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所在地 兵庫県淡路市多賀
主祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと),伊弉冉尊(いざなみのみこと)
社格 式内社(名神大),淡路国一宮,旧官幣大社
本殿の様式 三間社流造
別名 一宮(いっく)さん・伊弉諾さん
創建 神代(日本書紀・古事記による
機能 寺社
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朝から摂津国、播磨国と巡ってきた旧国もこの淡路国(あわじのくに)で3国目となる。それぞれの一宮には参拝するにはやや距離が遠すぎたこともある、なんとしてもこの淡路国の一宮には参拝して一日を終えたいと願いながら車を飛ばしてさらに南下して夕暮れ前に到着したのがこの伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)。「日本書紀」、「古事記」において、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、それがこの伊弉諾神宮の起源とされており、それが「神宮」という天皇や皇室の祖先神、また国に対して特別に功績の大きな特定の神を祭神とする神社のみに冠せられた称号を見てもわかる。
その伝承のなかの「最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮・・・」という表記のために、滋賀県の多賀大社との間で解釈に諸説があるようであるが、やはりこちらの伊弉諾神宮が有力の様である。
淡路島のほぼ中央の北西に瀬戸内海に面する様な敷地に鎮座するが、航空写真を見てみると、参道がほぼ南北に設けられており、周囲の自然発生的な集落の配置と比べてもその人工性が見て取れ、古代の人々にとって太陽の方位がどれほど大切であったかを感じ取ることができる。
両脇を木々で囲われた参道をまっすぐ進むと、檜皮葺きの表参道を抜け、ぽっかりと開けた境内にて正面に拝殿と向き合い、その右側には社叢に埋もれながらも、頭一つ抜け出している夫婦大楠が岩楠社と隣り合って待ち受ける。
境内は3面を社叢に囲まれながらも、それらの木々がそれほど背が高くないためにそれほどの圧迫感を感じることは無く木々に縁取られた広い空を感じながらの参拝となる。拝殿に向かって本日最後の参拝をすまし、その後ろに社叢に埋もれるようにひっそりと佇む本殿を見て、長かった一日の旅を終えて、宿泊地となる姫路までの2時間以上となる高速の移動にげんなりしながら、参道を引き返すことにする。
表門
夫婦大楠
夫婦大楠
本殿
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