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2016年10月30日日曜日

「コンビニ人間」 村田沙耶香 2016 ★★★


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第155回(2016年) 芥川賞
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毎年「芥川賞」と「直木賞」の発表があると、「ああ、今年ももう半分終わったんだな」などと6ヶ月という時間の流れを感じることになる。しかし、それも毎日留まることなく押し寄せるニュースの波の中に埋もれ、あっという間に「そういえば、今年の受賞作はあれだったな・・・」と、話題になる受賞作関連のニュースに触れては思い出すことになる。


今年はどちらかといえば、「コンビニ人間」の方がややスポットライトを浴びている印象があり、そのタイトルは耳に残りながら、「そのうち文庫化されてからブックオフで見つければ・・・」と思っていたくらいであっという間にコートが必要なほどの深い秋に差し掛かってしまっていた。

父親が定期購読をしている文藝春秋を帰国のたびに貰ってきては読み込んで、会うたびに読み終わった号をくれる親友が、「コンビに人間も載ってるよ」と渡してくれた最新号。こうして誰かの手を巡ってきた物理的重さを持った「本」というメディアのありがたさを再認識しながら、「ポン」と久々に時間ができた週末に、先日の産経新聞で書かれていたように、「いざ、読書。」と覚悟を持って手にしてみると、思いのほかするすると引き込まれてあっという間に読み終えてしまった一冊。

今年の受賞作なので、少しネットで検索すれば、それほど星の数ほど感想や批評が書かれているのであろうが、現代社会の中でほぼインフラとしてなくてはならなくなったその都市機能の中で、利用者からは当たり前の風景として視界に入ってこないそこで働く人々の日常を、小さなころから当たり前の人間としての感覚を持つことができなかった欠陥品として自分を捉える主人公の視線から描き出すことで、現代日本の持つ同調圧力と、無意識の中で人々がそれに併せて振る舞い、それぞれの役割をこなしていくこと。どんな場所でも、どんな立場でも人は自分を肯定しなければ生きていけず、どんな形でも自尊心を保つことが必要で、そのために時に周りの人を下に見ることによって、安易な自己肯定感を得ていく人々。「あなたのためを思っているのよ」とか「社会で生きていくためには」などと、価値観の強制が振りかざされ、「世間で言う全うな人」ではない人々がドンドンと切り落とされていく姿が徐々に鮮明に描き出されていく。

「マウンティング」や「「格差」。「底辺」といった様々なキーワードが、見え隠れしながら物語の背骨を支え、それでいながら、しっかりと生身の人間としての温もりを感じさせながら物語が展開していく。非常に限られたセッティングの中の、限られた人間関係の中で展開し完結する物語であるだけに、小説というメディアの素晴らしさを改めて感じさせてくれる一冊である。

2015年2月20日金曜日

渋滞のイメージ

渋滞にはまるとどうしてもイメージしてしまうことがある。

それは、身体を流れる様々な血管。それが一部詰まりを起こし、スムースに流れない。
そこから徐々に詰まりを発生させる物質が大きくなり、徐々に詰まりが大きくなる。

それに伴い、他の場所でも影響が出て、身体全体のバランスが崩れる。
頭痛が起こり、吐き気を催す。
そしてある日、限界点を超えた欠陥はとめどなく流れる血液の圧力に屈して破裂する。
一瞬の痛みを感じるが後は気を失い全体の生命活動を終えていく。

そんな痛々しい姿。

渋滞が何か一時的な原因に拠るものなら恐らくそんな想像はしないのだろうが、
明らかに現在目の前に見えている渋滞は社会の構造的なものに起因し、
それをどうにか取り除かない限り、詰まりはどんどん酷くなるばかり。

コンビニと同じくらい日本全国どこに行っても出くわす同じ風景になったこの渋滞。
聞きなれた臨界点ということばだが、この渋滞のストレスが臨界点に達するのも遠い日ではないだろう。

2014年10月12日日曜日

H26 2014 一級建築士製図試験 「温浴施設のある道の駅」

日常の生活の中で気がつかずに当たり前だと受け入れ始めていた風景の変化が、こうして試験の課題問題としてつきつけられると、「社会が変わりつつあるんだな」と改めて思うことになる。

この10年近くで地方都市に出向くと非常に多く目にすることになった新しい建築のタイポロジー。その一つが「道の駅」。そしてもう一つが「スーパー銭湯」。その二つを掛け合わせるようにして作られた今年の設計課題「温浴施設のある道の駅」。

どんな地方都市に行っても、街を出ようとすると幹線道路沿いにポンと出てくる同じような建物。看板をみずともなぜだかそれが道の駅だと分かってしまうほど、ある型ができてしまっている。スーパーもコンビニもあまりない地域においては、逆に道の駅が生活のインフラとして機能し、その為に通常の道の駅から更に発展し、フードコートを併設するなど並みのスーパーよりも充実した内容にまで変容したものも出てきている。

対して「スーパー銭湯」。こちらも訪れた街で少し時間ができたからと訪れてみると、全く知らない街に来たはずなのに、中の風景はほとんど同じ。まるでインフラと化したコンビニに来ているかのような錯覚に陥ることもある。そしてどこの街でもこの「スーパー銭湯」が流行っていないのをみたことがないほど、どこでも都市の娯楽のかなり上位に位置するようになっている。

この様に両者に共通するのは、その登場から数年が経ち、人々がそれに対してどのような反応をし、またどの様に使っていくかのやり取りを重ねながら、徐々に最適な型へと収束していった結果、こうして多くの場所で都市の見えない要求に適合し、ある一定の型として風景の一部になっていったこと。

これはある意味恐ろしいことである。かつては限られた技術や素材、工法がその土地固有の風景をつくりだし、調和の取れた街並みや心を和ませるような景色を作り出していた。しかし、現在はどこにいても瞬時に情報が共有され、人も物も境界の無くなったフラットな世界。その現代においても風景まで昇華する「型」となりうる建築のタイポロジーが生まれているということ。そんなことに思いを馳せずにいられなくなる課題文である。


さて、そんな設計条件を詳しく見ていくことにする。
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この課題は、ある地方都市の湖畔の景勝地に建つ􌓕道の駅」を計画するものである。本施設は、休憩、情報発信等のサービス施設に加えて、地域振興や地域住民の交流の場となるように、地域の特産品の販売を行う物販店舗や飲食ができるフードコートのほか、地域住民も利用できる温浴施設を設けるものとする。また、敷地に隣接する駐車場は、本施設の利用者だけでなく、湖畔を散策する者も利用することができるものとする。
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そして模範解答を見てみると、つまりは温浴で健康を維持し、フードコートで食を満たし、そして道の駅で消費をしていくというまさにワン・ストップ・サービス。コンパクトへという地方都市の流れに乗って・・・という思いもなきにしもあらずなのだろうが、へ敷地図に描かれた広大な駐車場をみると、実家のある地方都市にも広がる同じような光景が脳裏に浮かぶようである。

この点が示唆するのは完全に車社会となり、車無しでは生活が成り立たなくなっている地方の在り方。お風呂から眺める遊歩道の先に広がる湖畔の風景。それがこの施設のあり方をせめて差異化してくれるのだろうかとなんだか寂しい気持ちになりながら、今年の試験の総括を終えることにする。

2014年6月26日木曜日

「商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道」 新雅史 2012 ★★★

1973年生まれというから、まだ40歳前後の社会学者ということになる作者。社会の構造的に利権が隠れているところで、なかなか皆思っていても気を遣っていえないところにバッサリ切り込んでいく感じはなかなか好感を持てる。

街を歩いているとこんな閑散とした商店街でも、なんだか普通に店を営業しているお店を良く見かける。とてもグローバル化した現在の競争と更新の激しい経済活動で勝ち残っていくような営業努力をしているとも、またそれができるともとてもじゃないが思えないような店構え。

車を走らせれば、電車で二駅行けば、すぐにたどり着ける郊外型の大型ショッピングモール。デフレスパライラルに嵌まり込んでいるうちに、低価格競争はそれを支える非正規労働者の待遇を犠牲にしても、他店よりも少しでもコストカットでプライスダウンというスローガンの下に、かつて無いほどの低価格競争で競合相手を振り落としていった。

世界の地図を見ながら、どこで原料を仕入れ、どこで生産し、どこで加工し、どうすれば輸送コストを削れて消費者に届けられるか。そんなミリ単位の競争を勝ち残っていけるだけの体力を身につけた超巨大企業体が市場を独占していくことがすぐ視界の脇で行われいるにも関わらず、そこだけ昭和の時間が流れているかのようなのどかな商店街の風景。

どう考えてもおかしい。

サービスに付加価値をつけて、少しでも差異化をはかり、消費者がどんなことを求めているのか普段の分析を続けながら、商品の質を高める開発も続け、サービスから報酬を得る職能人として能力の向上に努めながら、それでいながら地元に密着する活動にも参加する。

そういう真面目に、危機感を感じながら、自己革新を行っている自営業者はもちろんいるはずである。しかし、世の中全部が全部、そんなにがんばりもののはずも無い。がんばりモノのであれば、あのような店構えになっているはずもない・・・

都会で生きていくならば、家賃を支払うのだけでも大変である。従業員を雇えば、彼らの給与や社会保障などの負担も大変である。事業をまわしていくには、相当な資金も必要になるだろうし、内装を少しいじるだけでも相当な経費が飛んでいく。通常の感覚で言ったら、やはり商売として回っていないのではと思わずにいられない。

やはり何かがおかしい。

ということは、何かのカラクリがあるという訳だ。そこには何かの利権構造が出来上がっており、何かしらの優遇制度が適応されているはずだと。

今でこそ資本主義を背景とした郊外の大型ショッピングセンターの強力な波に押され、地元の付き合いよりも、自分のメリットを価格で図るドライな世代の顧客を奪われる形になり、続々とシャッター街となっている地方の商店街。

しかし、それはそんなショッピングセンターの登場というきっかけがあったらか顕在化しただけで、根本的な問題は常にそこに横たわっていたはずである。既得権益に安穏とし、自らイノベーションを起こして価値の更新をしてこなかった商店街という場所の居心地の良さ。

それがいったい何だったのか?現在では大多数を占めるようになった、勤め人からでは決して見ることができない、中小小売商に対する優遇策とはどんなものだったのか、国策としてどうやって創り出されていったのか、そしてその利権の中で、彼らがどうやって外から閉じ、家族という単位で利権を囲い込んでいったのか。

新書と言うのは本来、こうして社会が抱える構造的な問題が、結局は誰かの利権に繋がっているからであるということを専門以外の人にも分かりやすく描き出し、その利権を守ることが一部の人を保護することであっても、社会として硬直化がどんな悪影響を後世に残していくのか、その中でいったいどんな建設的な提案が可能なのか。そういうことを、「それは言って喋って欲しくなかった」と言う人がどれだけ多くても、学者と言う立場を利用して世間に発することが必要なのだと思わずにいられない。

以下、本文よりいくつか抜粋。
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序 章 商店街の可能性
外部の人を引き寄せる「余地」 人々の生活への意思があふれている場所

第1章 「両翼の安定」と商店街
/「抜け道」のない日本社会
村上春樹 「金は無いけれど就職もしたくないなどという人間にも、アイデア次第ではなんとか自分で商売を始めることができる時代だったのだ」
チャレンジをおこなうことが徐々に難しくなった
土地・建設費が、猛烈な勢いで上昇してしまったから
抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会であると僕は思っている

/「雇用の安定」と「自営業の安定」
雇用の流動化
商店街の経営主、豊かな自営業 自営業の安定
小売業の距離制限やゾーニング(土地利用規制)の緩和
・自営業の安定に対する誤解
「旧中間層」と「新中間層」 旧中間層は土地を自己所有する豊かな自営業層、新中間層は豊かな雇用者層

/商店街は伝統的なのか
商店街は20世紀になって人為的に創られたもの
20世紀前半に生じた最大の社会変動は、農民層の減少と都市人口の急増

/近代家族と商店街
家族 家族経営 近代家族
家族の集団性の強化 社交の衰退 非親族の排除
地域に開かれている存在であるはずなのに、それぞれの店舗は「家族」という枠に閉じていたわけ

第2章 商店街の胎動期(一九二〇~一九四五)――「商店街」という理念の成立
/発明された商店街
商店同士の連携 地域社会のシンボルとみなされている

/都市の拡大と零細小売商
第一次世界大戦移行の社会変動
零細小売商が大きく増えた
農業をやめて都市に出てきた
第一次大戦後、不景気により中小企業が没落し、財閥に吸収される
工場の大規模化
企業による直接雇用に置き換わる
・物価不安と協同組合
急速な都市人口の増加
・百貨店の登場
百貨店と言う新しい小売業態の存在感が増した
日本の百貨店が大衆の消費空間として花開いた 初田亨
陳列販売方式へと変化

/「商店街」という理念
・組織としての商店街
小売商の組織化
異業種同士の連帯であった。それこそが商店街
横に地を這う百貨店
繁華街以外の手近な場所
10分か15分で到着できるところ
・地元商店街を制度的に支えた距離制限
「繁華街」と「地元」
生活インフラとしての商店街

/燗熟する商店街
流通革命 レジスター スーパーマーケットと言う新たな業態が生まれた
/経済成長と完全雇用の矛盾
・零細小売商のスーパー出店反対運動
1973年には大規模小売店舗法(大店法)
コスト主義 消費者は無視 バリュー主義
販売者の所得を引き下げても仕方が無い
・消費者運動
生産活動がすべてに優先されている 生産されたものを、如何に消費させるかが考えられる

第4章 商店街の崩壊期(一九七四~)――「両翼の安定」の奈落
/コンビニと商店街の凋落
コンビニほど日本のランドスケープを変えた存在はない
なぜこれほどにコンビニが増えたのだろうか
「便利」を追求
元零細小売店によって経営された
なぜ小売店主が、コンビニに手を出したのか
跡継ぎ問題
事業の継承性
商店街を内部から壊すもの コンビニ
専門店同士の連帯を無視して成り立つ業態であるから

/日本型福祉社会論と企業中心主義
企業福祉と家族福祉を機軸とした「日本型福祉社会」
企業と家族
そこに自営業や地域は含まれていない
サラリーマン家庭以外の人々は、日本における例外的な層と位置づけられたのである
日本型福祉社会論 「家族だのみ」「大企業本位」「男性本位」の社会政策
1985年の年金改革
第三号被保険者が創設された 厚生年金や共済年金の加入者(第二号被保険者)に扶養される配偶者
第三号被保険者が、保険料を自分で払わなくても、老後に基礎年金を受け取れることを可能にした
男性サラリーマンと専業主婦というカップリングは、多くの恩恵を受けていた
・日本型福祉社会における家族像
年収130万円以上稼ぐことを避ける
年金保険料まで支払う必要が出てくる
男性サラリーマンと専業主婦のカップリングを「理想的な標準世帯」としていたからだえある
・前川リポート
製造企業には、生産拠点を海外に移転するように求める

/財政投融資と「地域」の崩壊
・加速する郊外化
消費空間のあり方が、1980年代に大きく変化した
流通に関する規制緩和
大規模な小売チェーンが、地方に進出しやすくなった
地方都市の郊外化
公共事業の拡大によって地方の道路事業がすすんだ
市街地の道路整備 時間がかかるし、資金もかかる
地方都市間のアクセス道路は、市街地ではないために整備がスムーズに進む
商業用地に変換
地方都市の郊外-国道のバイパス沿い-に、商業用との土地が大量に発生
バブル崩壊以降の野放図な国土開発は、塩漬け状態の土地を大量に生み出し、区尾外の商業化を加速させた
ショッピングモールが建設
自動車での消費活動を前提としていた

/商店街の内部崩壊とコンビニ
コンビニ化という生き残り戦略が、商店街を内側から崩壊させた
スーパーマーケットを経営していた大規模小売資本
零細小売商そのものをスーパーマーケットの理論に染め上げると言う戦略
零細小売業種は、その権益を、地域のためと言うよりも、家族のために使うことを考えた
権益を引き継ぐ先は子供に限られていた

第5章 「両翼の安定」を超えて――商店街の何を引き継げばよいか
/近代家族と日本型政治システムに支えられた商店街
商店街が、恥知らずの圧力集団になった
保守政党と政治的な結託を見せた
免許などの権益は親族の間で移譲された 権益の私物化
親族間での経営以上は小売店のイノベーションを妨げた 閉ざされた権益
ジリ貧の状況から抜け出すため、コンビニ経営へ乗り出した
1980年代以降の日本は、本来ならば個人化に即して、家族ではなく個人を支援する政策を行うべきだった。日本は、企業福祉、家族福祉にたよった社会保障政策を以前よりも重視すると言う欧米社会の基準からみれば時代錯誤の選択をおこなった。
自営業が握り崩される中、人々は正社員に安定を求めるようになった
/規制と給与のバランスをめぐって
1990年代に入ってからもゾーニングの緩和が実施 ショッピングモールが地方の郊外に増加した
今の若者たちは新卒採用という選択にしか目が行かず、ほかにどのような選択があるのか分からない状態
・新しい商店街理念とは
地域単位で協同組合が商店街の土地を所有し、意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップする
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■目次  
序 章 商店街の可能性
第1章 「両翼の安定」と商店街
/「抜け道」のない日本社会
/「雇用の安定」と「自営業の安定」
/商店街は伝統的なのか
/近代家族と商店街
/社会理論と商店街
/本書の構成

第2章 商店街の胎動期(一九二〇~一九四五)――「商店街」という理念の成立
/発明された商店街
/都市の拡大と零細小売商
/「商店街」という理念
/二つの商店街-「繁華街」の商店街と「地元」の商店街

第3章 商店街の安定期(一九四六~一九七三)――「両翼の安定」の成立
/成熟する商店街
/経済成長と完全雇用の矛盾
/小売商の保護施策
/価格破壊と商店街

第4章 商店街の崩壊期(一九七四~)――「両翼の安定」の奈落
/コンビニと商店街の凋落
/日本型福祉社会論と企業中心主義
/日本問題と構造改革
/財政投融資と「地域」の崩壊
/商店街の内部崩壊とコンビニ

第5章 「両翼の安定」を超えて――商店街の何を引き継げばよいか
/近代家族と日本型政治システムに支えられた商店街
/規制と給与のバランスをめぐって

あとがき
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2014年4月17日木曜日

スーパー銭湯が娯楽の日常

幸いなことに、今回のプロジェクトは地元の小学校・中学校の同級生がクライアントであることから、打ち合わせで日本に帰るたびに実家に泊まり両親の顔を見ることが出来る。

田舎であるから一日の仕事の部分が終わるのはかなり早く、夕食を終えると風呂好きの父親が、「久々に銭湯でも行かないか?」と誘ってくる。

手ぬぐいと着替えを持って車で向かうスーパー銭湯は建物の数倍の駐車場が完備されているにも関わらず、ほぼ埋まっている。平日の夜だというのにも関わらず。

こういう風景が地方都市の当たり前の日常風景として溶け込んでしまっていることに気がつかされる。モータリゼーションと「気持ちがいい」という身体への娯楽が掛け合わされることによって生まれた風景。

家族揃って夜に行くところ。以前は家族揃って外食だったのが、今では家で食事をとって、その後スーパー銭湯に出かける。外食ならば一人2000円だと考えると、家で食事をとり、一人700円ほどのスーパー銭湯ならある種お得と言う計算になってしまう。

本来ならスーパー銭湯に700円という単体だけで考えたら、「高いな」と感じる人も要るかもしれないが、それが気持ちいいこと、健康に良さそうなこと、そしてこうした外食産業をライバルとした家計の計算を考慮すると「あり」になってくる現代社会。

恐らく現在、日本全国、何処にいっても見られる風景であるだろう。コンビニ同様、恐らくかなり正確なマーケティングの条件を満たした地方都市。年齢構成や年収分布、子供のいる家庭の数などかなりの要素を組み合わせた中でここなら客は来ると判断を下されまた増えるスーパー銭湯の風景。

それはロードサイドを埋め尽くすファスト風土や街中に散らばるコンビニ同様、その土地の場所性などはまったく関係を持たない建築タイポロジーであることは間違いない。スーパー銭湯という記号を纏った建築物がこれから更に日本の多くの場所で増えていく。

風呂というある種日本人にとって特別な場所であるだけに、どうにか現状の様なチェーン店の様な空間でなく、新しい形があるのではと思いながら風呂に身体を沈めることにする。

2014年2月11日火曜日

少々の不自由さ

北京に戻り、冷蔵庫を開けるが暫く家を空けていたのでこれといった飲み物が無い。そんな時思うのは、深夜にも関わらず、すぐに外にでて近くのコンビニで何十種類の中から好きな飲料を選ぶ。そんな日本の便利さはここにはない。夜には閉まるスーパーが朝に開くのを待つしかない。

こんな些細な事だけと、日本にいると当たり前のことがどれだけ過剰に便利であり、心地よい環境かということを思い知る。

これを企業努力というのだろうが、人は少しでも便利だと思う事、快適だと思う事にお金を払う。それが企業にとって少しでも儲けに繋がる、利益になれば、様々な手段を使って開発される。競合他社よりも一時間遅くまで営業していれば、利益がどれだけ上がる。ほかよりもより近く、高密度で店を展開すればどれだけ売り上げが上がる。

高度なマーケティングのシュミレーションと組み合わされ、住まう人はデータを作り出すパラメーターとして把握される。そこには、快適な調整された環境で育てられた動物が、いきなり厳しい野生の中に放り込まれたら自分を守ることもできずに死に絶えてしまうような、「人はどこまで快適さを与えられたら、厳しい現代社会で生きていくうえでの力を無意識のうちに失っていくか」などという要因は加味されない。

確かに便利になったり、快適さを感じたりすることに流れるのは止める事ができない。ただ、それが世界の他の国と比較して、どれだけ差異化されているのか?多様である他の国では、どれほど日本から見たら低いといわざるを得ないスタンダードで多くの人がそれを当たり前として暮らしているのか。

それを認識せずに、ただただ全てを与えられ、すべてを経済性から捉え、対価を支払う事で進歩したサービス産業の恩恵を受けるんだと開き直ることで、どんどんと楽に慣れた堕落した人間を作り出してしまうのではと思わずにいられない。

コンビニの例だけではなく、様々な場面において一つの事をこなそうとする時のハードルが過度のサービスの発展の為に、非常に低くなっている現代の日本。しかし提供されるサービスが向上するのは、それはあくまでもビジネスの一環であるから。そこに利益があがるというシュミレーションが働くから。

もし、そこが限界集落、極点社会へと針が振れ、利益の見込みがなくなった時には、恐ろしいくらいにあっさりと撤退していくのが競争に晒された企業の本質。日本が人口を失い、国の枠組みが少し外に開き始めれば、外部のスタンダードが大量に流入するのは眼に見ていてる。

そんな時代を見据えると、至れり尽くせりのサービスにどっぷりと精神を浸して過ごすのではなくて、人が健康的に生きていくのに一体どの程度が適切か、自ら判断しながら、世界の標準と距離を測りつつ、しっかりとサービスの中から意識的に選択して付き合っていく必要があるのだろう。

少々の不自由さの中で生きたほうが、人は困難を克服しようとする力が養われる。特に小さな子供には、できるだそんな環境で育っていくのがいいのではと思いながら冷蔵庫を閉めることにする。

2012年11月8日木曜日

柳川 ★


大宰府を離れ、日が暮れる前になんとか辿り着こうと高速から外れている立地を恨みながらも田舎の一本道をひた走り、ところどころに見えてきた水郷の姿にエリアに入ったことを感じる。

恩田陸ファンならば、「月の裏側」で描かれるなんともミステリアスでありながら、何かが起こりそうな何とも言えない独特の雰囲気を持った街の風景を頭にインプットしているはず。

事前にチェックしておいた航空写真でも、明らかに普通の都市とは違った構成に心を躍らせて、これは何か見たことの無い風景が待っているはずだと心を躍らせアクセルを踏みしめる。

街の一割が掘割と言われる水路で覆われ、その水路をゆたりゆたりといく船の上では船頭が竹竿を巧妙に操る川下り。水面に反射した光が照らし出すのはまめこ壁のテクスチャーと、ベニスや蘇州とは違った日本の水の都としての風景への妄想が止まらない。そして町中に漂う名物「うなぎ」の匂い・・・

そんな訳で完全に妄想が現実を追い越してしまい、辿り着いたのは現代日本を体現するような観光資源を持ちながらもある時期に成熟を止めてしまったような地方都市の代表の様な姿。首都圏の校外に広がるのっぺりした平坦さとは違って、その先に海原の広がりを感じさせる独特の平坦さがその寂れをより広げるかのように。

徐々に暮れる夕日が照らす川の水を眺めながら、それでもかつて日常であったはずの保存された街並みを歩いていると、下校途中の小学生や中学生がおしゃべりしながら、川辺を歩いていく姿を目で追うと、道を曲がった先に見えてくるのは日本でどこでも見るコンビニのある風景。

ここにしかない風景にどこにでもある風景が挿入されて、美しい街並みは観光客を呼ぶための舞台として「保存」され、生きることを止めてしまった日本の街並み。便利になることを経験してしまった人類に、後戻りすることは強制できないが、この静かに流れる水のある平坦な風景に見合う現代の風景が本当は作れるはずだと思いながら、ディズニーランドとして北原白秋がいたころの街並みに戻すのではなく、人口が減っていくからこそできる、この街の本当の意味での現代の街並みがいつか現れることに期待する。











2010年5月29日土曜日

「都市の政治学」 多木浩二 1994 ★★★★

「都市論」に関する書物の中で現代的問題を具体的視点を持ってこれだけ分かりやすく批評している本は久々に手にしたように思われる。

何といっても、「第一章 都市の現在 ー ゼロをめぐるゲーム」における「2 あたらしき悪しきもの」と「3 コンビニ繁盛記」。「第三章 都市の世界化ー外部化される都市」の「2 エアポートの経験」はまさしく現代を表象する現象であり、建築と社会が向き合っていくべき課題であろう。

読めば読むほど、「都市」というものが多様な要素にて構成され、それぞれの要素が複雑に絡み合いながらバランスを変え、一瞬一蹴姿を変える、なんとも捉えにくい対象であるのが再認識される。

欲望、消費、ネットワーク、スケール、イベント、文化、ゲーム、空港、開発

本書で語られる側面だけでも非常に複雑なバランスで都市が成立しており、何をどう操作すればどんな変化が生まれるのかを予想するのは非常に難しい作業だということを理解する。

それでも、都市無き現代社会が成立しない以上、どんなに困難でもそれを理解しようとする作業を諦める訳にはいかず、どれだけ表皮が重なっているのか分からなくとも、こうして一枚一枚丁寧に都市という表皮を剥いていくことをやめてはいけないのだと改めて理解する。

以下、本文より抜粋する。
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序章 都市を考えるために 
都市を巻き込み、世界が変わりつつある 
パスポートという一枚で検閲保証 他のエアポートとのネットワークに依存 世界都市 
交通手段の変化による世界の変質 

第一章 都市の現在 ー ゼロをめぐるゲーム
1 欲望のかたち
都市とは欲望を住処にして人間が夢と覚醒のあいだの日々を送る場所

愛を基礎にした結婚と資本主義との関係 核家族 個人の愛を基礎にした結婚 個人を成立させた資本主義文化のひとつ 
資本主義以前 部族全体や家族の関係できまる 
医療の進歩 子供の死亡率の減少 子供が社会に認識 
郊外ニュータウン 核家族の一大集団 

2 あたらしき悪しきもの
消費のスタイルー商業が都市を揺るがす  商品が溢れる都市 
ベンヤミン 19世紀パリ パサージュ  商業 当時は悪しきもの 全天候型の都市出現 全時間型 夜が変わる 商店街と交通路の分離 都市と商業施設 建築家長く低くみてた 
パサージュからデパート スーパーマーケット 
資本主義都市で買い物のパターンがどう変化 
パサージュ 1870年代のデパートで意味失う  
買い物パターンが変化する デパートからスーパーマーケットへ 

3 コンビニ繁盛記
コンビニー新しいエコノミーの誕生 
便利さの追求 買い物の極小化 
コンビニ 複合施設 ショッピング・センター   

コンテナーのネットワークがひろがる    
プラグ・イン 規格化されたコンテナ 誰も客を誘惑しない 商品の貧困さ 情報社会の申し子 単身者を主な対象 冷蔵庫の延長 

都市の最小スケールである私的生活の一部に都市を組み込み、あるいは最大スケールである都市の仕組みに私的な空間が組み込まれる 

消費社会が基盤とした差異化 
浪費という概念成り立たない 欲望の変質 貧困化 コンビニは想像力を刺激しない 

情報社会がコンビニの成立条件 都市を均質体験 どこにいっても見たことがあるコンテナ コンビニの成立 コンピューターのネットワークができてから コンビニのレジは本社のコンピューターの端末

4 ユートピアなき文化
カーニヴァルからイベントへ 
いろんな活動があつまって総体として現れる かつて形式が先行 形式を背景に活動が意味を持つ 
地域性を無視するメディアの支配 
東京オリンピック 改造する為 イベントは文化的でなけてばいけない 
テーマ・パークというモデル ゲームの都市化 
地方性の消失 擬似イベント 

第二章 都市の政治学ーネーション・ステートの首都からの変貌
死の場所 もうひとつのユートピア 強制収容所 アウシェヴィッツ ビルケナウ 絶滅都市 消費は無 効率的焼却炉 

第三章 都市の世界化ー外部化される都市
1 都市が混じり合う
都市より大きな単位が現れる

2 エアポートの経験
都市をつなぐ旅
旅の持つ意味 都市は出発点 目的地 鉄道 自動車 飛行機 
鉄道の発達 空間の経験の様相 機械的速度 カントの空間概念 地理的認識 軍隊輸送 国境の経験 フィクション 世界は異質性 船舶へ接続 世界を一体化 ジョール・ヴェルヌ「80日間世界一周」 
19世紀ブルジョアジーの歴史意識 鉄道 都市に駅 
日本 通過駅 
ネーション・ステートの首都の駅 終着駅 
鉄骨とガラス 古典的様式のファサード 

エアポートー主体と他者
都市からはみでた場 
飛行機の旅 
地球の経験を変えた 
都市と都市をつなぐ旅の印象を希薄化 
エアポートぁらエアポートへ旅 
飛行機のなか 無能な身体 拘束される 
国境を経験しない 孤立した場
 現代という時代に顔を与えるのは空港ではないか 

空港での二つの経験 
主体と他者の関係 権力空港 
普段感じない国籍 パスポート 政治空港の経験 管理下 
都市を超えた都市 空港が都市と遠い 

3 巨大開発が進むとき
世界の都市が似てきた
似たような再開発計画 同時性 
よく似た風景 1960丹下 東京計画 
建築がつくる原風景の喪失 原風景 世界になんらかの根拠を残す 

ロンドンのドックランド
19世紀の港湾開発 風景としての都市の貧困化 
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目次
第1章 都市の現在
1 欲望のかたち
2 あたらしき悪しきもの
3 コンビニ繁盛記
4 ユートピアなき文化
5 物の世界
6 危ない都市

第2章 都市の政治学
1 ネーション・ステートの首都
2 ユートピアが可能であったとき
3 力の政治学

第3章 都市の世界化
1 都市が混じり合う
2 エアポートの経験
3 巨大開発が進むとき
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