2015年2月21日土曜日

岡豊城(おこうじょう) ★★


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所在地  高知県南国市岡豊町笠ノ川
城郭構造 山城
築城主  長宗我部氏
築城   13世紀~14世紀
機能   城郭
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「城」と言えば戦国時代と想像してしまうが、信長や家康が天下を争った時代から江戸時代は城にとっては成熟期。それより遥かに前にまだまだ技術も未熟な中、地形を利用して外敵からの攻撃を防ぐための拠点として作り出されてきた創成期の城がある。

高知市から南国市に向かう道沿いに位置する岡豊山(標高97メートル)に築かれたこの岡豊城(おこうじょう)も、そんな中世の城の痕跡を現在に伝えてくれるものである。

戦国時代に土佐を制し、そして四国を制覇した長宗我部氏の居城として知られるこの岡豊城。東北の伊達政宗の様に、長宗我部元親がこの世に生を受けるのがあと少し早ければ、この国の歴史の地勢図も変わっていたかもしれないという、歴史の「もし」は常に語られ続けるが、四国を制して挑んだ豊臣秀吉に敗れ、土佐一国へと押し込まれた長宗我部元親。その彼が力を蓄える拠点として眼下の高知平野を見下ろしていたのがこの場所。

廃城になって久しく、また城跡としてそれほど観光地として前面に押し出されている訳でもない日本全国に散らばる百名城に名を連ねない数々の他の城同様に、この場所もまた事前調査においては、その正確な場所も、現在どんなものが残っているのかもあまり分からぬまま現地に向かうことになる。

事前情報をナビに入れて向かっていくが、やはりそれとなく近くまでたどり着くが最終目的地がずれているようであり、現地付近で車を停めて再度細かい目的地の修正が必要となる。

一番いいのは、城跡の一角として整備されている高知県立歴史民俗資料館を目的地としていくと、整備された道をたどって山の中腹にたどり着き、その駐車場からさらに頂上に向けて散策道を登ることになる。

朝の7時過ぎに急な坂道を目の前にして、「登るべきか引き返すべきか・・・」と悩みながらも、ここまで来て引き返すのも後悔が残るだけだと決心し、10分ほどかけて山頂の開けた本丸跡地へと到着する。そこからは朝日に照らされた高知平野の風景が広がり、ここから全国を目指した長宗我部氏の頭の中に広がった世界を想像して山を降りることにする。



















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