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所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町
宗派 臨済宗南禅寺派
寺格 南禅寺塔頭
創建 1394
開基 足利義持
機能 寺社
文化財 庭園
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すっかり寺社めぐりに満腹になってしまった妻が、家で待つ両親にお土産を買いたいということで、せっかくだから京都名物をと阿闍梨餅を買いに満月へと向かう。
自分一人だったらとてもじゃないが足を踏み入れられないなんとも京らしい品の良い店舗。いろいろ物色した挙句、やはり定番がいいんじゃないかということで阿闍梨餅のセットを購入して、少々機嫌がよくなった様子。
「気になるカフェがある」というので、言われたとおりに車を走らせると到着するのが虎屋京都店。内藤廣設計の白いカフェ。「ここでお茶してるから、好きなところを見て来なよ」と言う妻を残し参拝終了時間までの残り数時間を振る活用すべく再度左京区へと車を進ませる。
一昨日にギリギリのところで閉まってしまっていた知恩院(ちおんいん)。浄土宗の総本山であるからやはり是非境内を体験しておきたいと車を走らせるが、山門近くをぐるぐる回ってもどうも一般向けの駐車場が見当たらない。「おかしいな・・・」と思いよく見ると、小さな看板に、「この道先を左折したところにあるコインパーキングを利用してください」とのこと。後で調べると、平成31年まで御影堂の大修理を行っており、その影響で駐車場が十分に確保できないとのこと。
言われるままに道を進み、左折して小さなコインパーキングを見つけるが、ここから歩いたら山門までの往復で軽く30分はかかってしまうということで、非常に残念だが知恩院参拝は諦めることにする。
それにしてもこれほどの規模の寺院にも関わらず、車でしか来れない個人参拝者にここまで優しくないとは・・・と思いながら向かうのは、これまた一昨日にギリギリで入れなかった金地院(こんちいん)。何といっても目的はこれまた小堀遠州による作庭の庭園。
金地院(こんちいん)は臨済宗南禅寺派の大本山である南禅寺の塔頭の1つであり、必然的に南禅寺の駐車場に車を停める必要がある。そしてその駐車場代がなんとの1000円。地団駄を踏みながら脇の金地院の門へ。ここでも参拝料の400円を別途で払い、結婚式帰りなのか、羽織袴姿のカップルが写真撮影をしている脇を通り抜け境内へ。
徳川家康から格別の信頼を受けていた江戸時代の臨済宗の僧・以心崇伝(いしんすうでん)によって1605年この地へ移された金地院。家康隠居後の駿府城内にも1610年に駿府金地院が置かれ、1619年には江戸城北ノ丸付近に江戸金地院が開かれ、「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝の活動拠点とされたという。
家康との縁の深さから境内には崇伝が徳川家康の遺言により、家康の遺髪と念持仏とを祀って1628年に造営された東照宮が建っている。徐々に下がってくる太陽の西日が眩しくてという訳ではないが、進む道が分からずにいると、庭師の方が右の置くから庭園へと進めますよと教えてくれる。
苔のカーペットに敷かれた石畳の上を暫く歩いていくと、如何に広大な敷地を持った寺院かが理解できる。そうしてパッと視界が開けて見えてくるのは左手の方丈とその前の庭園。この方丈庭園こそが、徳川家光が上洛した際に見てもらおうと、崇伝が小堀遠州に依頼し、5年の歳月を費やして作庭した鶴亀の庭。
贅沢に奥行きをとった敷地のほとんどが白砂によって覆われ大海原を表現し、その奥に鶴島、亀島の石組みが組まれている。左の亀島の松は葉が無く、海にもぐる亀を表し、右の鶴島の松は見事に繁った葉をもち、飛び立つ鶴を表現する。
そしてその鶴島と亀島の間には、仙人が住む蓬莱山を表した石組みが配され、仏教の理想世界を描き出す。その規模と世界観は江戸初期の代表的枯山水庭園と呼ぶのに相応しい雰囲気を醸し出している。
南禅寺ほど有名な観光スポットでないからか、境内にはほとんど観光客の姿は見れないが、唯一広い方丈の片すみでガイドの人から説明を受ける浴衣を着た女性二人の姿を見つける。遠州の庭の前で現代の艶やかな浴衣姿。なんとも美しい組み合わせだと思いながらその脇を通り抜けもう一つの見所である八窓席を探す。
この八窓席(はっそうせき)もやはり小堀遠州の設計であり、大徳寺孤篷庵、曼殊院の茶室と共に京都三名席の1つに数えられる。できることなら中に入ってその空間を体験したいものだと思いながら、やはり感想を言い合える相手が居ない参拝は自由ではあるが、何か物足りないなとそろそろ妻の待つ虎屋へ向けて帰ることにする。
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