安遠廟から坂を下り、再度同じような坂を上りながら歩くことまさに20分。たどり着いたのはこの度最後の目的である普楽寺(ふらくじう,pǔ lè sì,普乐寺)。
さすがに身体もクタクタで、見学後駅まで向かう手段を段取りしてしまおうと係の人に「タクシーを捕まえるにはどこまで降りていかなければいけない?」と聞くと、「山を降りて線路を越えて幹線道路に出ないと難しいね」というので、さすがにげんなりして、「それならタクシーを呼んでくれないか?」と頼むと、「そういうサービスはしてないんだけど、特別に個人として電話してみるから、先に見学して、帰りにここに寄ってくれ」と優しい言葉をかけてくれる。
「まぁこんな冬場に、しかもマイナーなこの寺院にやってくる物好きもそう多くは無いのだろうな・・・」と思いながら、すっかり重くなった足を引きずるようにして境内を巡ることにする。
午前中に巡ってきた寺院同様、これも南側が中国様式、北側がチベット様式の折衷タイプ。清王朝と各地の少数民族との関係が安定し、頻繁に欠く民族の代表がこの地に皇帝に謁見するために訪れるようになり、それに伴い彼らを受け入れる施設として建設された寺院の一つである。
承徳市東部を流れる武烈河の東岸に建ち、境内からは避暑山荘を初め、街の構成が良く見て取れる。
境内の一番後ろの壇上にだった場所に建てられているのは馴染みのある建物そっくりで、調べてみるとやはり北京の天壇公園内部にある祈年殿を真似て造ったという大きな円形の建造物が特徴的である。この円形からこの寺院の俗称は「まるい亭」というらしく、先ほどの安遠廟の四角とよい対比を描き出している。
見学を終えて先ほどの係員事務所に戻って聞いてみると、「タクシー会社に電話したけど、呼び出しのサービスはまだやっていないから無理だって言うんだ。申し訳ないね」と。あふれ出そうな様々な言葉をグッと飲み込み、「その代わりじゃないけど、お湯を水筒にもらえるかな?」と空になった水筒にお湯を注ぎ足して貰い、お礼を言って坂を下りていくことにする。
坂を折りきり、線路をくぐろうとするとちょうど先ほどの安遠廟方面から一台のタクシーが下りてくる。「この好運を逃すまい」とタクシーを停め、夜の22時過ぎ発の電車のチケットをどうにか早められないかと一度駅に向かうことにする。
朝から歩き回ってきた総距離は既に25キロにも達しており、それは疲れるわとウツラウツラしていると早朝の闇の中で到着した承德駅へ。脇に設置されているチケット販売所に行き、時刻をできるだけ早いものにしたい、来るときに硬座だったのでできれば横になれるような寝台に変えたい、そしてできるだけ短い時間で北京に戻れるようにと3つの要望を伝えると、「19時発の便が空いているからそれにしなよ」というのでチケットを変更してもらう。
これでなんとか今日中に家に戻れそうだと安心し、余裕ができたので今度はバスで市の中心部へと戻り遅めのランチを取り体力を回復させ、今度は市内中心部を歩きまわって現代のこの街を理解することにする。
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