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2014年4月9日水曜日

救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour) 1883 ★★★


長かったモスクワでの建築訪問もこれが最後の目的地となるのが救世主ハリストス大聖堂(Cathedral of Christ the Saviour)。「ハリストス」とは「キリスト」の現代ギリシャ語・ロシア語に由来する転写であるといい、つまりはキリスト大聖堂ということである。

これはその名前から分かるように、ロシアのモスクワにある正教会の大聖堂であり、ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂でもあるという、かなり権威の高い聖堂となっている。それはその規模でも理解でき、全世界にある正教会の大聖堂中で最も高い103メートルという巨大な聖堂である。

歴史的に見ていくと、1883年に大聖堂は成聖され、ロシア革命の影響を受け1931年に宗教弾圧政策をとるソ連によって爆破されたが、その後ソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建されたという。

これを詳しく見ていくと、1812年にロシア皇帝アレクサンドル1世によってナポレオン戦争での戦勝記念と戦没者慰霊を目的に大聖堂の建立が宣言される。そのモデルとされたのは、モスクワのクレムリンにある生神女就寝大聖堂と聖天使首大聖堂、コローメンスコエの主の昇天聖堂などが挙げられているという。

様々な困難を乗り越え、約70年後の1883年にアレクサンドル3世の戴冠式と同日に成聖され、成聖の前年には、チャイコフスキーの「序曲1812年」が大聖堂で演奏されているという。この1812年はもちろん建立が宣言された年である。

その後ロシア革命により、ロシア正教会は大打撃を受けることになる。

帝政を倒し、「宗教」の力を弱体化しようとする革命政府にとっては、信徒の支持により確固として存続するロシア正教会は脅威であった。聖堂の接収や破壊、信徒の逮捕や処刑などでロシア正教会へと激しい弾圧を加えるソビエト政権。

そしてスターリン時代の1931年にかの有名なソビエト宮殿(Palace of Soviet)の設計コンペが行われ、世界中から様々な有名建築家がその計画案を提出する。そして新しいモスクワのアイコンとなるべきこのプロジェクトの敷地として選ばれたのが救世主ハリストス大聖堂の建つ場所であった。

それはつまりはロシア正教会の象徴的建造物を破壊しその跡地にソビエト宮殿を建設することで、無神論の宗教に対する勝利を示すことを企図していたことが伺える。ソ連共産党の決定により1931年に大聖堂は破壊された。

そしてソ連崩壊後の2000年8月19日(主の顕栄祭)に再建されたという、なんとも数奇な運命に翻弄された大聖堂である。

それだけにモスクワの市中心部にいてもかなり目に付くのがこの大聖堂。その後ろに控えるセブンシスターズと共に、モスクワの空を突く塔の一つとして風景を作り出している。

レッド・オクトーバー脇の橋を利用しモスクワ川を渡っていくと、遠近法を無視するかのように巨大な聖堂の姿が見えてくる。南北の方位を無視し、明らかにモスクワ川への正面性を強調する配置を取っている為に、橋を進んでいくと徐々にその巨大さが身体に迫ってくる。しかもこの橋がモスクワ川というかなりの川幅を掛け渡すために中央部が相当に持ち上げられている。その為に途中から橋を下っていきながら目の前の建物は次第に巨大になっていくという、二重の効果を受けて圧倒されることになる。

内部を除き、その時代に弄ばれた運命を思いながら、ホテルの最寄駅まで最後の地下鉄移動を行い、モスクワの地を離れる前に昨日の夕方に発見した、駅周囲のクレープ屋で売っている、大好物の「イクラ」のクレープを二つ購入し、ほお張りながらこの巨大な都市スケールを持つモスクワでの滞在を終了させることにする。


























レッド・オクトーバー・ギャラリー Red October Gallery 2009 ★★


同行者であったオーストラリア人から進められていたのがこのレッド・オクトーバー・ギャラリー(Red October Gallery)。

救世主ハリストス大聖堂のすぐ南のモスクワ川の中州に位置する地域の総称で、ソ連時代はここに有名なRed October chocolate factoryの工場があったのだが、それがモスクワ郊外に移設された為に、近年この工場跡地が、アート・ギャラリーやレストランとして再利用され、かなり活気を持ったエリアになっているという。

トレチャコフ美術館 モダンアート館からモスクワ川沿いに北上していくと、最近整備されたというモスクワ川沿いのランドスケープと設置されている屋外アートがなかなか良い風景と環境を作っているのを感じられる。暫く進むと、モスクワ川の中洲から飛び出した形になっている彫刻と、その後ろに控える工場群を見ることが出来る。

川がある街は、あちら側とこちら側と作り出し、街に差異を生み出すので美しい風景の助けとなる。しかしそこの中を実体をもった人間として歩き回るためには、川を渡る為に橋を利用しなければならない。

その道理にしたがって、目の前に見えているレッド・オクトーバーではあるが、わざわざ随分先までいって橋を渡る必要がある。歴史の中で生まれた町であるにもかかわらず、そのスケール感がなぜここまで身体的スケールからかけ離れているのかに思いを馳せながら橋に上がる階段を登ることにする。














トレチャコフ美術館 モダンアート館 New Tretiakov Galleries 1985 ★★


スタッフのロシア人が進めてくれた中の一つがこのトレチャコフ美術館。クレムリンに近いのが古いもので、こちらが新しいものというので、新館なのだと思っていたが、どうやらネットでは英語でこの情報を探すのはなかなか難しい。

英語では「The State Tretyakov Gallery on Krymsky Val」と呼ばれ、1985年にモダンアートのコレクションの為に新設されたようであるが、詳しい情報は分からず。

宿泊しているホテルの近くに位置するトレチャコフ美術館はモスクワの商人であった、トレチャコフ兄弟が自らのアート・コレクションを展示する為に自宅に1851年開いたギャラリーを元にしているという。

今では世界有数のロシアファインアートのコレクションとなっているから、モスクワに行くならクレムリンと並んで必ず訪れる価値のある美術館だという。

郊外まで足を伸ばしヘトヘトになっているがこれが最後のモスクワ訪問だと考えるとどうしてもこれだけは訪れておきたいと思い途中下車で向かったのがこのトレチャコフ美術館の新館にあたるモダンアート館。モスクワ川沿いに位置するこの美術館。

最寄り駅を下車すると、目の前に広がる広場と強い都市軸。そして中心に彫像。やはりこの様な都市のアイコンがあると、初めて訪れる都市でも駅を出て方向を確認しようとしながら地図と照らし合わせると、簡単に地図と実際の方向が理解できる。これは一つこの様な都市計画の利点であろう。

方向を確認し、距離感を確認し、先程の教訓を生かし疲れた身体に鞭打ち徒歩で向かうことにする。どうやら前を行く4人組の学生らしきグループも美術館に向かっているような雰囲気なので、着いていくと途中で右に折れて学校らしき敷地の中へ。「近道なのだろうか?」と思いながらついていくが、どうやらそこは行き止まり。「美術館に行くのか?」と聞くと、彼らは英語を話せるようで「そうだから、ついてくればいいよ」と。

「それにしては道を間違えていたじゃないか・・・」と思いながら、ヘトヘトになりながらもついて行く。するとモスクワ川沿いの広場に出て、その先に非常に長い建物が見えてくる。これが目的地である、トレチャコフ美術館の新館。

横長い建物だけに、中央に位置する入口から階段で展示室のある2階に上がると、必然的にぐるりと横長に配された展示室をめぐっていくことになる。ただでさえ巨大な美術館なのに、この長い一日の最後の訪問地ということで、じーんとした疲労感を感じながら展示を見ていく。

ロシア構造主義を代表する、ウラジーミル・タトリンの「第三インターナショナル記念塔(1919年)」の巨大な模型を眺め、更に上階へと進み展示室をめぐっていく。そうすると途中で展示の準備の為か回遊式の動線が遮られている。その為に今来た長い動線を再度引き返さなければいけないということになる。

ヘトヘトになってなんとか辿りついたクロークで荷物を返してもらい、その前のベンチでなんとか足の疲労を回復しながら、一体この街の人は一日にどれだけの距離を歩くのだろうかと思いを馳せることになる。