2006年1月22日日曜日

新年×3


今、内モンゴルのある地方都市のかなり場末ののインターネットカフェにいる。

周りはネットゲームに夢中になっている若者に囲まれ、持込のラップトップでミクシィしてるの姿はかなり浮いていること間違いない。

中華新年を目の前にして、休み前の最後の打ち合わせということで昨日から内モンゴル入り。このE市はここ10年で急激な経済発展を果たし、フフホト市に追いつき、追い越す勢いである。

そんな背景を受け、飽和状態に達しつつある都市機能を新たに移転しようと市当局が7年の歳月をかけた新都市計画が進行中なのである。内モンゴル版ブラジリアみないたものである。この計画のプロセス自体語るに値するものが多すぎるので、とりあえず今日はやめておこう。

今朝からの打ち合わせで数点の変更を受け、図面を変更しようかとなるわけだが如何せん、持ち込んだCAD図面とPCのソフトのヴァージョンが一致しない。アップデートしなかった付けがここで回ってくる。

しょうがないからインターネットにアクセスしてアップデートしようかと思いきや、ホテルの電気が落ちましたとのこと。廊下、階段いたるところに蝋燭のなんとも言えない灯りがともり、デビッドリンチばりの雰囲気にしてくれたのはいいのだが、明日の打ち合わせは待ってくれない。そんなわけで雪道をとぼとぼ歩きてネットカフェまでたどり着き、最近版のダウンロード中。

やけに街中が賑やかだと思ったら、今日はモンゴルの新年の初日だという。数日後に控えた中華新年を含めると、今年は3回新年を迎える事になる。なんだかちょっぴり得した気分。

そんなこんなでダウンロード終了。 

明けましておめでとう、モンゴル。

2006年1月10日火曜日

村なるもの


先日、卒業以来となる中学校の同窓会に参加した。元生徒会長のがんばりのお陰で、小規模の学校にも関わらず、半数近くの高参加率でかなりの盛り上がりを見せた。

驚いたことに、軽く干支一周するくらいの時間が流れたのにも関わらず皆当時の役割がそのまんまだということ。ナイス
ポジションキープな訳である。トータルフットボールよりカテナチオというところか。大部分の人が同じ地域で、同じ人間関係の中で生き、それが結構心地いい状況になっているという訳だ。そしてそのなかで子供ができ、彼等がまた同じ幼稚園に通う同級生になりつつある。完璧な村構造だ。

そんななか三浦展著「下流社会」(光文社新書)を読むと、団塊ジュニア世代の二層化などど銘うって、この状況をうまく数字を並べて論じてる。グローバリゼーションと村化の同時性かと、ふむふむと思いながら北京に戻る。

そんな矢先北京友達と行ったハルビンでなにやらよく分からない言葉が飛び交った。よくよく聞くと、ミクシィなるものらしい。ソーシャル
ネットワークシステム。簡単に言えば、ネット版村な訳でしょ。つまり村だらけ。まんだらけみたいなものか。

これはまずいと、昨年友人から送られた招待メールで訳もわからず登録しておいたミクシィにアクセス。もちろんパスワードなんか忘れてるから再発行。晴れて村デビューを果たした。まだまだ半人前の村人か。

ぐだぐだ書いたが要約すると、村八分にならないようにしようかなと思う今日この頃。つまり「下流社会」の次は「差別社会
かと戦々恐々する訳である。

草々