高知県立牧野植物園
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所在地 高知県高知市五台山
設計 内藤廣
竣工 1999
機能 博物館
規模 地下2階、地上2階
構造 S造一部RC造
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第13回(2000年) 村野籐吾賞
第16回(1999年) 高知市都市美デザイン賞特賞
第42回(2001年) 毎日芸術賞
第42回(2001年) 建築業協会賞
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この感想を書くのあたり、体験を消化するのと、それを言葉にするのに相当な時間がかかってしまったことが、これをアップするのが大幅に遅れたしまった原因でもある。それくらい壮大な建築であり、素晴らしい建築体験であったということであろう。
今回行き先を高知に決めたことの大きな理由が「海のギャラリー」であったが、この建築が無かったらその決断も違っていたかも知れないと思う大変期待値の高かった建築。数々のメディアや著書などでこの建物の概要はよく分かっていたが、実際建物がどういう機能でどのような使われ、どこに配置されているのかはよく分からなかったまま現地に到着。
そうすると、分からなかったのも納得ということで、建物は広大な自然公園として保存されている「高知県立牧野植物園」の内部に位置し、しかも牧野富太郎記念館本館と牧野富太郎記念館展示館という双子のように似ているが、どうも異なっている建物が敷地の中に二つ建っているという訳である。
その為に事前の調査では、「二つなんだか違う建物があるようだけど、違う場所にたっているのかな?」などと心配することになったはそのせいかと納得しながら内部に足を運ぶ。
恐らく個々最近では一番その作品を見て回っている建築家の一人であろう内藤廣。そのキャリアと主要作品を見てみると
1984年 ギャラリーTOM(東京都)(34歳)
1992年 海の博物館(三重県)(42歳)
1997年 安曇野ちひろ美術館(長野県)(47歳)
1997年 うしぶか海彩館(熊本県)
1999年 十日町情報館(新潟県)(49歳)
1999年 牧野富太郎記念館(高知県)
2002年 フォレスト益子(栃木県)(52歳)
2002年 ちひろ美術館・東京(東京都)
2002年 九谷焼窯跡展示館(石川県)
2004年 みなとみらい線馬車道駅(神奈川県)(54歳)
2005年 島根県芸術文化センター(島根県)(55歳)
2006年 二期倶楽部 七石舞台【かがみ】
2008年 日向市駅と駅前広場(宮崎県)(58歳)
2009年 高知駅(高知県)(59歳)
2009年 山代温泉「新総湯」(石川県)
2010年 和光大学E棟(東京都)(60歳)
2010年 練馬区立牧野記念庭園(東京都)
2011年 旭川駅(北海道)
「海の博物館」から7年後、「島根県芸術文化センター」の5年前で、50歳と言う節目を前にして竣工を迎えたプロジェクトであり、高知県という地方政府の文化的威信をかけた想いを一心に受け止めて成し遂げた作品と言えるのだろう。
2001年から助教授とした就任した東京大学工学部土木工学科への道となる、建築という枠をはみ出し、より環境へ、より土木的なスケールをもって敷地に対峙する手法が確立されていった時代の重要な作品を位置づけてよいであろう。
構造や設備、内装、機能、照明など建築設計に関わる様々な事象はあくまでも建築という概念の内部に包括されるものである。しかし、環境という側面は逆に建築時代を包括するより大きな概念として存在する。その環境を視野に置くことで、建築の設計のあり方自体がどう変わってくるのか、そんなことが問われたこの20年。誰もその答えを建築作品として出していないと言われるが、その答えに一番近い場所にいるのがこの建築だと言っても過言ではないだろう。
太平洋に向き合った高知市。そこから雄大な海の先からもたらされる過酷な自然の猛威。雨、風、台風といった人間の力を遥かに超えた要素は、自然の恵みという側面から急に表情を変え、人間の作り出した建築に大きな圧力をもたらす事になる。
そんな外からやってくる様々な脅威に対して、周囲をがっちりと固め、ひたすらシェルターの中で過ぎ去るのを震えながら待つように、堅いコンクリートで厚い壁を立て、外部との接触をできるだけ少なくする小さな開口部で内部と外部を遮断するのでは、脅威としての表情を緩めたときの自然の恩恵を十分に建物内部に取り込むことはできなくなる。
では、どうやってそのバランス、建築と外部環境の季節や天候によって変化する関係性をバランスしながら、一番豊かなつながりを作り出せるか。それは建築に関わるものとして長年の課題であるのは間違いない。
そんな中で、高知市の海沿いの小高い丘である五台山の上という、環境的には非常に過酷な条件を与えられた敷地では、このことが一番大きな課題として設計の開始点として設定されたと言う。
どんなに強い風が吹こうとも、しなやかに枝を靡かせつつ、大地にしっかりと張った根と葉を支える幹で耐える木々。
どんなに激しい雨が降り注ごうとも、川の流れを速めるように、留めることなく流れの一部をして水を台地に循環する森。
どんなに強い日差しが照りつけようとも、覆われた枝葉の下に心地よい陰を落とし、足元の川の上を吹きぬける風で心地よい通風を作り出す自然の生態系。
そんな風に、どんな気候にもあくまでも環境の一部として対抗するのではなく循環すさることで共存する、そんな自然の姿にも形があるように、そこから学びとられた自然の本質をじっくり把握し、人工物として自然の中に投げ込まれる建築が、如何にその周囲の環境の一部として循環の中に溶け込むことができるか、それが終着点として設定されようである。
起伏を持つ地形の上に、まるで地形をオフセットしたかのように大きな屋根がかけられる。しかもその屋根の庇は地面ギリギリの高さに押さえられ、外部からはほとんど形態を認識することは難しい。どれだけの雨の量を一定時間に処理するかが屋根の勾配を決めているのは建築の歴史の必然であるが、庇の低さと屋根勾配から導き出された最高高さが中心に持ってこられ、それを左右対称として作り出された家型が雨と風の流れに屈折点を作り出さないように円形を持って中庭を取り囲む。これが基本形。
本館と展示館と言う二つの建物を必要とする要求と、そしてそれぞれの敷地の微妙に異なる地形形状、そしてそこに与えられる風向きなどの外的影響を踏まえて、その基本形が徐々に変形させられる。
入り口を入って最初に遭遇する「本館」では、整備された駐車場とアプローチの直線に対して受けるように、ほとんど認識することが難しいほどの直線のラインをくぐってまずアプローチする中庭。この中庭の中心には円形に開けられたヴォイドから地下レベルに植えられた植栽の枝葉が見えることになる為に、未だに建物の外形がどんな風かを知る術は無い。そしてこの中庭を見えることによって、無意識に建物自体も円形なのかと思い込んでしまう。
建物は中庭に面した部分に大きな庇によって作られた日陰空間があり、その後ろに円形にそって展示空間やカフェやチケット売り場が設けられる。円形を閉じてしまうと閉塞感が生まれることと、風の流れを閉じ込めてしまうことからか、3箇所切断することでまたしても全体を把握すべは隠される。
建物内部より階段を下りて地下に降りていくと、円形の中庭に対し、展示室なら円状の空間で対応できるが、それ以外のレクチャールームやオフィスなどといった通常の矩形の機能空間が要求される部分に対しては未だ見えない外部の長方形が利いてくる。つまり一部円形と直線の間の不整合な空間が残っている。このことが唯一この建物の内部外形が円形で、外部外形が矩形だということの痕跡であり、それは建築を生業にしていても、よっぽど空間を俯瞰しながら内部を歩かない限り像を結ばないことであろうと思いながら再度メインのテラス空間へと戻る。
中庭を中心とした広いテラス。その上に円形ではあることで直線であったら相当な距離となる直線が、円ということで身体スケールに抑えられて手の届きそうな空中に雨樋として浮いている。この浮遊感と身体スケールの操作。浮遊感を出すために、庇の垂直加重をさせる構造部材は、ゴツイ素材を二つに分割することでスケールを押さえ、さらに垂直の雨樋と同じスケールに抑えられ、建築の要素から、さらに付属的な部分としてのスケールに変換させられる。
浮いている屋根は、同時に大量の雨を処理する面でもあり、その勾配は雨の道をどう設計するかに繋がっていく。もちろん雨は勾配屋根の下に向かって流れ、一番したの横樋によって水平線の中のいくつかの点に運び込まれる。空中に浮かんでこのいくつかの点からどうにかして大地に戻し、排水ルートに乗せて、川へ海へと循環させてやらなければいけない。気候変動の激しい現代においては、短時間にあまりに大量の水が降り注ぐ。その循環作業に対応できない建築は、雨を強烈な加重として屋根に受け止め、漏水だけでなく様々なストレスを受けることになる。
そのために空中に集められた水を再度垂直に大地に落としてやるのだが、あくまでも浮いている屋根を強調するためにこの樋はデザインされる。横に流れる水ではなく、縦に落ちる水。そのスピードをデザインに取り込み、水平に垂直の運動を組み込む。その為に樋はその下に用意された水盤から少し浮かされ、樋の中では水が流れているのだと言う不可視の現象を目の前に顕在化するデザイン。これは唸った。「うーん」と言いながら、それぞれに水盤に植えられる植物が変わるその縦樋を一つ一つ追いかけながら気がつけば一周する。
こういうことがデザインなのだと思う。機能という、建築の歴史のなかで誰もが疑問を持たなくなった部位に対して、その本質の働きを理解し、何を操作し、何を得るのかを自分なりに認識し、その中で新しいデザインの可能性を模索する。素晴らしい。
このテラスではもう一つ。円形のテラスに対してそれを覆う床材は木製のストリップ。同心状に張っていけば、半径の小さな内側と半径の大きくなる外側において、どうしても板の間に隙間ができる。それが石でもタイルでもなんでも同じであるが、デザインと建材や施工性という現実をどうバランスをとりながら新しいものを作り出すか。それが建築家の手腕なのだろうし、この問題は恐らく世界中のどの建築事務所でも多くの人が頭を悩ましながら考える問題である。
中心の中庭のヴォイド付近は、同心円状。その周囲に円心状に一枚だけ板を回し、そこから外は入り口の軸に沿った直線で張っていく。中庭周囲の一部には土がいれられ、植栽が可愛らしく栽培されているのを見てみると、この部分のデザインだけでも、それなりに経験がある担当者が、かなりの時間をかけて検討して決定がされたのだろうと思うと、設計事務所としての能力の蓄積は凄いものだと感心しながら先を進む。
この中庭から見る建築の姿が、恐らくこの建築に対し一番外形を多く見れるポイントであると思われるが、それでもその全景を捉えることはできない。つまるフレームに建築を収めきれない。これは20世紀と言う写真によって建築が全世界に広まったモダニズムに対する隠された批判であるだろうと勝手に想像する。写真というメディアのフレームに収まること、分かりやすい外形を持つことによって、その概念を世界のより多くの人間に知ってもらう。その建築の消費が加速した20世紀を踏まえ、今の時代を受ける建築家が何を考えるのか。そんな問いかけを背中に感じながら次の「展示館」へと足を進める。
この「展示館」。同じように見えるが今度は中庭がサンクン・ガーデンとなってはおらず同じレベルに設定されているのだが、ウッド・デッキの縁が切られ、その中心に庭園と大きな水盤が配置される。ちなみにこの水盤は美術家の田窪恭治の作品だと言う。その庭園は地形にそって徐々に下に下がっていく。その動きにあわせそれを取り囲む建築の屋根も下がっていく。
ちなみに建築の内部空間も地形に沿うようにして段々と下がっていき、その上には大屋根が緩やかなカーブを描きながら、まるでとぐろを巻く龍の腹を下から覗いているような感覚にさせられる。
こちらでは水盤という強烈な水平面が挿入されることにより、目視ではほとんど認識できないほどの緩やかな屋根の勾配が絶対的な水平面に対比されることで一気に意味を拡大さえさせる。そしてその水盤の後ろ側から聞こえてくるチョロチョロとした音。高さを変える水の落下距離のが制御するその音がその奥に谷として落ちていく自然の地形を聴覚に届けることになる。
内部空間が地形の最低部においては外部に飛び出し、地形を利用した建築の歴史的形態であるアンフィシアターとして大屋根の下に現れる。その先にあるのは、自然の一部の自然な形態としてひたすらその姿を隠していた龍のように、ついに全貌を露にする建築の姿が見れる場所があるのだろうと期待を膨らませる。
二つの建物ともに、円形であるが屋根がすべて繋がっているのではなく、両者とも一部にてUの字のように屋根が開いている。本館ではその開いた先は次への動線を指し示すように。そしてこの展示館では、この二つの建物の本質を見せる場所と、そして眼下に広がる高知市の街並みを見晴らす展望台へと誘うように。
ここまで何度も何度も重複して語られてきた雨の道。勾配が自然に対応し、形態が水を流す横と縦の操作。その屋根の物語の最終章として、屋根と大地の関係、屋根と通ってきた水が、先ほどの縦樋とは違って建物の短部としてどのように処理されるのか、そんな期待をもって地形を降りていく。
恐らくこんな想いをもってここ端部を見に来るのは相当な変わり者なのだろうが、それでもやはり何かを期待してしまう。しかし、どこを探しても自分の求めていた最後の処理は施されている様子はなく、あくまでも大地の延長としてのコンクリートの塊が軽い屋根を支えているという表現がそこには残されていた。
最後の最後に残念だと思う気持ちはあるものの、それでもこの建築は現代建築の枠に留まらず、建築の歴史の中でも相当な場所に位置する建物であるのは間違いない。この作品での経験がその後建築家に今までとは全く違った風景を見せていったのだろうと思いながら、我々も少しでも早くその境地にたどり着けることを楽しみに駐車場へと足を向けることにする。
五台山
牧野富太郎記念館展示館
牧野富太郎記念館本館
作/田窪恭治(美術家)
作/田窪恭治(美術家)
作/田窪恭治(美術家)
作/田窪恭治(美術家)
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