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所在地 京都府京都市左京区大原勝林院町
宗派 天台宗
寺格 勝林院僧坊
創建 1012
開基 本願寺第11世・顕如
機能 寺社
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本来なら嵯峨野から右京区の妙心寺。その後、中京区の仁和寺、北野天満宮、平野神社を巡って・・・と欲張っていたが、既に疲労感が見える妻は自分のリクエストである「和」を感じる嵐山・嵯峨野の竹林巡りを済ませたこともあり、すっかり満足した様子で、「もう、あまり周らなくてもいいんじゃない」と言い出す。「これはまずい・・・」と頭の中で行程の修正をしルートの再検索。何に優先順位をつけるかということで選ばれたのが宝泉院(ほうせんいん)。
「宝泉院」と検索して表示されるイメージは、客殿から眺める庭園の四季折々の姿だが、圧倒的に美しいのはその横長の額縁の様なフレーミング。建築家として、この外部空間の取り込み方を体験せずに日本建築を語るのは憚れるということでどうしても足を運びたかった場所のひとつ。
京都北部の大原と言えば大原温泉。そして三千院門跡。「できれば立ち寄って足湯でも・・・」と甘い希望を持ちながら、見逃すことが出来ない宝泉院を目指し、京都の西の果てから北の果てまで車を飛ばすことにする。
随分長く車を走らせて、ナビが「目的地周辺です。案内を終了します」となんとも無責任な投げ出し方をしてくれるあたりでは、どうにも寺らしき案内も駐車場も見当たらない。明らかに行き過ぎてしまったナビの表示画面を理解しながらも狭い道幅で後ろからの後続車が続くので、なかなかUターンするタイミングを逃しながらなんとか先ほどナビが示したあたりまで戻ってくる。
よく見ると「宝泉院、ここから徒歩10分」という有料駐車場の案内板が。こんな北部なのでもちろん駐車場も無料だろうと高を括っていたが、そうは甘くはない。係りのおばさんに聞くと、どうも上には車は入れずここから歩くしかないという。しょうがないので駐車場代500円を支払い、小さな用水路の脇の道を頭にかかりそうな枝を振り払いながら上がっていく。
なんとものんびりした集落の風景の中、暫く歩き10分位すると見えてくるのが宝泉院の案内。如何にも俗世から距離を置いたというその佇まいが雰囲気を醸し出す。
この宝泉院は天台宗の寺院であり、同じ天台宗の三門跡寺院の1つである三千院に寄り添うように1000年にわたりこの山深い大原の地に息づいている。
市内に多くある禅寺とは違い、自然を生かした庭園が有名で、中でも額縁庭園と呼ばれる客殿から盤桓園(ばんかんえん・立ち去りがたい意)の樹齢300年の沙羅双樹の木を眺める景色が格別。また樹齢700年の「五葉の松」の姿も非常に美しい。
参拝料の800円には抹茶と茶菓が含まれており、通される客殿で一息入れながら絶景の庭園を眺め、しばし寛ぐことにする。もちろん通常は障子がはめられているが庭園の観賞用に障子を外し、主要構造体である柱が風景を切り取る額縁として室内に二つの横長の風景画を提供する。そしてそれを鑑賞するベストポジションは床の間の前の席。
妻もこの風景は随分気に入ったようで、お茶をいただきながら静かに鑑賞をしている様子。炎天下の中、歩いてきた甲斐があったもんだということで、しばし静かに空間を堪能する。
そうするうちに、なぜこの寺だけこうして特別な風景を作り出しているのかに思いを馳せる。通常主要構造体として屋根を支える機能を持つ柱。その柱の間に外部と内部を境界付けるためにはめられている障子。その障子が外されて内部と外部の境界が曖昧化された時に、構造体として機能が剥き出しになるはずである。そして構造体であることからできるだけ均等に力を流し、一箇所に負荷をかけないようにとできるだけ等間隔に並べられるのが一般的である。
しかしこの宝泉院では、明らかに真ん中のスパンが大きくとられている。それは中から外を見たときに、真ん中に上下の線を入れずに、できるだけ横長のフレームとして風景を切り取る様にと意図されたかのように。
そうすれば必然と隅の柱への重力負荷が大きくなり、細い柱では持たないはずなのだが、それをそのまま太い柱にしてしまってはすっきりとした感がなくなり台無しである。そこでどうしようかと頭を巡らした結果、外周部に立てられている柱も同じように隅に寄せるのだが、内周部の隅柱に軸を合わせて二本の柱を置くのと同時に、外周部の隅にも同じ径の柱を置くことで、建物の隅に4本の細い柱で構成されたがっしりした空間が作り出される。
この4本の柱で構成されたがっしりとした空間が結果屋根をしっかりと支えることで、外周部の真ん中に柱を立てることなく、すっきりとした視界を作り出している。それがこの宝泉院の風景に隠れる垂直の妙。
客殿の中を隅から隅まであちこちへと歩き回っていると同じく不思議なことに気がつく。それが風景を切る額縁の水平の線に関する建築的仕掛け。外周部の垂れ壁よりも内周部の垂れ壁のほうがやや下がっていることで、内部の畳に座った視線からではその内周部の垂れ壁しか目に入らず、しかも外部の垂れ壁によって外からの光が遮断され、内周部の垂れ壁の内部は相当暗くなっているために、自ずと外の庭園の風景が際立つ。
それに対して今度の下の線だが、これは障子をはめなければいけないので内周部は敷居が畳を外のぬれ縁とツラで納められているが、その先に視線を追っていくと外周部の縁でなぜか150mmほどの立ち上がりがつけられている。
その人工的な直線によって下部はだらだらと室内から外部へとつながるのではなく、強い意志をもって分断される。しかし外周部でしかも下部であるから外から差し込む光のお陰で縁の中が暗くなることはなくぬれ縁の面も視界に入るのだが、それでも風景を四方の枠がこれで完成する。
慈光院でのフレームはぬれ縁がそのまま立ち上がることなく、長押を省略した鴨居との二本の直線で上下を境界付けられているのを思い出し、あれは視界の真ん中を水平に永遠に広がる世界を作り出していたのに対し、この宝泉院は西と南に二つの絵を切り取る「枠」を作り出す明確な意志を理解した瞬間に心が震える思いを感じる。
当時も必ずいた現代の建築家に当たる人間が、この風景を前にしてどう内部との関係性を築くかに苦慮し、悩み続けた結果自らの創造力を駆使し体内から生み出した建築的解決法。新しいものを作り出す、そしてそれを信じる意志に感動を覚えずにいられない。
「そうか、そうか・・・」と一人ミステリーと解いた探偵の様な気分に浸り、「では、そろそろ外の庭園に行こうか?」とすっかり風景に見とれている妻に声をかけると、「あなたはゆっくり鑑賞するっていうことが何でできないの?」となぜだか機嫌を損ねたらしく、「外の宝楽園という庭園は最近出来た回遊式のもので良いらしんだよ・・・」となんとか機嫌を治めようとしつつ、地形を利用しアップダウンのある身体スケールの庭園へと足を向ける。
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