2013年7月19日金曜日

薬師寺(やくしじ) 680 ★★


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所在地  奈良県奈良市西ノ京町
山号  なし
宗派  法相宗
寺格 大本山
別名  白鳳伽藍
創建   680
開基   天武天皇
機能   寺社
文化財 東塔、薬師三尊像ほか(国宝)
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百寺
世界遺産
日本の建築空間掲載
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平城京跡地から南に向かい、「こんな細い道であっているか?」と思いながら進むと、道の脇に「薬師寺こちら」の看板が。

巨大な駐車場に車を入れて、駐車場代500円を支払い参拝路に沿って歩いていくと見てくるのが休ヶ岡八幡宮 。仏教が渡来したときに、古来の神道と折り合いをつけていく中で、伽藍守護のため鎮守神として祀られるようになったという。薬師寺への参拝客はまずはこの神社に参拝して先を進むらしい。

休ヶ岡八幡宮を超えて50mもしたら見えてくるのが南門。そこから既に見えているの白鳳伽藍と呼ばれる東塔と西塔の姿。白鳳文化(はくほうぶんか)とは、645年の大化の改新から710年の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、この薬師寺の伽藍は白鳳伽藍と呼ばれている。

この薬師寺な興福寺とともに法相宗の大本山であり、南都七大寺のひとつに数えられる。南都七大寺(なんとしちだいじ)は、奈良時代に平城京(南都・奈良)周辺に存在して朝廷の保護を受けた以下の7つの大寺。

興福寺(こうふくじ)
東大寺(とうだいじ)
西大寺 (さいだいじ)
薬師寺(やくしじ)
元興寺(がんごうじ)
大安寺(だいあんじ)
法隆寺(ほうりゅうじ)

ちなみに法相宗(ほっそうしゅう)は、中国創始の仏教の宗派の一つで、現在日本各地で進行されている真言宗、天台宗の平安仏教、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗や臨済宗などの鎌倉仏教とは異なり奈良仏教に属し、より国を護るための仏教として現在の我々とはやや馴染みが薄くなっている。


先ほどの平城京跡ではないが、この伽藍の多くが再建されたものであり、金堂は1976年の再建。大講堂は2003年の再建で正面41m、奥行20m、高さ17mという伽藍最大の建造物。西塔は東塔と対称的な位置に建ち、かつての塔は1528年に焼失し、1981年に再建。

そして現在、伽藍の中で唯一の奈良時代の建物である東塔は国宝に指定され、総高34.1メートルの巨大なもの。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さとなっている。

現在進行中であるが、2009年から2018年までの予定で約110年振りの東塔の解体再建が進められているために、その姿はシートで覆われ見ることは叶わない。


受付で拝観料の800円を支払い門をくぐると、まずは今まで見てきた寺とはまったくことなるそのスケール感に圧倒される。当時はどんどん遣唐使を送っていた時代だったので、唐から持ち帰られた当時の大陸の建築様式、現在の中国のスケールがそのまま目の前に広がる。南門を抜け東西の塔によって構成される左右対称の強い軸線を受ける金堂。それを抜けて見える大講堂などの距離感は、まさに北京の故宮のスケールを思わせる。日本からは決して生まれなかったであろうこのような巨大なスケール感がまだ残っていることに強い感銘を受ける。

上記に述べたように、この寺最大の見所でもある東塔が修復の途中であるため、シートに覆われその姿を拝むことは叶わないが、その修復がおよそ10年の歳月をかけて行われると言う。現在の建築に携わっているものとして、スピード感を増すばかりの現代社会において、それでも物質を構築して全体をなしていく建築の宿命から、時間的にどうしても超えることができないハードルはあるものの、やはり社会の要請に沿うためにできるだけ早くという思いを持って日々を過ごす。

確かに古い建築で非常に繊細で貴重なものであり、また複雑な古来の工法を理解して解体し、その後の何百年を生きていく建築にしなければいけないので、そういう視点で見ればこの10年は決して長いものではないのだろう。

その時間のスパンの長さ。それは如何にこの建物が属する時間が現世のものとは離れているのかを示しているようである。こうして独自の時間を生きる建築、その建築に携わる人間というのは、現世のストレスなどはまったく感じずに生きるのだろうと思う。と同時に、そういう時間の流れ方にはどのようなストレスがあるのだろうかと想像を巡らす。

 村上春樹が「風の歌を聴け」の中で述べる、「真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だから。市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういうものだ。」この言葉の様に、この様な文化財は生活臭のするような現代の経済概念とはまったく離れ、お金の問題がないところで保護されていかないとすぐダメになるのだろうと想像する。

高齢化社会の問題、生活保護の問題などそんな俗世のちみちみした悩みや問題などまったく関係ないところで存在していないと、この大らかさ、時間のスパンは確保していけないのだろうと思わずにいられない。

しかし見たい。東と西に朱色と黒の塔を控え見据える金堂の姿。片手落ちではない、白鳳伽藍の姿。

今まで訪れてきた奈良よりも後に建立された寺に見えるような人の身体スケール。折れ曲がった参道と自然の関係性。木立の陰から覗く本堂の姿など、そんなちみちみしたスケールはぶっ飛ばし、とにかく明るく、一点の陰も作らず、白い境内の中に、広く赤くある伽藍の姿。

どこかから「ドーン」と音がして来そうなその配置計画。それを見ると日本の建築はよい方向に発展を遂げたと心のそこから思わずにいられない。

















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