--------------------------------------------------------
所在地 高知県高知市一宮
主祭神 一言主命(ひとことぬし)、味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
通称 高賀茂大明神、しなねさま(志那禰様)
本殿の様式 入母屋造
社格 式内社(大)、国幣中社、土佐国一宮、別表神社
創建 (伝)第21代雄略天皇4年
機能 寺社
--------------------------------------------------------
夕闇に街が包まれ始めたころ、高知市内から南国市に抜ける幹線道路は慢性的と思われる交通渋滞が発生する。これは特別な原因によって引き起こされているというよりも、構造的な問題で、ソフトとハードの不一致が引き起こしているものを思われる。
そんな渋滞につかまりながら、今回の旅の中で訪れる寺社のうち、最も期待をこめていたこの土佐神社に日があるうちにいけるのかどうかやきもきしながらナビに設定した「土佐神社駐車場」がすぐ近くにあるのになかなか進まない車の列の中で空を見上げる。
ナビの恐ろしいところは、そこに道がある限り通れるものだとするもので、それがどれだけ細く、どれだけ通り抜けにくいかは考慮しない。今回も同様で、幹線道路から入るように示されたのは軽自動車でもギリギリの幅で、さらに再度には住宅の塀が建っている道。しかもどうやらこれは一方通行ではないようで、対向車がきたら一環の終わりという雰囲気。
「ナビがいうのだから、間違いないだろう」と湧き上がる不安を抑えながら先に進むが、10mも進まないうちにギブアップ。道沿いの民家のガレージに頭を突っ込み、何度も切り返して方向転換。冷や汗をかきながら先ほどの幹線道路に戻り、先ほどよりかなり暗くなった空に「ここまできたのに、今日は無理か・・・」とがっくり肩を落としながら近くのコンビニに車を入れる。
地図を見てみると、どうやら参道はすぐ目の前から伸びているようで、「明日の予定を狂わさないためにも今日のうちに」と駆け足で、未だ渋滞の続く道をわたることにする。
このエリア。全国の旧国の一宮があった地域に見られるように、電信柱を見ても住所表記が一宮の様であるが、その読み方は一宮(いっく)というようである。不思議なものであるが、暗闇にシルエットが浮かび上がる立派な神門の後ろにまっすぐに伸びる参道が、この場所が一宮としての風格をかもし出している。
この土佐神社。「古事記」や「日本書紀」に記述されており、少なくとも675年の飛鳥時代には存在していたことが分かる。伝承によれば、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう、第21代)が狩りをしている最中に一言主神と出会うが、その不遜な振る舞いの為に一言主神を土佐に流したという。その流された一言主神は土佐で「賀茂之地」で祀られるのだが、その場所が先ほど訪れてきた浦ノ内湾に面した鳴無神社だとされる。そこから祀り変える地を選ぶために神が投げた石が落ちたのがこの現在の土佐神社境内であり、その石が有名な「礫石(つぶていし)」だという。
そんな訳で相当古い由緒を持つ神社であり、歴代の領主もまたこの神社を保護し、現在の社殿は戦国大名の長宗我部元親によって造園されたものという。
また高知市の中でも重要なハレの場として庶民から愛されてきて、久礼八幡宮(くれはちまんぐう)の久礼八幡宮大祭、秋葉神社の秋葉祭りとともに、土佐三大祭の一つとして数えられるのがこの神社の志那禰祭(しなねまつり)という。
まだギリギリ日が落ちきっていないこのトワイライトの時間帯。暗くなるまで後数分という緊張で、気持ちの良い長い参道も逆に「何故、こんなに長いのか・・・」と苦々しく思いながらダッシュでたどり着く、鳥居と境内。左右に手を広げて正面拝殿が前にせり出してきている独特の形の本殿。そのせり出しは島根の美保神社(みほじんじゃ)を思い出させるなと思いながら、誰もいなくなった夕闇の境内で一人拍手を叩く。
本殿の左右には三社殿が鎮座し、その後ろから背後に広がる社叢が頭を除かせる。細い道からその鎮守の森へと入っていくとおもむろにご神木である大杉が視界に飛び込んでくる。人目につく境内ではなく、あくまでも社叢の一部としてひっそりと佇むその姿になんともいえない存在感を感じ、一人静かに手を合わせる。
さらに進めていく上記にしめした礫石(つぶていし)が祀られている。脇を通り再び境内に戻ってくると、周囲の闇はさらに濃さを増している。昼と夜の境目の時間に、こうして境内という日本人が作り出した特別な境界線の空間に佇むのはやはり何か自らの身体も闇の中に溶け込んでいくのではと思うような不思議な感覚に陥ることができる。
これで本日予定していた日の下で見るべき建築と寺社は回りきり、後は夜の部として繁華街とその周辺でこの街の今を感じ取るだけだと、今度は焦って走る必要もなく、先ほどの参道をゆっくり歩いて戻ることにする。するとその参道脇の側溝に水が流れることなく干上がってしまっているのが目に付く。神域は清らかな水があってこそで、この神社の様の背後にこんもりした森を抱えていれば、その水の恵みは途切れることが無いのではと思いながら、少々不思議に思って車へと戻ることにする。
ご神木の大杉
礫石(つぶていし)
0 件のコメント:
コメントを投稿