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所在地 鳥取県境港市新屋町
設計 菊竹清訓
竣工 1985
機能 宿泊施設(ホテル)
構造 SRC造
規模 地上8階
敷地面積 4,959㎡
建築面積 1,670㎡
延床面積 6,442㎡
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凍てつける吹雪から逃げるように港境から産業道路を通り、弓ヶ浜の防風林を左手に見ながら米子市内に向かうと、右手前方に明らかに異様な建物が見えてくる。円柱の上に方形のボリュームが載り、大きなキャンティレバーを形成し見晴台の様な形をしているが、その規模があまりに巨大。
これが目的のホテルに違いないと、駐車場に車を入れ様子を伺うが、どうもホテルとして営業をしている様子が見受けられない。しかし閉じている様子も無いので、なぜか金色でピカピカに彩られら、天井は鮮やかな青色という不思議なエントランスを抜け、ロビーに入るがかなり暗く、それこそどこかのロードサイドの怪しげなモーテルの様な雰囲気。
その雰囲気は嫌いじゃないので、奥まで見に行ってみるとやはり営業は行っているらしいので、余り邪魔にならないようにとそそくさと外に出る。
さて、この建物。今回の山陰巡礼で多く見てきた菊竹清訓の作品。再度年表を見てみると
1958年 スカイハウス(30歳時)
1963年 出雲大社庁の舎(35歳時)
1965年 東光園(37歳時)
1965年 徳雲寺納骨堂 菊竹清訓(37歳時)
1968年 島根県立図書館(40歳時)
1975年 パサディナハイツ(47歳時)
1976年 西武大津ショッピングセンター (48歳時)
1976年 松見タワー (48歳時)
1985年 境港マリーナホテル (57歳時)
1999年 島根県立美術館(71歳時)
極めて工期の作品に当たるようである。宿泊している「東光園」からはまさに20年の月日が流れた日に設計が行われた作品。初期のころの作品に見られる、なんとか建築の歴史に新しい一歩をという執念の様なアイデアと、時代を反映し技術を駆使した様々なディテールへの情熱。それらがどこかの段階から作品の中から消えて行ったことが良くわかる。それは同時に建築と言う極めて個人に追う部分が多きな職能で、オフィスの拡大とプロジェクトの規模の拡大、それに建築家自身の社会の中での役割の変化に伴い、設計過程への関わり方が変化したことが最終的な建築にどの様な影響を及ぼすかをよく締めていているのだと勝手に理解しながら建物を後にする。
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