2006年12月31日日曜日

おしりフリフリ


2006大晦日。一歳5ヶ月の甥を乗せ、兄夫婦と共に帰省の途につく。

チャイルドシートに括られた彼の視線の席には、車内テレビを使って流されるDVD。兄がせっせと蓄えたというNHK番組「お母さんといっしょ」のスペシャル・エディション。

「はいはい」をやや遅れ気味で卒業した甥は、身体の自由を獲得してからというもの、束縛されることに過激なる拒否反応を示すという。例えばチャイルドシート。括り付けられしばらくすると・・・「ギャーーーーーーー」というわけ。そうなるとリーサル・ウェポン、視覚と聴覚を同時に刺激し、さらに身体性をも喚起する永遠なるドル箱番組「お母さんといっしょ」の登場となる。朝の番組を録画、編集してるから、画面左上の時間表示は常に8時半あたりで少々ややこしいが、これをつけると甥はぴたりとそのムンク級の叫びに終止符を打つ。そうなると助手席に座る僕はただの障害物。「邪魔だよ、おじさん」と伝える手立てのない彼は、身体を仰け反らせて画面に食い入ることで、僕の身体を動かすのに十分なアピールをする。

こちらは麻布の更科そばを手土産に帰っていったのだが、兄はなぜかDVDプレイヤー。孫のすがたをいつでも見れるように、という意図の奥底には、いつでも「お母さんがいっしょ」が流せるようにという伏線が引かれていたとしるのは後からのこと。

ちょっとママが見えなくなると、ほしい携帯をくれないと、ペットボトルのキャップが空かないと、グゥーーっと身体を後ろにそらして、「ギャーー」。「よ、イナバウワー!!」とはしゃいでるのは僕だけで、兄夫婦はさっとリーサルウェポン起動。どこからともなく流れる「おしりフリフリ」。そしてイナバウワー終了。

この「お母さんといっしょ」。MCが二人いるのだが、時代だなと思ったのは、女性が元宝塚。男性が元劇団四季。歌って良し、踊って良し、笑顔は満点。そしてイケメンに、可愛いとくれば、若い親世代までがっちりハートをつかめるわけだ。これははずさないなと、なんだか納得。見慣れてくると、男性MCの作り笑顔っぷりが少々気になるという兄のさりげない言葉にもなんだか納得。

須藤元気の引退宣言も、桜庭の壮絶なKO負けも、OZMAの裸スーツも見ることなく、ひたすら、ひたすら「おしりフリフリ」の年明け。日本に帰ってからテレビを購入してないので、久々のテレビに少々期待をしていたが、まぁこういうのもいいかなと。一人「フリフリ」を口ずさみながら、「これが初夢に出てきたらどういう意味なんだろう」としなくてもいい心配をしながら除夜の鐘を聞く2006の末。

かしこ。

2006年12月15日金曜日

呑み仲間


日本に帰ってきてからというもの、少なくない友人は僕のことをかるいニートだと勘違いしているようだ。自宅の改装も道楽でやってる明るいニート。遠からず近からずというとこだろうか。

最近ほんとに幸せだと思うのは、東京に帰ってきてもまったくの違和感のない呑み友達といえる友人がいること。ロンドン時代の友人をベースにした仲間達で、年齢も歳もバラバラなのだが、なぜかいつもの場所に行くと、いつもの面子がいつもの酒を呑んでいる。忘年会も新年会もいい歳したおっさんだらけ。チョイ悪でもなんでもない、自分の好きなことをして生きてるおっさんばかり。そんな彼らは決して仕事がつまらないとか、つらいとか口にしない。だから気持ちいい。というか、ちゃんと仕事してるのか心配になる。明るいニートは友達思いでもある。

おっさんに紹介するのは、必然におっさんになるのだから、芋づるおっさん形式で、また一人とちょっと気持ちのいいおっさん集団が増えるわけである。「いや、彼はいい」と、紹介した友人を褒められると、なぜか心の中でガッツポーズ。そして焼酎おかわり。

そんなおっさんに捧げるために、オフィスの入り口にバーを設置しようと本気で考えてる明るい道楽ニートな今日この頃。

2006年10月25日水曜日

Temple of the Right Angle イリノイ工科大学クラウンホール ミース・ファン・デル・ローエ 1956


イリノイ工科大学にミース設計によるオーディトリアムがある。鉄骨とガラスによるシンプルに典型的なインターナショナルスタイルの建物で、「直角の社」といって問題ない近代建築史における名作である。その中で開催された「Thinking Outside of the Box」と題されたシンポジウム。20世紀の巨匠に捧げるレクイエムとしては申し分のないトピックな訳である。

NYアラップのトップが主催しただけあって、世界中の一流建築家や構造設計家、コンサルタントやディヴェロッパーが集まった。アラップ・北京代表のローリーからアラップ・NY代表のデビット、アラップ・ジャパン代表彦根さんを紹介された。ザハのパートナーのパトリックもプレゼンに来てて、「どうも、ひさびさです」と挨拶。昼時にかつてOMAでイリノイ大学の学生センターを手がけたマークが、当時の構造設計を担当していたローリーと共に建物を一通り案内してくれる。構内に通る高架鉄道をコンクリート・チューブで覆い、下層部を複層化し両側を結合するという設計。構内を歩く途中にも「あ、ミース」、「あ、クールハース」、「あ、モーフォー・ヤーン」と飽きることがない。

しかしプレゼンが近づくにつれて、なんかこう久々に緊張してくる。500人近いアメリカ人を舞台から見ていると、「いや、何しゃべろうかな・・・」と軽く凹んだりする。しかし、一度話し出せばベラベラ喋ってあっという間にプレゼン終了したのだが、その後に少なくない人が「いや、よかったよ」と言ってくれるのはやはり励みになる。

一日目のセッション終了後に雑誌の取材を受け、そのままカクテル・パーティーへと流れる。その上のビルにSOMのオフィスが入っているので、そこで働いてる知り合いにオフィスを案内してもらうことにした。NYKPFのオフィスを見学したときもそうだけど、アメリカのコーポレィティブ・建築事務所のオフィスは、どーんと抜けていてスペースにかなりのゆとりを持ったいいレイアウトになっている。そんな中でなぜだかパーティーをしている彼らを見て、こりゃ仕事がはかどるはと、なぜか納得。

明日はただ聞くだけなのでなんのプレッシャーもない。
営業と建築巡礼とハロウィン用のコスチューム探しに奔走しよっと。







2006年10月24日火曜日

Less Is More


シカゴといえばミース。
ミースといえば[Less is More]

近代高層建築の発祥の地シカゴで、明日から「ボックスの外へ」と題された国際建築会議が開催される。ミースの言葉と「ファンズワース邸」や「レイク・ショア・ドライブ」に代表されるように、近代建築が目指した装飾を削ぎ落とした洗練。その先に行き着いた触れただけで切れそうな箱型のスカイライン。

20世紀に振り切れた高層建築というタイポロジーの振り子が、現代における技術の発展を想像力を持って、これからどのような振り返しが期待できるのか?という主旨のシンポジウムな訳である。世界中からザハ・ハディドやダニエル・リベスキンドなどのそうそうたる顔ぶれにまじり、我々もカナダのトロントのタワー案をプレゼンするために招待され、冬が目の前に迫るシカゴにいる訳だが、それにしても寒い・・・

ミースのみならず、ライト、SOM、サーリネン、マーフィー・ヤーン、クールハース等々とシカゴは近代から現代建築の都市美術館みたいなもので、シンポジウムありの二日間という過酷なスケジュールの中、どのルートがベストかを考えているだけで眠れない・・・

2006年8月9日水曜日

ビバ過去問


問題

>運転中、運転員がたんを吐きたい場合、どうすればいいのか。

A 車窓から道路へ吐いてもよい
B 手元にある紙に吐いて、停車してゴミ箱に捨てる
C 車内の床に吐いてもいい

中国のタクシーの運転手の95%はAを実行しています・・・

久々に中国に帰ってきたので、ちょっと前に取得した中国での運転免許に関して。この国からなにか頂いて帰ろうと一念発起し、中国での運転免許を取ろうということで試験を受けてきた。結果的には見事合格で、晴れて中国公安部お墨付きで大陸での運転を楽しむことができるわけである。それにしてもこの試験、かなりお国柄がはっきりとでて面白い。

ちなみに上の問題の正解は・・・ B
更にこんな問題もある。


>乗客を運送して、車内に乗客の忘れ物があることに気づいた場合は。

A 自分が使用する
B 直ちに乗客を探したり、公安部門に届けたりする
C 向こうと相談して、報酬を要求する

正解 B


>運転中、眠気を取りさく一番いい方法は。

A 停車してちょっと休んだり、車から降りて動いたりする
B 話す
C タバコを吸う

正解 A

問題作成者のセンスのよさをただ褒めたくなるような設問だらけ。前日、友人とこんなの絶対出ないよねと大爆笑していたのだが、それが本当にでるから驚く。ビバ過去問。

試験は45分で100問。そのうち90点以上で合格だというのだが、コンピューターで問題を行うので、終わった人はとっとと提出ボタンを押し、画面の右上に笑顔のアイコンが出たら合格という。あまり考えても変わらないかなと20分ほどで終了し、そして提出ボタンへとマウスを伸ばすのだが、出てきたアイコンは笑っているのか、泣いているのかなんとも取れるので、手を上げて試験官を呼んで確認。で、笑顔だと渋い顔で言われる。

うん、笑顔。オッケイ中国。

2006年6月21日水曜日

チャイ 拆


二年前のこの時期、イスタンブールに居た。大学院時代の友人のトルコ人がこれまた同級生のポルトガル人と結婚するというので、のこのこ出かけていった。そこで飲むのはやはりチャイなのだが、チャからティーへと文化の変遷地なんだと思うとなんだか一層美味しく感じた。

茶の文化を運んだシルクロード。今、その東の果てでいるべきでない「チャイ」が街に溢れている。

「チャイ(拆)」。

先日、大山子(798)で北京の現代アートシーンの仕掛け人の黄鋭(ホアン・ルイ)さんのアトリエに伺った。ずかずかと寝室から屋上まで上がらせてもらったのだが、その時に現在作成中だという、「CHI-NA・拆那(チャイナ)」という作品を眼にすることができた。

「拆」というのは、政府が取り壊すことを決めた建物に、「近々取り壊します」という意味ででかでかと赤丸つきで壁にしるしをつけるもの。

日本の様に何年もかけて交渉なんてものはさらさら頭にないので、「チャイ」が現れた数ヶ月以内には建物はすでに再利用されるレンガの塊へと解体されている。

CHI-NA・拆那」という作品は、あまりの速度で解体されていく北京とCHINAは、どこにいくのか?というメッセージをこめたもので、2008年のオリンピックまでに完成目標だとのこと。

こんな様に、できることなら見かけたくない「チャイ」なのだが、ある時友人に「チャイ」のもたらした面白い現象について聞かせてもらった。

その彼は「アーバン・チャイナ」なる雑誌を媒体に社会学的なリサーチをしているのだが、ある地方都市で突然「チャイ」の刻印をされてしまった家族がその主人公。

「チャイ」される家族は悪いことばかりでなく、補助金がでてバス・トイレ付のアパートに引っ越すことができる。しかもその補助金は既存の建物の床面積に比例して支給されるという。そこに目をつけたデキルお父さん。チャイされる前になんとか床面積を増やそうと、なんと5階建ての建物に改装してしまったという。先を見通す眼を持ったお父さんだが、まさか政府が「チャイやめます」といい出すとは予想だにしなかったのだろう。

そんな訳で、チャイの副産物として生み出された5階建てビルだが、そこはさすがビジョナリー・家族、ただでは起き上がらない。かつて小学校の先生をしていたお母さんは自宅で寄宿舎付の塾を開設、23階はそれで埋められた。45階は家族専用に当てられ、昔から鳩が好きだったお父さんは屋上で鳩の飼育なるものを始める。しかもそこで育てられた鳩が「中国伝書鳩コンテスト」で一等を獲得するほどになるのだから、このお父さんただものではない。

チャイをめぐる狂想曲、しばらくは皆が踊らされることになりそうだ。

2006年6月16日金曜日

鬼が来た


「鬼が来た」という映画がある。2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作である。

日中戦争中下の中国の農村を舞台に、ある夜軒先に置かれた袋に入った日本兵を預かることになった農民を中心に、戦争という非日常という中であくまでも個人を描き、それでも最後は国と国民という枠に還元されてしまうという、中国発の名作映画である。

今、「鬼」のいる国がある。しかもその鬼は今年二十歳になったばかり。

その国とはイギリス。
ルーニーのいる国。

奴と対峙することになったディフェンダーの恐怖は想像するに難くない。なんせ、かの国のフォワードならとっくに倒れのた打ち回るようなタックルを食らわしても、ヒョードル並みの腰周りで苦にもせず、万一倒れてもファウルなど期待せず直に起き上がりさらにボールを追う。

奴にボールを触らせる恐怖の余り、ディフェンダー達は数人がかりで行く手を阻むが、扉をこじ開け、乗り越えてでも先に進もうとする。明らかなファールが審判に取られないときは、プレデターの様な形相で雄たけびを上げる。目をあわせたら食われそう。

数年前、自分が鬼の国に住んでいた頃、彼はまだ餓鬼というレベルで、十代でありながら顔と態度は三十代の印象だったが、かつてのライバル・チームに移籍し、名将の下で過ごした二年ですっかり餓(我)が取れたようだ。

画面を通しても聞こえてくるような大声でボールを呼び、けが人が出たのかと思うほど両手を掲げてボールをよこせと指示をする。そして華麗なフリーキックを決めた主将に満面の笑顔でその豊満な身体をゆらし飛びついていく。

「俺、俺」詐欺はかなりの決定率だったらしいが、フィールドの上で殺気を放ちながら両手を挙げ、「俺、俺」と叫ぶ鬼がかの国に出現するのはいつの事になるのだろう。

2006年6月6日火曜日

ダ・ヴィンチ・コード


レオナルド・ダ・ヴィンチは言う。

「喉仏は必ずよっている足の踵の中心線上に存在しなければならぬ」。
安定した人物像を構成する為の極意である。

最近、あまりの運動不足を見かねて、オフィスでヨガなるものを始めた。月、水、金、午後四時はヨガの時間と言うわけだ。クライアントが来てもほったらかしで、ひたすら自分の身体との対話に励む。この夏、コロンビア大学院から取った数人のインターンの所員も、わざわざ中国くんだりまできて必死にバランスを取っている。なにやってんだか・・・

片足をあげ、それを軸足の根元に持っていき、両手を広げてバランスを取る例のポーズを決めていると、軟体動物のような身体の持ち主の美人先生が言う。踵から頭のてっぺんまで一本の線になるようにと。「お、ダ・ヴィンチ?」と思い、一人「オプス・デイ」と中国語で突っ込む。そしてバランスを崩す。なにやってんだか・・・

しかしこのヨガやり始めてみると、なるほどこれははまるわけだとよく分かる。人はその潜在能力の数パーセントしか使えてないとはよく言うが、必死に身体を曲げていると、少しだけその扉を開いている気がしてくるから不思議だ。身体を伸ばし、リラックスして音楽に耳を傾け、腹式呼吸に集中する。時間の流れが少しだけ変わる気がする。

そしてどこからともなく「グゥーグゥー」という心地よい音が。て、寝てるんじゃん。飛び入り参加した某有名美術家、既に悟りを開いているのでしょうか・・・

2006年5月1日月曜日

マイナス・イオン


今年の51に訪れた雲南地方に熱帯植物園なるものがあった。紹介文のところに、「マイナス・イオン出してます」なんて書いてあるものだから、「これは頂かなきゃあかん」ということで、両手を広げて、一人タイタニック。

「水兵リーベー僕の船、名前があーる、シップスクラーク・・・」なんて元素記号表をぶつぶつ言っていたら、あることを思い出した。

高校時代に「イオン」という名の同級生がいた。科学の時間にイオンとはプラスとマイナスの電荷が等しくない原子または分子のことなんて習ったもんだから、バランス悪いのかなぁと一人思ったものだ。ちなみに彼のお兄さんは「アイン」。北斗の拳の賞金稼ぎでなく、お父さんが有名な科学者だということで、相対性理論を越えるようなととんでもない想いがあってのことだろう。

で、彼の家の犬の名前。「ウラン」

「どっちの?」と突っ込みたくなる名前だが、それ以前にできるだけ距離を置いたお付き合いをさせていただきたいお犬様である。当時東海村で事故なんてあったものだから、ご近所のお犬仲間にも避けて通られたであろう、かなりの悪者だ。

しかしこの「ウラン」君。原子番号92の元素なのだが、人類がお熱をあげるの放射性同位元素として知られるのは0.7%のウラン23599.3%はただの金属の238ウランだという。このウラン2350.7%から35%まで濃縮すると核分裂するウランの完成。戦時中の日本でも仁科研究室が必死に研究を重ねた結果、この濃縮工程に200年ほどかかると推測し、とっとと開発をあきらめたというほどその濃縮過程が大変らしい。

で、238の金属としてのウランの特性を利用したのが、劣化ウラン弾。高硬度、大質量の為弾頭として極めて望ましい効果を得られるらしいが、たった「3」の違いでその内実はとんでもなく違ったものになる。世間のとんでもない勘違いを指摘するべく名付けられたかは謎だが、ものすごい含蓄のあるお犬様だ。

そんな素敵な家庭に育ったイオン君ももう結婚したと聞いた。対になる素敵なプラス・イオンをみつけて、電離状態からみごと安定化したのだと思うと、なんだかこちらも嬉しくなる。

で、やはり次に気になるのは彼の子供の名前なのだが・・・

2006年4月27日木曜日

マイ・ヒーロー


建築を学び始めた頃、なぜか学校でコンピューターを使うことを禁じられた。

そんな訳で膨大な時間をかけ、製図版に向かう生活を続けていた。自分の手を使って図面を引くと、それぞれの個性なるものが浮き出しにされる。

その頃は昔の建築家の図面を見て、なんて美しいんだと一人興奮していたのをよく覚えてる。

そんな中でも一番のショックを受けたのが、ポール・ルドルフ。コンクリートを使ったかなりブルータルな表現をする建築家なのだが、彼がすごいのはその断面パース。

つまり建築を切って、遠近法的に内部空間を表現する図面なのだが、これはかなり労力と時間を労する。

しかしその分、その建築家が思い描く空間がはっきりと描かれる。その密度たるやものすごいもので、彼は一度製図室にはいると、何十時間も出てこなかったといわれている。

そっから設計始めるもんで、普通の建物と違い、断面が折り重なり、複雑な空間をつくるのが彼の特徴。そこには高さの違ういろんな関係性が作られ、まさに異なる空間経験が図面の中で既にできる訳だ。

またこの図面がかっこよくて、美しくて、影のつけ方一つから何度も何度もトレースしていた若かりし頃のマイ・ヒーロー。そんな彼の実作にまさか遭遇することができようとは思っていなかった。

イェールの建築学部学長をしていた彼によりその学部棟は設計された。

エントランス部分からかなり長い階段を上らされ、既に自分がどのレベルにいるかが曖昧化される。

天井仕上げも荒いコンクリートの打ちっぱなしで、しかも高さはかなり低く抑えられている。そこからメインの空間にでると、真ん中が吹き抜けの回廊型の空間に出くわす。この回廊にもいちいち階段がつけられていて、常に違うレベルから抜きぬけを見下ろすことになる。

そんなのをみて、いちいち一人で「うぉ」、「すげぇ」って感動する自分。ファイナル・レビューが近づいてる学生さん達にかなり白い目で見られていたこと、まちがいない。

ちなみにメインホールでは、ロンドン時代に働いていたザハ・ハディドの展覧会をやっていた。かつての同僚のアナとティアゴが手がけたらしい。

ま、相変わらず、ザハはザハでなんか嬉しかったりして。

2006年4月26日水曜日

ウーマンズ・テーブル Maya Lin 1993 ★★★★




















IITイリノイ工科大学)はシカゴの街に非常に開けたキャンパス構造になっている。構内に鉄道や、一般道路すら走っている。やはりイェールやコロンビアなどのアイビー・リーグの大学環境にはなかなか追いつかない。

ここイェールは全米で始めて女性が大学に受け入れられた学校として今でも名声を誇っている。女性だけでなく黒人が始めて大学に受け入れられたのもここイェールだという。このようにマイノリティーの社会進出を助けてきた大学の歴史を記念して、数年前に構内にウーマンズ・テーブルという彫刻が建てられた。テーブルの中心から水が溢れ出すとともに、数字がらせんを描いている。中心付近は殆ど「0」が並び、突然「13」が現れ、あとは加速度的に増加をする。これは学校の歴史を年次列にしたもので、数字は女性学生の数を表していると言う。

テーブルの表面を流れた水はその端からカーテンのような皮膜をつくり落ちていく。人種も、性別も関係なく、同じ学問を目指しここに集まり、そしてこれからも集まってくる物へのトリビュートだという。

ちなみにホワイト・ハウスでいかがわしいコトをしちゃった大統領もここ出身だそうが、ホワイト・ハウスにも一つウーマンズ・テーブルを作るべきだと思う。






名門


世の中には数々の名門なるものがある。

学校、家系、球団
・・・

名門には環境が付き物で、その環境で人が育まれ、人と出会い、次なるステップへと羽ばたいていくものだ。

グランド
セントラルから北に2時間ほど列車に揺られ、辿り着いた先ニューヘブン。
そこにあるのは歴代アメリカ大統領を数多く輩出する名門中の名門イェール大学。
今一緒にオフィスをやってるパートナーがこの大学院出身ということで、今回いただいた賞について建築学部長に報告に行くためにやってきたというわけだ。

AA
ならロンドン、コロンビアならマンハッタン、ハーバードやMITならボストンといった様に都市型大学とは違いプリンストンやイェールは完全なる郊外型大学で、税金を払わなくて良い大学とその大学に土地をとられる市との間で、依存と対立が繰り返されるという。

そんな訳で街の半分は大学の敷地で、野球場はあるわゴルフコースはあるわで、かなり優雅な環境が用意されている。その代わり、夏や冬の休みの時期になると、町は半ばゴースト
タウンに様相を見せるらしい。

名門に属すると、他人と差別化を図ろうとするのが人に性で、そこに現れるのがブランド。つまりは名門グッズ。

パーカーからTシャツ、キャップなどに「YALE」の文字。

結構ミーハーなもんで、あくせくと試着を繰り返し、全身名門で固めました。

て、俺卒業生じゃないし。

そんな訳で、今度ゴルフ行ったときにさりげなく「YALE」のマーカー使ってたら思いっきり突っ込んでくださいな。

て、俺ゴルフ全然できないし。。。

2006年4月24日月曜日

都市のリズム

東京、ロンドン、パリ、ローマ、北京、イスタンブール、ベルリン、アムステルダム・・・

メトロポリタンと呼ばれる都市には長い年月をかけて養われた都市のリズムなるものが存在する。

普段そこで生活する限りなかなかそれには気づくことはないが、異邦人としてそこに足を踏み入れた時それはある種の違和感として現われ、それを許容しない限り自身が都市の一部にはなりえない。

多種多様の人種、文化、伝統、生活様式が共存するここニューヨークにもやはりそのリズムなるものが存在し、そのリズムは「音」として街のあらゆる所に現れる。

グリッド状に区切られ各ブロックに最大限にたてられた高層ビルのボリュームに切り取られたスペースにおいて、解き放たれた音は逃げ場を失い、それぞれが共鳴しあい、その結果都市の生活騒音レベルたるやものすごいものである。

路上で携帯電話を使うことは殆ど不可能で、隔音された場所を探すだけだ。

なんて居心地の悪いと思っていたら、こちらに住む友人が、「これが無いとニューヨークにいる気がしなく、かえって寂しい」などと言っているのを聞き、あらためて自分が異邦人だと再認識。

2006年4月23日日曜日

ロコモコ


ハワイ料理のロコモコが、ついモコミチ聞こえてしまう。
で、「イケメン」って一人突っ込み。ふふ。

てなわけで、高校時代の親友の挙式でホノルル
マラソン以来のハワイ入り。新郎新婦共に高校の同級生。まさに白線流し状態。ま、波に流され溺れそうになったのは自分だが・・

新郎が泥酔し、亀の産卵のようになろうとも、式でのキスがあまりにも長くても、ジーパンで海に飛び込みデジカメが壊れようとも、間違いなくカイルアビーチよりも美しい結婚式で、素敵な夫婦であった。海外挙式の利点、少人数の親近感。なによりご両親が楽しそうなのが良かった。

で、ギャラリーに

「今回はお嫁さんも綺麗だけど、来てらっしゃるゲストの女性が皆綺麗ってすごいわねー」

と言われたという女性陣。はじけすぎ。結婚式後のホテルのバーで出禁くらうのはやりすぎだが、おしゃれ
イッキもキャメラマンダンスもまたみたいと思うのは自分だけではないはず。

パンツ一丁オールバックな男前も、
なで肩快足にゃにゃにゃにゃにゃんも、
一人海に入らないT平似の仕切り屋も、
一人確実に睡眠時間確保するおちゃめさんも、
マッサージまでこなす何でも屋なママも、
おしゃれ
イッキ&キャメラマンダンスも、
お綺麗な新婦のお友達のお二人も、
ミナサン、ホントニステキデシタネ。 

で、飲みすぎです。 

正直ハワイに来て、ビーチも行ってない奴いるだろ?
次は北京で白酒用意して待っております。

ほんと新郎
新婦おめでとう、そしてお幸せに!!


PS
 やっぱ「カトウ」ってサクラか

2006年4月19日水曜日

Instability: インスタビリティー


Instability: インスタビリティー

直訳すると「不安定さ、情緒不安定」などになる。
ちょっと解釈を深め「非恒常的状態」と捕らえてもいいだろう。

この「インスタビリティー」が「The Architectural League NY 2006」コンペティションのテーマである。つまり文化や生活様式、さまざまな物の境界線が極めて曖昧に、定義不可能になりつつあるポスト
グローバリゼーションのこの状況下に、都市を包括する建築が如何に固定観念にとらわれない、現象的な解法を示せるか。それを問うという訳だ。

The Architectural League NY」は毎年あるテーマに沿って世界中の建築設計事務所から作品を募集、その中から56組を選び、受賞事務所はNYで講演と展覧会に参加すると言うコンペティションで、できるだけ先進的なチャレンジを続ける若手建築事務所に評価のチャンスを与えようという趣旨である。

そういうわけで今僕が共同主宰する建築事務所[MAD]が今年の受賞対象として選ばれ、4月の27日にNYで講演の予定である。

Young Architects Forum  instability

そんなわけで、ただいまニューヨーカーの度肝を抜くため、「フィッシュタンク 2006」をデザイン中。ご期待あれ。

2006年3月29日水曜日

マリリン・モンロー


「セクシー」といわれて、「マリリンモンロー」と想像するのは21世紀になっても変わらない北米はつくづくポップだと思う。

カナダはトロントで180mの高層コンドミニアムのコンペがあり、うちのオフィスの案が一等を取りメディアカンファレンスのために昨日からトロントに来ている。

上の階に行くにつれて各階が回転し、建物全体が美しい曲線で構成されるこの建物にクライアントがつけたニックネームは「マリリンタワー」。

敷地があるのはトロント郊外のミソサガという都市。そこの市長さんは86歳の女性で僕らの世代が生まれる前から市長をしてるという名物おばさんらしい。去年「世界ベスト女性市長」第二位に選ばれたとのこと。ちなみに一位はアテネらしい。

そんなわけでその名物市長さんもカンファレンスに顔を出してくれ、「市長の若いときはこんなセクシーだったんですよね?」なんて言われて上機嫌。なかなかキュートな方で、30年近く市長の座に居座り続けるのにもなんか納得。

モンロータワーが完成する2008年にもしっかり市長でいてほしいものである。

2006年3月26日日曜日

棲家


今クラブなるものを設計している。
中国語発音なら一声の踊るほうのクラブ。

深圳で6店舗ライブハウスやレストランを経営するクライアントさんが北京に出店するので設計しているという訳。

で、クライアントが一度来て雰囲気を見てくれとのことで昨日から深圳入りし、インテリア
デザイナーと一緒に6店舗のうち3店舗と最近新たに開店したクラブを見てきたところ。

深圳ではかなりのおしゃれスポットの様で、Morcheebaなんか呼んでしまう様な本格的ライブハウスらしく、どの店舗に行っても人だかり。レストランではジャズの生演奏でしっとりと、ダンスフロアではイギリス人DJのハウスで盛り上がり、でラテンアメリカからのバンドの生ライブでお酒を飲むと。ご飯が食べれて、音楽を楽しめて、お酒が飲める。そういう大人の遊べるところって確かに北京にないですもんね。

そんなわけで夜中の3時までキッチンからバー内部、DJブースまでメジャーとスケッチブック片手に片っ端から測量。ちなみにクライアントさんは朝方4時まで踊り続けた。

そこに行けば誰かに会えるような、ほんとに落ち着ける棲家みたいなバーつくりますんで、北京在住のみなさんぜひ7月末まで楽しみに。

ちなみにそんなこじゃれスポットなのに、やっぱりサイコロ回すんですね。

2006年1月22日日曜日

新年×3


今、内モンゴルのある地方都市のかなり場末ののインターネットカフェにいる。

周りはネットゲームに夢中になっている若者に囲まれ、持込のラップトップでミクシィしてるの姿はかなり浮いていること間違いない。

中華新年を目の前にして、休み前の最後の打ち合わせということで昨日から内モンゴル入り。このE市はここ10年で急激な経済発展を果たし、フフホト市に追いつき、追い越す勢いである。

そんな背景を受け、飽和状態に達しつつある都市機能を新たに移転しようと市当局が7年の歳月をかけた新都市計画が進行中なのである。内モンゴル版ブラジリアみないたものである。この計画のプロセス自体語るに値するものが多すぎるので、とりあえず今日はやめておこう。

今朝からの打ち合わせで数点の変更を受け、図面を変更しようかとなるわけだが如何せん、持ち込んだCAD図面とPCのソフトのヴァージョンが一致しない。アップデートしなかった付けがここで回ってくる。

しょうがないからインターネットにアクセスしてアップデートしようかと思いきや、ホテルの電気が落ちましたとのこと。廊下、階段いたるところに蝋燭のなんとも言えない灯りがともり、デビッドリンチばりの雰囲気にしてくれたのはいいのだが、明日の打ち合わせは待ってくれない。そんなわけで雪道をとぼとぼ歩きてネットカフェまでたどり着き、最近版のダウンロード中。

やけに街中が賑やかだと思ったら、今日はモンゴルの新年の初日だという。数日後に控えた中華新年を含めると、今年は3回新年を迎える事になる。なんだかちょっぴり得した気分。

そんなこんなでダウンロード終了。 

明けましておめでとう、モンゴル。

2006年1月10日火曜日

村なるもの


先日、卒業以来となる中学校の同窓会に参加した。元生徒会長のがんばりのお陰で、小規模の学校にも関わらず、半数近くの高参加率でかなりの盛り上がりを見せた。

驚いたことに、軽く干支一周するくらいの時間が流れたのにも関わらず皆当時の役割がそのまんまだということ。ナイス
ポジションキープな訳である。トータルフットボールよりカテナチオというところか。大部分の人が同じ地域で、同じ人間関係の中で生き、それが結構心地いい状況になっているという訳だ。そしてそのなかで子供ができ、彼等がまた同じ幼稚園に通う同級生になりつつある。完璧な村構造だ。

そんななか三浦展著「下流社会」(光文社新書)を読むと、団塊ジュニア世代の二層化などど銘うって、この状況をうまく数字を並べて論じてる。グローバリゼーションと村化の同時性かと、ふむふむと思いながら北京に戻る。

そんな矢先北京友達と行ったハルビンでなにやらよく分からない言葉が飛び交った。よくよく聞くと、ミクシィなるものらしい。ソーシャル
ネットワークシステム。簡単に言えば、ネット版村な訳でしょ。つまり村だらけ。まんだらけみたいなものか。

これはまずいと、昨年友人から送られた招待メールで訳もわからず登録しておいたミクシィにアクセス。もちろんパスワードなんか忘れてるから再発行。晴れて村デビューを果たした。まだまだ半人前の村人か。

ぐだぐだ書いたが要約すると、村八分にならないようにしようかなと思う今日この頃。つまり「下流社会」の次は「差別社会
かと戦々恐々する訳である。

草々