
週刊文春ミステリー・ベスト10(2011年)1位
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ネット上ではいろいろと賛否はあるようであるが、それでもやはり近年稀に見る大ヒットした小説であり、いたるところでその宣伝を見ることになった話題の一冊。

日本、アメリカ、コンゴ、南アフリカ、そして太平洋と様々な場所で起こる一連の事件。様々な関係者が徐々に一つの点に収束していくスピード感。

日本で進行する新薬の開発と、アフリカで進行する進化した人類ヌースの確保。

圧倒的な知性を持った一人の超人類が人類最強の国家であるアメリカをいとも簡単に手玉に取ってしまう。複雑な事象を理解するということはこんなことができるということかと目から鱗の展開を何度も描き出す。

地球上に存在する他の動物を見ていても、そこは人類がその知性のお陰で逆肉教職のピラミッドの頂点に君臨するという安心感を後ろに抱えている。

それがある一人の超人類の誕生により一気に崩壊する恐怖。どんなに手を尽くしても圧倒的にかなうことの無い他者。そしてその他者が人類になんら自愛を感じることが無かったと想像したときの恐怖。

まるで皮膚に纏わりつく蚊を何の思いも感じずに叩き殺す自分の姿の様に。姿は似ているが、その本質はまったく違う。そんなコペルニクス的転換を迫られながら様々な判断を下していく登場人物。

そこにあるのは個人でありながら、共通な人類という意識。様々な批判はあると知りながらもそれでもやはりこれだけの世界観とそれを成立させる細やかなディテールの作りこみはやはり並大抵の作家ではないと思わされる一冊である。



2014年4月22日火曜日

クローズアップ現代 「独立する富裕層 ~アメリカ 深まる社会の分断~」

社会人になりたての時に、大企業で働く友人と食事に行った時、「ここは会社の経費で落とせるから大丈夫」とおごってもらい、「ありがとう」となんだか凄いことの様に思っていた。

つまりサラリーマンであれば、どこかで使ってもそれが経費として認められるのであれば、後々同額が会社より手元に戻ってくる訳である。

しかし自営業になるとそういう訳にはいかない。サラリーマンの人がよくよく勘違いするのは、「自営業の人はなんでも経費として計上できるからいいな」ということ。経費としたって誰もお金を返してくれない訳である。これは様々な仕事に関する食事や購入したものを経費として利益から差し引いて、最終的に課税対象となる金額を圧縮する節税の一環であり、それをしないと売り上げがそのまま課税対象となり、本来ならその業務に必要となった様々な経費を無視しての計算がされることになり、不公平な税を課せられることになるという訳である。


自営業をしていると身にしみるのだが、この国では生きていく為に支払わなければならない税金はまさに多種多様であり、同時にかなりの負担となる。所得税、住民税、事業税、消費税、国民健康保険料、国民年金保険料、固定資産税、軽自動車税、などなど。

所得税に関しては、5%から40%の6段階で徴収され、妻が専業主婦の夫婦二人の家庭で貧困ラインといわれる年間所得300万とした場合で計算していくと、所得税、住民税、事業税、消費税、国民健康保険料、国民年金保険料とあわせていくと軽く100万を超える金額となっていく。


それだけ搾り取られ、経費として計上できない日常で必要な支出を考えると、この程度の収支では恐らく誰もやっていけない計算になってしまう。その時に頭に浮かぶのは、多くの税優遇が設けられているサラリーマンと専業主婦家庭への不公正さ。そしてこれだけ税負担が多いのであれば、負担の少ない人に比べてより優れた行政サービスを受けられるべきだろうという思い。

その思いの先にあるのが、今回のクローズアップ現代で取り上げられたアメリカの状況。圧倒的に豊かな家庭。年間何千万円もの収入を得るような層が、その収入に応じて莫大な税を行政に納めることになる。一つの家庭で収める税は、貧しい何千もの家庭で収める税よりも多くなる。

しかし、行政サービスは個別に対応する訳ではなく、湧き上がるのは不公正という思い。それであれば、豊かな人々が集まって、新しい行政、新しい市町村を作り、自分が支払った税金は自分達がしっかりと享受できるようにする独自のコミュニティを作っていこうという流れ。

つまりは、今まで市の行政サービスを支えていた高額納税者の税金ががっさり無くなり、既存の市は一気に財政破綻に陥り、まともな行政サービスを提供できなくなる。どころか行政関係の仕事についていた人の多くが職を失うことになる。

こうして見ると、一見弱いものを切り捨て、貧しいものを見返りもしない利己的な行動に移るのかもしれないが、累進課税というシステム自体に不公平さを含んでいる現行の徴税システムの乗るのであれば、これは避けられない事態であろう。

独立する富裕層。自分達の面倒は、自分達で見るから他もそうやってくれ。という社会。

資本主義は格差を容認するシステムである以上、どこかで向かい合わなければいけないこの問題。恐らく遠くない将来に日本にも同じ問題が起こり、不公平を叫ぶ貧しい人々と、同じく不公平を叫ぶ富裕層の分離が起こってくるのだろうと想像する。



2014年4月21日月曜日

法令集インデックス



日本でのプロジェクトの為に様々な慣例法令を調べなければならず、手元にある建築士試験の際に購入したのはかなり古くなってしまっているのでと、出張で日本に戻った際にいい機会だということで最新の法令集を物色する。

様々な種類のものが出ているが、やはり手になじんだオレンジ本を手にし、持ち帰る。建築に携わる者なら知っていることであるが、法令集はあまりにも膨大なページがありすぎるので日常業務で使用する頻度の高いページにインデックスをを貼る必要がる。

「懐かしいな・・・」と建築士試験の時代を思い出しながら少し貼り出して見るが、どうやって貼るのかを忘れてしまった。そこでネットで調べて見ると、YouTubeで丁寧に解説してくれているサイトがある。なんとも便利な時代である。

それを見ながら貼ってはみるが、やはりかなり時間を取る作業である。これにそんなに時間を費やせないということで、ロシア人のスタッフのお願いすることにして、動画サイトとどうやるかを説明すると、数時間で仕上げてくれた。

インデックスが綺麗に貼れた法令集。なんだか気分も新しくなった気がする。


2014年4月20日日曜日

文廟(孔廟) 1306 ★★★


進めているアメリカでのコンペの為に、また土日出勤となる週末。

「これではだめだ」となんとか夕方に切り上げ、「まだ5時前だから、ぎりぎり間に合うはず」と向かう先は八庙の一つである文廟。この北京という都市の中に埋もれる一つの数字を身体に吸収するための場所である。

何度も繰り返すようであるが、北京に散らばる九壇八廟。その中の一つであるこの文庙(wén miào)はまたの名を孔廟(kǒng miào こうびょう)と呼ばれ、儒教の祖である孔子を祀る廟であり、中国国内に多く存在する孔廟の中でも二番目に大きい規模を誇っている。

では最大のものはどこにあるのか?といえば、もちろん孔子(孔子 Kǒngzǐ)の生まれ故郷にある訳であり、孔子の故郷である中華人民共和国山東省曲阜市(Qūfù)にあるのが中国最大、世界最大の孔子廟というわけである。

北京の孔廟は成贤街(chéng xián jiē)というラマ仏教の寺院の西に伸びる如何にも昔からの文教地区だったと思わせる良好な環境に位置する道の沿って配置さている。この道は両脇に背の高い木々が配置され、夏になると生い茂った葉が空を多い、まるで緑のトンネルを作り出す、北京でも有数の心地よい道の一つである。

その成贤街の中で重要な役割を果たすのがこの孔廟とその横に位置する中国古代からの学校であり、儒教の最高学府・国子監(guó zǐ jiān)。中国の官吏である科挙の試験を受けに来たいたのはこの場所であった訳である。今のお受験のように、合否発表では様々なドラマが起こったに違いないと想像する。

文廟(孔廟)であるが、建設されたのは1306年とされている。これは他の九壇八廟が建設された1500年代。つまり明の時代よりも先の元の時代に属している。ちなみに元は1271年から1368年にかけて中国語支配した王朝である。

この地に都を定めた現王朝は、フビライ・ハンが儒教に重きをおいたこともあるが、漢民族を統制するための懐柔策としてこの文廟(孔廟)建設したともされているらしい。

そんな歴史の目撃者である文廟(孔廟)。中に入ると樹齢600年ともいわれる大木に囲まれてあちこちに石碑が建っているのが目に入る。これは古代の著書である十三経の碑林であり、近寄って見ると細かい字でびっしりと掘り込まれているのが見て取れる。

十三経(じゅうさんけい)は、儒家が重視する経書13種類の総称であり、宋代に確定したという。従来、儒家の経書に六経があったが、このうち『楽経』は早くに亡んで漢代には五経となり、その後徐々に増えていき宋の時代に13となる。

『易』
『書』
『詩』
『周礼』
『儀礼』
『礼記』(『大学』・『中庸』を含む)
『春秋左氏伝』
『春秋公羊伝』
『春秋穀梁伝』
『論語』
『孝経』
『爾雅』
『孟子』


最初の門の目の前には、随分威厳のある孔子の像が立っている。その後ろには孔子の12人の弟子の記念位牌も飾られている。中を見学し、内部からつながっている国子監へと足を伸ばす。こちらは南北軸に沿って奥へ奥へと建物が並ぶ配置になっており、随分と多くの観光客で賑わっていた。

今も昔もやはりまじめに学問を修める人がやはり世の中に必要とされるのだと理解し、家の本棚に眠っている「孔子」の本をそろそろ読み出そうかと決意して門を出ることにする。