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2020年4月23日木曜日

春の雪景色


実家での仮住まいの時間が長くなり、かつての自らの子供部屋がリモートワークのオフィスとなるなか、本棚に置かれっぱなしの小説の背表紙を眺めると、読書に没頭していた時期を思い出す。

そんな気持ちを取り戻すべく、読んでない本を探して一時期随分読み漁った吉田修一の「初恋温泉」を見つけ出す。恐らく読んでなかったはずと、一日一篇読み始める。

それぞれの篇には具体的な温泉と旅館名が書かれており、そこを訪れるカップルの話が納められているのだが、 青森の青荷温泉を舞台とした「白雪温泉」では、空港を出た際に感じる違和感が、雪景色に覆われた風景で音がなくなったような感覚から来るのだと始まり、雪深い宿に訪れた夫婦の一夜の物語が書かれている。

その話が印象深く、夜に妻に語って聞かせた次の朝、日課となった庭木の片付けを終えて市のクリーンセンターに向かう途中、前の車が少し不安定な運転をしているのに気が付く。「危ないな・・・」と思ってみていると、どうやら高齢の女性ドライバー。しかも、目的地が同じ様である。「なんとかかわして先につきたいな・・・」と思いつつも結局前後関係は変わらず到着。

最初の計量に際して、係の人から「何を持ってきたぁ?」と聞かれて、「ちょっと見せてくれる?」と通常のやり取りが行われているのを後ろから何気なしに眺めていると、運転席から降りてきたマスク姿のおばあさんが、トランクを開けて指を折りながら数を数えている。「ここは不燃は取れないよ。可燃しかダメだよ」という係の人の言葉に、窓口に向かうおばあさん。

「ここは不燃がダメなのを知らない人が多いからなぁ」と思いつつ眺めていると、どうやらうまくやり取りが進まない様子で、係の人が「あぁ、耳が聞こえないのかね」と。

昨晩の小説が頭の中で甦り、携帯をもって車を降りて駆けつける。携帯に「不燃」と打ちこみ、おばあさんに見せて、腕でバツを作って伝える。それでもうまく伝わらない様子なので、係の人が「中央センターなら全部取ってくれるから」と言うように、中央クリーンセンターを地図で表示して、「可燃と不燃」とタイプしてマルを作って見せると、どうやら分かった様子でトランクを閉めようとする。

大丈夫かな?と思いつつ、「市民病院の近く」と再度打ちこみ画面を見せると、ポンポンと腕を叩いて、マスクの上からでもそれと分かる笑顔でにっこりとうなずく姿からは「大丈夫だよ。ありがとう」と言ってくれているのが伝わってくる。

植木を出し終え、家に向かいながら、こんな状況でも力強く新緑に覆われ始める春の風景を眺めながら、昨晩白雪温泉」を読んで妻に話していなければ、恐らく気が付くことがなかったであろうことが、意味のある景色として見えたことに感謝しつつ、音がすべて吸収されてしまう雪景色のような世界でも、あんなに温かい笑顔と感謝があることに思いを寄せて、ごみを出しに来たのに、それ以上に大きなものをいただいた気がせずにいられない。

2016年2月17日水曜日

本を薦めてもらうことの喜び

久々に会う友人に、「最近読んだなかで、何かお薦めの本はあるか?」と聞いて、教えてもらえることの喜びはとても大きい。趣味趣向を共にして、しっかりとした読書習慣を持っていると思えるからこそ成り立つ会話であるし、次回再会する際には、その本を読み終え自分なりの感想を伝えるのが礼儀というものであろう。

ネットがインフラ化した現代。自分の見たものしか見ず、興味のあるものしか読まないことに無意識のうちに引っ張られてしまう我々。その枠からはみ出すのはせめて世間一般で広く読まれている「ランキング」にあげられる本のタイトルぐらい。

月に何度か、偶発的な出会いを求めて本屋で数時間、ブラブラと自分の専門以外の本棚の前で時間を過ごすことができるのが理想であるが、物理的にそんな時間を持つことが許されないならば、どうにかして自分一人では出会うことの無い、しかし読めば人生に何かしらの意味を与えてくれるようなそんな本と出合う可能性を高めるためのもっとも効果的な方法。

ただし尋ねるだけではなく、尋ねられた時にもしっかりと「その時」のお薦めの本を数冊あげることができること。そして、尋ねてきた相手にとって意味を持つであろうタイトルをあげることができること。そんな拡がりのある読書を

2015年12月5日土曜日

「いつか読書する日」 緒方明 2005 ★★★★

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スタッフ
監督 緒方明
脚本 青木研次
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大場美奈子:田中裕子
高梨槐多:岸部一徳
高梨容子:仁科亜季子
皆川敏子:渡辺美佐子
皆川真男:上田耕一
スーパー店長:香川照之
高梨陽次:杉本哲太
大場千代:鈴木砂羽
田畑牛乳店店主:左右田一平
児童相談所課長:柳ユーレイ
児童福祉司:堀部圭亮
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「坂のある街はやはり美しいな」

そう思わせてくれる映像に満ちた本当に美しい映画である。その坂の上り下りが日常の生活の中でどういう意味を持つかを強調するかのように、朝の出勤と夕方の帰宅のシーンが駆り返され、そして高低差のある地形に散らばる各家庭に住民でなくともアクセスする牛乳配達員を追うことにより、更に坂のある街の風景を明確に描き出す。

冒頭のシーン。ある一点から眺める、坂に沿いびっしりと立つ住宅群のあちらこちらに明かりが灯る風景であるが、坂のある街独特の風景であり、その坂を成り立たせる一段一段の階段、そしてその階段を毎朝踏みしめながら上り、牛乳瓶を届け回収し、そして下りてくる人がこの風景の中に隠れているのだと言わんとするようである。

この街で育ち、読書を愛する少女は、「できることならこの街の全ての人に牛乳を届けたい」とこの街を愛し、未婚のまま50歳を迎える。朝は牛乳配達をし、昼間はスーパーのレジ係。何ということもなく地味ではなるが、毎日をしっかりと確実に過ごしている。

そんな彼女の物語は、中学校時代に付き合っていた同級生との間に、自らの母親と、そして彼の父親が不倫関係にあるなかで事故死をすることになり、想いを寄せる相手と同じ街に住みながらも、決して想いを遂げることなく時間を重ねていくこと。

今でも想いを寄せる相手は市役所で児童課に務める何とも無い中年の男。彼の物語は、美しい妻が病床に伏せ、余命少ない中を淡々と介護に努めて毎日を過ごす。

その妻もまた同じ街に住まうものとして、夫の隠された想いと、毎朝牛乳を届けに来る女性が夫にとって特別な存在であること、そして自分の命が残り少ないことを理解し、牛乳瓶に手紙を潜め、夫に隠れて彼女との面会を求めることから中学校時代から長くすれ違ってきた二人の物語がまた音を立てて動き出す。

妻の最後をしっかりと看取り、送り出し、そして今まで抑えてきた自らの気持ちに少しずつ向き合い始める中年となった二人。そして堰が音を立てて崩れるかのように、失われた時間を取り戻すように求め合う。

夜の風景の中で、ポツリポツリと灯る明かりの一つ一つが、こうした濃密な時間を過ごしてきた人々の一生を反映していると思うと、なんて美しい風景なのだと涙が出てきそうになってしまう。

馴染みの無い街を訪れ、坂を上りながら見つけた居酒屋で、たまたま隣に座った自分と同じ様な中年のカップルにも、また同じ様なドラマが広がっているのかと想像を広げれば、同じ酒でもまた格別なものになり、明日の朝には久々に瓶で牛乳でも飲んでみたいと思うに違いない。

ロケが行われたという長崎の街。いつかゆっくりと街歩きをしてみたいと自らの地図にマッピングすることにする。それほど素晴らしい一作である。
















2015年3月2日月曜日

映画と読書のギャップ

飛行機の中の過ごし方。まずはどんな映画が更新されているかチェックする。手元には鞄から出しておいた数冊の本があるにもかかわらず、気になっていたタイトルがあるとついつい観てしまう。

「映画を観る」という行為は極めて受動的である。基本的に自分は何もせずに視覚だけを使って物語を追っていくだけ。脳への負担は極めて少ない。それでいながら、小説家が魂をこめて書きあげた一冊の本をたった2時間に集約して仕上げた物語を、あたかも本を一冊呼んだかのように「見終えて」しまう。

一冊の小説を、どんなに内容が薄くてもやはり2時間で読めることはほぼ無い。しかも手で本を保持しながら、頁をめくりながら一行一行追っていく。単語をおい、台詞をおい、行間をおい、人間関係をおっていけば、おのずと脳への負担は大きくなり疲れも出てくる。

それでも、読み進めるとともに視界が開けるように物語の世界が見えてきて、生き生きと登場人物たちが立ち上がってくる。少なくなる残り頁とともに、次のページをめくるのを楽しみに思いながらも、終わってほしくないという相反する気持ちを処理しきれずに最後まで物語を読み終える。

文章から想像力を駆使して作り出した自分だけの本の世界に十分浸り、その中で自分の記憶に残る部分を選択していく。そんな極めて能動的な行為が読書にはある。たとえ映画で2時間で観終えてしまう小説が読み終わるのに1週間かかるとしても、その行為としての体験は遥かに内容が濃いと言わざるを得ない。

忍耐力がどんどん失われていく現代社会。その中で少しの差に見える映画と読書のギャップ。その意味をしっかりと理解してその上で何を読み、何を観るのか選択していく。それがこれから我々に突きつけられている問題意識なのだと思う。

2013年12月25日水曜日

「再会」 横関大 2010 ★★

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第56回(2010年)江戸川乱歩賞受賞作
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日常に戻るとなかなか読書の時間がとれないもので、なかなか消費されていかない本が本棚から恨めしくこちらを眺めているようでどうも罪悪感に苛まれながら日常を過ごすことになる。

年末だということで、中国ではカレンダーが違うから年末年始も普通に仕事だが、そこは外国人という特権を行使し、仕事への影響を最小限に抑えて数日だけ激寒の北京から暖かいタイへと向かう事にする。

寒さとストレスと疲労で、とことん緊張しきった身体中の神経を少し和らげ、「何もしない事」を目標にただただ好きに読書をする時間を過ごそうと妻に言われ、旅のお供に何を持っていこうかと本棚の前に立つのはなんともいえない至福の時間。

流石に長いこと専門書を読んでないのはまずいだろうと数冊の建築本。こういう時間に新書を持っていくのもなんともさもしい気がして、できることなら物語を読もうを文庫を漁る。

「できる事なら脳のアイドリングの為に、軽めにサラッと読めるものは・・・」と手にした一冊。「江戸川乱歩賞受賞作」とくれば、抜群の安定感に違いないとほくそ笑む。

空港にて搭乗を待つ間に読み出すのだが、なかなかペースが掴めない。どうも素人臭い展開だなと思ってしまうありがちな構成かと思わされる前半戦。それに追い討ちをかけるのが珍しく小説の登場人物として採用された建築家の設定。

国立大学の建築科を卒業し、建築事務所に入所して早速設計を任されてしまったり、30代中頃にして、大学の先輩に誘われて事務所を設立し、他にも忙しくプロジェクトを抱えながらも地元の大きな開発を受注したりと、「ないない」とツッコミを入れたくなるばかりでどうも物語りに集中できない。

一体どんな時代の建築事務所をモデルとしているのか知らないが、現代日本で建築事務所を経営していくとしたら、そんな簡単に仕事は回ってこないし、マンションを購入し、車を乗り回し、打ち合わせや現場確認に飛び回る。平日にも関わらず夜の8時には地元に車で戻ってこれるというから、恐らくそんなに忙しくないか、建築家の日常がどんなものかをよく調査せずにイメージ先行で書かれたのだろうと一人更につっこむことになる。

まぁ小説だから・・・ということだろうが、そんなにうまい事いかないもんだし、これが建築家の生活だと世の中の人は思ってしまうのかとなんだか要らぬ心配をしながらやや不満げにページをめくる。

それにしてもなかなか小説の登場人物としては選ばれない建築家というのは、なんとも退屈な日常を送る職業なのか。それとも普通に生きていれば、なかなか出合う機会もないので、登場人物として利用しようとも思いが回らないのだと更に勝手に想像する。

この「登場人物に建築家がいる」という事と同じくらい、ひっかかって中々先に進めなくなった要因の一つが「女性への暴行」。物語の肝になる部分だが、地方都市のやさぐれた金持ち息子が、高校生相手に山の中でレイプをし、更にいい大人になった相手に再度身体を要求する。

「何ともチープな設定だな・・・」と思ってしまうが、テレビの報道を見ていると、どこかの都市で女性を車に拉致し、暴行をし、更にお金を獲った人間が逃げているというニュースを目にし、ひょっとしてこの設定もあながち絵空事ではなく、実はそういうことに巻き込まれ、心と身体に傷を負った女性が沢山いるのでは?と思わずにいられない。

そんな訳で、最初はなんとも退屈な展開なのだが、徐々に物語は進み、現在が23年前の事件と繋がり、徐々に4人の幼馴染が誰でも犯人になりうる展開になるとそこそこ引き込まれながら読み進める。小学校の校庭に幼馴染4人で埋めたタイムカプセル。

日本人であれば誰でも自分をその中の誰かに投影できるのではという分かりやすい登場人物の役割分担。事件をすらすらと解いてしまうやり手の警察官が23年前に流れ弾を受けた主婦の子というのはやや無茶な気がするなど、ところどころにツッコみどころ満載だが、アイドリングには丁度良かった一冊である。


2013年12月19日木曜日

わざと間違えておく

服部真澄の「エクサバイト」で美術品の修復理論の三原則として紹介されるブランディの三原則。

1 修復に際して加える処置 その後に見たとき、明確に修復だと確認できるものでなくてはならない。
2 作品の見かけ上の仕上がりを変えてはならない
3 修復処置は容易に元に戻せるものでなくてはならない

チェーザレ・ブランディ「修復の理論」

修復というのはオリジナルに戻すことではない。
あくまでも時間を経た現在の美術品の状態を修復することである。
つまりはそれが修復された作品であるという証拠を残すこと。


読書をしてそれを纏めるために、まずは目次を書き出すことになるが、これだけネットに情報が溢れていても、新書などで全ての目次項目がネットで見つかるものはやはり少ない。そうなるとしょうがないので自分で打ち込むことになる。

この作業をすると、大体その本が何を言おうとして、その内容を分かりやすく伝えるためにどう構成されていったか、作り手の思考を追うことが出来るので、読む前に行う作業としてなかなか有効であると思っている。

そして読み終えた後、読みながら引いていた蛍光ペンの跡を打ち込むことになる。本を横に置いてみながら打ち込むのは、膨大な時間がかかるために、線が引かれたページをカメラでとってデータとして画面に表示しながら打ち込んでいくのだが、この時に気をつけていることがある。

それが上記の原則。ネット上のどこかからまるまるコピーしてきたのではなく、実体のある本を経由して、その中から自ら取捨選択した部分を打ち込んだという身体の痕跡を残すために、打ち込んだ文のどこかに小さな揺らぎを紛れ込ませること。

自分なりの方法で筆者が強い想いを持って発した言葉を身体の中に入れていく。内容を纏めるようなことは、星の数ほどある様々なブログで腐るほど見つけることが出来るので、それと同じにならないように、自分の身体の中で消化し、自分なりの言葉で外部化する。

これが自分なりの筆者への敬意。いつの日か自分が本を書く機会に恵まれて、その想いを誰かが受け取り、その人が出来るだけ多くのページを今の自分と同じように手を動かして自分で消化するために打ち込んでくれるとしたらそれは幸福に違いない。そしてそのようなブログを見たら自分はきっと深く感動するのではと思う。

そんな小さな小さな自ら立てた揺らぎが反響し合い、いつか自らの思考の中に大きな波紋が生まれ、美しいさざ波を作り出してくれることを期待して、また今日も小さな間違いを埋めておく。

2013年11月3日日曜日

ブックオフ文化論

今日は文化の日。しかも日曜日。

しかしここではそんなことは関係なく、朝9時半から現在進行中の全てのプロジェクトのチェックをするために、パートナーと一緒に各プロジェクトの担当者を時間ごとに集めてレビューをする。その為に朝早くから電動スクーターでオフィスに向かう。

オフィスの自転車置き場にスクーターを入れようと思うが、その前にトラックが止まり、進入路を荷台から降ろした荷物で占拠している。その前にはイタリア人のスタッフが自転車にまたがり困った様子。

民度

という言葉が良く聞かれた2012年。その言葉が一体何を現すのかはよく分からないが、それがもし何かしらの文化的意味を含むのならば、民度の高さと言うのは、如何に自分以外の人のことを考えて行動できるか?なのではと思わずにいられない。

この国で生きていると、この国の国民にはその感覚の開きがとてつもなく大きいのに驚く。上記の例なら、「誰か作業中に自転車置き場に行く人がいるかもしれないから、通れるようにここは荷物を置かないようにしよう」とは考えないのだと想像する。それよりも、とにかく自分の仕事を終えることだけを考えて行動する。分母が大きいだけに、同じ比率でもそういう人間の数がとてつもなく多くなることになる。

それに比べ日本はかなりの所でそのルールが比較的しっかりしている。それぞれが属する組織に置いて、競争原理も働くのだろうが、人に迷惑にならないことがかなり基礎として組み込まれている。

これは建築現場にいってもよく感じることになる。日本の現場だとどんなに小さな現場の小さな工務店の職人さんでも、作業工程を考えて、他の職人さんに迷惑をかけないように非常に綺麗に養生を行い道具や建材を整理整頓している。これと同じことは決してこの国では期待できない。

しかしそれが一体民度というものなのだろうか?と考える。と同時に比率的に考えていけば、日本でもある一定数は必ず他人の迷惑を顧みずに行動をする人間も相当するいるのだとも思う。そんなことを思いながらなんとかスクーターと所定の位置に停めてオフィスの階段を上がりながら、それでも民度と言う概念が存在するならば、それはやはりその国の国民の読書量に比例するのだろうと考える。

恐らく世界どの国と比べても、日本の読書習慣はずば抜けていると思わずにいられない。この国では街中で本屋を見かけることも無ければ、電車やバスの中で読書に耽る人の姿を見かけることも少ない。それに比べて日本では電車に乗れば多くの人間がブックカバーをかけた小説に夢中になっている。一時間近く拘束される満員電車ではそれ以外できることがないというのもある種の強制要素になっているかもしれないが、それにしても日本人は良く本を読む民族である。


その民族の一員として毎回日本に戻るたびに心に決めることがある。「今回は本を買わずに、今ある本をまずは読んでいこう。それが消化されたら次に欲しい本を買う」と。しかし、その誓いも日本滞在中に必ず破られることになる。その誘惑は大概ブックオフの100円コーナーによってもたらされる。

東京に住んでいる数年の間、数ヶ月に一度は東京都内にあるブックオフの大型店舗を梯子していた。まずは近場の白金高輪から、五反田。渋谷、代々木、高田馬場に最後はなんといっても秋葉原。

まずどこに向かうかというと、小説の100円コーナー。ここの棚からならどれだけ手に取ってもいいという安心感から、気になったものはとにかく手提げかごへと入れていく。「あ」のコーナーから、阿川、芥川、恩田・・・と進み、上から下へしゃがんでは横にずれ、再度上へと向かっていく。タイトルと著者名を両方追いながらできるだけ焦点を合わせずにボーっと流していく感覚。

肩掛けバッグが邪魔になるほどの通路幅は恐らく普通の本屋よりも狭い通路設計になっており、その為に他の客の邪魔にならないように周囲にも注意を払いながら、なんとか時代小説ゾーンをクリアする。そして今度は新書コーナーへ。岩波、講談社・・・と追っていき、普段ネットで売れ筋のタイトルを調べておいて、頭に残っているタイトルが引っかかったら片っ端からかごの中へ。

その後余裕があれば一般小説へ。「あ」から始め、今度は値札を確認しながら再度一般の新書コーナーへ。大型店でここら辺までくると結構目が疲れるので休みを取りながら進めていく。

大きな店舗だとタイムセールなどがあるので、時間にも気を配りながら背表紙を追っていく。更に買って出てきたサービス券がもらえることもあるので、何冊からは境界線上として棚においてレジに向かうことになる。

そんなことを繰り返していると、どうしても考えることになるブックオフという文化論。古本屋というシステムから脱却し完全に新しい流通システムを作り出したブックオフ。それは本来なら自宅の本棚に永遠に眠り続けていたか、それとも捨てられることになっていた決して日の目を浴びることの無かったはずの本に光を当て、自宅の本棚が最終到着地でなくしてしまい、更にその先に流通のトンネルを作り出したその功績は非常に大きい。そしてそれが成功したのは上記にある日本に根付く読書文化であるのは間違いない。

全国展開をしながらも、本という物質を扱うためにローカルでモノが流れるシステム。更に面白いのは、顔の見えない個人が収蔵していた本の中で、その本を自宅に所有している必要がないと判断する人達がいることがこのビジネスの成立条件。

なんと言っても自分の様に本に線を引きながら読む習慣がついてしまった人間、つまり一度購入した本を、何があっても「売る」とか「手放す」ということを考えない人間ばかりでは成立しない。

「一度読んだからいいや」とか「面白くなかったから売ってしまおう」という考えの人がその本棚を解放し、本が流れ出す。その足が向く先は神保町や早稲田の古本屋ではなく、カラリと乾いた現代を代弁するブックオフ。

そこで面白いのは、東京に住んでいる人の本棚にあった本は、決して大阪のブックオフには並ばないということ。つまりはローカルの領域の制限が発生し、ブックオフの棚には、ある種のその生活圏の文化度が透けて見えてくるということ。

上記の様に本を手放さない人たちばかり住んでいる地域では、ブックオフ自体が成立しない。なのである程度の読書習慣を持った人達が多く住んでいる場所、もしくはそういう人が職場や乗り換え場として利用する場所であることが必要となる。

つまりはそこを生活圏内とする人たちの本棚から溢れてきた本たちがブックオフの本棚に並び、更にそこからも溢れて過剰となったもの本たちが100円コーナーに並んでいることになる。その地域の読書体験の濾過された結晶がこの100円コーナーに並ぶ背表紙かと思うと、なんとも感慨深く思わずにいられない。

そうして見ていくと、各店舗によって並ぶ背表紙は相当異なる様子を現すことに気がつく。欲しいと思っていたあの本が、A店舗では一般コーナーで350円だったにも関わらずB店舗では100円コーナーに置かれている。それはB店舗の地域に住む人たちがこの本に価値を見出してないからなのか、それともあまりにも多くの人が読み、売ったために供給過多に陥っているからなのかは、他に並ぶ本のタイトルを見れば大体分かるようになる。

本棚の前を移動しながら、そんな妄想じみたことを考えながら目の疲労を誤魔化そうとしているが、そんなことを繰り返しているうちに大体行きつけのブックオフの本棚の内容を網羅していく。そうなると本棚のラインアップが変わるのはなかなか頻繁には期待できず、それよりも違う地域に言ったら必ずブックオフに足を運ぶようになる。

川崎、川口、大宮、北千住、幡ケ谷、熊本に地元。場所によっては何年か前にバカ売れした誰でも読んだ様なベストセラーば何冊も100円コーナーに並び、その他は何十年も前の本くらいしか見るものがないといったところや、ほとんどが小中学生のマンガのリサイクル場となっているところがあるかと思いや、都内では期待できない思いもよらぬ掘り出し物を見つけることのできるところもあったりする。

そんな背表紙の群れを見ながら、その土地に流れる読書の習慣と培われた民度を思わずにいられない。そんなことを思いながら過ごし2013年の文化の日。

2013年9月20日金曜日

胡同ホテル・ホッピング

北京に住んでいると、その有り難さが骨身にしみる久々に晴れた空。中秋节の休みも重なって、折角だからと妻と電動スクーターに乗り、市内の胡同内部に散らばる、古い四合院をリノベーションして作られたこじゃれたホテルを巡ってみる事にする。

前日夜から妻が英語のサイトなどから集めてきた情報を元に向かうはカナダ人がオーナだと言う小さなブティック・ホテル。狭い道でたらいに入れられた魚の群れを跨いで進んでいくと見えてくる入り口。「ブーー」とブザーを鳴らしドアを開けてもらうととても良い感じの小さなラウンジ。

「朝食は食べられるか?」と聞くと、「二階へどうぞ」と気さくな対応。階上のテラスは周囲の胡同の屋根が連なり、植えられた植物も手伝いなんだか南の島のリゾートにでも紛れ込んだかの雰囲気。

妻も大満足の様子で、それぞれに朝食を注文し、北京ではなかなか見つけるのが難しい美味しいコーヒーに舌鼓を打ちながら小説を開き、久々の休みの朝を満喫する。香港から来ているというスタッフと話をし、ポツポツと部屋から出てくる欧米からの旅行客の姿も増えてくる。すっかり満喫し今度は夜に来ようと次へと向かう。

オフィスで少し仕事を片付けて、次なる目的地である胡同はオフィスのすぐ近くに位置している。それぞれの胡同にそれぞれの宇宙があるというように、まさに一本はいれば違う世界。同じようなおばあちゃんが、外に椅子を出して座っていても、決してそれは同じ風景ではない。

やっと見つけた特徴的な青い門のそのホテル。堅く閉ざされたその扉の横のブザーを鳴らして出てくるスタッフに聞いてみるが、宿泊のみでゲスト以外は受け入れないとのこと。それは残念と思いながら、次の目的地へスクーターを飛ばす。

随分中心から離れたこの胡同。あまり聞いた事もない名前だったので探すのに戸惑いながら、やっと見つけて先ほどと同じように大きなもんで呼び鈴を鳴らす。なかから感じの良さそうなスタッフがでてきて、今度は問題なく入れてもらえる。

長いこと北京にいたが、これほど大きな四合院を使ったホテルは見た事が無いと思えるほど、ゆったりとしたテラス。大気汚染も無く、気持ちのよい光が照らすうってつけの一日だけに、人気の無いテラスで冷たいお茶を注文して二人とも満足して静かに読書。

中国にいると、静かに読書ができるような環境というのは本当に得がたい。最初は静かなところも暫くするとイナゴの大群の様に押し寄せては、もの凄い音量で会話をする中国人で荒らされる。一度荒らされた場所には二度と静寂は戻ってこない・・・

そんな訳で、この静かな空間はとても貴重な場所となる。スタッフの対応も非常に気持ちの良いもので、ここには何度も戻ってくるだろうと確信して門を出る。

怪しくなってきたスクーターの電池の残りが気になるので、一度家に戻って少し横になりながら充電。すっかり暗くなったころあいに再度出かけて今度は紫禁城脇にあるホテルのテラスからライトアップをされた紫禁城を見ながらお酒でもと思い予約をしていたホテルに向かう。

色んなところでも紹介されているのでかなり期待をしていたのだが、すっかり観光地化されているようで、外国人に混じり多くの中国人達も賑やかにおしゃべりをしている。加えて店側が客数に対応しきれておらず、15分待っても注文を取れない姿を見て、「これははずれだな・・・」と妻とうなずき席を立つ。

はずれがあれば、当たりがある。いくら引いても当たりが出ない詐欺のようなくじ引きでなかった今日の胡同ホテル・ホッピング。時間のある週末にテラスでコーヒーを飲みながらの読書を楽しみにして家路につく。





















2013年9月9日月曜日

「なぜ日本人は学ばなくなったのか」 齋藤孝 2008 ★★★

気がついたら1読書サイクルである4年になっている。文庫100冊、新書50冊。専門書、新書、文庫とサイクルで読み進めていたが、どうもサボリ癖がでてしまい、到底読書力のある生活とは言えないこのごろ。

積みあがっていくのは文庫の中でもカウントされない娯楽小説の類ばかり。これはまずいなと新書の数を増やすためにも手にした齋藤先生の新しい本。どうもかなり怒ってらっしゃるようである。そしてひたすらに耳が痛くなる一冊である。

それにしてもこの齋藤先生。もう何年もテレビで見続けているが、知識人という枠の中で常に必要とされるということは、次から次へと出てくる新しく面白い人材がいるなかで、それでもやはり齋藤先生だと言われる何かの理由があるのだろう。それはこの本で書かれている飽くなき向上心であり、総合的教養に支えられた人間性なのだろうと勝手に想像を膨らませる。

生命の宿命として、個体は必ず死を迎える。これは避けられない。誰でも必ず死ぬ。その個体として、自らの一生の中でも身につけた生きていく為の知識や経験を如何に同じ種の仲間に伝えるられるか?その術をもった種は生存競争の優位に立つことになる。その方法は当然の様に伝達による。そして知恵や経験は言葉に置き換えられ時間を超える。それを受け止めるのは「学び」。つまり学ばなくなった個体は、生物としてというよりも種としての生存本能を失ったことと同義である。そんなことを思いながら読み進める。

線が引かれた部分をメモにするために目次をネットで探すが、この本はどこを探しても検索に引っかからない。しょうがないので諦めて自分で打ち込むことにする。妻からもらったペーパー・ウェイトを役立てながら、章題から見出しを打ち込んでいくだけで、十分に耳が痛くなる内容。

日々の生活に汲々としていた時期に手にした本で、耳を痛くしながらもやはり再度の教養だと突入したはずの読書力のある生活。それにもかかわらず、現在の本棚に並ぶのは背表紙に何の個性も表さない小説と呼べないような娯楽文庫の山と、緊張感を持った読書から逃げ出すように途中で投げ出されっぱなしの専門書コーナー。ああ、恥ずかしい。

大学で学生を相手にする時期は、新年度が始まる前に知識の更新時期だとし、2月から3月にかけて大量に購入する建築関係の本と、時代を読み解く新書と、世間を賑わせる文庫。それらを短期に詰め込んで、準備をして向かえる新学期。学校に誘ってくれた恩師の「出来る限り勉強してくれ」というプレッシャーに対峙するための自己防衛。

社会無くして語ることが出来ない建築だからこそ、社会に目を向けない建築家がいない様に、出来るだけ幅広く現代を知るのと同時に、齋藤先生はじめ尊敬する知識人の読んでいる本を調べては、様々な分野に手をつける。

始めは浅く広くと。そして一部から深く掘り進める。ある一定の深さになったら、そこからまた横へと広げていく。そして徐々に立体的な知識の空間を構築する。そんな身体的感覚を伴った読書体験。

人は堕落する生き物であるのは当然で、読書は本来快楽であるはずなのに、読まなくなるのもまたすぐに日常へと組み込まれる。それが人間の適応力。「読んだほうがいいよ」と妻に薦め、「どう、耳痛くなってきた?」と痛みを共有しようと試みる。さぞや自分よりもキツイ痛みだろうと想像していたが、どうもあまり応えていない様である。しょうがないので堕落した自分の姿に一人で向き合うべく、耳を擦りながらも下記の本文をパソコンに打ち込むことにする。

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「バカ」とは、もちろん生まれつきの能力や知能指数ではない。「学ぼうとせずに、ひたすら受身の快楽にふけるあり方」の事だ。

学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日よりも良い日だと信じる事ができない。「生きる力」とは、「学ぶ意欲」とともにあるものだ。

当たり前の話ですが、人は勉強しなければバカになります。

何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていくという心の習慣がごく自然に身についていた

まず自分より優れたものがあることを認識し、それに対して畏怖や畏敬の念を持つこと

ところがある時期を境にして、日本には「バカ」でもいいじゃないかという空気が漂い始め、もはや「あこがれ」という心の習慣自体がありません。学び続ける精神や教養への敬意はないし、学ぶべき書籍や教科書の価値も分からない。それに教えてくれる先生への畏敬の念もない。

ひたすら水平的に「何かいいものは無いか」「おもしろいものはないか」と探し回っているだけの自分探し。

読書の時間とは、著者が自分ひとりに語ってくれる静かな時間であり、それによって自分を掘り下げる時間である。

リスペクトと言う「精神のコスト」をかけずに得られるものは、所詮「それなり」でしかない。

いわば知性のないこと、あるいはそれを逆手にとって開き直る姿が、「強さ」として映るような時代になっている

人間の心の潤いというものは、尊敬や憧れの対象をもてるかどうかで変わってくる

外の情報を検索し、活用し、快適な暮らしをするだけの存在としか捉えられない

親元を離れ、食事も選択も自分でやらなくてはいけないという状況自体が、大学以上に人間としてのステージをクリアする事であった。「上京力」。上京への憧れ、プレッシャー、孤独感、負けん気、誇りと意地。緊張感のある向上心を生み出していた。

競争には参加せず、自分の実力を高める努力は避けつつ、一方で「君はユニークだ」「唯一無二だ」「資質がある」とほめてもらいたい。都合のよい欲求。

授業は授業料の対価としてのサービスとする学生と消費者(学生)優位に陥る大学の逆転現象。浅く短い学生生活を終えていく。一体彼らはいつ勉強したといえるのか。

知的な本を読む習慣さえ持っていません。軽い読み物ばかりです。小説ともいえない通俗小説やマンガ。

大学で学んだことを語れなければ、大学を出た意味がない。基本的な向上心と言うものは、読書量に現れます。学生時代に本を読む習慣を身につけないと、社会人になってからはなおさら読みません。

未来のタイムスパンは短期化している。無定期、無期限の夢だけを見て今を生きる。

いつまでも自分はフリーでありたい、モラトリアムな状態に置いておきたい。自分ひとりの自由。社会的な責任を負いたくないと短絡的に発想する。

学ぶと言う事は、たんに知識を獲得するだけの行為ではない。そのトレーニングを通じて、わからないことや大量の問題に立ち向かっていく心の強さを養っていく事

ウォークマンの出現により、自分自身の快適な空間を持ち運べるようになった。音楽は麻薬に似ている。音楽を聴くには努力も才能も徳も不要。要するに努力しなくてもエクスタシーを味わうことができる。地道な努力の果ての達成感、それは登山のようなもの。誰でも易きに流れやすいもの。「気持ちいいことが好き」。

アメリカのヒッピー文化。家から離れ、若者だけで漂流し、さまざまな人と出会い、コミューンと呼ばれる集団生活を行うというライフスタイル。

異性関係における若者の評価ポイント。イケメンかどうか。見た目が良いか。見た目が欧米人に近いことを重視する。

経営者の場合、強靭な精神が求められます。一般の人には考えられないほど、心身ともに疲れる激務です。途中で休むとか、具合が悪いから誰か交代してと投げだす訳にはいきません。自分自身がぶれない中心と言うものを持っている、あるいは判断力の基礎を養っているという自身があれば、それを原動力としてさまざまな障害を乗り越える事ができる。

自分の成功や快適さより優先すべきものがある。人としてどう活きるべきかどうか指針を持つ。

読書にかぎらず、高い山の切り立った崖を登るような努力やエネルギーを必要とする事は、若い頃に経験しておくべきなのです。

概して人間的にはさして問題ない。しかし、あまりにも本を読まないために、教養がない。したがって読書で知識・教養を得る面白さを知りません。高いレベルのものに憧れ続ける事によって、自分の心を生き生きとさせるという習慣も身につけていません。結局そのまま大学を卒業してしまうのです。

多くは生活に終われ、仕事のみに汲々とする日々を送っています。そこでどうやって心を癒すかといえば、インターネット、テレビ、あるいはSNS。いわば高校の同窓会のような雰囲気を続けている。ネット上では、お互いに追い込み合わないような、ゆるやかな会話が繰り広げられる。そしてお互い安心しあおうとする。

マルクスも指摘したとおり、こうしう文化的なことは経済的な基盤がなければできません。下部構造としての経済活動があって、初めて文化が生まれるということは、世界史を見ても明らかです。一人残らず明日の食べ物に困っていたら、さしもの紫式部も物語を書く余裕は無かったはず。
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一つ一つの段落ごとに猛省をし、せめて今まで読んではそのままになっていたメモを纏めるのから始めようかとカレンダーを遡ることにする。

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本文中で紹介される本や映画など
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栗原彬「やさしさのゆくえ=現代青年論」
石原慎太郎「太陽の季節」
アラン・ブルーム「アメリカンマインドの終焉」
富田常雄「姿三四郎」
福沢諭吉「学問のすゝめ」
サミュエル・スマイルズ「自助論」
サミュエル・スマイルズ「西国立志編」
西田幾多郎「善の研究」 
倉田百三「青春をいかに生きるか」
阿部次郎「三太郎の日記」
新渡戸稲造「自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む」
夏目漱石「こころ」
「きけ わだつみのこえ」
林尹夫「わがいのち月明に燃ゆ」
スタンダール「赤と黒」
バルザック「谷間の百合」
ピエール・ロティ「氷島の漁夫」
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」
フローベール「感情教育」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
倉田百三「出家とその弟子」
西田幾多郎「自覚における直観と反省」
和辻哲郎「古寺巡礼」
倉田百三「愛と認識との出発」
筒井清忠「日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察」
森見登美彦「太陽の塔」
ハイデッガー「存在と時間」
渋沢栄一「論語と算盤 」
ジョン・スタインベック
ウィリアム・フォークナー
フランシス・フィッツジェラルド 
アーネスト・ヘミングウェイ
ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」
ジャン=ポール・サルトル「存在と無」
九鬼周造「「いき」の構造」
和辻哲郎「風土―人間学的考察」
レヴィ=ストロース「野生の思考」
下村湖人「論語物語」

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目次
序章 「リスペクトの精神」を失った日本人
・バカを肯定する社会
・垂直志向から水平志向の世の中へ
・「検索万能社会」であらゆる情報がフラットに
・大学教授を引きずり下ろすテレビの性
・「内面」のない人間があふれ出す
・「ノーリスペクト社会」の病理


第1章 やさしさ思考の落とし穴
・濃い交わりを避ける学生達
・幼稚化する中高生
・「知」と出会わずに卒業していく大学生
・読書量の減少は向学心の衰退
・自ら転落していく若者達
・経済より深刻な「心の不良債権」
・「夢」しか持てない30歳代アルバイター
・若者はなぜ「やさしさ」に目覚めたのか
・「やさしさ」と「自由」の相関関係
・社会へのアンチテーゼとしての「やさしさ」
・「心の不良債権」の処置を
・「ゆとり教育」こそ元凶だ
・「偏差値教育」のどこが悪い?
・世界に比べても学ぶ力が落ちた日本の子供
・「モンスター・ペアレンツ」が子供に与える影響
・公立小学校の授業と教科書のレベルを上げよ
・将来の格差を是正する為に、今できる事

第2章 学びを奪った「アメリカ化」
・「アメリカ化」する若者達
・教養に対して「ノー」を表明する国・アメリカ
・ロックで簡単に得られる快感
・「性の解放」が日本にもたらしたもの
・「教養主義」はいつ没落したか
・ヒッピー文化が再興した「身体論」
・「中身」より「見た目」重視へ
・憧れの対象は白人文化から黒人文化へ
・アメリカ文化の優れた部分は導入せず
・精神の柱を失い、金銭至上主義へ
・広がる格差、崩れる信頼関係
・「学び重視」から「遊び重視」への大転換

第3章 「書生」の勉強熱はどこへ消えた?
・司馬遼太郎はなぜ「書生」にあこがれたのか
・「姿三四郎」に見る師匠と書生の濃すぎる関係
・「深交力」があればこそ
・大家族、居候、書生が当たり前だった時代
・「同じ釜の飯を食う
・学ぶ事が身体的だった素読世代
・明治の文豪は「一家」を背負っていた
・若い時代の「修行」が糧となる
・「書生再興」のすすめ
・「深効力」は人生の醍醐味

第4章 教養を身につけるということ
・旧制高校に心酔して
・哲学的思考を試みるなど垂直願望の生活を送った
・新旧の「世界」の違い
・「わだつみのこえ」の格調高さはどこから来るのか
・独特の「恥の文化」が向学心を生む
・修養主義から教養主義へ
・哲学を学び、思考の基本スタイルを作る
・大学の「一般教養」に忍び寄る危機
・教養の欠落を嘆く人すらいなくなった
・「新しい教養」としてのマルクス主義
・マルクス主義に予見されていた今日の日本
・「徳育」教育への期待
・倫理観を再興するための「読書力」
・「迂回」を知らない社会の脆さ
・現代恋愛事情が生み出した虚無感
・お金の使い方にも本来は教養が必要

第5章 「思想の背骨」再構築に向けて
・責任は中高年世代にある
・薄い人間関係を志向する若者達
・「パノプティズム」に陥った日本
・「コーチング」が流行する裏側
・早期退職する若者達の悪循環
・読書とは自分の中で行う他者との静かな対話
・「無知ゆえの不利益」に気づけ
・実在主義の「投企」に生きる意味がある
・「ポストモダン」で思想は終焉した
・思想なき世をいかに生きるか
・「ガンダム=世界観の全て」の恐ろしさ
・思想的バックボーンが溶解した日本
・「学び」へのリスペクト導火線に火をつけて

あとがき 次代へのメッセージ
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2013年7月17日水曜日

記憶の整理

読書をする時は、読みながら気になる部分に蛍光ペンで線を引く。
読み終えた後に、再度1ページ目から捲っては、線を引かれた文章をパソコンに打ち込む。
箇条書きになったそれらの文章を元に、自分の言葉でその一冊の読書体験を纏める。

3度その本と向き合うことで、なんとか消化していく。読んだだけでは、ほとんどのものが数週間もすれば忘れてしまい、読んだかどうかもあやふやに。しかしこうして消化しておくと、少なくとも海馬に痕跡を残すのと同時に、ブログとグーグル・カレンダー上に検索できるアーカイブとして残っていく。

恐らく人間の脳なんでそんなものだと思う。

見たものや経験したもの。その時は強烈な印象として記憶するが、その色彩を持ちながら記憶の中に留まるのはせいぜい数週間。如何にそれらを血として肉としていくか。

まずは、気になるところをマッピングする。城や神社、名勝や建築。自分の興味にひっかかるかで、随分フィルターをかけることになる。

そして旅程を決めた時に、マッピングの中の選択。事前に余計な偏見を入れないようにしつつも、ある程度の背景をしるためにざっくり調べる。そのリサーチと選択の過程で再度海馬に叩き込まれる。

実際現地で目の前にして感じ、体験し、写真に撮る。

撮った写真を選別し、水平をそろえたり、センターを出したりと編集する。

再度詳しく訪れた場所の来歴などを調べる。

その内容と写真を元に、記憶を辿りながら自らの言葉で体験を纏めアップする。

この6段構成。正直言って手間が掛かるし、しんどい。しかし効率の先に近代を超えるヒントがるのもまた事実。

読み散らかしの子供じゃあるまいし、建築を生業とするものとして体験を言語化し、記憶の中に整理しておくことの重要さは身に沁みて分かっているつもりなので、こんなことを書いては自らを納得させようとし、再度纏めの作業に戻ることにする。

2013年4月17日水曜日

「サクリファイス」 近藤史恵 2010 ★★


世の中には、その世界で生きている人でないと分かり得ない事柄が沢山ある。それに少しだけでも触れる事が出切るのが読書の醍醐味でもある。自分でネットや本で調べてこの分野にたどり着くことはないけれど、何かのきっかけで手にとった一冊の中で展開される物語を通して少しだけその世界に足を踏み入れることができるのは、何とも言えない幸福なことだと思わずにいられない。

「ロードレース」なんてまさにその未開の世界の一つ。

はじめて補助輪無しで走れた日の喜びから、歩くよりも圧倒的に広がった自分の風景。辛い思いをしながらも、腰をあげて身体を左右に揺らしながら登り切った坂道の向こうに待っているジェットコースターの様な下り坂。頭を下げて恐怖と戦いながら、ブレーキをかけずにスピードに乗ることの気持ち良さ。自分の中では立派なレースを繰り広げる小学生時代。

深夜のテレビでアルプスの山々をダンシングしながら越えて行き、一日に何百キロも走りながら、最後の最後で集団から飛び出すスプリント勝負に全てをかけて、最終的にはパリの街で熱狂的な歓迎を持って迎えられるツール・ド・フランスの存在を知り、毎年出てくるニューヒーローと圧倒的に王者の戦いに夢中になった中学生時代。

そんな熱もその後は更に高くなることなく、大人になってロードサイクルにはまり、休日には100キロ以上走るという友人の話を聞いても、テレビで山の神と呼ばれながらお尻をフリフリ登って行くイタリア人選手に熱い視線を投げていたあの頃の気持ちを思い出すこともなく、世間一般の日常のちょっと便利な移動手段としての付き合いしかしてこなかった。

そんな中で手にしたこの一冊。大藪春彦賞受賞という言葉とロードレース+サスペンスというのに引っかかったのがきっかけだが、エースとアシストというチームプレーとして描かれるロードレース世界はなかなか興味深く、そのスピード感同様にあっという間に坂をおりきるかのように読みきれる。

自分が素人のせいかしれないが、ロードレースの世界に関しての記述があまりにきちんと描かれており、それが相当なリアルティを感じさせ物語に心地よい緊張感を与えてくれる。その部分がしっかりしていればしているほど、サスペンスの部分の作り込みが甘く感じてしまうが、それでも次に自転車に乗る時は、子供の時のように「アウト・イン・アウト」などと心の中でつぶやきながらコーナーを曲がる事になりそうだなと少なからずのワクワクを感じることになるだろうと思わずにいられない。

2013年4月4日木曜日

「ツナグ」 辻村深月 2012 ★★★★


読み終えて妻に聞く。

「もし、生きているうちに一度だけ死者に会えるとしたら、誰に会う?」

よくよく考えてみても、なるほどよくできた設定だ。「一度だけ」だと分かっているから、「この人にその機会をつかってしまって大丈夫だろうか?」なんて悩むことが無意識の中で想像されて、その葛藤を踏まえての決断をしてきた登場人物達の話だということが前提になる。さすがは2012年の直木賞作家というところか。

その絶妙な設定もさることながら、誰にでもある些細な、しかし絶妙な心情の描写が素晴らしい。

高校生の小さな嫉妬 。若いからこそのプライドと、その為に陥る自己嫌悪。絶対に誰にも言えない様な自分の「嫌な感情達」。それを小説というメディアを通して、非常に正直に描かれている。

ドラマチックなこともない、どこにでもいそうな、なんてことはない人達。その人たちをなんて活き活きと描くのだろうか。

「死んだらどうなるのか?」

という誰もの考える問題から一歩進んで、

「死者は誰の為にあるのか?」

という設問に昇華させる。


「人間ってのは、身近なものの死しか感じることも悲しむこともできないんだよ。」

「今、思い出した。目を閉じると、懐かしい匂いがした。音も匂いも、それが身近にあるときには一度だって意識したことが無いのに、間を空けて戻ってくると、こんなにも一気に記憶が巻き戻されていくものなのか。」

「御園のためじゃない。自分が楽になりたいだけだ、と気づいてしまう。」

「病気を変化と捉え期待してさっきまでの自分を思い出し、恥ずかしくなる。」

「会ったことで忘れられてもかまわないから、それでも会いたい。」

死者という「あっち側」の人に触れるということは、自分の中にこっそりと仕舞いこんでいた感情の蓋を開けることのメタファーに違いない。その時に発せられる言葉に見える、その人たちの生きてきた時間。


「記憶を攫むみたい。曖昧なところから連れ出してくるんだなって言う印象。あの世から呼び出すっていうよりも、この世に残っているその人の欠片や記憶をいろんな場所からかき集めて、どうにか一人分の形にするように、見えた。」


死者と使者。同じ読みだがその意味はまったく変わってしまう。しかし両者とも生者を「ツナグ」存在であるのは変わらない。とてもよい一冊である。

2013年3月19日火曜日

「天の方舟 上・下」 服部真澄 2011 ★★



なんの不自由も感じることなく育ってきている現代日本人。ふとしたことで海外に目を向けると、今日一日を生き抜くことすら自分の意思ではどうにもならない人々が沢山いることに気づき、そして悩み、自分でも何かできることがあるのでは?と行き着く先が「国際協力」の分野。日本という枠を飛び出して、世界を舞台に活躍し、なおかつ行く先々の人の為になる仕事を行う。

20代から海外で過ごす時間が長かったために、開発コンサルタントやJICAなど「国際貢献」「国際協力」「国際援助」の分野で仕事をしている友人と知り合う機会にも恵まれたが、そのほとんどの人が教養も高く、人の為に何かできないかと想いを馳せる気持ちの優しい人たちばかり。

そんな人たちを接する上で、少なくとも知っておかなければいけないこともあるだろうとかつて読んだ「ODA 援助の現実」 。その中で示されていたODAが本質的にもってしまう問題点。

友人達もこんな世界を垣間見ていたのか・・・と思わずにいられなくなる内容で、それともそんな世界も95%は、真面目で真摯な人たちで構成されているのだろうと勝手な想像を膨らませずにいられなくなる一冊。

今も中国で地方政府がクライアントの大きな公共建築の仕事を進めているが、関係してくる会社は世界一大きなカーテン・ウォールの会社だったり、様々なコンサルタントだったりする。ひょっとしたら、ここでも自分からは見えないところで、バッド・マネーの濁流が流れているのだろうか?などと想像してしまうことになる。

「国際協力」や「国際貢献」という理想を持って飛び込んだコンサルタントの世界。そして次第に見えてくるシビアな世界の姿。理想だけと貫くだけでは現実の世界で前に進めないと理解し始め、そんな中で耳にする言葉は、

「金はいくらでも抜ける。簡単に億単位の金が沸いて出てくるんだ。」

数字に残らない裏金が存在し、いくら頼まれて、いくら渡されたのか双方に分からない状況の架け橋として自分が存在していれば、ついつい聞こえてきそうな悪魔のささやき。誰も責めないし、誰も傷つけない。そんな中で、「ちょっとだけ・・・」と金を抜き、「これも貧しい国の人々の為になっているんだ」と自分の心を納得させる。次第にそれが当たり前になり、心が求める額が大きくなる速度に応えるために、更に大きな額を扱う場所に自らをおき、そこで力をつけていく。

「理想」と「現実」に苦しむ20代。

「現実」に上手く心を順応させる程、経済的な豊かさがついてくる。その豊かさはその他の様々な豊かさを伴ってやってきて、次第に人格すら変容していく。今まで経験してきたように、経済的な辛さがどうしても心を小さくすることを知っていればいるほど、それが人間としての余裕を無くすのを知っていればいるほど、悪魔のささやきに自分の心を傾けるのはいとも簡単になっていく。

「うぬぼれという感覚は、本能的なもので、自分を肯定しなければ人はやっていけない」

なにかを「肯定」することは、他の何かを「否定」することに他ならず、否定するのは、違う時間を過ごしていたらなっていたであろう「自分の姿」かもしれない。

「海外協力」の世界に飛び込んでいく人と同様に、建築の世界に飛び込んでいく人もまた、相当に世界に対してウブであり、夢見がちで、「理想」と「現実」の狭間で苦しむことになる。

その世界の入り口で見聞きした建築家の名前は、それこそ一握りの成功者の例だと頭では理解していても、その他大勢のその世界に生きる人々の生活の姿になかなか目を向けることができずに、30歳あたりまで厳しい生活のなかでやりくりしながら、それでも自らの「建築家」というイメージにがんじがらめになりながら生きていく。

大学同期の友人がちゃんと大企業に就職し、「理想」と「現実」に折り合いをつけながら、結婚や出産など確実に人生を進んでいる姿を脇目にしながら、自らの「理想」と「現実」の狭間に苦しみながら、それでもなかなか進まない自らのキャリアに苛立ちを感じつつ、ままよっと踏み切る独立への道。

理解のあるお施主さんと出会って、メディア飾るようなセンセーショナルな「作品」を発表し、斬新なアイデアでコンペを勝ち取って、大学の講師として学生と建築を語る日々。などというキャリアのイメージからは徐々に偏差していく自らの日常。

「理想」と「現実」に挟まれて、徐々に秤が片方に倒れだし、生きるためにとにかく仕事をこなしていかなければいけない状況になっていき、そのための仕事すらどうして手に入れたらよいのか分からない毎日。

そんな時に、この本に描かれているような状況が目の前にぶら下がっていれば、お金という安心感をいとも簡単に手に入れることができるような状況に置かれていたら、一体どれだけの人間がそれを拒むことができるだろうかと想像する。

生きるために必要な悪。そのインナー・サークルに入れば、その仲間の利益は確保される「談合」。そこで生きる続ける以上、「理想」と折り合いをつけていけば、生きることへの安心感は常の手の中にあるという「現実」。

恐らく、様々な分野で多くの人が多かれ少なかれ同じようなことをして作り上げてきたのが現在の日本であり、きっと数え切れない人がこのような「おいしい」思いをしてきたのだろうと想像させる一冊であり、それにODAというテーマを絡ませるのはやはり著者らしいチョイスだと思わずにいられないが、いかんせん、最後がややあまい感じはぬぐえない。

2012年11月3日土曜日

「風をつかまえて」 高嶋哲夫 2011 ★


豊かな自然が広がる北海道の地方都市。なんともほのぼのしたその風景だが、そこに生きる人にとっては「何もない」ということに他ならない。「観光」だけが望める産業であるならば、「何か」がなければ人は来ない。

「脱原発」が叫ばれる昨今。のどかな自然の中にのんびりと白い風車が羽を回す。そんな新しい日本の田舎の風景を再生エネルギーのアイコンで呼び起こそうとする戦略。その矢面に立たされるのが小さな町の鉄工所。

一度は周り、そして嵐に吹き飛ばされるブレード。いつの間にか引くに引けなくなり、ものづくりのプライドが、町の為にではなく、自分たちの為により専門的な風車作りへと駆り立てる。

地震、津波、嵐、原発と、自然の驚異とエネルギーの恐ろしさを描き続けてきた作者が提示する新しい日本の風景がちらっと見えるようなそんな一冊。

2011年11月21日月曜日

「上と外 上・下」 恩田陸 2003 ★★★★★



「フリーダム」と「リバティ」の違いを学んだ中学生時代に読んでいた漫画の舞台は南米で、インカやマヤといった南米大陸の奥に忘れ去られたかのような古代文明を通して繰り広げられた物語は、若い自分に南米を十分すぎるほど冒険の舞台としての印象を与えた。

大人になってもまだまだ異国としての響きを失わない、遠い国としての南米を舞台として、中学生を主人公としてマヤ文明を描く物語となれば、何故もっと早く読まなかったのかと悔やまれずにはいられない。

「科学の進歩は必ずしも人間を幸福にするわけではない」

自然との共存のイメージとして現代文明に対して対比の位置づけで使われ古されたマヤとはまったく違った切り口で描く下の世界。

「後悔ってのは一番くだらない。人生は無為に過ごすには長すぎ、何かをしようと思えば短すぎ」

地球の裏の南米と、職人が油にまみれる日本の工場を繋げる現代のグローバル世界の描き方。

「いいか、いつも自分の手を動かしておけ。いつも動かしておけば手はお前を裏切らない。楽しようとしたり、誰かに押し付けようと思ったりして動かさなくなったら、その瞬間にお前の手はお前を裏切るようになる。自分の手を動かさなくなった奴に限って偉そうなことを言う。キチンと自分の手を動かして、なおかつそれに見合うだけのことを言っているのは相当立派な人物だと思っていい。」

アマゾンの熱帯雨林にヘリコプターから落っこちて、もの凄いスピード感で展開される新世界。生命に恵みを与える森が、獰猛な姿を見せだす夜に感じる不安を主人公と共有しながらめくるページ。

「料理というのはじっくり作るのも大切だが、時には何よりスピードが優先される時があるんだ。今にも死にそうな人がいて、一刻も早く病院に運ばなければいけない時に救急車を作り始めるバカはいない。リヤカー 担いででも運んでいかないといけない。質は悪くなってもどうしても速さを優先し、期限に間に合わせることが一番大事な時がある。何かをする時、それがどういう仕事か考えるんだ。質が大事か、速さが大事か。今やらなければならないのか、長い時間をかけてやった方がいいのか。それを常に考えていないと時間は無駄にどんどん過ぎて行く。」

こういう話を読んでいると、学校の教室で学ぶことよりも一日の冒険が与えることが如何に多いかを痛感し、冒険を可能にする舞台がどれだけ残されているのかに想いを馳せる。

「面倒がらずに自分の知っていることを説明してくれる」

描かれるとても魅力的な男たち。

「心配も喜びのうち。怒ったり、嫌になったり、そういう相手がいるっていうのも喜びの中に含まれる」

同じくらい魅力的に描かれる女たち。

「不安というのは膨れるのが速い。恐れや恐怖を吸い込み、目の前のものを何も見えなくする。」

そして何よりも中学生という最も多感で、不安定で、そして向う見ずなことが可能であった「あの時」の気持ちを見事に描き、引き込む作者。息子を持つことになったら、ぜひ中学生になるくらいに読ませたいと思える一冊。

2009年10月19日月曜日

「読書力」齋藤孝 2002 ★★★

テレビでもおなじみの、非常に優しい笑顔が印象的で如何にも「日本の良心」と呼べるような知識人。その斉藤先生が兼ねてからいい続ける「読書」の大切さ。

「読書力がある」の基準はどこかというと、「文庫本を100冊、新書を50冊読んだこと」だと言う。なおかつこの有効期間は4年とする。そうすると月2冊で年24冊。4年で96冊という計算になる。つまりは月に文庫を2冊、新書を1冊読むのが読書力と生きる生活の最低ラインと設定される。それを反復していく中で、倍の月に4冊となれば、2年で1サイクルをクリアしていくことになる。

逆にこう考えると、読書体験を始める10歳くらいから寿命と呼ばれる80歳あたりとして、70年前後の時間を4年で割ってみると17サイクルあたり。それから生涯の読書量を換算すると、文庫が1700冊に新書が850冊。びっくりするほど多くは無い。しかもそのペースからはるかに遅れて過ごしてしまった過去の30年以上は取り戻すべくもなく、できるのは今後の人生をできるだけ読書力のある生活スタイルに変えていけるかどうか。

ただし文庫とは推理小説や娯楽本を除く文学的作品ということで、ほとんどの本がこの段階でふるいにかけられる。精神の緊張を伴う読書でなければ意味が無く、司馬遼太郎あたりが境界線となるだろう。

そして「読んだ」というラインは、「要約を言えること」とする。「読みっぱなし」ではもちろん意味が無く、読書を通して著者と一対一での会話をし、その中で自分なりの意味をつかんでいく過程が重要である。

新書が必要なのは、「ある程度室の高い知識情報がコンパクトにまとめられているから」とする。また新書は「要約力を鍛える 」と言う。今を生きる現代人として、今何か起こっているかをある程度深く知るためには、新書は一番適切な手段というところか。

複雑さを共存させる幅広い読書は自分を作り、総合的判断の能力を養ってくれる。それと同時に他者を受け入れる柔軟さを培うことにつながる。 また読書というのはスポーツ同様で身体的な行為であるとする。つまりはある一定の身体的苦痛を耐えて、同じ姿勢を保つ筋力が必要で、内容を追っていく精神的な持続力が必要。その為には部活同様に練習が必要だという。

読書をする生活というのは、時間の管理を能動的にすること。自分と向き合う厳しさとしての自ら自分に読書を課す。その中で新しい言葉を知っていく。

そして自分の本棚を持つ喜び。日常の風景の中に複数の優れた他者を持つ喜び。それぞれの著者と繋がりながら、それを糧にして自らズレていく。本は背表紙が大事とし、日常の中でそれを目にする度にその読書を思い出すことが重要だとする。その為に、本は借りるものではなく買うもの。一生に一度の出会い。

三色ボールペンで線を引き、数冊の本を並行して読むことで脳のギアチェンジを行う。読書は会話を受け止め、応答する力を養う。会話に脈絡を見つけ、要点を掴み、自分の角度からの言い換え力を培う。

兎にも角にも、小さな頃のイメージしていた正しい先生の言葉。頭がよく優しくそして強い先生は、そのままそういう大人になりたいという憧れの存在でもあった。これだけ物事を知っていて、広い視点から物事を判断し、どの時代になってもストイックに学び続け、絶対的に信頼できる大人。

「これだけ本を読んだんだから」という自信を持って日常を生きること。手当たり次第ではなく、大きな時間の流れを理解したうえで、毎日の中で本に向き合うこと。その意味。

ゲーテの言葉通り、「人は努力する限り迷うものだ」ならば、深いところまで悩みつくした先達達の言葉に耳を傾け、少しでも道しるべを見つけながら生きていく。「若いときに読んでいれば・・・」ではなくて、今から読んでも遅くはない。そう思って今日もまたページをめくる。
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本文中で紹介される本
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E.H.カー「歴史とは何か」
島崎敏樹「感情の世界」
霜山徳繭「人間の限界」
丸山真男「日本の思想」
朝永振一郎「物理学とは何だろうか」
アドルフ・ポルトマン「人間はどこまで動物か」
内田義彦「社会認識の歩み」
浅田彰「構造と力」
塩野七生「ローマ人の物語」
武者小路実篤「友情」
山本周五郎「さぶ」
ヘッセ「車輪の下」
吉野源三郎「君たちはどう生きるか」
芥川龍之介「地獄編・」
辺見庸「もの食う人々」
めじめ正一「高円寺純情商店街」
山田詠美「ぼくは勉強ができない」
太宰治「パンドラの箱」
倉田百三「出家とその弟子」
椎名誠「麦の道」
遠藤周作「沈黙」
宮本輝「春の夢」
島崎藤村「破戒」
夏目漱石「坊ちゃん」
サリンジャー「フラニーとゾーイ」
三島由紀夫「金閣寺」
内田義彦「読書と社会科学」
シェイクスピア「ハムレット」
ドストエフスキー「罪と罰」
加藤秀俊「取材学」
ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」
アンドレ・ジッド「狭き門」
阿部次郎「三太郎の日記」
倉田百三「出家とその弟子」
和辻哲郎「古寺巡礼」
倉田百三「愛と認識との出発」
西田幾太郎「善の研究」
藤原新也「印度放浪」
高史明「生きることの意味」
フランクル「夜と霧」
「ギルガメッシュ」三部作
江戸川乱歩「怪人20面相」
宮沢賢治「よだかの星」
唐木順三「現代史の試み」
オング「声の文化と文字の文化」
九鬼周造 「いきの構造」
梅原猛「隠された十字架」
井上靖「天平の甍」
岡潔「春宵十話」

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巻末「文庫百選」
1 まずは気楽に本に慣れてみる
 ① 北杜夫『どくとるマンボウ青春記』新潮文庫
 ② 町田康『くっすん大黒』文春文庫
 ③ 椎名誠『哀愁の町に霧が降るのだ』新潮文庫
 ④ 『O・ヘンリ短編集』新潮文庫(大久保康雄訳)
 ⑤ 内田百閒『百鬼園随筆』新潮文庫
 ⑥ 『古典落語』講談社文庫(興津要編)
 ⑦ 森鴎外『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫
 ⑧ 菊池寛『恩讐の彼方に/忠直卿行状記』岩波文庫
2 この関係性は,ほれぼれする
 ① 山本周五郎『さぶ』新潮文庫
 ② スタインベック『ハツカネズミと人間』新潮文庫(大浦暁生訳)
 ③ スティーヴン・キング『スタンド・バイ・ミー』新潮文庫(山田順子訳)
 ④ 幸田文『父・こんなこと』新潮文庫
 ⑤ サローヤン『パパ・ユーア クレイジー』新潮文庫(伊丹十三訳)
 ⑥ 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』講談社文庫
 ⑦ 下村湖人『論語物語』講談社学術文庫
 ⑧ ドルトン・トランボ『ジョニーは戦場へ行った』角川文庫(信太英男訳)
3 味のある人の話を聞く
 ① 宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
 ② 宇野千代『生きて行く私』角川文庫
 ③ 白洲正子『白洲正子自伝』新潮文庫
 ④ 野口晴哉『整体入門』ちくま文庫
 ⑤ エッカーマン『ゲーテとの対話』岩波文庫(山下肇訳)
 ⑥ 小林秀雄『考えるヒント』文春文庫
 ⑦ 福沢諭吉『福翁自伝』岩波文庫
4 道を極める熱い心
 ① 吉川英治『宮本武蔵』講談社文庫
 ② 志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫
 ③ ロマン・ロラン『べートーヴェンの生涯』岩波文庫(片山敏彦訳)
 ④ 棟方志功『板極道』中公文庫
 ⑤ 『ゴッホの手紙』岩波文庫(硲伊之助訳)
 ⑥ 司馬遼太郎『世に棲む日日』文春文庫
 ⑦ 『宮沢賢治詩集』岩波文庫
 ⑧ 栗田勇『道元の読み方』祥伝社黄金文庫
5 ういういしい青春・向上心があるのは美しきことかな
 ① 藤原正彦『若き数学者のアメリカ』新潮文庫
 ② アラン・シリトー『長距離走者の孤独』新潮文庫(丸谷才一・河野一郎訳)
 ③ 浮谷東次郎『俺様の宝石さ』ちくま文庫
 ④ 藤沢周平『蝉しぐれ』文春文庫
 ⑤ トーマス・マン『魔の山』新潮文庫(高橋義孝訳)
 ⑥ 井上靖『天平の甍』新潮文庫
 ⑦ ヘッセ『デミアン』新潮文庫(高橋健二訳)
6 つい声に出して読みたくなる歯ごたえのある名文
 ① 中島敦『山月記/李陵』岩波文庫
 ② 幸田露伴『五重塔』岩波文庫
 ③ 樋口一葉『にごりえ/たけくらべ』岩波文庫
 ④ 泉鏡花『高野聖/眉かくしの霊』岩波文庫
 ⑤ 『歎異抄』岩波文庫
 ⑥ ニーチェ『ツァラトゥストラ』中公文庫(手塚富雄訳)
 ⑦ 川端康成『山の音』岩波文庫
7 厳しい現実と向き合う強さ
 ① 辺見庸『もの食う人びと』角川文庫
 ② 島崎藤村『破戒』岩波文庫
 ③ 井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
 ④ 石牟礼道子『苦海浄土』講談社文庫
 ⑤ ジョージ・オーウェル『1984年』ハヤカワ文庫(新庄哲夫訳)
 ⑥ 梁石日『タクシー狂操曲』ちくま文庫
 ⑦ 大岡昇平『野火』新潮文庫
8 死を前にして信じるものとは
 ① 三浦綾子『塩狩峠』新潮文庫
 ② 深沢七郎『楢山節考』新潮文庫
 ③ 柳田邦男『犠牲(サクリファイス)』文春文庫
 ④ 遠藤周作『沈黙』新潮文庫
 ⑤ プラトン『ソクラテスの弁明/クリトン』岩波文庫(久保勉訳)
9 不思議な話
 ① 安部公房『砂の女』新潮文庫
 ② 芥川竜之介『地獄変/邪宗門/好色/藪の中』岩波文庫
 ③ 夏目漱石『夢十夜』岩波文庫
 ④ 蒲松齢『聊斎志異』岩波文庫(立間祥介編訳)
 ⑤ ソポクレス『オイディプス王・アンティゴネ』新潮文庫(福田恆存訳)
10 学識があるのも楽しい
 ① 和辻哲郎『風土』岩波文庫
 ② ルース・ベネディクト『菊と刀』現代教養文庫(長谷川松治訳)
 ③ 大野晋『日本語の年輪』新潮文庫
 ④ 柳田國男『明治大正史 世相篇』講談社学術文庫
 ⑤ コンラート・ローレンツ『ソロモンの指環』ハヤカワ文庫(日高敏隆訳)
 ⑥ 『ジンメル・コレクション』ちくま学芸文庫(北川東子編訳、鈴木直訳)
 ⑦ 山崎正和『不機嫌の時代』講談社学術文庫
11 強烈な個性に出会って器量を大きくする
 ① シェイクスピア『マクベス』新潮文庫(福田恆存訳)
 ② 坂口安吾『坂口安吾全集4 「風と光と二十の私と」ほか』ちくま文庫
 ③ パール・バック『大地』新潮文庫(新居格訳・中野好夫補訳)
 ④ シュテファン・ツワイク『ジョセフ・フーシェ』岩波文庫(高橋禎二・秋山英夫訳)
 ⑤ ゲーテ『ファウスト』中公文庫(手塚富雄訳)
 ⑥ ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫(原卓也訳)
 ⑦ アゴタ・クリストフ『悪童日記』ハヤカワepi文庫(堀茂樹訳)
 ⑧ 塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』新潮文庫
12 生き方の美学・スタイル
 ① 向田邦子『父の詫び状』文春文庫
 ② リチャード・バック『かもめのジョナサン』新潮文庫(五木寛之訳)
 ③ 藤原新也『印度放浪』朝日文庫
 ④ 村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』中公文庫
 ⑤ マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫(脇圭平訳)
 ⑥ 九鬼周造『「いき」の構造』岩波文庫
 ⑦ 石原吉郎『望郷と海』ちくま学芸文庫
 ⑧ サン・テクジュペリ『人間の土地』新潮文庫(堀口大學訳)
 ⑨ 須賀敦子『ヴェネツィアの宿』文春文庫
 ⑩ 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』中公文庫
13 はかないものには心が惹きつけられる
 ① 中勘助『銀の匙』岩波文庫
 ② デュマ・フィス『椿姫』新潮文庫(新庄嘉章訳)
 ③ チェーホフ『かもめ・ワーニャ伯父さん』新潮文庫(神西清訳)
 ④ 太宰治『斜陽』新潮文庫
 ⑤ ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』集英社文庫(千野栄一訳)
 ⑥ トルストイ『アンナ・カレーニナ』新潮文庫(木村浩訳)
14 こんな私でも泣けました・感涙は人を強くする
 ① 高史明『生きることの意味 ある少年のおいたち』ちくま文庫
 ② 宮本輝『泥の河・螢川・道頓堀川』ちくま文庫
 ③ 灰谷健次郎『太陽の子』角川文庫
 ④ 藤原てい『流れる星は生きている』中公文庫
 ⑤ 井村和清『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』祥伝社黄金文庫
 ⑥ 竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』ちくま文庫
 ⑦ 林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ』ちくま文庫
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目次
序 読書力とは何か

/「本を読む読まないは自由」か
/読書してきた人間が「本は読まなくてもいい」というのはファウル
/「読書力がある」の基準は?
/精神の緊張を伴う読書
/文庫のスタイルに慣れる
/新書五十冊
/本は高いか
/要約を言えることが読んだということ
/新書は要約力を鍛える
/読書力検定がもしあったら
/社会で求められる実践的読書力
/なぜ百冊なのか
/有効期限は四年
/本は「知能指数」で読むものではない
/「小学校時代は本を読んだけど」の謎
/定期試験に読書問題を入れる
/顎を鍛える食らうべき書
/歯が生え替わった本
/「私はこの本で永久歯に生え替わりました」
/日本は読書立国
/総ルビ文化・世界文学の威力
/読書力は日本の含み資産
/the Book がないから Booksが必要だった

(1) 自分をつくる――自己形成としての読書
 1 複雑さを共存させる幅広い読書
 2 ビルドゥング(自己形成としての教養)
 3 「一人になる」時間の楽しさを知る
 4 自分と向き合う厳しさとしての読書
 5 単独者として門を叩く
 6 言葉を知る
 7 自分の本棚を持つ喜び
 8 繋がりながらずれていく読書
 9 本は背表紙が大事
 10 本は並べ方が大事
 11 図書館はマップづくりの場所
 12 経験を確認する
 13 辛い経験を乗り越える
 14 人間劇場
 15 読書自体が体験となる読書
 16 伝記の効用
 17 ためらう=溜めること
 18 「満足できるわからなさ」を味わう

(2) 自分を鍛える――読書はスポーツだ
 1 技としての読書
 2 読み聞かせの効用【ステップ1】
 3 宮沢賢治の作品が持つイメージ喚起力
 4 自分で声に出して読む【ステップ2】
 5 音読の技化
 6 音読で読書力をチェックする
 7 読書は身体的行為である
 8 線を引きながら読む【ステップ3】
 9 三色ボールペンで線を引く
 10 読書のギアチェンジ【ステップ4】
 11 脳のギアチェンジ

(3) 自分を広げる――読書はコミュニケーション力の基礎だ
 1 会話を受けとめ、応答する
 2 書き言葉で話す
 3 漢語と言葉を絡ませる
 4 口語体と文語体を絡み合わせる
 5 ピンポンと卓球
 6 本を引用する会話
 7 読書会文化の復権
 8 マッピング・コミュニケーション
 9 みんなで読書クイズをつくる
 10 本を読んだら人に話す
 11 好きな文章を書き写して作文につなげる
 12 読書トレーナー
 13 本のプレゼント
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2009年10月10日土曜日

「ODA 援助の現実」 鷲見一夫 1989 ★



人の為に何か出来ないかと真剣に考える人が、別の何かを犠牲にしなくても良い、それが援助の本当の形ではないかと思う。

人体が多様性のバランスによって成り立つように、都市や国家、そして世界自体も様々な力のバランスによって成り立つ。

パワー・オブ・テンの様に異なるスケールで異なる世界が広がる様に、この世を成立させる力にも異なるスケールで異なる欲望が支配する。

一つのスケールの欲望は異なるスケールにおいては、時に暴力として現れる。しかも見えない力として。

同じ時間に生まれたにも関わらず、国を追われて、祖国を思い、今日一日を必死に生きる人々。その人たちの為に「微力ながらも自分にも何かできないか?」と想いを持って援助の世界に飛び込んでくる若者。

その反面、国家予算から捻出される巨大な予算に群がる様々な思惑。そしてできるだけ自国の自分達の利益へと繋がるように仕組まれたそのシステム。

世の中は決して綺麗事では回らないが、それでも援助を冠された税金であるからこそ思い描く、貧しい国の人々が少しでも良い暮らしを得られるようになるイメージ。そんな生ぬるい世界で無いと分かるからこそ、いっそ今はやりの仕分事業にODAも入れてほしいと願わずにはいられない。

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1 援助―その多面的な顔
2 霞のなかのODA
3 何が行われているのか
4 受け入れ国側の事情
5 誰のための援助か
6 新しい発想、多様な試み
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