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2015年2月21日土曜日

前浜掩体壕群(まえはまえんたいごうぐん) ★★★


「空港」という都市からあまりに遠くあると不便だが、逆に生活圏内にあるのもまた困るものである。成田空港や沖縄の空港などをみても、その建設にはその地に以前から住んでいた住民との間で何かしらの軋轢を引き起こすものである。

そしてこの高知の空の玄関口となっているこの高知空港の場合は、戦時中に海軍航空隊基地としてこの空港が建設・利用され、太平洋に面している土地柄、何度も空襲に襲われたという暗い過去を持っている。

「特攻」として知られる「神風特別攻撃隊」の舞台がこの地から沖縄へと飛び立った基地でもあるという。できるだけ飛行距離を短くすることで積み込む燃料と機体を軽くすること、内地からの補給経路を短くすること、太平洋に展開する敵機からの攻撃からの距離を稼ぐことなどの様々な距離のパラメーターによって選らばれたであろうこの場所。

自分から届くと言うことは、相手からも届くということであり、その為に頻繁に襲来する敵機の空襲を受けることになるのだが、貴重な戦力である戦闘機をその敵の空襲から隠すこと、守ることを目的として強固なコンクリートの格納庫が必要となった。それらを称して掩体壕(えんたいごう)と呼ぶと言う。

形状的には航空機を入れる空間の為に平べったくなり、中央が少し高くなる。屋根があるタイプはヴォールト状をしており、屋根の無いものはコの字型の上に土を持って作られたと言う。

ウィーンの「レーダー塔 砲撃塔」同様、建物がその本来の機能を失い、時代の変化の中で別の機能を寄与されることなく、あたかも時間を止めたかのようにその場所に留まる現代の遺跡は、その周辺に異様な空気を作り出すものである。

戦争と言う臭いを消臭された現代の日本の風景の中に、まったく「異物」として取り除くこともできずにそこにい続けるこの構築物達。それは戦後70年を迎える今年だからという訳ではないがぜひとも見ておきたいとリストに入れていた場所である。

午前中の建築ツアーが比較的スムースに行ったため、予定に入っていなかった潮江天満宮まで巡るがそれでも飛行機の時間まで相当時間があるために、航空会社に前の便に振り替えを問い合わせると丁寧に「変更は一切受け付けられないチケットとなっております」とのことで、しょうがないから二日間ずっと動きっぱなしの身体を休めようと市内のスーパー銭湯である「高知ぽかぽか温泉」に足を運ぶことにする。

休憩場所でうとうととし、レンタカーの返却時間までの時間を使って空港近くのこの前浜掩体壕群(まえはまえんたいごうぐん)を見に行くことにする。事前にどのサイトを見ても、実際にどこにあるのかがいまいち把握できなかったが、恐らく近くに行けば間違いなく見つかるのだろうとおもっていたが、セットであるはずの前浜トーチカは見つからず、この前浜掩体壕群もなかなか見つからない。

彷徨いながら徐々に海岸沿いの集落である前浜に入り込み、細い路地を抜けながら、すぐ先に見える砂浜の寒々とした風景と、塩害にやられたかのような黒ずんだ石の姿にやはり何か暗い影を感じながら目的地を探す。

そんな中、如何にもこの地域の重要な場所であると思われる神社が顔を見せる。せっかくなので参拝していこうと車を停める。名を伊都多神社(いづたじんじゃ)といい、やはりどう頑張っても漢字からは読み仮名が想像つかない。

海に向かって参道がとられているために、海風がもろに境内に吹き付ける。境内に立ち並ぶ石造が潮風にやられて形を失っているのも何かおどろおどろしい感じを醸し出す。地元のおばさんと思われる方が自転車でやってきて、手を合わせて帰っていく姿を見送り車にてこの地域を抜け出す。

「とうとう前浜掩体壕群を見つけられないか・・・」と諦めかけたが、最後にもう一つだけ道を回っていこうと通りがかったらいきなり田んぼの真ん中に異様な構造体がどぉーんと見えてくる。

明からに周囲の風景と隔絶したその異様さ。空気も時間もその周辺だけゆがんでいるようでいて、それで周囲の自然に飲み込まれてしまったような不思議な風景を作り出す。朽ちることなく、また使われることも無くその場に取り残された姿はある種の美しさを作り出す。

道沿いに車を停車し、歩いて見えている掩体壕にあぜ道を通って近寄る。近くで見ると思ったよりも大きくないのが見て取れる。目の前の風景にはさらに二つの似た構造体が見えている。そばで農作業をするおじさんに聞いてみると、全部で7つあり、あそこの先まで行けばあと二つ見えてくるという。

数が決まっているものが風景の中に散らばっていることほど楽しいものは無く、北京の九壇八廟モスクワのセブンシスターズの様に、似ているが微妙に違った同じ属性を持った構築物が風景の焦点となることの美しさ。

実際に歩いてみると思ったより距離があるが、角を曲がるたびに「また掩体壕が見えるかも・・・」という期待感を持ちながら周囲を散策する。半径1キロくらいの周辺に計7つの掩体壕を見つけ車に戻ろうとすると、「掩体壕駐車場」という空き地とともに、掩体壕を説明する看板を見つける。ちゃんとこうして外部に発信しているのだと思いながら文を読み車に向かう。

空港までに向かう間に、なんだか不思議な構造物に出くわす。恐らく津波発生時に非難するための建物なのだろうと思いながらも、日常生活の中で意味を成さない構築物が同じように無機質に風景の中に散らばっている姿は、今度は逆になにやら気持ちの悪いものだと思いながら調べてみるとやはり津波避難タワーだという。


朝から晩まで最大化して丸三日間を費やし高知を見てきたが、素晴らしい建築から、高知ならではの風景、そして自然との関係の中で、また歴史の中で生み出された不思議な光景を高知の景色として脳裏に焼きつけ飛行機に乗り込むことにする。



前浜
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)














津波避難タワー



2014年10月12日日曜日

H26 2014 一級建築士製図試験 「温浴施設のある道の駅」

日常の生活の中で気がつかずに当たり前だと受け入れ始めていた風景の変化が、こうして試験の課題問題としてつきつけられると、「社会が変わりつつあるんだな」と改めて思うことになる。

この10年近くで地方都市に出向くと非常に多く目にすることになった新しい建築のタイポロジー。その一つが「道の駅」。そしてもう一つが「スーパー銭湯」。その二つを掛け合わせるようにして作られた今年の設計課題「温浴施設のある道の駅」。

どんな地方都市に行っても、街を出ようとすると幹線道路沿いにポンと出てくる同じような建物。看板をみずともなぜだかそれが道の駅だと分かってしまうほど、ある型ができてしまっている。スーパーもコンビニもあまりない地域においては、逆に道の駅が生活のインフラとして機能し、その為に通常の道の駅から更に発展し、フードコートを併設するなど並みのスーパーよりも充実した内容にまで変容したものも出てきている。

対して「スーパー銭湯」。こちらも訪れた街で少し時間ができたからと訪れてみると、全く知らない街に来たはずなのに、中の風景はほとんど同じ。まるでインフラと化したコンビニに来ているかのような錯覚に陥ることもある。そしてどこの街でもこの「スーパー銭湯」が流行っていないのをみたことがないほど、どこでも都市の娯楽のかなり上位に位置するようになっている。

この様に両者に共通するのは、その登場から数年が経ち、人々がそれに対してどのような反応をし、またどの様に使っていくかのやり取りを重ねながら、徐々に最適な型へと収束していった結果、こうして多くの場所で都市の見えない要求に適合し、ある一定の型として風景の一部になっていったこと。

これはある意味恐ろしいことである。かつては限られた技術や素材、工法がその土地固有の風景をつくりだし、調和の取れた街並みや心を和ませるような景色を作り出していた。しかし、現在はどこにいても瞬時に情報が共有され、人も物も境界の無くなったフラットな世界。その現代においても風景まで昇華する「型」となりうる建築のタイポロジーが生まれているということ。そんなことに思いを馳せずにいられなくなる課題文である。


さて、そんな設計条件を詳しく見ていくことにする。
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この課題は、ある地方都市の湖畔の景勝地に建つ􌓕道の駅」を計画するものである。本施設は、休憩、情報発信等のサービス施設に加えて、地域振興や地域住民の交流の場となるように、地域の特産品の販売を行う物販店舗や飲食ができるフードコートのほか、地域住民も利用できる温浴施設を設けるものとする。また、敷地に隣接する駐車場は、本施設の利用者だけでなく、湖畔を散策する者も利用することができるものとする。
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そして模範解答を見てみると、つまりは温浴で健康を維持し、フードコートで食を満たし、そして道の駅で消費をしていくというまさにワン・ストップ・サービス。コンパクトへという地方都市の流れに乗って・・・という思いもなきにしもあらずなのだろうが、へ敷地図に描かれた広大な駐車場をみると、実家のある地方都市にも広がる同じような光景が脳裏に浮かぶようである。

この点が示唆するのは完全に車社会となり、車無しでは生活が成り立たなくなっている地方の在り方。お風呂から眺める遊歩道の先に広がる湖畔の風景。それがこの施設のあり方をせめて差異化してくれるのだろうかとなんだか寂しい気持ちになりながら、今年の試験の総括を終えることにする。

2014年4月17日木曜日

スーパー銭湯が娯楽の日常

幸いなことに、今回のプロジェクトは地元の小学校・中学校の同級生がクライアントであることから、打ち合わせで日本に帰るたびに実家に泊まり両親の顔を見ることが出来る。

田舎であるから一日の仕事の部分が終わるのはかなり早く、夕食を終えると風呂好きの父親が、「久々に銭湯でも行かないか?」と誘ってくる。

手ぬぐいと着替えを持って車で向かうスーパー銭湯は建物の数倍の駐車場が完備されているにも関わらず、ほぼ埋まっている。平日の夜だというのにも関わらず。

こういう風景が地方都市の当たり前の日常風景として溶け込んでしまっていることに気がつかされる。モータリゼーションと「気持ちがいい」という身体への娯楽が掛け合わされることによって生まれた風景。

家族揃って夜に行くところ。以前は家族揃って外食だったのが、今では家で食事をとって、その後スーパー銭湯に出かける。外食ならば一人2000円だと考えると、家で食事をとり、一人700円ほどのスーパー銭湯ならある種お得と言う計算になってしまう。

本来ならスーパー銭湯に700円という単体だけで考えたら、「高いな」と感じる人も要るかもしれないが、それが気持ちいいこと、健康に良さそうなこと、そしてこうした外食産業をライバルとした家計の計算を考慮すると「あり」になってくる現代社会。

恐らく現在、日本全国、何処にいっても見られる風景であるだろう。コンビニ同様、恐らくかなり正確なマーケティングの条件を満たした地方都市。年齢構成や年収分布、子供のいる家庭の数などかなりの要素を組み合わせた中でここなら客は来ると判断を下されまた増えるスーパー銭湯の風景。

それはロードサイドを埋め尽くすファスト風土や街中に散らばるコンビニ同様、その土地の場所性などはまったく関係を持たない建築タイポロジーであることは間違いない。スーパー銭湯という記号を纏った建築物がこれから更に日本の多くの場所で増えていく。

風呂というある種日本人にとって特別な場所であるだけに、どうにか現状の様なチェーン店の様な空間でなく、新しい形があるのではと思いながら風呂に身体を沈めることにする。

2014年2月8日土曜日

スーパー銭湯の公共性

風呂好きの父親が、「最近できたスーパー銭湯の割引券があるから一緒にいかないか?」と誘ってくる。折角だからと風呂嫌いを公言している母親をおいて、妻と三人で出かける事にする。

地元には昔からあるスーパー銭湯があり、いつもはそこに足を運ぶのだが、今回は少し方角が外れた方向にできたという新しい施設。到着すると広い駐車場にはほとんど満車の車。

スーパー銭湯が郊外生活の一つのプチ贅沢に定着したのがモータリゼーションと融和したこの風景からよく感じ取る事ができる。日常の夜。夕食を食べた後の家庭で、「今日お風呂行くか?」と子供をつれてやってくる家族の姿。大人一人700円くらいなので、決して安くは無い金額であるが、毎日ではないからと少しだけ贅沢な気分になれて、なおかつ身体を伸ばしてお湯に浸かって、疲れが取れると自分に十分な言い訳を与えられる。

子供連れの家族が月に2,3回、一度につき2000円ほどの出費をすることで、恐らく十分施設的には利益を上げることができる仕組みになっているのだろうが、外食同様、通常家庭の中にあるものを外で行う事で少し豊かな気分に浸れるという、必要な日常の一部を外に持ち出すビジネスである限り、今後共間違いなく広まっていくだろうと思える業態であろう。

そんな間違いの無いビジネスだけに今後は競争が激しくなってくるはずであるが、そこに現れたのが二番手が、一体どんな手を使って差異化をしてくるのかと期待して暖簾をくぐる。

「500円の割引券をもらった」という父親がなにやら入口で戸惑っているようなので聞いてみると、これは通常700円のところ500円で入れますという割引券で、それを父親は500円割り引かれる券だと理解していたという。確かに分かりにくい表記をしてあるのでなにやら怪しいなと思いつつも料金を支払い妻と待ち合わせ時間を決めて中に入る。

脱衣場に入って気がつくのが、あちこちに張ってある「盗難注意」の張り紙。そして同時に張ってあるのが、「盗難については一切の責任を負いません」の文字。オープンから既に、何かしらのトラブルが発生したのかどうかは知らないが、明らかにトラブルに巻き込まれる事を回避することを目的とした張り紙。「忠告しましたからね。後はこちらは責任を負いませんよ」といわんばかりのその張り紙は見ていて少々気分が萎える。

流石に新しい施設だけあって風呂はなかなか綺麗で多様で、しかもそれぞれの風呂で共用のテレビが見れて、長く浸かっても飽きないようになっている。身体を洗い、一頻りそれぞれの風呂を楽しんで外に出て妻を待っていると、どうやら待合場所にはたくさんの子供向けのゲーム機が用意してある。どうやら甥っ子がはまっているという、魚釣りゲームもおいてあるようである。なんでも、お金を払うとより良い竿が手に入り、より大きな魚がつれるという課金方式のあれである・・・

見ていると浅はかなゲーム会社の姑息な手段にまんまと踊らされている無垢な子供達がダダをこねて親を困らせているようである。恐らくここに来ている家族の中には、子供があのゲームをやりたいが為に親にねだってこの銭湯に来ている人たちもいるのだろうと思わずにいられない。

自分で理性をコントロールできない子供をゲームで釣って、それをだしに家族を引き付けると言うなんとも古典的といえばあれであるが、そのようなビジネスモデルはますます下流化の流れを加速するだけでは?と思いながらなかなか出てこない妻を捜しに入口に。

カウンターを越えたところにも簡単な座れる場所があるので、ひょっとしたらそこで待っているのかも、と思い受付の人にそこまで人を探しに行きたいのですが・・・と聞いてみるが、「再入場は一切お断りですので」と頑なな態度。さっき中から出てきたところを見ていたはずだし、そこまでなら視界に入っているのでチェックもできると思うのだが、一切の例外は認めない方針のようである。

つまりは全てが性悪説に基づいて運営されており、「人は悪い事をするはずだ。だから先手を打って、こちらに迷惑がかからないようにしておこう。あとはそちらの責任です」というなんとも味気のない場所になっている。きっとそれでも十分利益がでているのだろうが、スーパー銭湯という少々わびしいが、残念ながらこれからの地方都市の地域の公共の場となる場所であるならば、少しは人間を信頼し、大らかな空間を作り出すことで問題を防ぐことができないのだろうかと思ってしまう。

どちらにせよ、二度と来る事は無いだろうし、またそんなに遠くない時期にここはつぶれるのではないだろうかと想像しながら、出てきた妻を連れ立って家路につくことにする。