2015年2月7日土曜日

承徳避暑山荘博物館 ★


避暑山荘(ひしょさんそう、Bì shǔ shān zhūang)とは清時代の皇帝が夏の間を過ごした離宮の名称であり、1994年には世界遺産にも登録されている名勝地である。

モンゴル族に攻め込まれた元時代。それを外に押し返した明時代。その後満州族に征服されたのがこの清時代。帝国主義に支えられた西欧列強の進出らにより300年近い年月続いた清朝は終焉を向かえその後、1912年に中華民国が設立される。およそ日本の江戸時代に重なる時代だと思ってよいその清時代の最盛期は、第4・5・6代皇帝であった康熙帝・雍正帝・乾隆帝の時に迎える。

清は満州族ということもあり、元の都は現在の遼寧省の省都である瀋陽市(沈阳、しんよう、chényáng)に参拝に戻ることがあったという。その折に旅路の途中立ち寄ることがあったこの承徳に第4代皇帝であっ康熙帝(こうきてい、kāng xī dì)が壮大な離宮を造ることを決定する。

上記の3代皇帝時代に渡り工事が続き、およそ90年の年月をかけて完成したのがこの避暑山荘(ひしょさんそう、Bì shǔ shān zhūang)という訳である。内容としては、中国各地、特に江南地方の名園・名勝を模して造られており、他にも内モンゴルの風景や、杭州の六和塔を模した塔など「どこかで見たことあるな・・・」という風景に至る所で遭遇できるつくりになっている。

この博物館は避暑山荘の入口内部に位置していた正宮を利用し、宮廷の歴史の紹介や芸術品の展示などがされている。ガイドブックには冬季は朝の7:30開門だと書いてあるので朝食を切り上げ、凍てつくような寒さの中チケット売り場に行くとおじさんが「8時から」と冷たい対応。周囲をぶらついてみると、どうやら多くの市民が通年カードで中に入っていき運動をしたりランニングをしたりと思い思いの時間を過ごしているようである。

ぐるりと回りまたチケット売り場に戻るとやっと係のオバサンたちが出勤してくる。チケットはこの避暑山荘博物館を含めた避暑山荘のエリア、小ポタラ宮と呼ばれる避暑山荘の北側に位置する3つの寺院をまとめた布达拉行官景区、普寧寺と普佑寺を含む普寧寺景区、そして河を渡った東に位置する安遠廟や普楽寺を含む磬锤峰景区の計4つのエリアに分かれているらしい。

「4つ全てを一日で回るのは可能か?」と聞いてみるが、「それは難しいよー」とのこと。それでもせっかくなので駆け足で巡ってみるかと4つのセットチケットを、オフシーズン料金の230元で購入。従業員が入っていき準備が出来た段階で入場。

入口付近にある地図で確認すると、どうやら外八廟といいながら全部で12の寺院があるようで、これはさらに駆け足を早めないとと焦りながら博物館を見学する。かつての正宮を展示用に使っているので、展示のために設計されておらず、展示品に対して完全に逆光でものがよく見えないなどありがちな展示を見ながら、北京の紫禁城に比べこじんまりとしたこの建物を見学することにする。





































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