今日は阿蘇を下って大分を北上し、国東半島を超えて豊後国(ぶんごのくに)へ。目指すは豊前国一宮である宇佐神宮とその元宮である大元神社。そして中津へ向かってずっと訪れてみたかった風の丘葬斎場へと足を伸ばす予定である。これらの地域は豊前国の南東部にあたり、北は北九州市まで伸びる西海道に属する旧国である。
この豊前国を代表するのは、やはりなんといっても全国に約4万以上もあるといわれる八幡神を祭神とする神社・八幡宮(はちまんぐう)の総本社である宇佐神宮であろう。「八幡神と神仏習合」でも描かれるように、大津から国東半島一体まで広がる八幡文化圏を築いたこの勢力は、宇佐地方で豪族の宇佐氏を中心に御許山の神体山信仰が行われていたのを発祥とし、その後現在の宇佐神宮を中心として全国まで広がる八幡神の信仰へと広がっていく。719年に発生した隼人反乱をこの八幡神の託宣を得て鎮圧したことから、朝廷からの保護も篤くなり、極めて高い社格を与えられることになる。
そんな古代におけるこの国の一つの中心地であったこの地は、近代においては、福沢諭吉の出身地でもあることで知られており、「そう言えば、どういう経緯で慶應義塾大学を開く事になったのか知らないな」ということで、道中妻がネットで調べては福沢諭吉の生涯を学習しながら豊前の豊かな自然を楽しみながら車を走らせる。
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