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所在地 京都府京都市中京区二条堀川西入二条城
城郭構造 輪郭式平城
別名 二条新御所
築城主 徳川家康
築城 1603
機能 城郭
文化財 二の丸御殿(国宝)
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世界遺産
Discover Japan「いま、見ておくべき城 100」
日本100名城
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両親と妻と一緒に飛騨高山へ。その後、妻が東京の実家に戻る間に一人で聖地へ。折角だから残りの休みの間に妻と二人でどこかに行こうと画策する。恐らく他の夫婦よりは、二人で過ごす時間が圧倒的に多い方ではあるが、やはり旅行は別物だろうということで行き先を考える。
本来は伊勢の後はやはり出雲だろうと山陰方面を予定してルートを勝手に決めていたのだが、飛騨高山の経験から妻が「それはちょっと・・・」と難色を示し、普段どっぷりと中国の中で生活をしているだけに、出来るだけ「和」を感じられるところで、ということで京都で相互に同意する。
妻が親戚の住む柴又の花火大会に誘われて、「折角だから見てきなよ」ということで、愛知の実家に戻ってこずに、直接京都駅で待ち合わることに。互いに朝早く家を出て、妻は東京から、こちらは愛知から京都へ向かうが、愛知から京都までの電車賃が思っていたよりも随分と安く驚く。東海に住んでいると実は関西は近隣なのだと改めて理解する。
待ち合わせの10時に京都駅に到着し、少々早く着いていた妻が待っている待合所に向かうと、興奮した様子で妻が「あれ見て!」と指差す先にはTシャツを来た外国人。その胸元にはデカデカと日本語で「業務連絡。人生が不公平なことについて」と書かれている。それを見てはケタケタ笑う妻。
とりあえず、タクシーでホテルに向かう。中心地の便利なところにホテルを取ったので、初日はバスで市内を回り、明日からはレンタカーで郊外を回ることにする。そんな訳でホテルのコンシェルジェの方にそれぞれの訪問予定地の閉門時間や、どうやったらこのルートを一番効率よく回れるかなどを聞くと、「詰め込みすぎですね・・・」と悩みながらも色々と電話をしてくれる。
まずは二条城までバスで行って、反時計回りに回るのが良いとのことで、一日乗り放題のバスチケットを購入し早速出発。歩いてバス停に行くが、直射日光にすぐに汗が噴出す。教えてもらった番号のバスに乗り込むと、若い外国人観光客で込み合い、まったく動ける余地が無い。外を見ると、この炎天下でも元気にレンタル自転車で移動する外国人の姿。「元気だなぁ・・・」と思いながら、到着する二条城。
京都と言えば・・・
で上がってくる名所の間違いなくトップ10に入るであろうこのお城。徳川家康が京に滞在中の宿所として造った城であり、幕末には徳川慶喜により大政奉還が行われ、江戸幕府を始めから終わりまでで重要な舞台となった場所である。
戦国の世に終止符を打った時の最高権力者の宿となるべくして縄張りされただけあり、城内はなんとものんびりした雰囲気が流れつつ、華美ではないが素晴らしいしつらえがなされている。
建築的には手前から順に左奥へと雁行する配置を取る二の丸御殿が中心をなし、「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)と徐々にプライバシーが高まっていくその配置計画は建築史の教科書にも出てくる建物である。
大広間の西側と黒書院の南側には日本庭園があり、日本の庭園100選にも選ばれている二の丸御殿庭園は、別名「八陣の庭」と呼ばれ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した建築家であり作庭家であった小堀遠州(こぼりえんしゅう)の代表作に数えられる。
池を中心としてその周囲を回遊する池泉回遊式庭園であり、中心の池には3つの島が浮かぶ。北よりに大きな蓬莱島、その北に亀島、南に鶴島があり、鶴と亀を引用する小堀遠州らしい作風。庭園という建築よりもはるかに手のかかるものにも関わらず、これだけの規模のものを作り出し、かつ維持していく時の最高権力者だからこそ成しえる庭園だなと感心する。
入城料は大人600円と少々高いが、二の丸御殿の廊下を歩くと聞こえてくる「キュキュ」という音に、妻と二人で「鶯張りか!」と感動し、小学校か中学校の修学旅行でそういえば体験したなとなんだか懐かしい想いをできれば元も取れた気になる。
唐門が工事中の為にその姿を見えることはできないが、城内のそれぞれの建物はそれぞれ違った表情を見せて、その間にある庭園などの空間とゆったりした良い関係性を作り出している。本丸御殿が移築された後の1896年に完成したと言われる洋風の本丸庭園の広大な芝生と植樹の間を抜けてぐるりと城内を一周する。
城でありながら、戦うことが前提にされなくなり始めた世の中。建築の機能が変わりつつあるなかで、パックス・トクガワの時代の作る重要な意味を持つ政治の場として機能し始めたこの二条城。どこかしこから流れてくるのんびりした空気に身体も浸して京都に足を踏み入れたのだと改めて理解する。
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