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所在地 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
城郭構造 山城
築城主 織田信長
築城 1576
機能 城郭
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日本100名城
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「城跡」というのは極めてやっかいで、その場に行くまでそこがどういう管理に置かれていて、どのような形で見学できるのかがよく分からない。いや、恐らくしっかり調べていけばそのような情報は手に入るのだろうが、そこまで下調べに時間を費やせない人間にとっては、神社同様できるだけ大らかな形で城跡公園となり、一定部分を除いては時間を限らず自由に見れるのが一番望ましい。
そんな訳で太陽の傾き方と、ネットで調べた日の入り時刻と相談し、近江八幡見学は夜間に回し、ここまで来たら見逃すことは出来ない二つの100名城を目指して片側一斜線の田舎道に心が焦りながらもアクセルを踏み込む。
史上初の天守をもった城として織田信長によって建設されたのがこの安土城だとされている。その規模は地下1階地上6階建ての高層建築であり、信長の居住空間と機能していたのでりっぱな高層住宅となり、現行の法律ではエレベーターの設置が必要となる、とにかく当時のとってはとにかくデカイ建築であったに違いない。
「ニッポンの城大図鑑」に拠ると各部分のデザインもまた、それまでの城にはない独創的なもので絢爛豪華な城であったと言われる。もちろん城跡ではあるが、日本100名城にも登録されている。
1582年の本能寺の変の後、まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残しだけとなり、臨済宗妙心寺派の摠見寺によって400年にわたり管理されてきたという。もちろん見学時間は終わっているので、入り口付近にちらほら見える石垣から当時の壮大さを創造する。
なんでもこの安土城。近くに位置する同じく100名城の六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術がその後の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となったという。
そんな訳で、是が非でもとこの安土城のあとに観音寺城跡を見に行くのだが、冒頭に書いた「城跡」問題の為に、たどり着いたのは近くの公民館。よくよく見ると、先に見える峠道に、「観音寺城跡この先」という看板が。今からどれくらい歩くか、参拝できるように開いているのか確信の持てない城跡よりも、確実に神域に入れる神社だろうと決断し、東近江に向けて車を走らせる。
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