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2021年9月8日水曜日

Casa Luis Barragan ルイス・バラガン邸_Luis Barragan ルイス・バラガン_1948 ★★★★

 


Luis Barragan ルイス・バラガン

住宅、住宅、住宅と記憶の引き出しを探っていると、蘇ってくるのは一場面の心地よさや、そこに初めて身体を滑り込ました時の印象、そしてそこで過ごされた時間の長さを感じさせるような使い込まれた家具達の佇まい。そんな風に頭に浮かんでくるいくつかの場面がどの住宅だったかなと指をひっかけるようにしてたどっていく作業はなかなか心を軽やかにしてくれる。
 
そんな訳で次に指が引っかかったのはメキシコの強い日差しを受けるバラガン邸。入り口を入ってすぐの階段室は何のための空間かと言い表すことができないような曖昧さを持ちながらも、なんとも言えない心地よさを感じさせる。

そしてメインの空間に入る前にぐっと天井高を抑えられた空間を抜けることで、縦にも横にも空間の強弱がつけられて、そしてバッと開けた空間に大きく設けられた十字のサッシをもつ大開口からの自然光へと注意が向けられる。

入り口からここまでの空間構成で十分に感動的なのだが、面白いのは庭に向けられたリビングルームの空間と道路側に設けられた書斎側は吹き抜けで一体となっているのだが、空間の真ん中に立つ人の背の高さくらいの壁にて視線は遮られつつも、気配は感じられる柔らかなつながりを持つ。

そして道路側の書斎では壁の上側に設けられた窓により、外からの視線は遮りつつ日の光を取り入れ、庭に向けたリビングでは床から天井までの大開口で庭との一体感を作り出す巧みな断面構成。そして壁から持ち出しの細い階段が二階の書斎と繋いでくれて、住宅の中に動線の輪を作り出す。

隣接する部分は主にオフィスとして使用されていたために、メインの住居側は決して広くはないのだが、それでもすべての空間がそれぞれに異なっていて、住宅の中をめぐると様々な空間に出会うことできる。これはジェフリー・バワのナンバー11でも同様に、家の中に様々な場所が存在し、廊下が移動のための空間としてではなく、それ自体も空間として魅力的な場となっている。それが一日を過ごし、生活と仕事を行う場として建築家が長い年月かけて辿り着く答えなのかと納得する。

一通り平面を描いて、今度は写真と照らし合わせながら、各空間の壁につけられた色を塗っていく。バラガンが使ったのはメキシコの自然に関する8色(ピンク ・赤錆 ・黄土 ・赤  ・黄色 ・青 ・白 ・薄紫)と言われるが、建築自体に塗装された壁面と、それに呼応するように、カーペットや絵画などで配置された色を見ていくと、徐々にバラガンが求めていた建築の形が見えてくる。

空間の凹凸と、そこに様々な角度から取り込まれる光とそれが作り出す影、そして色。家具や階段に使用される木の素材感と色と、そして室外には木々の鮮やかな緑と池に流れる水の音。そんな鮮やかな色の世界を追っていくと、その背景はやはり強いメキシコの日差しと、乾燥した大地の姿が感じられ、これはメキシコの建築なのだなと納得する。





2017年6月18日日曜日

Whitechapel Art Gallery Robbrecht & Daem 2009 ★



せっかくホワイトチャペルに来たのだからと、少し足を伸ばしてベルギー人建築ユニットのRobbrecht & Daemによって設計されたWhitechapel Art Galleryで展覧会を観ていくことに。

フリーアドミッションで入ることができ、展示は下記の展覧会を行っていた。


建築家のホームページで調べると、どうやらこの建物は元々地域図書館と、アートギャラリーとしてあった二つの建物を統合するリノベーションのプロジェクトだったようである。






2017年1月27日金曜日

Izu Photo Museum 新素材研究所(杉本博司+榊田倫之) 2009 ★★


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所在地  静岡県長泉町東野クレマチスの丘(スルガ平)347-1
設計   新素材研究所(杉本博司+榊田倫之)
竣工   2009
機能   美術館
規模   地上1階
延床面積 499平米
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「クレマチスの丘」とは、富士山の裾野に位置する愛鷹山中腹にある文化複合施設。いくつかの美術館やレストラン、ホールなどが広大な庭園と一体となり広がっている。市街地からかなり遠く、自家用車が無ければアクセスが難しいことから、「こんな場所にこれだけ広大な文化施設開発をするのは、ひょっとしてどこかの宗教施設が運営を・・・」と思って調べてみると、スルガ銀行が社会貢献活動の一環として整備・運営をしているという。ちなみに「クレマチス」というのは、花の名前であり、敷地内の庭園「クレマチスガーデンで様々な種類の「クレマチス」が育てられていることからそうネーミングされたという。

全体の敷地は大きく二つに分かれており、南に位置する敷地にはこのIzu Photo Museumとヴァンジ彫刻庭園美術館があり、北側の敷地には井上靖文学館とベルナール・ビュフェ美術館が位置する。

「クレマチスの丘」と漠然とその存在は知っていても、やはり具体的にどのような建物がどのようにあるのかは把握できておらず、現地に到着してやっと理解して、限られた時間で全てを見て回れるのか受付の方に相談してチケットを購入し、まず最初に向かったのがこのIzu Photo Museum。

2009年というから比較的最近に立てられたこの美術館は写真家の杉本博司が設計(内装・坪庭)を行ったという写真・映像の為の美術館。建物の規模も500平米程とこじんまりとしたスケールで、内部は撮影禁止ということで写真は取れなかったら、静謐とした空間は、杉本氏が言うように、「古墳の石室」のような雰囲気を醸し出す。

石会談を数段あがると右手に大きな石積みの石垣が待ちうけ、ガラス扉の正面には杉本氏の作庭による庭園が視線を受けるようになっている。左手には受付とショップ、そして右手に展示室が直角に配置されており、壁に沿ってぐるりと巡ってエントランスに戻ってくるシンプルな動線となっている。それだけにエントランスのアプローチの体験と、それを受け止める庭園が重要な要素として力点が置かれている。場所の特性を生かした静謐な空間を堪能して、そそくさと次のヴァンジ彫刻庭園美術館へと足を向けることにする。









2016年2月4日木曜日

Grotto 芦澤竜一 2009 ★★


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所在地 兵庫県芦屋市
設計   芦澤竜一
竣工   2009
機能   商業ビル
規模   地上5階 地下1階
建築面積 322m2
延床面積 1431m2
構造   鉄筋コンクリート造 一部鉄骨造
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関西を拠点とし確実にその存在感を高めている印象のある芦澤竜一。横浜出身で早稲田にて建築を学んだが、その後大阪の安藤忠雄事務所にて勤めることをきっかけに、独立後も大阪を拠点として建築活動を展開しており、いくつかの作品が「訪れてみたいな」と思うリストに入っていた建築家である。

そして作品があるのは日本有数の高級住宅地というイメージの芦屋市。神戸や大阪のように都市化が進むわけでもなく、かといって田園風景が広がるわけでもなく、のっぺらな住宅地がダラダラとスプロールするなく、しっかりと計画・区画された住宅地が、市の条例によって敷地を小分けにして、小さな家が密集するように大衆化せずに、しっかりと住みよい街というイメージを保つ努力の甲斐もあり、東京の田園調布などと並び、全国的にも有数の高級住宅地として名を轟かしている。

田園調布は渋沢栄一がエドワード・ハワードの「田園都市」の理念に共感し、都市と田園生活の両方のメリットを兼ね備えた都市型住宅地を目指して作り上げられ、都市というものは骨格がしっかりしていれば、長い年月でも壊されることなく生き残ることを見事に証明しているエリアであるが、こちらは北は六甲山が聳え、南に大阪湾へ続く緩やかな傾斜地に南の海に向けての眺望を確保しながら、香港の九龍半島やそ香港島の白人専用街区をモデルにして都市計画が作られたという。その中でも特に高級住宅街「六麓荘町」が有名らしく、小説でも谷崎潤一郎の「細雪」や、山崎豊子の「華麗なる一族」といった物語の舞台にもなっている街である。

東京に残る、江戸の御屋敷を源とする高級住宅街、たとえば紀州徳川家の下屋敷を元にした渋谷の松濤。伊達家や南部家の下屋敷を元とした麻布などの、「アースダイバー」で描かれるような地形の力を見せる住宅街の流れではなく、あくまでも明治以降の都市計画の学問から生まれた計画都市。建築に身をおく者として、その街並みはぜひとも一度見てみたいと思っていた場所である。

この街で目指すもう一つの建築である芦屋市民センターもすぐそばにあり、車を止めて徒歩で実際の場所を探すことにすると、少し歩いた場所に切り立った崖のように現れるコンクリートの量塊をすぐに見つけることができる。「小さな洞穴」というような意味を持つ「グロット」と名づけられたこの建物は、幹線道路沿いに建蔽率一杯に建てたのではないかと思うほどに巨大なスケールをもって現れる圧迫感を持ったコンクリートの塊に、大小異なる正方形の開口部が開けられ、部分的にガラスが嵌め殺しで内部空間に接している部分と、開口部がそのまま外部につながりその後ろに半屋外空間を持つ黒い影の二つの表情を異にする開口部がリズムをつけている。

やはり安東忠雄事務所出身者ということで、コンクリートを利用する場合は、どうしても新たなる意味づけを意識するものだろうか、梁を逆さにして天井面から構造の表現を消し去って、がらんとした表情を作り出したり、いろいろな手法を用いて、建築が機能する建物としてまとってしまう様々なスケールをあらわす要素を排除しようとする意図を様々なところで感じることができる。

複合商業施設としてクリアしなければいけない様々な条件がへばりついていたプロジェクトであるのは容易に想像できるが、それでもある挑戦を成した痕跡がこれだけ見えるのは、強い志を持って設計に向き合った結果なのだろうと、強い納得感を感じで次へと向かうことにする。













2016年1月31日日曜日

「世界を知る力」 寺島実郎 2009 ★★★


寺島実郎

コメンテーターとして様々な番組で世界情勢を踏まえた重みのある発言をする著者。元商社マンで世界のあちこちで培った経験を生かして、今では大学での教育などにも携わりながら、国際人として通用する若者の育成にも関わっているようである。

「日本をでて海外にいく」というのは、様々な形がありえるが、企業人として駐在員という立場で海外に行くパターンでも、歴代の駐在員が長く滞在し、数年の任期をオーバーラップしながら会社としてのネットワークと実績を広げていくなかで、様々な補助がありながら駐在するタイプもあれば、まったくゼロベースで開拓していく駐在員もあるだろうし、比較的馴染みの深いヨーロッパやアメリカの大都市に赴任するのと、文化背景もまったく異なる発展途上国に赴任するのもまたまったく違った時間のすごし方になるだろう。

また大企業のメンバーとして至れり尽くせりのサポートを受けながらのものと、中小企業の開拓メンバー、もしくはまったく個人で海外に渡る時は、それこそ頼れる人も何もない状態から自らの力で切り開いていく、そんなことが要求されて、エネルギーの費やす部分も大きく異なる。

そんな訳で「海外に行く」というのも、内容によってまったく異なる現代においては、その地でどのような環境の中で、どのような時間を過ごしたのかを見なければ、その人となりは見えてこない。

そんな時代においても、言葉の端々から、自らに対してストイックであり、会社人としてではなく、それを超えていかに自らがその場で職業人としての能力を伸ばせるか、会社の人間としてではなく、個人としてどのように現地の世界に受け入れられ、付き合っていけるか、そんなひりひりするような時間を重ねてきたのだろうと想像できる。

冒頭にある
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百数十年前の日本にタイムスリップし、休む間の無く働く女性を見かける。「この人、この村から出たことがあるのだろうか?」と思うような小さな村の中で一日が完結する生活。それが、ほんの百数十年前までの、平均的な日本人の暮らし方。
当時の多くの日本人にとって、「世界」は歩いて二帰りできるだけの範囲ー半径20キロメートルほどの広がりしかなかった。現代行動できる「世界」はぐんぐん広がっているように見える。ヒト・モノ・カネ・技術・情報がボーダーレスす「境界なし」で交流する時代。単純に、交通手段や情報環境の発達と正比例して向上するものだろうか。残念ながら答えは「否」である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。時代や環境の制約を乗り越えて、「世界を知る力」を高めることが痛切に求められているのではないか。
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非常に重い言葉である。「グローバリゼーション」や「フラット化した世界」が叫ばれながら、同時に「内向きの若者」や「マイルドヤンキー」といった、現状に満足し、変化や向上を得るために外にでるなどの行動を起こさないと言われる現代の日本人。ネットの登場により、「世界を知った気」になってしまう我々に対して、痛烈な言葉である。

空海を「全体知」の巨人として、
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異なる国の人たちにも心を開き、自分を相対化してみることのできる人間が「国際人」
エンジニアとしての空海
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体系として知るだけでなく、異文化の中に飛び込んで自らの身体を伴って知を吸収することの大切さを説く。

日本の文化の中に流れている中国との関係性。ネットワークという視座から見た地政学的な世界の見方。それを通して初めて見えるイギリス帝国が生み出した世界に飛び地で存在するユニオンジャックの共通点。そしてどんな場所に辿り着いても活用できる価値、技術や情報を操作するすべを身につけるユダヤの知恵。

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大量の情報にアクセスできるようになるにつれ、膨大な情報のなかから筋道を立てて体系化したものの見方や考え方をつくっていくことが、ますます難しくなってきている。
古本屋にて目当ての本以外の、それまで意識しなかった、あるいは知らなかった本が同じ棚や近くの棚に並んでいるのを目にし手にとることで、私たちに思いもかける相関の発見を促すからである。本と本との相関が見えなければ知性は花開かない
世界最大の売り場面積と書籍数を誇るといわれるフォイルズ書店 Foyles。「この問題意識を深めようとしたら、こういう本を読み、ついていかなければいけないんだな」という知的興奮が高まってくる仕掛けになっている訳
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とパソコン全盛の現代においても、本による知性の成長を保ちながら、世界に対峙する教養を磨くことを説く。

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/書を捨てずに街に出よう
大空から世界を見渡す「鳥の眼」と、しっかりと地面を見つめる「虫の眼」
身体性を有した体験がすごく大事
見聞きした意見したことに関連する文献に当たって調べてみると、そこに、みえざる地下水脈的ネットワークがあることに、だんだん気がついてくるわけである
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あくまでも、自らの体験として知識を消化し、その上でさらに学ぶことによって新たなる意味を付加していく時間の過ごし方。

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/異文化の中へ飛び込め
名もなく貧しく異文化に飛び込んで、孤独と失望の連続を体験することが必要なのかもしれない。数知れない孤独と屈辱。
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この言葉には、本当に著者がどのような思いで若い時代に海外に出て、そしてどんな時間を過ごしたのかが見て取れる。安易な環境に流されるのではなく、あくまでもストイックに、常に自らを問いただし、今ここで何をするべきか、何を得るべきかを考えて、日々を精一杯過ごしてきたに違いない。

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おわりに
ひとり異国の町に立つ機会を重ねてきた。旅愁という言葉があるが、今、この瞬間にこの街から自分が消えたとしても、この街は何の痛痒も感じることなく動き続けるのだろうという思いがもたらす寂寥感ともいえる。何人もの知人や友人がいても、自分がその町での想像や生産に関わっていない場は虚しいものだ。人間とは不思議なもので、やはりその場所と自分との関係性を実感できない限り、寂しい「ストレンジャー」なのである。人間とは社会と時代とに関与して、はじめて人間なのだと思う。
海外に生活するほど人間は愛国者になる
航空機の中で、そして列車の中で、考え込みながら生きてきたようなものであるこの移動空間は、ひとりの時間が確保できる場でもあり、沈思黙考、後にしてきた場所で目撃し、確認してきたことを整理することのできる貴重な機会である
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新しい土地に行くまでは、その土地のことは情報でしか知らない。たった数日の滞在にも関わらず、行った後にはそれが実体を伴った自らの五感を通した体験として身体に刻み込まれる。その時間はどうやっても他者とは共有できないものである。できることは、移動の時間にそこで過ごした時間、見たものを自分なりに考えてその先につなげる、そういうい地道な積み重ねが激動の現代に生きる本当の意味での国際人につながる唯一の道なのだろうと思いながらページを閉じることにする。

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■目次  
はじめに

第1章 時空を超える視界―自らの固定観念から脱却するということ
/戦後という特殊な時空間―アメリカを通じてしか世界を見なくなった戦後日本人

①ロシアという視界
/1705年、ロシアの日本語学校
/1792年、初の遺日使節
/はじめて世界一周した日本人
/幕府、北方の脅威に目覚める
/北海道と極東ロシアは瓜二つ
/ウラジオストックで見た一枚の風景画

②ユーラシアとの宿縁
/歴史時間の体内蓄積
/七福神伝説にみる日本人的なるもの
/空海ー「全体知」の巨人

③悠久たる時の流れを歪めた戦後六〇年
/歴史時間を忘却した日本人
/与謝野晶子の世界地図は逆さだった?

第2章 相関という知―ネットワークのなかで考える
/ネットワーク型の視界をもつ

①大中華圏
/広義の「チャイナ」と狭義の「チャイナ」
/大中華圏の強固な実体
/「中華民族」なる言葉の二重構造
/躍動する大中華圏のダイナミズム
/なぜ中国だけがポスト冷戦で台頭したのか

②ユニオンジャックの矢
/世界を動かすユニオンジャック
/シンガポールが持つ地政学的な意味
/情報と価値の埋め込み装置

③ユダヤネットワーク
/世界を変えた五人のユダヤ人
/基軸は国際主義と高付加価値主義
/無から有を生み出す力

④情報技術革命のもつ意味
/「IT革命」というバラダイム転換
/暗転するアメリカ、オバマ大統領の登場
/就任演説にこめられたメッセージ

⑤分散型ネットワーク社会へ
/太陽・風力・バイオマス
/グリーン・ニューディールはIT革命を超えるか

第3章 世界潮流を映す日本の戦後―そして、今われわれが立つところ
①二〇〇九年夏、自民党大敗の意味
/東西冷戦構造と55年体制
/「漂流」を始めた90年代
/脅迫概念にも似た「小泉構造改革」
/民主党政権誕生が意味するもの

②米中関係―戦後日本の死角
/日米関係は米中関係である
/相思相愛から始まった
/メディアの帝王ヘンリー・ルース
/「二つの中国」が日本に戦後復興をもたらした
/アジア太平洋は”相対化”の時代に突入した

③日本は「分散型ネットワーク革命」に耐えられるか
/二つのグローバリズム
/日本の「国際化」は後退している
/「分散型ネットワーク時代」に日本を浮上させる

④「友愛」なる概念の現代性
/冷戦形世界認識から脱却せよ
/アジアとアメリカをつなぐ「架け橋」
/オバマ登場と共鳴する「友愛」なる概念
/プロジェクトとしての「東アジア共同体」
/「大人の外交」にはシンクタンクが不可欠

第4章 世界を知る力―知を志す覚悟
/PCと古本屋
/書を捨てずに街に出よう
/agree to desagree
/異文化の中へ飛び込め
/異国に乗り込んだ「場違いな青年」
/情報は教養の道具ではない
/知ー不条理と向き合うために

おわりに
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2015年12月13日日曜日

「フィッシュストーリー」 中村義洋 2009 ★★

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スタッフ
監督 中村義洋
原作 伊坂幸太郎
脚本 林民夫
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出版社の社長(1953年):中村有志
ハーフじゃなかった男(1953年):岡田眞善
岡崎の叔母(1953年):浅野麻衣子
繁樹(1975年:「逆鱗」のリーダー兼ベース):伊藤淳史
五郎(1975年:「逆鱗」のヴォーカル):高良健吾
谷(1975年:レコードプロデューサー):眞島秀和
雅史(1982年:気弱な大学生):濱田岳
健太郎(1982年 / 1999年:雅史の友人):山中崇
晴子(1982年:予知をする女子大生):高橋真唯
運命の女性(1982年):大谷英子
スズキ(1999年 / 2009年:シージャック犯):芦川誠
タナカ(1999年 / 2009年:シージャック犯):野仲イサオ
麻美(2009年:シージャックに巻き込まれた女子高生 / 2012年:宇宙飛行士):多部未華子
正義の味方(2009年:コック):森山未來(少年時代:岩井進士郎)
レコード屋店長 / 岡崎の息子(2012年) / 岡崎(1975年):大森南朋(二役)
谷口(1999年 / 2012年):石丸謙二郎
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しっかりと描かれているそれぞれの物語の年代を頭に入れていかないと、流れを追いかけるのが結構な物語。結局6つの時代の話が一冊の小説「フィッシュストーリー」にて繋がっているという物語。

1953年に海外の小説を翻訳して出版したいという若者と、やっと見つけた翻訳者による訳が飛んでもない出鱈目で回収されることになった小説。

1975年にはなかなか目の出ないバンド「逆鱗」が最後の一曲だけと自分達の好きな音楽で望む録音。そしてその曲が「フィッシュストーリー」。

1982年では田舎に住む大学生が合コンに向かう車の中で、都市伝説としてある曲の間奏部分に女の声が録音されているとカセットテープでかける曲が前出の「フィッシュストーリー」。

1999年では預言者によって「ノストラダムスの大予言」し示された最終日だと煽られた大衆が浜辺に集り最後の日を迎えるが、その翌日も綺麗に太陽が昇ってくる。

2009年には修学旅行中の女子高生が寝過ごすことでフェリーから降りられず、そのまま残された船中でシージャックに合うが、シェフとして同乗していた男が小さなころから父親に「お前は正義の味方になるんだ」と育てられており、悪者をやっつけて助かることに。

そして2012年。巨大な彗星が地球に近づき、街中は閑散としてこの世の終わりを迎えようとしている中、レコード屋に集る男たちは「フィッシュストーリー」の曲に耳を傾ける。テレビで流されるニュースでは、ある日本人女性化学者が解き明かした計算式によって発射されたロケットが見事に彗星に命中して危機を逃れることに。その科学者が2009年にシージャックされた際の女子高生。

という流れを時間を飛びながら描いていくので、背景を知らずに映画で始めてみるにはかなり難易度が高いのでは?と思う一作。最近多くの邦画に出演してすっかりお馴染みの顔となった濱田岳、多部未華子、森山未來、大森南朋らの安定した演技によって、突拍子も無い話であるが破綻せずに見終えることができる。

「アヒルと鴨のコインロッカー」に続いて伊坂幸太郎原作の映画化を手がけた監督の中村義洋。後に「ゴールデンスランバー」も撮影することから、伊坂幸太郎といえば、中村義洋のような感じになったが、恐らく小説を読みながら画が浮かんで気安いのだろうと想像する。

斉藤和義による主題歌「FISH STORY」は劇中バンド「逆鱗」の名によって発売されるが、これもいかにも映画全体に流れる不思議な雰囲気を漂う良い曲になっており、1982年のロケ地となった神奈川の厚木方面に向かう際には、ぜひともこの曲をかけて80年代の雰囲気を味わいたいものである。
中村義洋







2015年3月4日水曜日

ブランドホルスト博物館 (Museum Brandhorst) Sauerbruch Hutton 2009 ★★


ピナコテーク・デア・モデルネを見学し、これで予定をしていた建築をすべて見たかなと思っていたら、視線の先になにやらカラフルな建物が。ガイドが言うにはこれも近年オープンした現代美術の美術館だという。

どうやらこちら側は裏側にあたり、サービス用のエントランスがあるようである。丁度搬入用のゲートが開いて、トラックが出てくるところのようである。美術館を設計していながら、なかなかこのような美術館のサービス側の搬入がどのようにして行われるのかを見る機会はなかなか貴重であるので、走り出してパチパチと写真に収める。

「何がそんなに見たいのだろう?」と怪訝な顔をする美術館のスタッフを横目に、ゲートが閉じるとそこに扉があるとは分からない一枚のファサードとしてデザインされた手法に、「これだけパブリックに見られる面であればそうするよな・・・」と思いながら今度はその特徴的なファサードをじっくり見る。

どうやらミュンヘン在住のガイドの中国人はこのファサードがお気に入りのようで、随分とその良さを説明してくれる。ネットで調べてみると、設計において遮音や断熱、雨水利用など一通りの環境設計については考慮されているようで、その上でいくつかのグループに分けて色づけされた細長い陶磁器の角柱がルーバーとして建物に取り付けらている。

建物の外周をぐるりとしてみるとやっと分かるのだが、この色合いは入り口から始まって反時計回りにグラデーションになっているようで、どの場所からこの建物を見るかによって色合いが変わって見えるという仕掛け。

この歴史的な街並みの中でこれだけカラフルな色合いを使いながらも、ポップや商業主義的に見えないところでうまくバランスを取り、上品に仕上げているという印象。

外形はシンプルであるが、その中に様々なデザインを取り込むこと。それがこの地の建築家の優れた能力なのだと理解して内部を見学することにする。