--------------------------------------------------------
所在地 三重県津市丸之内
城郭構造 輪郭式平城
別名 安濃津城(あのつじょう)
築城 1570
築城主 細野藤敦
機能 城郭
--------------------------------------------------------
Discover Japan「いま、見ておくべき城 100」
--------------------------------------------------------
山奥の北畠神社からの帰り道。川沿いの道を走っていると外も徐々に暗くなってくる。それにしても三重は本当に縦に長い県だと実感する。朝から随分走ってきたと思うが、それでもまだ真ん中あたり。夜には北部の桑名に住む友人宅まで行く予定になっているので、やや気持ちが焦りながら辿りつく県庁所在地・津の中心部。津城跡地横に位置する駐車場に車を入れて、友人に現在地と到着予定時刻を伝え、一息入れてから本日最後の見学地に向けて出発。関川原の合戦後の江戸時代初期に伊予今治藩より築城の名手・藤堂高虎が入城。城の大改修を行い輪郭式の城郭に変貌させ、城下町を整備、以後明治維新まで藤堂氏の居城となった城である。城の北には安濃川、南は岩田川が流れ天然の外堀となっており、その為に別名安濃津城(あのつじょう)と呼ばれたと言う。
そしてこの津。江戸時代の伊勢神宮参拝の宿場町として賑わい「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われ、明治以降は県庁所在地としてその名を知られている街である。
城跡は「お城公園」として整備されているが、やはり特徴的なのは西日を浴びて綺麗に反射するその石垣。横から射すようなその西日から逃げるように石垣の中へ。日曜の夕方の公園では、地元の少年達がバイクをアクロバットに乗りこなす練習をしている様子。
藤堂高虎の銅像を眺め、逆の入口から再度外にでて、ぐるりと時計回りに回っていく。如何にも「頑丈にしました」的な何処でも見る風景と化した耐震補強された市役所を苦笑いしながら通り過ぎ、ぐるっと回って広い堀越しに見る石垣はやはり見事。
石垣の高さと堀の幅の関係性がいいのかもと思うが、部分部分に高さを変えた石垣が凹凸を繰り返し絶妙な場所を作り出す。変化に富み、美しいプロポーションの石垣。下を見ると足音を聞きつけて、濃い緑色の水の中から水面に顔を出した大量の鯉と亀。
恐らく地元の人が夕方に餌でもあげにやってきているのだろうと想像し、石垣のある良い街の風景に入り込んだ気分に浸る。これで本日の立ち寄り予定は全て終了と、背伸びをして北部の桑名まで最後の運転に気合を入れる。
すっかり暗くなった伊勢自動車道を北に走り、やっと辿りつく桑名出口。友人宅に到着しメーターを調べると、今朝の8497キロから現在は8902キロ。脅威の400キロ越えだと理解すると、身体中の疲れも倍増する。友人が良く行くという近くのレストランでやっとリラックスして食事を取り、今日一日の行程に思いを馳せる。
0 件のコメント:
コメントを投稿