2015年2月20日金曜日

高知県立坂本龍馬記念館 高橋昌子 高橋寛 1991 ★


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所在地  高知県高知市 浦戸城山
設計   高橋昌子、高橋寛
竣工   1991
機能   博物館 
規模   地下2階、地上2階
構造   S造一部RC造
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高知と言えば、坂本竜馬。そして桂浜。その二つを体現する建築と言えば、相当なハードルが挙がるのはしょうがない。土佐と呼ばれた旧国時代の高知の重要な舞台となった桂浜。本土に向けてではなく、あくまでも広い太平洋に開けたこの浜で、多くの若者が江戸ではなく世界を夢見ていた姿が目に浮かぶ。

そんな桂浜を見下ろす丘の上を敷地とし、日本の歴史で最も愛されている人物と言ってもよい坂本竜馬の業績を記念して立てられることになった博物館。モダニズムの揺り返しとしておこったポスト・モダニズムの流れ。その一部として後に世界各地で活躍するスターキテクトとして名を馳せるフランク・ゲーリーやザハ・ハディッドをまとめて紹介された脱構築主義(デコンストラクティビズム)が世界に紹介され始めたのが1980年代。

日本では1986年から始まったとされるバブル景気の真っ只中の1980年代後半。日本の各地でその地方の目玉となるような新しい建築施設が企画された時期に重なる。その時期に東京や大阪と言った中心地にて大々的な商業施設のプロジェクトに参画するか、それとも地方都市のアイコンとなるような美術館や図書館などの文化施設のコンペを取るか。

このバブル景気の流れに乗って大きな仕事のチャンスを手に入れた建築家の中から、その後の90年代の建築シーンを引っ張っていくことになる中心選手が現れてくるのは、やはり実際のプロジェクトという経験がどれほど建築家としての職能を伸ばしてくれるかを物語る。

そんな時代背景を元に生み出されたのが、この高知において、歴史上最も全国規模の知名度を誇るといってよい坂本竜馬の名を冠した文化施設で、観光資源としても大いに期待されて計画されたこのコンペ。それを勝ち取ったのが当時まだ30歳前後と建築家としては相当に若い高橋昌子と高橋寛によるワークステーションという設計事務所。

手法としては、雄大な海を目の前にした小高い丘。その上に人工物として建築がどういうスケールで対応するかを考えて、二つの強烈な軸線を空間化した長方形のボックスが、素材と色を変えてズレながら空中に浮かんでいる。それが下の桂浜から見ると、まさに空中に浮かんだ箱として、世界に向かおうとした竜馬を象徴するかの様な構成となっている。

コンペの主催者側としては如何にその建築をこの地の特産として日本全国にアピールし、人を呼び込みつつも、文化的な意味合いを付け加えるために説明しやすい物語という訳であろう。

しかし海面から一気に上昇する急勾配の丘の頂上から徐々に緩やかに上昇してアプローチするかのようなガラスのボックスは、しかしメイン動線ではなく、その横にある階段を降りて奥まったところにあるエントランスからアプローチしていく上では、この空間の構成は全く理解できず、構造的に相当なアクロバティックな方法を採用して作られているのが良く見えるスロープを海に向かって進んでいくと、博物館としての展示としてはあまり機能していなく、それよりもここから開けた海への眺望を作り出したかったのだと思うようなどん詰まりの空間に到達する。

折に建築とその中の展示は、一人の建築家が手がけることは稀であり、建築が終わった後に展示設計として別のプロフェッショナルが入り込んでくるので、そのチームが建築家が建築に託した意図を読み取り、それを強化するかのように展示を作り出すことができたり、または建築家と展示設計チームが一緒になって設計段階からどういう展示を行う美術館にするのかを話し合いながら設計を進めていくことが本来的には一番良いのだろうが、なかなかそうはならないのが世の常。

この建物も、設計とその中のコンテンツが心地良い対話をしているかと言えばそうではなく、ただ建築を展示のための背景として、その中でできるだけの展示を展開したいという館側の思惑ば透けて見え、全体的に飽和し過剰な感じのする展示をすり抜けメインの空間だと思われる屋上へと進む。

歴史的な景勝地である桂浜の上空に飛び出した展望台となる建築の屋上であるだけに、もちろん眺めは素晴らしい。しかし、この建築があるからこそこの長めに新たなる価値を生み出しているかと思えばそうではく、展望台としての役割から抜け出していないのではと思いながら下におりて、今度はキャンティレバーしている建築の足元へ。

大きく張り出したボリュームの下は都市広場の様な空間になっており、建築家の意図したことも、その当時世界の建築界で叫ばれていたこともよく分かり、建築の歴史の教科書の様なつくりだと思いながらも、その空間が実際のこの都市でどのように使われているのか、それを想像してもなかなか具体的な風景が浮かばないのは少々閑散とし人の形跡が感じられない雰囲気のためだろうかと思いながら、坂を上がる。

動線の拡張として線を建築化していくコンセプトで生み出される建築は様々あり、「ホキ美術館」の様に、使い古されたそのコンセプトにそれでも新しい建築空間の可能性があったことを教えてくれる素晴らしい作品も生み出されている。

そう考えていくと、この建築がその提示した大きな物語と構えを実際の空間として昇華させるだけの力、つまり内部空間も流れるような空間として、狭め膨らみを与え、外部に広がる様々な自然との出会いを演出しながら、展示空間として豊かな体験を作り出したかと言えば疑問符がつく。

あちらこちらにちりばめられた建築のエレメント。ずれた床や、上昇するスロープや、うねった壁面。建築家としてやりたいことがあれもこれもとある時期に、それをいかに制御するか。その能力はやはりいくつもの生生しい建築設計という職務の中で培われるものなのだろうと納得して坂を下りていくことにする。






































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