2017年6月22日木曜日

Western Concourse at King's Cross ジョン・マカスラン(John McAslan) 2012 ★★



London Holocaust Memorial Competitionにも参加しているスコットランドのグラスゴー生まれの建築家ジョン・マカスラン(John McAslan)  設計によるキングス・クロス駅の改修。

ロンドンから北に向かうだけでなく、ユーロスターがかつての始発駅であったウォータールー駅から、このキングス・クロス・セント・パンクラス駅へと延長・変更されたことで、ヨーロッパ大陸への玄関口として機能することで、以前よりも頻繁に足を運ぶようになったこのキングス・クロス駅。今回は明日から向かうヨーク行きの電車のチケットを受け取りに立ち寄ったのだが、やはりハリーポッターのワンシーンを思わせる19世紀のイギリスのターミナル駅の雰囲気と、柔らかな構造をもった未来的な巨大屋根との対比は、現在のロンドンを象徴する都市空間となっているのは間違いないだろう。








ミュージカル 「アラジン(Aladdin)」 プリンス・エドワード劇場 2017 ★★★★

トレバー・ディオン・ニコラス(Trevor Dion Nicholas)

コンサートやオペラ、そして舞台というものは、やはり都市というある一定の人たちが集まる場所だからこそ可能にする都市の特権であろう。そんな中でもこのロンドンでは、シェークスピアを引くまでも無く、舞台芸術の文化が深く根付き、街を歩いていてもあちこちに大きな看板を掲げた大小さまざまな劇場を目にすることができ、それと同時に地下鉄の駅のエスカレーターに乗っていると、今が旬の舞台の広告が次々と目に飛び込んでくる。

そんなロンドンにおいて、今年の話題作といえばディズニー映画で知られるミュージカル「アラジン(Aladdin)」。ブロードウェイで大成功したミュージカルがついにロンドン上陸と、その派手な演出も手伝って随分と話題になっているようで、街中で見かける広告の数も桁違い。

本来なら今日から始まるロンドンを拠点とするカナダ人建築家で、AAスクールのExternal Examinerでも一緒になって仲良くしているアリソン・ブルックス(Alison Brooks)の大々的な展覧会が開幕するというので、なんとか顔を出したいところであったが、明日は無理をいってヨークへと足を伸ばすので、今夜は妻の希望に沿うことになり、中心部に位置するSOHOのど真ん中にあるプリンス・エドワード劇場へ。

すぐ横には有名なゲイ・ストリートが位置することもあり、平日にも関わらず周辺では道にでてビールを飲みながら語り合う多くの人々。最近頻繁している数々のテロにも関わらず、こうして街に人が出ることが、無防備ということではなく、日常を守るという意味で一つの抵抗なのだろうかと思いながらも、カフェに入ってもとてもじゃないが、まともに会話などできるわけも無く、早々に劇場へ向かうことに。

召使のジーニーとアラジン、そして王女ジャスミンの間で繰り広げられる、皆が知ってるアラジンの物語。それがこれほどまでにエンターテイメントとして昇華されるものかと軽く感動を覚えるほどの出来栄え。衣装、音楽、ダンス、演出。そして耳に馴染みの深い例の曲たち。

「Friend Like Me」「A Whole New World」「Arabian Nights」・・・

あっというまの3時間。舞台に向かって終わり無く投げかけられる拍手と人々の笑顔。熱気の残る劇場から、あちこちで感想を言い合いながら街へと出ていく人々の姿。恐らくその多くの人がまた、ここで味わったのと同じ興奮を求めに、またどこかの劇場に足を運ぶのだろうと確信できる、舞台芸術の持つ中毒性が、確実に自分の中にも残ったことを感じながら、来年もまたどこかの劇場に足を運び、特別な時間を過ごせるようにと心に思う。






2 Willow Road エルノ・ゴールドフィンガー(Erno Goldfinger) 1939 ★★★★



今日ハムステッド(Hampstead) まで足を伸ばした理由は、ハムステッド・ヒース(Hampstead Heath) と街の散策とは別に、こちらもぜひと友人に勧められた住宅を見学するため。

その住宅はイギリスのモダニズム建築を牽引した建築家エルノ・ゴールドフィンガー(Erno Goldfinger)が自分が住まうために作ったテラスハウス。3軒で一つの建物となった建物の中心、一番広い住居にゴールドフィンガーは家族とともに住まい、スタジオとしても使っていたようである。

そのゴールドフィンガー。なかなかインパクトのある名前であるが、元々はハンガリーのブタペスト出身のユダヤ人。ちなみに生まれは1902年の9月11日。誕生日までインパクトのある人物である。

1914年から1918年にかけて引き起こった第一次世界大戦終了後の1921年、敗戦国のハンガリー帝国から戦勝国のフランスへ、建築を学びに留学する。そこで第一線で活躍し、モダニズム建築を牽引するル・コルビュジエ(Le Corbusier,1887年生まれ)から強烈な影響を受け、さらにそのコルビュジエの師に当たるオーギュスト・ペレ(Auguste Perret,1874年生まれ)からの影響を強く受けることとなる。

因みにこのオーギュスト・ペレも実は隣国のベルギーのブリュッセル出身というから、その当時のパリが如何に国際都市であり、ヨーロッパ全域から様々なタレントを集める魅力ある場所であったかが伺える。

そして1934年。ゴールドフィンガー32歳のときにイギリス・ロンドンへと移住し、1939年に勃発し1945年まで世界を巻き込むことになる第二次世界大戦までに何件かの住宅を設計し、そのうちの一つであるこの2 Willow Road に家族とともに住まうことになる。

1939 2 Willow Road
1963 Alexander Fleming House (Metro Central Heights)
1967 Balfron Tower
1967 Carradale House 
1972 Trellick Tower

主な仕事としては、戦後の復興住宅としてロンドンで建てられた高層住宅の設計でよく知られる建築家でもあるが、その中でも特に有名なのが1972年に完成したトレリック・タワー(Trellick Tower)。そのタワーを思い出すときに、連想されるのがこの夏ロンドンを襲った悲劇、高層住宅での火災事故。多くの死傷者を出したこの高層住宅もまた同時期である1974年に設計された同種の建築である。

話を戻しこの2 Willow Road。現在はナショナル・トラスト (National Trust)によって保護・運営されている。このナショナル・トラストとはイギリス国内において、歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体とその運動。日本でも耳にするDOCOMOMO Japan。その本部であるDocomomo Internationalがオランダで発足したのは1988年であるが、それに比べこのナショナル・トラストは1895年発足というから、さすがはイギリス。文化への意識の高さがこの部分からもよく感じられる。

そんな訳で内部を見学するには、このナショナル・トラストの係員によるツアーに参加する訳になるので、それなりの入場料を支払うことになる。上に上がれるのかと思うが、まずは横の暗いガレージスペースに入れられて、ゴールドフィンガーとこの住宅に関するビデオを見させられることに。もちろん空調など聞いていないので、汗が噴出してくるのをタオルで拭きながら観終わってロビーに戻ると、「じゃあ上へ」と、印象的なディテールをまとった螺旋階段を上っていく。

住宅の前面と後部に数段の段差が設けられており、それが空間をつなげるのと仕切るのに非常に良い役割を果たしている。また螺旋階段が作り出す特徴的な曲面が、浴室やなどによいアクセントを作ってくれる。その流動的空間はヘルシンキのアルヴァ・アールト(Alvar Aalto)の自宅を思い出させるが、調べてみるとあちらは1936年に完成。こちらは1939年だから、互いにヨーロッパを覆うモダニズム建築の流れの中で、模索しながらも近しい空間を追いかけていたことが見て取れる。

内部での写真撮影は禁止ということで、実際にスタジオとしてつかっていたという作業机など、細かい気くばりのされた棚がついていたり、何とも美しい抜けがある壁つきの本棚など、とても品の良い内装に、今でも多くのことを学べることができると、じっくり見てまわる。

3階部分は最上階ということもあり、螺旋階段の上部に気持ちの良い円窓が取られ光を落とし、その裏側に当たる浴室にも同じように天窓からの光を取り入れ、前と後ろの間になる中間部にも、外部とのつながりをしっかりと取り入れているのに関心しながら、「毎日の生活を営む住まい」、それは時間を過ごすことで徐々に成長し、同時に徐々に家族の生活のリズムにぴったりと寄り添うようになるのだろうということが感じられるとても身の丈にあった、そしてとても品の良い空間が体験できる。

家具から器や雑貨、すべてにそこに住まう人の美意識、生活のリズム、そして過ごしてきた時間が漂う。そんな空間に住まうことの喜びを感じられる「住まい」を自分たちもいつか手に入れたいと思いを新たにしてこの住宅を後にすることにする。









待合室


ハムステッド・ヒース(Hampstead Heath) ★★★



友人夫婦に勧められ折角だからと足を伸ばすことにしたロンドン北部に位置する高級住宅地ハムステッド(Hampstead) 。公園の多いロンドンでも最大の大きなを持つハムステッド・ヒース(Hampstead Heath) を中心とした緑に囲まれた人気の高い住宅地である。

ヒース(Heath) という単語はなかなか聞かないが、原野や荒れ地という意味で、古くから貴族の荘園であったという広大な草木に覆われた土地が、行政などの手を経て開発の手が入らずに現在に至るというのもまた、自然を大切にするこの国のなせる業であり、これが日本や中国なら一体どれだけ小さな緑地へと姿を変えてしまっていたかと想像しながら、最寄り駅に到着。

徒歩で歩くこと10分ほど。びっくりするほどの巨木が立ち並ぶ公園の入り口が見えてくる。ロンドンでも古くから遊泳池として市民に開放されていた有名な3つの池の脇を通り、目指すはロンドンでもっとも標高が高いといわれる、ハムステッド・ヒースの丘。

緑の丘に、足で踏みしめられた道が気持ちよく伸びていき、その先に待つのがパーリアメントヒル展望台(Parliament Hill Viewpoint)。ロンドン市内方向に向けて、程よい距離感を保ちながら設置されている木製のベンチ。様々な人々がいろんな風景を指差しながら、吹き抜けていく心地よい風を楽しんでいる。

ガーキンビルやシャードなど、この数年ですっかり様変わりしたロンドンのスカイラインもまだまだ変わるのだろうと思うと、またいつかここに戻ってこないとと思いながら、次の人の為にとベンチを離れ、今度は北側に向けて緩やかに傾斜する丘に広がる柔らかい緑の絨毯に腰を下ろし、しばしのんびりとした時間を楽しむことに。

しばらく過ごした後は、街の中心に位置するハイストリートに向かって足を向けるのだが、その途中に見ることができる数々の住宅建築もまた、ロンドンにとって重要な意味を持つ「郊外」を構成してきたこのハムステッドの歴史の一部である。

街の中心部に到着すると、駅を中心にして二本の目抜き通りが交差し、その通り沿いに生活にとって必要十分な店が立ちならび、過剰に開発されず、しっかりと芯の通った街であるという雰囲気に強い好感を感じられる。

ハムステッドの代名詞ともなっている駅前の老舗クレープ屋には、若い女の子の列が並び、折角だからと妻と2人で一ついただきながら、地元の人で賑わうカフェや、路地の奥に位置するアンティーク・ショップなどを冷やかしながら散策を楽しむこととする。