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2021年12月1日水曜日

師走(しわす)12月

 

本当にあっという間の一年。

2018年1月29日月曜日

情報の過剰摂取

食事でも取り過ぎは身体に良くない。
「もう少し・・・」
と欲をだせば、ぐったりと動けなくなる。
腹八分。なんでも、適度が一番。

同じように現代社会では多くのものが身体に入ってくる。
その中で近年加速度的にその量を増やしているのが「情報」。

仕事、テレビ、新聞、ラジオ、ブログ、スポーツ、バラエティー、読書、習い事・・・・

意識をしなければ、一方的に増えるだけ。
食べ過ぎた後にぐったりしてしまうのと同様に、
これだけの情報を無意識に身体に入れ込んでいれば、
身体が、脳がいったいどうなってしまうのか。

情報の断捨離。
収納と同じく、スペースに3割ぐらいの余裕を持たせることを理想に。
情報をフィルターし、しっかりと棚の中に片付ける。
その為に、中華新年を機に、どれが必要で、何が要らないのか、
仕分けをしっかりして次の一年を迎えることにする。

栄養過多にならないこと。
それを目標に過ごす一年にしたいものである。

2015年11月8日日曜日

月の花 一年の環


日々終われるだけの時間の過ごし方ではなく、もっと長い時間のスケールを持ちながら日常を生きようと、一ヶ月の時間を意識しながら、その時々の季節の花の姿を咲き誇る風景を想像しながら、昨年末から描き始め、それがやっと一年、12ヶ月を終えて、一年という一つの時間の環が閉じることになった。

1月の梅2月のシクラメン3月の沈丁花
4月の桜5月の薔薇6月の紫陽花
7月の向日葵8月のコスモス9月の彼岸花
10月の金木犀11月の菊12月の水仙

春、夏、秋、冬。それぞれの季節の美しい風景。その中に美しい色彩を添えてくれるこの花々。

色だけではなく、その付近を通りがかるたびに、ふわっと身体を包むかのように漂うその香りに嗅覚も刺激されることで、記憶の奥に強く定着する。街の中で不意に襲われる思いもよらぬそんな体験は一日をなんとも豊かなものにしてくれる。

それと同時に、季節ごとの大地の力を感じるために、「この花を見に行く」という明確な目的をもって足を運ぶ様々な名所も12ヶ月ごとに自らのマップの中に入れておくこと。これがどれだけ一年という時間を豊かに過ごさせてくれるのか。

そんなことを思いながら、一ヵ月後と、リビングの一角で異なる色を見せてくれる様々な花の絵を視覚の端に捕らえて日常を送ることを楽しみにまた、別の時間のスケールを自らの人生の中に取り込むようにと次に向かうことにする。

1月  / 水仙
2月 梅 / 椿 / シクラメン
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 
12月 水仙

1月-3月
4月-6月
7月-9月
10月-12月

2015年8月22日土曜日

月の花 8月 コスモス

「一ヶ月」というある程度の時間の幅があると、「今やらなければいけなくても、次の月までにはやれるだろう」と人の心の弱さが出るものである。

「一日」という単位で生きてしまいがちな日常。それに違った時間のスケールを挿入しようとやり始めた一年後との干支をその一年をかけて掘り出す「木彫り」。

8月の終わりになって夏休みの宿題を焦ってやりだす小学生時代の様に、「一年」と言うスケールは留まるところ「12月」にしわ寄せがやってくる。

それでいけないと今度は「一ヶ月」のスケールを感じながら日常を生きようと始めた月ごとの季節の花の絵を描いてフォトフレームに入れて飾る習慣。

それも同じく月末を苛めることからズルズルと次の月へと持ち込まれる心の規律の弱さを露呈することに・・・

これはいかんとせめて夏が終わる前にと着手した8月の花・コスモス。

1月 / 水仙
2月 梅 / 椿 
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 桜
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 菊
12月 水仙

こうしてじっくり向き合って見ると、今まで印象的だったコスモスの風景が記憶に蘇る。何年か前に行った北京郊外の百花山で咲き誇っていたコスモスの風景。あれもやはり8月だったと季節が花で繋がってくる。






2015年7月19日日曜日

月の花 7月 向日葵


ギラギラした日差しが照りつける、向日葵(ひまわり)畑で麦藁帽子に虫取り網で駆け回る子供たち。そんな夏の代名詞でもある向日葵。その名の由来は、花が太陽の方向を追うようにして動くことからきているという。

その性質から多くの向日葵が同じ方向を向く姿は、なんとも可愛らしい風景を作り出し、多くの人から愛されている。ちなみにこの性質は成長が著しい若い時期だけのものであるといい、花が完全に開いた花では東を向いたままとなるようである。

小さなころ、家の近くにあった油脂製造会社でも扱っていたヒマワリ油も、この向日葵の種を搾油し作られる。その工場から漂っていた独特の匂いも、この向日葵の一つの印象として、夏に咲き誇る向日葵の姿を見るたびに思い出すことになる。

すくっとたちあがり、燦燦と日を浴びる向日葵の花言葉は「私はあなただけを見つめる」「愛慕」「崇拝」。やはり太陽に向けて成長する姿や、その凛々しい姿から来ているのだろと想像する。

その名称は日本中に多くあるが、やはり一面に広がる向日葵畑となると、北海道や山梨などがよく知られているようである。

ヒマワリの名所・花の名所案内

夏には必ず向日葵に囲まれてその花々が顔を向ける太陽の恵みに想いを馳せる、そんな時間を持ちたいものである。

1月  / 水仙
2月 梅 / 椿 / シクラメン
3月 桃 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 
12月 水仙

2015年2月8日日曜日

月の花 3月 沈丁花ジンチョウゲ


街を歩いていると、「ふわっ」と甘い香りに包まれるそんな花々がある。その代表的なものが春を知らせる沈丁花(じんちょうげ)と、秋の金木犀(きんもくせい)。

桃に木蓮に桜と、派手やかな花々が多い春の中、決して派手な見え方はしないが、その特徴的な香りで記憶の室の奥深くにずっしりと響いてくる存在感を持つのがこの春の沈丁花(じんちょうげ)。

漢字での表記は「沈丁花」。なんとも渋く重みのある名前である。桜や桃ではなく、沈丁花。口にしても心地よい、沈丁花。その花言葉は「栄光」、「不死」、「不滅」、「歓楽」、「永遠」。室町時代には中国からもたらされたといわれるこの花の放つ香りに、様々な時代の人々が何を見て、何を感じたかが透けて見えるような花言葉の数々。

視覚ではなく嗅覚に鋭く春の訪れを訴えてくるこの沈丁花の香りを逃すことなく、今年も街を歩きたいものである。

1月 / 水仙
2月 梅 / 椿 
3月 / 沈丁花 / 白木蓮 
4月 桜
5月 バラ
6月 紫陽花 / 花菖蒲 
7月 向日葵 / 朝顔 / 蓮
8月 コスモス / 向日葵
9月 彼岸花  / 金木犀
10月 シクラメン / 山茶花 / 金木犀
11月 菊
12月 水仙

2013年12月22日日曜日

絵を完成させる

年末だと言うのに、今年の干支の木彫りも終わらず、読み終えた本などのブログも大量に残っている。この状況は、自分にとって今年一年過ごした時間がある種の絵を描くとしたら、その至る所に多くの穴が空いているようなもである。

下手くそがやるジグゾーパズルのように、部分部分に白い部分が残ってしまい、何とも全体像を結べない。「ぼやぁ」としてなんとも気持ち悪いものである。

そんな凹凸だらけの穴に、一つ一つ絵の具を詰めていくように、時間がかかっても丁寧に消化し、外部化し、穴を埋めていく。

そうしておけば、何十年経った後も明確に自分にとっての2013年という絵を見返すことが出来るのだろうと自分を励ましてまた一つ絵の具を埋めていく。

2013年7月11日木曜日

記念日


結婚記念日などは、自分が何かをしたことを記念するタイプ。
それに対して、誕生日は自分で決めることができない。
運命によって左右されるタイプのもの。

そう考えると、記念日と呼ぶのはどうなのか?
と思わずにいられない。
記念日というよりも、ある種の区切りのようなもの。

一年に一日だけ、昨日までの一年間がどうだったのか、
それを振り返ることができる唯一の時間。

そんなことができる区切りの日は一年に数日しか存在しない。

いつもと変わらないはずのリニアな時間の流れにも関わらず、昨日を昨年に変えてしまう元旦。 

同じく、昨日と今日との間に大きなギャップを生み出す新年度の開始点の4月1日。

そして誕生日。


そんな記念日ではない区切りの日。

その中でも国家や人類といった大きな枠での共有項ではない、自分特有の日であるのは唯一誕生日だけか。

なんて思いながら、妻が予約してくれた噂に聞いていたテンプル・レストランに足を運ぶ。

高い天井でとても落ち着いた雰囲気。料理も素晴らしく、こういう場所で記念日を過ごすのも、随分大人になったんだなぁと改めて重ねてきた歳に想いを馳せながら、料理を楽しむ。

春から続いたダイエットのお陰で、随分久しぶりとなったフルコースのディナーに妻もすっかり満足したようで、「明日をどう生きようか」と思いを巡らせながら、二人乗りのスクーターで胡同を抜けて家路につく。