2013年7月22日月曜日

有楽苑(うらくえん) 堀口捨己 1972 ★★★★★


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所在地 愛知県犬山市大字犬山字御門先
年代  1972
作庭  堀口捨己
形式  -
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国宝三名席
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犬山城から坂道を下り、目の前に見えているのだがうだるような炎天下の中での歩行はやはり熱中症の危険があるなと、流れ落ちる汗を拭きながら辿りつくのが神社の様な銅葺屋根が目を引く名鉄犬山ホテル。

1965年の竣工で、この街の歴史を作ってきたホテルだけあり、横に両手を広げているかのようなゆったりした構え。いつになっても変わらない、いいホテルというものの代名詞のような建築。その敷地の南側を占めるのが目的地である有楽苑(うらくえん)。

この庭園を理解するためにまずは、その庭園の名前の元となっている人物、織田有楽斎(うらくさい)から。この織田有楽斎、織田信長の弟であり、千利休に茶道を学び、利休十哲の一人にも数えられる茶人である。

自らを有楽斎如庵(うらくさいじょあん)と号し、1618年に京都・建仁寺の塔頭・正伝院が再興された際に茶室を設計し、自らの名前を取り、如庵(じょあん)と名づけた。

茶室というのはその規模の小ささからか、解体移築をされ易いのが特徴でもあるが、この如庵もまた各地を転々とし最終的にこの犬山に落ち着くことになる。その時に設計された庭園を含めこの地を「有楽苑」と名付けられることになる。

その設計は茶室研究で有名な建築家・堀口捨己(ほりぐちすてみ 1895-1984)によりなされ、1972年に完成する。この庭園内には上記の茶室「如庵(国宝)」に加え、有楽斎が大阪・天満に設計した茶室を古図に基づいて復元した「元庵」。新築された新しい茶室である「弘庵」。それに加えて如庵に隣接して建てられた有楽齋の隠居所であった「旧正伝院書院」などの建物が見られる。

まぁ何といっても見所はやはり如庵であり、この如庵は千利休による京都山崎妙喜庵内の待庵(たいあん)、大徳寺龍光院内の密庵(みったん)とともに、現存する「国宝三名席」の1つに数えられる。

そんな話を知るだけでも「少々高いのでは・・・」と思っていた入場料大人1,000円が安く感じてくるが、そんなことを知らなくてもその価値以上の体験ができること間違い無しの素晴らしい庭園空間。間違いなく今まで訪れた庭園の中でも最高クラスである。

なんとものんびりした入口の様子を見ると、まだ他には見学者がいなく一人で園内を回れそうである。入口から伸びる二本の道を目の前にし、渡された地図を頼りに右手の道を行く。白い砂利の上に響く「ジャジャ」と言う音が予告するかのように、庭園全体を通して足元の素材がとにかく素晴らしい。

動きを止めるところ、方向を変えるところ、門をくぐるところ。何かしら「変化」が起こるところには、必ず何かしらの仕掛けが足元に。足元の素材を追っていくことで空間が変化し始めるかの様に錯覚するほど、とにかく人の動きをどう制御するか深く優しく考えられ、膨大で豊潤な経験と知識の中から選び出された素材とその組み合わせ。

プロポーションやスケールなど、普段使う言葉がいとも簡単に陳腐化してしまうようなその空間の豊かさ。一つ一つの石の大きさ、置かれた角度。小さな石の中に置かれる大きな石。左右の縁を直線で整えられた石の縁に苔。その先には茶室が構える。その場その場で何を見るのか、それを身体に触れる素材で制御される心地よさ。

自分の動作が、自分の意思で行ったのか、それとも設計者の意図によってそう振舞ったのか、それすら分からなくなる空間の妙。自分の一動作ごとに移り変わる風景。その素晴らしさに「おおおおおおお」と一人で唸りっぱなし。

背の低い門をくぐる。ちょっと背をかがめる。その為に落とすことになる視線。その足元にはもちろん他とは違う石が目に入る。素晴らしい。動きが空間の中に見えてくる。空間の中に漂うベクトルのコントロール。空間にシークエンスがあり、速度があり、高低差があり、その中に人という主役が入り込み、その視線がこの空間をどう体験するか、どう動いていくか、どちらに行き、何を見て欲しいか。その設計者の願いが驚くほど溢れかえる濃密な至極の空間。

こんな空間が自分が生まれる前からこの場にあり、そして今もあることに日本の素晴らしき文化を感じずにいられない。佐川美術館 樂吉左衞門館の様な現代の濃密空間を体験した後に、40年も前に設計された庭園の中で、400年も前に設計された茶室が生きている姿を見る素晴らし。どちらも茶の湯という、一個人を超えて所作を高みへと研ぎ澄ましていく道があるからこそだと理解する。

道すがら、ところどころで見かける縄で絞められた小さな石。決して何かを語ることは無いのだけど、暗黙裡に「ここからは入ってこないで下さい」と言われているようである。横の看板を見ると、これは関守石(せきもりいし)と呼ばれ、日本庭園や社寺仏閣において、立ち入り禁止を表示するために用いられる石という。

二又の分かれ道となっている一方を塞ぐこともあり、その先で茶会などを催している場合に茶会の妨げとならないようにする目的に使われるそうである。ただ石が置いてあるだけであり、超えて進むこともできるだが、庭の持ち主がそれ以上進むことを拒んでいることを示し、それにより散策者を正しい散策路へ誘導する。

スマホで簡単になりすぎたコミュニケーションの時代だからこそ、こういう文化の長い時間の中で養われてきた深く素晴らしい相互理解の必要な静かなるコミュニケーションが一層違った意味を持ってくる気がする。

無言で人を止める石。行く先々でその石を見つけてはなんだか嬉しくなりながら、3つの茶室と書院を体験し「いやー、素晴らしいもの見せていただきました」と係りのおばさんに感動を伝えてこの場を後にする。


























































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