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所在地 高知県南国市国分
山号 摩尼山
宗派 真言宗智山派
創建 756年以前
開基 行基
別称 土佐国分寺
機能 寺社
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四国八十八ヶ所霊場29番札所
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国府総社神社を目的地としナビに設定し、岡豊城を出発するとすぐにとんでもない田んぼ道を進まされる。軽トラック一台がギリギリ通れる様な細道に入り込み、前方からは軽自動車が進んでくる。なんとか横の公園に車を入れてやり過ごそうとするが、どうにも切り替えせず苦戦しているのに対して、対向車はこの付近の郵便局の車らしく、社内では若い女性が悠々とお化粧直しをしている。
「朝から困ったな」と季節はずれの冷や汗をかきながら何とか切り返しをしていると、対向車の後ろについた軽トラックからおじいさんが降りてきて、郵便局の車の女性に「あんた、動いてあげなよ!」と渋滞解消への催促をしてくれる。そのお陰でなんとか窮地を乗り切り、その後も続く不思議な細い道を「対向車よ来るなよ・・・」と祈りながら抜けて幹線道路へとたどり着く。
そして前方に見えてくるこんもりした鎮守の森。「あれこそ目的地に違いない」と思って駐車場に車を入れるが、どうやらここはお遍路さんの立ち寄り寺院である国分寺( こくぶんじ)であるようだ。駐車場には早朝というのに少なからぬ車が入ってきて、「早く着替えないと!」と白装束を楽しそうに羽織る団塊世代のおじさんの姿。
「自分の目的地はここではない」と境内の前で掃除をしているおばあさんに「すいませんが、総社はどこですか?」と聞くが、「えー、耳が悪いんでね、大きい声でいってくれますか?」ということなので、朝にしてはかなりの大声で再度聞くと、「あー、この先の、あの電柱のところですよ」と言われる。
せっかくだからと、お礼をいって総社に向かう前にこの寺院を参拝していくことにする。恐らく遠くない将来に、自分もきっとお遍路を巡るのだろうとは思っているのが、今はその時期ではないとあまり視界に入れないようにしていた八十八ヶ所巡り。境内に相当するいる高齢者の団体はやはり皆楽しそう。何冊も記帳をしてもらっているおばさんの姿を横目に、相当立派な境内を巡り本堂へお参り。
この地は「土佐日記」で知られる紀貫之(868〜945頃)が、国司として赴任した国府からすぐ近くで、中世の時代に政治と文化の中心として栄えた場所だと言う。「国を分ける寺」と書いて国分寺というその名から見て取れるように、由来も古く、聖武天皇(在位724〜749)が書写したお経を納めるために全国にて建立されたのが国分寺の由来だという。
寺院の裏のこんもりとした森の姿や周辺ののどかな田園風景を眺めると、この場所ががこの地域の風景の一部としてすごして来た悠久の時間と、その間にこの境内に訪れた数々の白装束に身を包んだ参拝者の姿に思いを馳せて、「いつかまたお遍路でここに足を運ぶことがあるのだろうな」と思いながら境内を後にする。
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