承德(しょうとく、Chéngdé)。北京市とその南東に位置する天津市をぐるりと取り囲む様にしているのが河北省(かほくしょう、Héběi shěng)。その名の通り、黄河の北にある省である。旧称冀州(jìzhōu)から、略称は「冀(キ、jì)」。その為にたまに北京市内で河北省の車を見ると、どうしても日本人にはそのナンバープレートの感じが「糞」に見えてしまい、ついつい目が行ってしまう略称でもある。
省都とは南に位置する石家荘市(せっかそうし、Shí jiā zhuāng)。他の主要な都市として挙がるのが、東に位置する唐山市(とうざんし、Táng Shān)、北西に位置する張家口市(ちょうかこうし、Zhāng jiā kǒu)、そして北に位置するこの承德市(しょうとく、Chéngdé)。
中でのこの承德は清時代の皇帝の離宮である避暑山荘(ひしょさんそう、Bì shǔ shān zhūang)とそれを取り囲むようにして配置される外八廟(がいはちびょう、Wài bā miào)が1994年に世界遺産に登録されたことにより、観光シーズンには多くの観光客が訪れる街として知られている。
地理的には北京から250キロの距離にあり、大体東京と名古屋の距離感と同じくらいである。しかし名古屋の様に整備された新幹線が通っており、2時間近くでたどり着けるような交通は発達しておらず、北京から快速でも4時間半、鈍行であれば6時間もの時間が必要ということで、北京にいる人でもなかなか足を運ぶことに躊躇する場所でもある。
歴史的に見ると、清の第4代皇帝である康熙帝(こうきてい)が夏の間はこの地で政務を執るために整備した避暑山荘の為に、それ以降首都の北京に対し、副都の様な役割を担っていったという。
その離宮の整備の為に、中国全土の様々な名勝地がモチーフとされ、その世界のミニアチュアとして多くの風景が再現される庭園が広大な敷地の中に展開され、それを取り囲むように様々な様式をまとった寺院が配置されている。外八廟というから8つの寺院なのかと思うとそうではなく、全部で12の寺院を総称して呼ばれるようであるが、実際に現在公開されているのは6つの寺院である。
その中でもチベットのポタラ宮を模して造られた普陀宗乗之廟(Putuo Zongcheng Temple、ふだしゅうじょうしびょう、pǔ tuó zōng chéng zhī miào)はチベット様式と中国様式の建築を融合させて造られた非常に珍しい建築のしており、その為に、小布達拉宮(小プタラ)とも呼ばれている。
日本の神道、仏教の建築の流れを理解するためには、中国での仏教と道教の流れを理解しない限りなかなか難しいということで、できるだけ体系立てて様々な建築を見ていくと決めたからにはこの地はやはり外せない場所である。
そんな風に思いながらもやはり交通の不便さでなかなか手が出せずにいたが、一年に数回ほど訪れる、「今週末の1日はオフィスに出なくても大丈夫そうだ・・・」という予感が背中を押し、中華新年前の帰省ラッシュに巻き込まれる前に夜行列車を利用して何とか日曜日には出勤できるようなスケジュールを立てられないかと週の中ごろから模索しだす。
時刻表を調べてみると、北京で深夜1時半発の電車に乗れば、朝の8時に現地に到着。そうすれば1日あちらこちらを回り、そして夜の22時現地発の電車に乗れば、北京に深夜の3時に到着できて、家に着くのが4時だとしても午後からオフィスに出られそうだと判断し、チケットを探し始める。
さすがに最近の電車は夜行電車でもリクライニングになっていて途切れ途切れでも睡眠が取れるだろうとオフィスのスタッフに頼んで切符を購入してもらうが、残念ながらその時刻のチケットは売り切れで、その代わりに少し早めの深夜0時発のチケットを購入。
これはなかなかタフな旅になりそうだと思いながらも、久々に一人知らない場所に足を踏み入れる高揚感を感じながら金曜日の夕方に少々早くオフィスをで、そわそわとしながら夕食の用意と共に車中様のおにぎりの為に鮭を焼いたり、水筒を準備したりと同時に、肝心要の寒さ対策を講じ、帯同する本などを選択して仮眠。22時過ぎに起きてバスを乗り継いで真夜中の北京駅へ。
待合室は帰省の為に多くの荷物を抱えた中国人で混雑する中、ベンチを見つけ電車の到着を待つこと一時間、定刻どおりにやって来た電車に乗り込むために改札を通過。この電車は河北省の省都である石家荘発承德行きなので車中は既に人の群れ。日本と違いカップラーメンを食べたりタブレットで音垂れ流しで映画を見ていたり、カードゲームをしたりと、「ああ、やはりこういう列車か・・・」とかなりタフになりそうな行程を思い描きながら指定された席へ。
向かいの人は乗車前に忘年会でも行ってきたのか、顔を赤らめかなりの上機嫌で息遣いも激しい。そしてその息がかなりのニンニク臭・・・。その上、「どこまで帰るんだ?」と人懐っこく話しかけてくるので早速眠りに落ちたフリでごまかすことにする。
定刻どおりに出発した電車は、窓の下に設置されたヒーターによって相当な温度。硬い椅子と狭い座席に苦労しながら何とか身体をよじり上着と中に着込んできた服を脱ぎ、明るいままの車内で、ところどころから周りの人お構いなしの大声での会話をなんとか耳に入れないようにと集中して眠るように心がける。一応荷物への意識を保ちながら、足元にバッグを絡めて浅い眠りを断続的にとることに。
しかし6時間といえば、飛行機で言ったら相当な場所までいける時間であるだけに、ところどころでの停車駅でなんとか身体を動かし、水筒のお茶をすすり、ヒーターで汗ばむからだの水分調節をして耐え凌ぐ。そんなことを繰り返しているうちにそれでの疲労の為に眠りに落ち、気がつけば朝の6時過ぎ。外の空も白んでくる頃に承德到着。
帰りは何とかこの辛い行程を避けたいと思いながら、まだぼうっとしている頭のまま見知らぬ街の中央駅へと降り立つ。駅周辺は旅行客を捕まえようとするホテルとタクシーの客引きが大挙しており、騒然とした雰囲気の中、まだ早すぎる朝の時間をどうしようかと地図を開きつつ、周囲で落ち着いて朝食を食べれるところがなさそうだと思いながら、せっかくだから目的地の避暑山荘近くまで行ってその周辺で朝食を食べ、開門と同時に中に入ってしまおうとタクシーに飛び乗ることに。
「朝食を食べたいから避暑山荘周辺まで」というと、「あそには何もないぞ・・・」と言いながら、すぐに携帯で私用の会話を飛んでもない大声で話す運転手。「きついな・・・」と思いながら到着する避暑山荘周辺はやはり朝食が食べられる場所は無い様で、しょうがないので中心街へと周ってもらうことにする。
その後避暑山荘まで歩いていく途中、停めてある車のナンバープレートの略称が見事に「冀(キ、jì)」なのに、少々気分も上がり、1日良い散策になることを期待する。
外八廟とういので、てっきり8つの寺院があるのかと思えば、実際には12の寺院があるという。その為に、せっかくだから全部周ってやろうと昼も取らずに必死に歩き回っていたら、現在公開されているのは6つの寺院だけと言われ、思ったよりもはるかに早く見終わることに。
帰りの電車が夜の22時発で、散策を終えたのが14時過ぎなので、他にこれと言って見るところも無さげであるし、何より疲労がかなりのものなので、何とか帰りの電車を早められないかと再度駅へと向かい、窓口で早い時刻の電車に変えることと、できればもう少し楽な座席にしてもらうことをお願いしたら、19時過ぎ発の便は快速で4時間半で北京に着き、なおかつ寝台車だというので逸れに変更してもらう。しかも追加料金は発生せず。不思議に思いながら中心街にバスで戻り、遅めの昼食をとり疲労回復に努める。
電車の時間まで中心街を散策し、ほぼこの街の構成がどのようになっているのかを理解し、バスで夜の駅へと向かい、定刻どおり乗り込んだ電車は快適そうな寝台車。発車と動じに眠りに落ち、計25キロ近く歩いたために身体への疲労も相当に溜まっていたらしく、途中目覚めることをほとんどせず、「あと少しで北京だ」という係の人の声で目を覚まし荷造りをし無事に北京に戻ってくる。
やはり大都会に戻ってきたという安心感を感じながら、運行最終のバスに乗るために、近くのバス停まで歩き、ほとんど利用客のいないバスに乗り込みながら、満洲族による征服王朝の一つであった清朝、その清時代の代表的な年である承德を改めて振り返り、離宮に世界のミニアチュアであるコピーとしての風景を作り出し、決して自分達で新たなる価値を生み出すことに至らなかったことと、元を追い返し、現代まで残る強烈な都市軸や都市の風景を生み出した人向かいである明朝との文化的差異を思いながら、長い1日を終えることにする。
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