嵐山・嵯峨野の竹林と呼ばれるが、京都の西随一の観光地であり、全体を纏めて嵐山と呼ばれ如何にも嵯峨がその一部として思ってしまっていたが、地名としては西京区の桂川の南側を嵐山(あらしやま)、北側を嵯峨(さが)というらしい。どうにもその関係性がごっちゃになっていたが、やっと整理できた。
航空写真を見ても分かるように、明らかにその発育が進み、一本一本の大きさが周囲の樹木のスケールからかけ離れているこの竹林。いわゆる「嵐山の竹林」や「嵯峨野竹林の小路」と呼ばれるのは、嵐山の北東に広がる嵯峨野の中の野宮神社から大河内山荘の間の竹林の間を抜ける小さな道のことを指す。
この地域は平安時代から貴族が別荘を建てた土地であり、天皇や貴族が愛したその特権的景色を1000年を経た現代の我々は、貴族でないにも関わらず見る事が出来ることはなんとも嬉しいものである。
「日本」や「京都」、または「竹」と検索すれば恐らくヒットするであろう大きく成長し上部が視界から見えないほどの竹の中を緩やかなカーブを描きながら先が見えないこの道の風景。だれでもそこに悠久の京都の歴史を重ね合わせる。
野宮神社から天龍寺北門を通り越し、徐々に竹の幹のサイズが大きくなるにつれて、上部に伸びる幹の長さも増していき、光をフィルターする竹のレイヤーが作り出すなんとも不思議な光と空気に包まれる。
数年前に始めて訪れたが、やはり何度来てもこの自然の力と、それに少しだけ人間が手を入れて作り出す特別な風景に驚かされる。背の高く、緑の濃い竹の中に、枯れた竹の枝を使って作り出された茶色の竹塀。人工性をできるだけ排除して作り出された不整形の風景。緩やかなアップダウンと、微妙にうねる道のお陰で、場所場所で道の先が見えないことで逆に、「この道は永遠に続くのでは・・・」という思いを感じる。
「すぐそこだから」と足を伸ばそうとするが、妻に「いや、もう満喫したし、ちょっと疲れたからもういいんじゃない」とあっさりと却下される。
「こっち側から歩き出すべきだったか・・・」と作戦ミスを悔やみながら、また次回足を運ぶ理由を残したと思うことにして、再度今来た竹林の道を戻りながら、やはりここは縦構図じゃないとその垂直性がカメラに納まらないなと四苦八苦しながらレンズを向ける。
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