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所在地 三重県津市美杉町上多気
主祭神 北畠顕能公(きたばたけ あきよし)
社格 別格官幣社・別表神社
創建 1643
機能 寺社
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参考にしている寺社めぐりのサイトで★が着き、日本の庭園100選に選ばれるような名園のコンビネーションとなれば、これはこの機会を逃す手は無いということでナビに行き先を設定。
松坂市から和歌山街道(166号)を走り、途中から伊勢本街道(368号)へ。この道が今回の旅程の中で一番過酷な峠道。徐々に狭くなり、厳しいカーブを繰り返す。対向車が来たらすれ違うのもギリギリなのにも関わらず、何台か上から対向車がやってくるたびに完全に停車してやり過ごす。
ナビという非常に便利な道具に助けられる現代の運転だが、道の厳しさや整備状態など時間優先や距離優先では決して考慮に入ってこないナビの欠点が完全に露呈した結果、何度も冷や汗をかくことになる。
「この山道は一体あとどれくらいで終わってくれるのか?」と祈るように思いながら、山奥まで上がってきて、やっと開けたと思うと山の中にポツポツと民家が見える集落の中を暫く走り、細い道を入っていくとすぐに左手に見えてくるのがこの北畠神社(きたばたけじんじゃ)。
社務所の方に「大変な峠道でやってきたんですが、帰りは津市街地方面に戻りたいので、なんとかさっきのような厳しい峠道じゃない行き方はあるんでしょうか?」
と聞いてみると、「あぁ、あの道で登って来たのですか。それは大変でしたね。入ってきてもらった道を逆に右に曲がってもらって、暫くすると右に出るバイパスがあるんで、それなら随分楽ですよ」と教えてくれる。
少々ホッとして参拝を始める。さてこの北畠神社。村上源氏の流れを汲む名家で、南北朝時代に活躍した南朝の忠臣北畠顕能を祭神としている。北畠顯能は伊勢国司を務める為にこの地に居城を構え、伊勢北畠家の起源となった。
その後、北畠家は伊勢国司を務め続けるが、戦国時代に織田信長に滅ぼされるが、その後北畠一族の末裔が北畠顯能を祀って建立したのがこの神社という訳である。
そんな訳で駐車場から少し歩いて辿りつく境内。足を踏み入れて一番最初に目に留まるのが、なんとも凄い存在感を醸し出す神木。本殿脇から高く伸び、その幹の途中から何本もの枝が垂れ下がるように境内方向に伸びている。まるで糸を垂らすかのようにして。
近づいてみるとその迫力は更に力を増す。夜一人でこの境内にいたとしたら、空から魔物が降ってきたと思うに違いないその姿。如何に山深い場所だからと言っても、この場所が何かしらの強い力を持っているということがよく伝わってくる。
暫く伊勢神宮の神明造漬けになっていたので、朱色の本殿がやたらと新鮮に映る。やはり修験地が多くあったのだろうか、本殿中心には天狗の面が飾られている。本殿にというよりは、その後ろに控えるうっそうとした森に向かって参拝をし、名勝の庭園に向かう前に、境内を右手に抜けて北畠親房の長男である北畠顕家像などを見学し、再度社務所に戻って庭園入場料を支払い日本三大武将庭園として名高い庭園と見学し、帰りは神社の人のアドバイス通り、川沿い県道15号を通って津市街地方面へと抜けていく。
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