「ちょっとここ読んでみて」と妻に蛍光ペンで引いた数行を見せる。
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自分の精神が饐(す)えてゆくことは避けたい。世知や常識にくるまってしまう自分を憎悪し、みずみずしさの残った感覚の棘(とげ)で虚空を搔(か)きたい。傷ついた虚空から何が滴り落ちてくるのか、それをみたい。蒼天(そうてん)のしずくが地表に落ちて赤い花と化す、そのような時に接したい。
---自分はまだ何も成していない。
花と化せば、いつ滅んでもよい。感覚がそういっている。
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「恐らく、この一節を世に届けることがかなり大きなモチベーションとなってこの小説を作らせたのではと思うんだ」と伝えると、「なかなか良い言葉だね」と妻。
そんな「これがこの本の後ろに見える著者の思想だろう」と思われる気合の入った数小節を見つけること、それが現代に生きながら、遥か時空を超えた日常を描く時代小説の一つの愉しみであることは間違いない。
冒頭に出てくる
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たれも士会の懸命な姿をみていなくてもよい。自分がどういう気持ちで何をしたのかは、自分がもっともよく知っている。自分を裏切ることだけはしたくない。
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この一節もまた著者の信念が滲み出る。
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士会は戦場を局部とみなさない。一つの小さな戦いが伏流を発すると考える。その流れが必然をつくり、大きな何かを地上に出現させる。それゆえに士会の脳裏にあるのは空間の多角だけではなく、時間の多角もあろう。
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碁盤の上に広がる無限の広がりを思わせるこの一節もまた、情報と技術が限られた時代に、戦場と言う広がりを持った状況を、時間と空間の広がりを持って理解し、分析し、対応することができた人間こそが、すぐれた将として歴史に名を刻んできたことを理解し、そこから何を学び、そして今我々が生きる時代に何を写し取るか。
そんな過去を生きた題材として向き合いながら、今の時間を生きていく。
そんな風に、生き生きとした「かつてそこにあった現実」として古代中国を捉え、そして少しずつでもその場に自らの身体を置いてみて、かつてそこで繰り広げられたであろう風景を、こんな歴史小説の想像力を借りながら自らの脳裡に再現してみる。
そんな実感を伴った歴史の楽しみ方。「晋(Jìn)」が山西省のナンバープレートだと思うのと同じくらいに、春秋時代の一角を担った様々な人材が描いた爽やかな風景を、荒涼とした大地の中に見つけていく、そんな旅に出かけようと思いながらページを閉じることにする。
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