旧市街地の北にぽっかりと広がるのがオデオン広場(Odeonsplatz)。ここから北に伸びる道が象徴的にまっすぐに伸びていくミュンヘンの玄関口である。
西側に立っていた現在は行政施設として利用されているオデオン劇場に由来する広場の名前であるが、この周辺にはミュンヘンにとって重要な意味を持つ歴史的建築物が立ちならぶ。
まずは東には旧バイエルン王宮であるレジデンツ(王宮,Munich Residenz,Münchner Residenz)。そして北からこの広場にアクセスしてくるとその視線を真正面で受け止めることになるフェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)と呼ばれるロッジア。
ロッジアと言っても日本に住んでいれば馴染みがないが、ヨーロッパの都市でよく見られる建物の一面が柱にて外部に開放されており、その下が日陰空間として都市に開放されている建物で、都市の中心部において舞台の様に機能することが多い。そして西側には前述の旧オデオン劇場とそれに隣接するテアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche) 。
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)はミュンヘンのシンボル的な場所でもあり、「バイエルンの軍隊を勝利に導いた将軍達を記念して」という意味で建造されたと言う。しかしこの建物はヒトラー率いるナチスにとっても重要な意味づけがなされた場所でもあり、政権掌握以前にこの場でデモを行った際に、この場で警察とデモ参加者との間で争いが起こり、その時の死者を「殉教者」としてシンボル化する意味で、この建物前を通るときにはナチス式の敬礼を行うなど、ナチスはこの場所に重要な意味づけをしていったという。
そしてテアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche) 。1663-75年にかけて建設されたバロック中期のバジリカ教会。外部は黄色の石を使っているが内部に入ると真っ白に漂白されたような空間に、細かく作りこまれた装飾が微妙な陰影を作って立体感のある空間を作り出している。ドイツにおける最高のバロック建築とも呼ばれているという。
ここまで徐々に時代に沿うようにして建設された時期のことなり、またその様式の異なる教会を見てきて、この街がどのように歴史の中で教会建築に向き合ってきたか、そしてそれを街の中に取り込んできたかを少しだけ感じながら次へと足を向けることにする。
オデオン広場(Odeonsplatz)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
フェルトヘルンハレ(将軍堂,Feldherrnhalle)
テアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche)
テアティーナ教会(Theatine Church,Theatiner Kirche)
オデオン広場(Odeonsplatz)
フェルトヘルンハレ(Feldherrnhalle)
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