ラベル 那須 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 那須 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年2月13日水曜日

乾徳寺 曹洞宗 ★


隈研吾設計の馬頭広重美術館のすぐ真裏に位置する曹洞宗の寺院。恐らく美術館に訪れた多くの人がついついその案内板につられて足を運んでいるのだろうと想像するのに難くないロケーション。

背後に聳える女体山えと続く幾つかの山を後ろに構え、道のどん詰まりに位置する寺だけあって、そのアプローチはなかなか期待をさせる。四季折々の花々も綺麗そうだし、たまに足を運ぶのには丁度良さそうな地域のお寺と言った風情。
--------------------------------------------------------
所在地  栃木県那須郡那珂川町馬頭114
宗派   曹洞宗
機能   寺社
--------------------------------------------------------






馬頭広重美術館 隈研吾 2000 ★★★



家庭でも職場でも一番外で社会を相手にする仕事はなんといっても辛い。誰もが自分や自分の仲間を守ろうとするから、どうしてもそのサークルに入ってこないものに対して厳しく当たることになる。その荒波をくぐりぬけて生きていかなければいけないからこそ、風当たりもきつくなる。

そんな実生活同様に、建築の外装材も環境からの様々な負荷を受けることになる。雨、風、雪、気温差、湿気に虫。最近ではゲリラ豪雨からPM2.5なんていう新キャラまで登場し、受けるストレスは上がりっぱなし。それでも何とか内部を守ろうと必死に戦う外装材。

違った敵にはにはに違った層が相手をするかの様に、まるで「アンタの相手はアタイだよ!」と言わんばかりに、敵の特徴にあった仕様を施された様々な層が用意されることになる。ここでは雨に対しては守るが湿気は逃す。なんていう戦略を持った重層防御が施される。

建築を生業として10年も過ぎると沸いてくる欲求。何とか仕上げを木でやりたいという日本人としての欲望。そんなの誰でもできるかの様に思えるが、そこに生まれるある種の葛藤。なぜなら現行の建築基準法は基本的に燃えない街を作るための法律であり、如何に都市内で火災を広げないようにその使用可能な素材が決定されている。もちろん木は燃える。乾燥した冬には特によく燃える。つまり現代化された都市の中では木は非常に使いづらい外装材となってしまったということである。

それでも、そんな木をつかってでしか作れなかった風景があったのだろうと想像する。「きっと建築家はこの風景を作りたかったに違いない」と思える風景にここに来るまでに多く出会った。その度に車を止め、カメラを向ける。どこまでも広がるような関東平野の水平線。田園の水平性が遥かに聳える那須高原の山並みへとつながっていく。

単純な水平線が空を切る。その風景。その為には、切る側の素材も自然素材の木である必然があったはず。時間の経過と共に日に焼けて、風景の一部へと溶けていく連続する木で作られた水平線。それが浮けいられるのが建築家が見た関東平野の原風景であったに違いない。

そんなことを思いながら、そこからこの風景を作り出すのはさすがだと感心しながら建築に近づいていく。そうするとあるものが目に飛び込んでくる。

「あれ?」

と思うほどに、当たり前にそれが「屋根」だとして捕らえてしまっていたが、それは極めて「現代的」な「屋根」であるという事実。

建築の一番外で、内部を守りながら、厳しい外の環境に晒されて、時間をかけて色を変えていく屋根。太陽の日も、嵐の雨も、冬の雪も、すべて受け止めて、一枚だけで建築と空を切る 、そんな直線としての屋根。

もちろんそう見えていた日本の民家の屋根もまた、その下には別の機能を持った層が隠されていて、人類の知恵を投影したかのようなその層たちが束になることで始めて、快適な内部空間がもたらされていたのだが、戦う相手が多ければ多いほど、受けた傷が多ければ多いほど、その風化した屋根は強く感じられてしまうのが日本人。

そんな気持ちが心のそこで芽生え始め、改めて目を向けるのは木のルーバーの下で縁の下の力持ちとして雨水を防ぎ、内部を内部たらしめている屋根材。

日本の屋根に使われたどの層には、必ず何かしらの意味があったように思われる。それと同様にこの木のルーバーの外装材はどんな意味を体現されているのだろうか?と思い始めると、それはつまり建築とは何かの問いを考えることになるかのようである。

この建物の更に奥。女体山の麓にたたずむ寺社建築。それらが風雪に耐えながら時間の中で色を変えていく。その変化とこの木のルーバーが変えていく色の意味は果たして同じであろうか?

それはつまり現代において、「機能」と「イメージ」を同時にデザインしないといけない建築家にとって、どの様に歴史の中で養われた風土として身体の中に埋め込まれたイメージにどうアプローチしていくかを突きつけているに違いないと思わずにいられない。

何を持って建物を評価するかによるのだろうが、最後までこのルーバーをうまく消化しきれずにいたが、建築にたいしてどこで勝負をするか?それを決めるのはやはり相当なセンスだと思わずにいられない。

がんばりすぎたら、結局何も実現できずに終わってしまし、それを見極めるセンスがとても意味を持つ。そういう意味で、やはりこの建築は凄いと思わざるを得ない。関東平野の中に現代の風景をこれほど見事に作り上げる。あるデザインに対する決定を持って建築を特別な作品に仕上げながら、なおかつ空間としてのクオリティーも保つ。その技能はやはり凄いのだろうと納得することにする。
--------------------------------------------------------
所在地  栃木県那須郡那珂川町馬頭116-9 
設計   隈研吾
竣工   2000
機能   美術館
施工   大林組
--------------------------------------------------------










































石の美術館 隈研吾 2000 ★★★

--------------------------------------------------------
所在地  栃木県那須郡那須町大字芦野
設計   隈研吾
竣工   2000
機能   美術館
延床面積 528㎡
--------------------------------------------------------
「石の美術館」と非常に思い切りのいいネーミング通り、「石」を使ってどう空間を作れるか、その一点に特化した建築だけあって、非常に迷いのなさが感じられる。

雪あがりの平日の昼間にこんなところまで訪れてくるのは、仕事の無い建築家か、時間をもてあます引退団塊かのどちらかといことが、中に入っていくと受付の方が、「ひょっとして先ほど電話くれた方ですか?」と。ということは先ほど電話したのが1時間半ほど前なので、その間誰も訪問者がいなかったに違いないと変に勘ぐってしまったが、とにかく周りに気にすることなくゆっくり見て回れることができる良い雰囲気。

石材屋が知り合ったお洒落な建築家に、なんとか良いプロモーションになるように、どーんと好きなだけ石を使って人を呼べるような場所をつくってくださいよ。と豪快に言ったかは知らないが、施主の人柄が感じられるようなおおらかな空間が迎えてくれる。

「敷いたり、貼ったりするような、そんなみみっちい使い方はしたくない。」と言わんばかりに、組積造とルーバーという「石の使い方の常識」を覆す方向で行くとまずは決定事項があったのだろうと想像する徹底した潔さ。

建築家の性格がそうさせるのか、それともミニマルなユニットをリピートさせることがモダン・ジャパニーズ空間を生まれさせる、という設計事務所の方針なのかは知らないが、とにかく潔い。このディテール一点をやって、それだけで空間を作る。ただし、そのディテールにはできる限りの執念を傾ける。そしてそれ以外はそっけないほど、何もしていない、ような表情をつくるデザインをする。

確かに地元の芦野石を、その強度ぎりぎりまで薄くスライスしたと言われるルーバーは鉄板の力を借りてその水平性を強調し、既存の蔵の瓦屋根との差異化のためにと石の直線性を表現するフラットルーフは、軽量化のために細かい木梁がかけられる。石と同様鋭いばかりに直線性を表現するガラスは石倉の中に入れ子のボックスとして隠される。

「石」が表現に成らずに「風景」そのものになるために、様々な近代素材の力を借りる徹底ぶり。「石」を「石」とさせるもう一つの特徴であるテクスチャー。それも場所場所によって微妙に制御されながら表情を変えていく。担当者が何度も何度も、頭の中で壁に指を当てながら歩いた痕跡が感じられる非常に好感の持てる空間。

このくらいの規模で、同じく「石」をテーマにした空間を自分で設計するならどうするか?そんなことを考えさせられてしまう素晴らしい建築作品。