テクノロジーの進歩の速度はまさに日進月歩で、最先端で更新されるテクノロジーに合わせて仕事のやり方も必然的に更新されていく。
例えば仕事で使うPdfなどのデータ。プロジェクトごとに作成しているSNSのグループに、設計状況を確認する資料を毎日スタッフが何度も送ってくるのだが、数メガになるその資料を携帯上でダウンロードして開くには、やはりそれ相当の処理能力のある携帯端末が必要となる。
常に最新で最速の処理速度を持つ携帯に更新していくパートナーの二人に対して、「そんなに困らないなら無駄に新しいのを買わなくても・・・」と思ってしまう自分では、常に使用する携帯端末のバージョンに差が出ている。
そうなると当然携帯で処理できるデータの大きさにも差が出てきて、こちらの携帯ではまたダウンロード途中にもかかわらず、あちらの携帯ではさっさとその資料に対してコメントを送っている。
世の中の仕組み、もしくはある組織内での仕事の進め方はこの様にその中での最速な単位をベースにして先に進んでいってしまう。誰も遅れた亀にペースを合わせてはくれない。テクノロジーは無常である。
同じことは都市にも言える。行政が完全にコントロールを持ちえる場所でなければ、どうしても民間の競争原理が働いて、都市内が更新されていく。資本主義の市場としての魅力を認めない限り、更新のペースについてこれない場所はどんどんと切り落とされていく。
それが過疎地の様に買い物難民となった高齢者の住まう地域での行政サービスやインフラの整備をどう維持していくか。という問題に直接結びつけることは出来ないが、それでもやはり同じ原理がその後ろには横たわり、社会の変化とそれに対して異なる対応速度を持つ人々に対してどの様に対処していくかが問われてくるわけである。
過疎地を維持するために母体となる自治体が衰退してしまっては元も子も無い訳であり、一番重要なのは新しい時代に適した社会のあり方を模索し、それに向かってそれぞれが可能な限り努力をして変化をしていくこと。
そんなことを考えているうちにやっとファイルのダウンロードが終わったので、資料を確認することにする。
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