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2013年2月12日火曜日

会津若松城(鶴ヶ城) 1384 ★★★


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所在地  福島県会津若松市追手町1−1
城郭構造   平山城
別名  鶴ヶ城、会津若松城、黒川城
築城   1384
機能   城郭
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関東と東北の境目に位置し、江戸を北から守る要所であるからこそ、一番信頼のおける人物を置くのが徳川家としての意図。そしてその任を徳川家光より任される保科正之は家光の義理の弟。

会津松平と徳川にとって大きな意味を持つ松平性を与えられ、藩一体となり徳川宗家への忠信をしめしていく会津藩。尾張、紀州、水戸の御三家も入り乱れての幕末の混乱期、ブレることなく藩の態度を突き通し京都守護職に着任し、戊辰戦争ではこの会津若松城を戦場とまでし攘夷運動に対抗していく。

その頑な会津の精神は風土となり、「ならぬことはならぬものです」に代表されるあいづっこ宣言となり現代まで受けづがれている。

そんな「八重の桜」の舞台でもあるこのお城。なんとしても見てみたいと雪深い道を何とかたどり着いたのは既に日が沈んだ時間帯。18時までの駐車場に車を滑り込ませ、足を滑らせながら公園の奥に見えるライトアップされた城を目当てに歩いていくが、照明もないかなりの暗い道。前から歩いてくる地元民は、皆自分でライトを手にして足元を照らしながらうまいこと歩いてくる。これは迷ったら大変なことになるということで、歩いてきた一人に城の方角を聞いてみる。「今からそんな格好でライトも無しに行くのかい?」と言わんばかりの表情をしながら、あの前の道を左に・・・と教えてくれる。

とにかく完全に帰り道が闇に包まれる前にと滑らないようにかつ早足で徐々に大きくなる城の姿を目に入れながら、まるで城を攻める敵軍の用に徐々に本丸へと足を進める。

葺き替えられた赤瓦もすっかり埋もれてしまうような深い雪化粧をかけられた城は、輪郭だけをなぞる様な線だけを残してあとは白い雪の彫刻の様に風景の中に溶け込んでおり、その姿はなんとも言えないような美しさ。

城壁と一体化したのか、もしくは城壁が立体化したかのようなその姿は場所によって視覚に深い奥行きを与えて、城壁内部をぐるりと一回りするだけでも随分と違った印象を与えてくれる。

とは言いながら、日が沈み、相当に冷え込んできた外気温に我慢も限界で、一刻も早く緩やかな石垣の斜面と拾い裾野でつくられるなんとも遠近感の強めの写真を何枚か納め、今しがた登ってきた道を滑りながらも戻っていくことにする。
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日本100名城
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